2008年の3月になって、
血のにじむ便なりと知りつつ臆して言わずせわしい妻に
医院にて3月6日
内視鏡検査勧める医師に逆らいて臆して行かず一年も前
癌かもしれぬと医者の一言腹くくる三月六日
肛門病院にて
尻をだす動作のぎこちなく「あなたの穴は狭いねぇ」
ケツの穴の小さき小心者なり自ら笑って処置に耐えてる
校門病院3月14日
霧雨の日 内視鏡を入れる凛とした若き医師の顔
モニターに映し出される我が肉の痛ましくみゆカラー映像
「ああここだ」軽やかな医師の声頭もたげてモニターをみる
「癌ですか」「癌ですね」若き医師の確たる声の脳にひびいて
風邪ほどの病ににたる日常の会話のごとく告げられる癌
われがただ無知にあるらし医療の進歩を若き声に知る
癌なりと妻に告げし日は春の気配の立ち止まりたる雨
静かに受け止める妻のうろたえることなく我を支える
ネットにて大腸がんを調べてる六十過ぎれば何でもありか
最悪のシナリオよぎるときじっと生命線を妻とみている
3月22日 肛門病院にて
妻ともに結果を聴きいる看護師のせわしく達動く午後
医務室で我に面する医師若くその言葉の事務的にして
防衛医科大への紹介状を書いてもらう
食べ物の注意書き妻老眼鏡をかけて読みいる横顔
肌寒き朝なり社中黙して語らず妻の手をにぎる
3月26日
妻の休みの日を選び二人して防衛医科大付属病院を初めて訪ねる。8時半に外来の受付をする。第一外科の受付に行く。
最悪の内容含めて全部知りたいとチェックするアンケート
「かなりですね」と医者の言、診察室で向き合っている
かなり進んでいるらしい入院を急ぎますと断下されている
妻もまた口にはせねど最悪のことなど思いつあるく帰り道
4月2日
留守電に「四月七日に入院です」と事務的な声残されていた
友に入院を告げる
仲間に大腸癌で入院すると告げる。仕事の絡みもあり伝えておかなければと思う。ありがたいのは、驚きと同時に励ましの声であった。また癌になった人の周囲にいかに多いことか驚かされる。
一様に大腸がんは生存率も高く、術後長生きしている人が多いと励まされる。
新宿で山内と偶然出会い、彼の事務所に行って、杉本と三人で癌に絡んだバカ話をして一時間ほど過ごす。大笑いして気分もすっきりした。
笑ううち笑い転げているうちに体の芯がよみがりくる
憂いをば笑い飛ばして帰る道生き生きとして街を歩いてる
友ありて励まされtる我がいる今までの生き方はよし。
さくら満開となる星月夜眺め眺めて過ぎ行く春か
入院するにあたり、自分としては国内旅行に出かける気持ちでいた。未知なる体験を愉しもうとビデオカメラを持ち込んで記録を取ろうと考えた。
またTVをみることもなく、DVDプレイヤーでオペラや映画などを見て時間を潰すこと、また日記を書くこと、西蔵の死者の書に関する本など用意sて、無為に過ごすことを避けたいと思った。荷造りはぜにゃに行い、ダライラマの『愛・非暴力」「仏教」「チベットの死者の諸」NHKなど
入院(四月七日)
病院に事前に問い合わせしておいた。御前九時半に一階の受付に行けばよいことになっていた。手続きを済ませると八階東に行ってくださいと言われる。エレベーターで八階に上がり、病棟に入る。この病棟は外来とは別で、一旦外に出てぐるっと回り込んで別の入り口から入る。入り口の受付で名前を言うと通された。そして十時二十分に看護師に案内されて806号室に入る。
久保さんから電話があってインドのTCVの私のスポンサーチャイルドのシャリブーがネパールから帰ってこないと言う連絡を受ける。(後述)
もはや花ちかけている雲の日の室内暗く癌病棟
さわやかに響ける声であいさつす担当看護師着任七日目
どことなく重き部屋なり居心地の差だラ間らぬまま時は過ぎ
担当の医師まだ若し若者に身をゆだねるもよし
(担当医矢口医師は36歳)
出されたる流動食の味気無さ否応なしに我は病人
(夜八時矢口医師が見えてオペを早めると言う)
カーテンの囲いの中でひそひそと悪しき状態しらされている
消灯の部屋静ままれば寝付かれず闇に背を向け寝返りを打つ
四月八日
オペの日は明日決めますと医師の言う朝まだ早い七時半
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<この後、日記を書きつづけます。>
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