歌集
色褪せた自画像
色褪せた自画像 目次
第一章 夢が覚めてから 1
第二章 悲しい在り方 57
第三章 遠く離れて 85
第四章 はびこる悪が 109
第五章 遥かな空へ 147
第六章 雑念の書 199
第七章 読書の季節 231
あとがき 261
目 次
第一章 夢がさめてから
作成時期 発表 作品番号
夢がさめてから 89.4.12 001
東欧の変革 89.10.12 010
時に寂しく 90.1.5 017
天皇即位 90.11 芸術と自由154 037
かの日はるかに 90.12 045
全共闘ノスタルジア 90.12 052
闇からぬけて 91.1-6 064
母慕記 91.10 086
桜のきせつに 91.4 091
TOKIO 91.1-6 掌26 096
春 雷 90.4 106
湾岸戦争 91.2-3 新短歌連盟92年「アンソロジー」 115
鎮魂歌 90.12 133
地球(テラ) 90.6-11 芸術と自由160 140
うすれゆく愛の・ 91.1.11 芸術と自由157 144
疑 惑 90.6.7 156
変 身 91.8-92.1 165
冬のとんぼ(わたしの挽歌)91.2.1 芸術と自由178 172
ろばの目 90.5 掌27 183
カフェ・オリエンタル 91.3 掌28 196
夜更けに歩く猫 91.9 掌29 204
愛するイワンへ 90.6~91.8 216
信仰告白 91.10 掌30 228
第二章 悲しい在り方
言ってみれば 93.1-3 芸術と自由169 214
憂国詭 92.11-93.3 芸術と自由170 221
蓑 虫 93.2-3 芸術と自由171 229
精神異常が好き 92.12―93.3 236
つまり 92.11-93.3 芸術と自由173 243
母小粋 93.2 芸術と自由175 253
恋 歌 93.3-9 芸術と自由172 260
ホモ・アマノジャク 92.11-93.4 267
冬の雷 91.11 芸術と自由174 276
柩 92.11 芸術と自由161 285
頬にかかる涙は 92.12 291
郷 愁 93.7-9 芸術と自由172 298
悲しいね 92.11 93年薪炭か連盟『アンソロジー』 308
第三章 遠く離れて
都 会 92.4~5 芸術と自由165 318
ピーターパンがいく 92.5 芸術と自由164 330
夏の日の 92.3 芸術と自由177 338
無愛想な日々 92.3-4 掌31 350
願 い 92.4 358
宴の後に 92.3 芸術と自由163 374
遠く離れて 92.3 「92年新短歌「アンソロジー」 382
あれ鈴虫が 92.9 芸術と自由166 394
望 郷 91.5 芸術と自由158 402
春が来るようだ 92.3 私達の歌集」棟の会 406
透明詩人
僕の目 91.9
珍黙 91.9
人形 91.9
夢 91.9
ロシア 91.9
マルクスおじさん 91.9
暗闇 91.9
不在の僕 91.9
不安 91.9
不在の僕2 91.9
地に蹲る悲しみを 95.4
あとがき
この歌集に収めた作品は、短歌を詠みはじめてから十年の間のもののすべてです。手を加え作り変えたものも多くあります。
初期の作品は第一章「夢がさめてから」に集約されています。第二章「悲しい在り方」以降は、熱心に短歌を詠み始めた佐品群です。
私の短歌は穂祖谷秀雄さんとの出会い、棟の会に入ったところから始まり、定形ではなく、自由な形式の薪短歌でした。古典的な近代短歌の研究、現代短歌の学習も自己流ではありますが、少し勉強しました。定形によらない短歌は以外とむずかしいものがあり、散文にならずに、短歌的抒情を短い文体に取り入れることは、思った以上に難しいものがあります。短歌は定形詩であるという前提にたつのと、短詩であるという立場の違いは、解決されないままでしょう。自分が短歌形式で歌を詠んでいるという意識が、その両者の立場を含み持つのではないだろうか。。私の作歌の方法に影響を与えたとはっきり指摘できるのは、塚本邦雄、津島喜一、穂祖谷秀雄の文体と方法です。その影響は一読されれば分かると思います。
新短歌の形式についていろいろと思うことがありますが、津島喜一の形式はもっと研究されてよいと思います。また私の作品の多くは写生的であるよりは、写生を踏まえて虚構的に表現する方法を主に考えているのは、先の二人の表現方法を肯定するところにあり、また周辺の写実をモットーとするような短歌表現を面白いとは思わないことに原因があります。それでも写生的表現は真に難しく、まだ真に迫る写生表現の技術がないためかもしれませんし、生理的にむいていないのかもしれません。ただリアリズムという点にあっては、私の短歌はまぎれもなくリアリズムを指向していると言えます。また、私の短歌は虚構性に満ちていると受け止められれば満足です。また劇的な構成なり、そこに劇的な雰囲気が醸し出されれば未熟ながらも満足すべき作品と思うことができます。
私の作品は特徴的に政治、思想、現実の出来事にかかわっている歌が多い。それは意識的に社会詠でありたいと言う思いが強いからです。成功しているかどうかは疑問の向きもあるかもしれませんが、これが私の歌です。
また、発表形式も作品を一作づつ提示するのではなく、作品群として提示したのも、連作の場合もありますが、それらの作品群に何等かの意味を持たせたいと思ったからです。連作であっても歌として一つが成立していなければなりません。失敗していることの方が多いかもしれませんが、その作品群にストーリーをもたせるような試みを行っています。
不幸なことに短歌から離れ、「芸実と自由」からも遠のいてしまいました。今後のことはわかりませんが、今までの短歌をまとめておきたいという思いにかられ、2000年の夏までの作品を収めました。穂祖谷さんの追悼歌を最後にしたのは偶然ですが、一つの区切りになると思います。私の人生を書き記すための歌集でもあります。ただそれだけの歌集でもあるかもしれません。短歌は面白く、自分の為に表現する文学であるとも思います。
2000年10月30日 所沢にて 軍司克己