ハイナンNETの日常

メンバーが気になってること、メンバーの日常、そして「イアンフ」問題関連情報を書いていきます☆

ナヌムの家訪問記byかっちゃん

2009-12-30 07:17:06 | メンバーのつれづれ
9月2日~7日迄、ナヌムの家を訪問しました。遅ればせながらその時の報告をさせていただきます。

ハルモニとナヌムの家のスタッフとは水曜集会で合流しました。初めてハルモニに会って感じたのは、彼女達は一人一人異なる存在であるという事実。集会の参加者に深々と御辞儀をするハルモニ、参加者に語りかけるハルモニ、椅子から立ち上がって日本大使館に向け日本(韓国)政府の対応を厳しく糾弾するハルモニ、健康面から集会に参加できないハルモニ……。ナヌムの家でも、ニュースを見ながら持論を力説するハルモニ、来訪者に積極的に話しかけるハルモニ、いつも穏やかな表情のハルモニ、食事が終るとそそくさと自室に戻ってしまうハルモニ……と三者三様で面白かった(不謹慎かな……)のですが、彼女たちに共通しているのは、「あの時」からごく最近まで、自らの被害について沈黙を強いられたことだけかもしれない……。これまでややもすると「あぽ」「ハルモニ」と十把一絡げに語りがちだった自分を反省すると共に、これからは可及的個々のハルモニの被害、生き様に今迄以上に目を向けようと考えました。
朝が弱い私にとって毎朝7時の朝食は少し大変でしたが、眠い目をこすって生活館に行くとハルモニは既に着席していて、身の引き締まる思いがしました。皿洗い、掃除、ゴミ出し……。濡れた皿を布巾で拭かず自然乾燥させるetc、日本と異なる習慣に戸惑ったこともありましたが、自分のしていることが、ハルモニと多少なりとも繋がっていると考えると、少し嬉しく思いました。ハルモニ一人一人専用のコップを割らないように両手でしっかり握って乾燥機迄運んだ際の緊張感を思い出します。
ハルモニは5時の夕食後は暫くテレビを見る等して寛いだ後、それぞれの部屋に戻って御休みになります。その後はスタッフと飲んだりカラオケに行ったりバスケをしたりしましたが(徴兵制、北朝鮮etcについて激論になったことも……)、時折ふとハルモニのことが思い出されました。ハルモニは今どんな夢を見ているのだろう……。自分が何を考え、何をしていても、同じ時にハルモニは精一杯生きている。ハルモニと撮った写真を家に飾っていますが、自分も背筋をピンと伸ばして生きていかなければと、今でも時折ハルモニが自分に温かくも厳しい眼差しを向けている気がします。

ハングルに疎かった私はハルモニの言動が理解できず口惜しく感じることも頻りでしたが、それでもハルモニの感情の機微に少しは触れられたかなと感じた時は欣快の至りでした。お菓子をプレゼントしたり肩を揉んであげたりしたときに可愛らしい笑顔を浮かべたハルモニ、私の手慣れない掃除を見かねて掃除機を取り上げて模範を示してくれたハルモニ、同様の失敗で朴訥なハルモニの逆鱗に触れてしまったことも……。日本語が話せるハルモニとは結構コミュニケーションがとれましたが、そうでないハルモニについては表情etcからその気持ちを忖度するのが精一杯でした。ベッドに座って足が震えつつも精一杯の笑顔を見せてくれたハルモニに対し、笑顔でしか返せないもどかしさ。そこで、再訪する時までには少しはハングルも勉強しようと考えていますが、ハルモニの気持ちに寄り添おうとする姿勢は忘れないようにしたいものです。
言葉といえば、ある晩ハルモニとスタッフと工事関係者で鰻を食べた時、御機嫌なハルモニヶ歌と踊りを披露してくれました。日本語の歌を流暢に歌えること自体に彼女達の被害の爪痕が残っているとも言える訳ですが、その歌を聞きながらふと考えました。自分はアポやハルモニ達について誰かに伝えようとするときに、どうしても言葉で考えてしまう。20世紀最大の人権侵害の被害者、満身創痍の証人、歴史の再審を求めるエージェンシー……。しかしハルモニは、御機嫌になって皆の求めに応じて思いのまま歌う。たったそれだけのことに、僕は言い知れぬ感動を覚え、大切なことを教わった気がしました。ハルモニから自分も一曲歌わないか勧められた時、照れ屋の自分はハルモニが歌った方が皆喜ぶと断ってしまいましたが、今ではハルモニの勧めに従った方が良かったのではないかと少し反省しています。
感情ということでいえば、帰国間際に、世話のお礼に(どちらが世話をされたのかはひとまず措いといて)お金をくれたハルモニのことも忘れられません。私が、このお金は受け取れない、自分はお金が欲しくてハルモニに会いに来たのではない、ハルモニが自分のために使うよう言うと、ハルモニはこれしかあげられなくてごめんと謝り始めたのです。あのお金を受け取って良かったのかは今でも分かりませんが、自分に会いに来てくれたから、そのお礼にという、非常にシンプルな、しかし非常に大切な感情だったのかも。あそこでの押し問答は、ハルモニを思っているようで、実は自己満足に過ぎず、ハルモニの気持ちと交わっていなかったのかも。人と繋がることの難しさ、大切さを痛感しました。
あるハルモニの、「何しに来たの?」という笑みを浮かべながらの厳しい問いが今も脳裏に焼き付いて離れません。シンプルであるが故の厳しい問い。しかもそれが会う度にぶつけられるのです。不意を突かれた私が咄嗟に「ハルモニに会いに来た」と答えると、ハルモニは私の揺れる心を見透かしているかのように、また人懐っこい笑みを浮かべるのです。そう、自分が何をしたいのか、日本社会をどう変えたいかが実は一番重要なんじゃないか。この問いから逃げてはいけないと痛感させられた出来事でした。

記念館の展示は予想以上に充実したものでした。特に印象に残ったのは、ハルモニの被害(日本軍の加害)を示す何も描かれていない真っ黒なボード。被害(加害)の凄絶さ、沈黙を強いる諸権力のおぞましさ、この問題に誠実に向き合おうとしない日本社会の拙さ……。これら全てを凝縮しているように思えるシンプルなボードは、舞文曲筆が跳梁跋扈する日本社会に、重い問いを突き付けているように思えました。

最後は3人のハルモニと記念写真を撮りました。残りのハルモニは御休みになってしまい写真を撮れなかったのが心残りです。なお、今回訪問した時ハルモニは仮の生活館で過ごしており新生活館は工事中でしたが、最近それが完成したようです。ハルモニは新しい生活に慣れたでしょうか。
短期間でしたが、ハルモニと生活を共にし、ハルモニの息遣いを身近で感じられたのは、月並みですが貴重な経験だったと思います。ハルモニとの距離が縮まった、と手放しで喜ぶことはできず、寧ろハルモニが屈託のない笑顔を浮かべれば浮かべる程、自分との間には想像を絶する壁があるのでは、と考えさせられることもしばしばでしたが、そこから目を背けない想像力を今後も鍛錬した行く必要性を痛感しています。ハルモニとの再会が楽しみです。

P.S.最後に、「慰安婦」問題とは直接関係ないかも知れませんが、今回の訪韓で忘れられない出来事があったのでここで。水曜集会の前日に西大門刑務所歴史館を訪れましたが、そこで中高校生と思しき韓国の若者が、何やら騒いでいるのです。独立志士の悲痛の叫びを体現したオブジェの前で奇声を上げたり、日本が設置した裁判所の判決言渡しを体験できる場で「行けよ」「嫌だ、怖い」と揉み合ったり……。確かに同館の展示方法には、「愛国心」を強調するetc疑問も感じましたが、それにしてもここはそのようなことをすべき場所ではないのに。伝わっているけれども伝わっていない。何かを伝えることの難しさを突き付けられたようで、私は暫くその場を離れることができませんでした。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 海南島に行ってきました。その3 | トップ | wam de art 「絵画にみる『... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

メンバーのつれづれ」カテゴリの最新記事