はぐれの雑記帳

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山靴の夢 北アルプス編 第5章 立山・剱仙人池短歌紀行

2016年09月02日 | 短歌
第5章 立山・剱仙人池短歌紀行(1990年夏)


立山・剱仙人池短歌紀行て山・剱をめざす       81
立山へ向かう・ 嵐の稜線   82
憧れの仙人池へ        86
全行程
8月22日 池袋23:00 西武バスで富山へ 
8月23日  富山6:00-6:30室堂8:45-9:00雄山11:30-12:15御前小屋15:30
8月24日御前小屋7:00別山7:45-8:00 御前小屋8:30-8:50黒百合のコル9:50-10:15剣山荘
剣沢11:30雪渓終わり尋12:15-12:30真砂沢ロッジ
8月25日 晴れ
真砂沢ロッジ6:10へずりの先の河原6:55-7:00二股7:15-7:45 大窓の踊り場8:45二つのコプの手前 9:10-9:20二のコプの間9:40-9:50小屋が見える地点10:20仙人池ヒュッテ10:55-12:55池の平小屋13:25-13:30 池の平13:45-14:15 仙人池ヒュッテ15:20
8月26日 晴れ
仙人池小屋5:55沢出合い6:10-6:15仙人温泉小屋7:30-7:45 第二の沢の出合い8:20-8:30 黒四分岐 10:05阿曾原小屋10:20-11:10 平道取りつき11:40-11:50大滝12:50-13:00欅平が見える地点 13:40-13:45志合谷トンネル14:15-14:20下りにかかる15:35 橇平16:20-16:31宇奈月17:50-20:11 
富山21:21-2230
8月27日 池袋 5:00


写真・室道          写真・大汝山山頂
  

立山・剱岳をめざす
1990年の夏、憧れの仙人池に、このさい行ってしまおうと、8月23日から27日までの予定を立てた。妻には仙人池の写真を見せて、立山・剣・仙人池への山行を煽った。
1990年8月23日、私と妻は夜行バスで富山に着き、そこから電車とバスを乗り継いで、弥陀ヶ原から室堂にむかった。早朝、日の出間際の剣岳稜線は、黒々として、徐々に金色に雲が染まっていくなかで美しくいシルエットを描き出していた。

     長歌 仙人池憧撮
層々の 岩の鎧を 身につけて、紺碧の空に 衝き立つ 劒岳八シ峰。
その峻烈な姿を、華麗に映す 鏡のような 止水の小池、
仙人池とよばれ、岩と雪、奥山深く、
天界近い 高見の 地にある 楽園の小池に 憧れた山行は、
胸に秘められ 二十余年がすぎた。最愛の同行者をえた今、
憧れの 地を 訪れる時と 決める。夏の終わり、一路北陸道を 
富山へと走る 夜行パス。
夜明けま近の 空の端に、黒々と、天と地を 分かち 連なる大窓小窓の 稜線。
その頂点に ひと際尖る 高峰を、劒岳と 見すえれば、
幾層もの 紫雲に 金色の陽が射しこむ。
口許はゆるみ、待ち焦がれた 日の 訪れに、
胸に ひろがる歓喜。
妻と行く登山、この日の 穏やかで あることを、
朝明けていく 空の 劒の峰に 祈る。


    反歌
昧爽の空に劒岳黒々と天と地をわけて饗えたつ

立山へ向かう・嵐の稜線 
 立山に初めて登った暗から、二十二年後、山を復活させた私は、迷うことなく剣・立山をその冒頭の計画に入れた。槍・穂高と尋・立山はいつも私の想いのなかにあつた。
 九〇年の夏、立山に妻と来ることができた。その時は、一ノ越から雄山に登り、別山に縦走した。三十年前に歩いたルートとは逆のコースをとつた。その一、二年前だと思うが、立山で中年登山者が十数人、十月に稜線で凍死するという事故が発生し、世間を驚かせた。中年登山ブームのはしりで、その安易な登山に非難が浴びせられた。そんな時期に、私は登山を復活させたのだ。
一九九〇年八月二+三日、私と妻は夜行バスで富山に着き、そこから電車とバスを乗り継いで、弥陀ケ輝から室堂にむかつた。早朝、日の出間際の剣岳稜線は、黒々として、徐々に金色に雲が染まっていくなかで美しくいシルエットを描き出していた。

  (美女平より室堂をめざしバスで弥陀ガ原を走る)
弥陀ケ原のななかまどの赤い実ゆらし秋ものぼっていく朝明け

高原の空気は秋の気配を感じさせている。富山から眺めた日の出のころの天気は、青空であつたのだが、バスが高度をあげていくにつれて、怪しくなり、室堂に到着したときには、どんよりとした重たい雲が立山の空を覆っていた。この年、七月に妻は初めて槍ヶ岳に登ったのだが、台風にあい、雨に襲われながら新穂高に下山したばかりなのだ。妻をつれてのアルプスは、今回が二度目の山になるのだが嫌な予感がした。
 室堂についたとき、立山の空は期待に反して厚い雲に覆われていた

   (室堂にて)
霧雲深く立山をつつむ晩夏悲しくてつく深い溜息
晩夏すでに過ぎているかも肌震わせる立山の霧寒


 雄山に着く頃から雨。天気の回復を願って神社のお払いを受ける。雨具を装着して出発。天気が悪天になるなど予想もしなかつた。寮と風と雨が激しい三千メートルの稜線には歩いている人がいない。横殴りの激しい風雨、砂礫が顔を打つ。ロープを出して裕子をつないで歩く。ともかく徴しい風で立っていられないほどだ。あまりの凄さにたまらず逃げ場を探す。山道の両脇に這松が生えている。思わずその中に潜り込むと、ピタリと風の青も止み、寒さもなく暖かい。嘘のような静寂のなかでゆつくりと呼吸ができる。
ここでしばし休息する。
        (風雨荒ぶ稜線に)
      神祭る雄山の社、雨強まって茅の稜線人動く影もない
      狂う風に砂礫は雨衣をたたき青ざめる妻の顔をうつ
      妻に結ぷザイル固く握る霧吹きあげてくる地獄谷より
      濃霧縦走路の道標を隠す、硬張る眼は神の所在を捜す
      遭難死思う一瞬、這松に導りれば死にもにた静寂がある
      手をとつて妻を庇う、山の嫉妬だこの風雨の荒みは


 再び稜線に飛び出すと、再び、口もきけなくなるほどの緊張をしいられなる。深い寮の中、踏み跡をたよりに歩く。突然足もとに赤い屋根が浮かびでて、剣御前小屋に辿りついたと思うと、ほっとして、緊張感も緩む。剣沢まで行こうとしたが、裕子の疲れ方が激しいので御前小屋で停滞することにした。後でわかつたことだが、この日は風速25メートルの風が吹いたということだった。小屋で横になると裕子は安心したのか、ぐったりして寝てしまった。
 時間にして三時間ほどのことであつたが、槍ヶ岳の下山のときよりも緊張を強いられた。霧も深かったので、稜線で道を間違えてはならなかつたし、風があまりにも強いので、裕子が飛ばされるのではないかと心配をした。この時間は実に長かつた。小屋に入ると土間には室堂からきた人が、雨具を脱ぎながら、白い息を吐く。それほど気温も下がっていた。
 前回の槍ヶ岳で嵐の中を新穂高温泉へ下山した記憶もまだ新しいうちに、今日の荒れ模様の天気の中の立山縦走は、緊張を強いた。その分疲れが言葉以上にました。私よりも妻の方が大変であつただろう。またもや凄い経験をさせられてしまったのだ。食事もそこそこに裕子は寝てしまった。私は比較的元気であったが、早めに蘇ることにして蒲団に潜り込んだ。夜に入って雨も止み、風も穏やかになった。明日は天気も回復すると思えた。
      
長歌 風雨荒ぶ立山登山
室堂に 着けば、願いに 反し、肌寒く、垂れこむ 雪が
重くかこみ、夏とは 名ばかり。
立山の 峰々も、灰色に埋もれ、一ノ越への 道もか細い。
緑の草原、五色ケ原も、薬師岳の 眺めも、そこになく、
深い 霧のなかに 押し隠される。
雄山に 至れば、耐え切れず 雨は 降りだす。
祈祷も 空しく、ますます 荒れて 治まる 気配もない。
人影もない 縦走路、妻と二人 三千メートルの 山稜に 
その身を 曝す。稜線に 吹き荒れる 風雨、
気まぐれな 低気圧は 恐竜と 化し、妻を襲う。
怯む 妻を ザイルに 結び、励まし 庇う、時には 地を這い、
屈み、立ち疎む。大汝・富士ノ折立まで、化け物と 格闘する。
雷神、奄神の 気まぐれを 呪い、山の神に 求める救い。
這松のなかに 身をかくせば、しばしの安らぎを える。
別山越えて 小一時間、濃秦の中に、忽然と山小屋の 
赤い屋根。ああ助かつた、こわ張った 頬は緩み、
疲れきった 妻の顔にも 安堵の色が 浮かぶ。
山小屋の 濡れた戸口にたてば、人の声が 懐かしい。
一息つき 土間で、雨具を 脱げば、白く 湯気が 噴き出す。

    反歌
立山の風雨荒むは神のきまぐれ妻とのザイルに愛試されている
     すさ          

   (剣御前小屋に)  すみか
荒ぶ霧の稜線に忽然と魔王の住処か赤い屋根現れて
たどり着く山小屋の戸口中年の男遭難者の影とすれ違う
風雨晩夏を襲う夜小屋の灯に安らぎ眠る傍らの秦


早朝早く起床して、夜明けの日の出を見る。室堂に陽がさしはじめて、緑色に輝く。
剣岳の上部は寒がちぎれるくらいに早くながされていて危険なので、剣岳に登ることを諦めることにする。裕子に休養をあたえないといけない。精神的ダメージ大きい。
せめて、立山からの雄大な眺望を得ようと、裕子と別山まで登りかえす。昨日のルートを辿る。風は昨日のように強い√。しかしまったくの青空である。黒部湖の湖面が見える。昨日歩いた富士ノ折・大汝山・雄山の稜線、後立山連峰が鮮やかだ。裕子もその光景を楽しんだ。
 白馬や後立の山々が眼前に並ぶ。山々の名を裕子に説明しながら、今度は後立山の縦走だと考えた。十分に開放された景観を味わったあと、再び小屋にもどり、今日は真砂沢までの行程にしようときめた。

        (別山にて)
     若き日の生命あずけた青空にゆく真情しむ立山の峰
     青空につづく山稜の道みつめれば山の生命の鼓動をきく
     白馬杓子遣ガ岳唐松五竜岳鹿島槍まで澄みわたる


 こうして、青春のときに登った立山は、厳しい山の一面を私たちに見せたが、翌日の空は低気圧の通過した後の、澄み切った空の色であつた。妻には思わぬ出来事になったが、何事もなく過ごせてよかつた。
別山からもどり、いよいよ念願の仙人池へ行くことになる。
別山から立山                      当時の真砂沢小屋



 
剱岳・仙人池短歌紀行

1990年の夏、憧れの仙人池に、このさい行ってしまおうと、8月23日から27日までの予定を立てた。妻には仙人池の写真を見せて、立山・剣・仙人池への山行を煽った。
1990年8月23日、私と妻は夜行バスで富山に着き、そこから電車とバスを乗り継いで、弥陀ヶ原から室堂にむかった。早朝、日の出間際の剣岳稜線は、黒々として、徐々に金色に雲が染まっていくなかで美しくいシルエットを描き出していた。

     長歌 仙人池憧撮
層々の 岩の鎧を 身につけて、紺碧の空に 衝き立つ 劒岳八シ峰。
その峻烈な姿を、華麗に映す 鏡のような 止水の小池、
仙人池とよばれ、岩と雪、奥山深く、
天界近い 高見の 地にある 楽園の小池に 憧れた山行は、
胸に秘められ 二十余年がすぎた。最愛の同行者をえた今、
憧れの 地を 訪れる時と 決める。夏の終わり、一路北陸道を 
富山へと走る 夜行パス。
夜明けま近の 空の端に、黒々と、天と地を 分かち 連なる大窓小窓の 稜線。
その頂点に ひと際尖る 高峰を、劒岳と 見すえれば、
層もの 紫雲に 金色の陽が射しこむ。
口許はゆるみ、待ち焦がれた 日の 訪れに、
胸に ひろがる歓喜。
妻と行く登山、この日の 穏やかで あることを、
朝明けていく 空の 劒の峰に 祈る。

    反歌
昧爽の空に劒岳黒々と天と地をわけて饗えたつ

23日は立山に登り、御前小屋に泊った。立山の稜線は低気圧の影響で風雨が荒れ狂い、遭難の不安さえ感じられるほどであって、その記録は「立山』の項に記す。

8月24日御前小屋7:00別山7:45-8:00 御前小屋8:30-8:50黒百合のコル9:50-10:15剣山荘~剣沢11:30雪渓終わり尋12:15-12:30真砂沢ロッジ

翌日は晴、小屋の前から日の出を見る。剣岳の上部は雲がちぎれるくらいに早くながされていて登るには危険なので諦めることにする。裕子に休養をあたえないといけない。精神的ダメージ大きい。別山まで登りかえして、昨日のルートを辿る。立山の稜線がきれいに見えた。昨日と章違う天気にほっとする。今日は真砂沢へ下る。
御前小屋から黒百合のコルをめざしてのんびりと剣山荘への道をゆく。お花畑にはいろとりどりの花をみることができた。途中、道の前を横切る動物が現われた。「いたち」のようなリスのような動きですばしっこい。さっと岩をめぐって跳ねていく。「おこじよ」だ。はじめて出会ったが、その動きのユーモラスさに二人見惚れていた。

   (黒百合のコルから剣岳を真近に見上げる)
おしよせる雲剣の峰に湧いて遠く見送ればさらば青春
ふきでる汗に若者が仰いだ剣岳かわらぬままに陽にかがやく


黒百合のコルから山荘によって、剣沢の雪渓にとりつく。たっぷりと雪渓がついている七念のためにアイゼンを着ける。「キュキュ」と気持ちよく雪を鳴らして歩く。

さかさまに劒嶽よりくだる霧この雪渓を低く過ぎつつ    佐藤佐太郎
大股にくだりつつ行く雪の渓底ごもる水の音聞こゆる
いきほひて雪の下よりほとばしる水のひびきの中に休らふ 
  

歌人佐藤住太郎が昭和26年ごろの夏に立山を登り、この劒沢を下りている。その時の歌で歌集『地表』のはじめの方にある歌。天下の歌人と自作の歌を平然と並べている自分の気がしれないが、これも山を愛する故であるとご勘弁願いたい。負けないような歌を詠んでみたいと思うのだが。歌人でこの劒沢の雪渓を下った人はめずらしいと思う。

   (剣沢を下り、真砂沢ロッジ)
雪解けの水に手を浸す妻との馴初めを問う郭公の声
笑い声あげて夏の雪渓アイゼンの爪鳴らし濃い影が下る
雪解の水に光がはねる微睡めばこころははるか頂きを踏む
革命歌唄ったころの血のながれ体内にひびく剣沢の轟音


真砂沢ロッジには、昼過ぎに着いた。ロッジとは名ばかりのプレハブの小屋である。戦前から}Eには売店としての小屋があった。真砂沢の出合にある小屋の周囲は、広い河原となってひらけて明るい。水音は勢いのある音をたてている。河原にでて遅い昼食をとる。ラーメンがうまい。河原の岩に、濡れたシャツなどを全部並べて干した。そしてしばし昼寝をする。こんな豪勢な時間を過ごしていいのだろうかと思えるほど、のんびりとすごした。これで裕子の疲れもすっかりとれたようであった。夕食どき客は数人にしかなく、湯をもらいにいったおりに小屋番さんと気が合い、そんなことから夫婦して部屋に招かれてコーヒーをご馳走になる。小屋番さんは新潟の人で、栂池で.ヘンションをやっていると言う。是非遊びにきてと誘われた。深夜、見上げた空はまさに満天の星空であった。

単身の山番がかたる里の家妻のこと子のこと寂しい夜は
灯消えて星辰図頭上にひろがれば深い静寂にしずむ



8月25日 晴れ
真砂沢ロッジ6:10へずりの先の河原6:55-7:00二股7:15-7:45 大窓の踊り場8:45二つのコプの手前 9:10-9:20二のコプの間9:40-9:50小屋が見える地点10:20仙人池ヒュッテ10:55-12:55池の平小屋13:25-13:30 池の平13:45-14:15 仙人池ヒュッテ15:20

いよいよ仙人池に向かう。剣沢の轟音を聞きながら沢にそって歩く。ケルンが多い。途中剣沢をヘズる個所がある。身体が沢の投げ出されるように岩をヘズるのだ。一瞬緊張した。二股のつり橋を渡ると真っ白に輝く小窓の雪渓が目にとびこんできた。岩峰と雪渓がひとつ解けた景観は美しい。池ノ平への道は行ってみたいが、裕子とでは難しそうなので、一般路の仙人新道の尾根道を登る。

人生の苦しみをみな背負うのか木の根にすがり登る道
耐えぬくという意志あり ついにわけいる仙人の嶺に


この尾根道は一直線に峠に向かっており、休む平なところがまったくない。裕子は喘ぎ喘ぎ登る。5分登っては休憩を繰り返す。展望のきかない樹木の問を登っているときはつらいものがあったが、時折風が通りぬける所で、ふと目をやるとハツ峰の特徴ある姿が見え、気分がワクワクとしはじめる。まだかまだかと思いながら、小さなコブを越えて、視界が開けて、谷をへだてた尾根の上に仙人ヒュッテの赤い屋根が見えた時、「とうとう来た」と思った。道も緩み、ひょいと仙人峠に出た。仙人ヒュッテまで 自然に足が早くなった。
    
    長歌 仙人新道を登る
劒沢の 水音離れ、仙人池への 道に 取り付く。痩せ尾根を、
木の枝にすがり、足をかけ、黙々と 登る。晃通とせる 景色もなく、
額に垂れる 汗を拭き、木の間を 抜ける 風をまつ。
一息入れる 場所もなく、ひたすらひたすら登る、胸つきの尾根道
仙人池が 写し出す、劒岳の、気高い姿、一目見るためと言い聞かせては また登る。
突然、樹木が切れて、三の窓の雪渓と 八シ峰の 岩峰、眼前に現れる。
ああこれが、夢にみた光景と、思えば 胸は高鳴って、|歩一歩に力が込もる。
息切らし、汗ふき拭い、仰ぐ空。
どこまでも青く、下界のこと 何一つ 思い患うこともない。
大自然の なかに、私は小さい。
山深く 菅める空と 濃い緑、大地が歌う 賛美歌を聴く。
仙人峠に到る時、緑の稜線に、夏の日ざしを 受けて 光る赤い屋根、
憧れの 小屋を見る。
コバルトの空に、そびえる岩峰を、笑顔で眺める。
二十余年の 歳月を経て、いま憧れの山に、私は来た、妻と来た。


     反歌
蝉鳴きやむ日仙人の榛む池に登り来て山靴の夢かなう

仙人ヒュッテに到着したのは、昼であった。
「こんにちは」
「ごくろうさんです。はやいお着きで、まずお茶でも召し上がって下さい。」
と中年の男性が、我々をねぎらいながら出迎えてくれて、茶椀にお茶を入れて差し出した。もう思わずこの対応に感激してしまう。こんな親切な出迎えを受けた小屋は初めてであった。全国で一番気分のいい小屋だ。
「ずいぶんと早いですね」
「真砂沢に泊まったもんですから、こんなもてなしを受けたのはじめてです。感激しちゃいますね」
「そうですか、ゆっくりお昼をとってから、池ノ平にでかけるといいですよ。そこのテーブルで食事していって下さい。」
食堂のテーブルで自炊をしてよいという。
「お客さん、夕食は唐揚げととんかつとてんぷらとどれがいいですか」
「山菜のてんぷらがいいですよね」
「わかりました。どうぞお茶」と言って、年配の婦人が急須のお茶を入れてくれた。女主人である。志鷹さんである。
「はじめて来たんですよ。来たい来たいと思っていて。池に写る剣を見たくて。
「みなさんそう言います。何日も泊まっていく人もいます。昨日は、たった四人のお客さんだったですけれど、そういう日にかぎって朝焼けがきれいでね。明日もそうなるといいんだけれど」と、言いながら、窓から剣の小窓の方を見つめている。
「あの小窓のテント、一週間あるんですよ。死んでなきやいいだけれど。毎日みているんだけどね。でも大丈夫でしょう」
大丈夫だという根拠はないが、長年の感なのだろうbこの山小屋はあったかい。
「お風呂に入ってくださいな」
「エッ、お風呂あるんですか」
「檜のお風呂ですよ、去年二百万でつくったんだから」
「ぜひ、入れさせてください。うれしくなっちゃいますね」
「池ノ平から帰ったら入ってくださいな・とうちゃんが作らせたんだから」
「はい。」と答えて、食事の始末をし、ザックにコーヒーセットだけ入れて、池ノ平にでかけることにした。
「ではすみません、行ってきますから」
「いいとこですから、ゆっくりしていらっしゃい」
こんなに登山客を大事にしてくれる人情味あふれる山小屋はめったにない、北アルプスの小屋ではできない。やはりいいところに来たとつくづく思った。

   (仙人池ヒュッテ)
二十年憧れつづけた山小屋にきてハツ峰仰ぎ立ちつくす
耳すませば岩峰に打った青春のハーケンの響きこだまする
池剣岳の岩と雪を映す仙人池に恋心十八の夏に陽が落ちる
剣岳に茜さして黄昏るこころしずまれば忍びよる秋


雄大な裏剣の景観を目の前にしながら、おだやかな稜線を歩く。
池ノ平の小屋は雪に押しつぶされたとかで、斜めに傾いで、数本の支え木でかすかに壊れずにあるが、もうみるからに時間の問題のように思えた。小屋の脇ではホースから水がふんだに無がれ出している。小高い丘の上にあり、左に剣岳ハツ峰の岩と緑、右にはそれとは対象的に、赤ハゲ、白ハゲと呼ばれる毛勝岳に連なる赤っ茶けた切り立った崖になっている。正面は池ノ平山の緑の山頂があり、足もとには、穏やかに蝋塘がひろがっている。池ノ平は天国だ。
ここから見る『剣』は素晴らしい。アルペン的風貌とはこのようなことであろう。日本的な風景とは少し趣きが違う。ともかく来てよかった。小屋の前から、池塘へと一筋の道が下っている。眼前に黒々とした剣岳のハツ峰が右から左へとワニの歯のように並んでいる。三ノ窓や小窓の雪渓が白く光る。池塘のまわりは緑のジュウタンを敷きつめたような庭園のようであり、また、そこを通りすぎる風の心地よさ。ゆったりとした雰囲気を楽しみながらコーヒーを漢かした。こんな極上のコーヒーはなかった。

   長歌 池ノ平に遊ぶ
アルプスの 小さなコルに 池の平小屋。雪の重みに 
耐えかねて、いまにも 崩れ落ちそうに 傾いている。
小屋には 人もなく、静かに 風だけが 渡っていく。
紺碧の空は 穏やかに 透きとおり、笹の絨毯 
敷きつめられた池平山。転ずれば、大窓雪渓に
深く切り立つ岩の壁、白ハゲ、赤ハゲ、荒々しく、
鳥もとまらぬ。見上げれば、劒岳ハツ峰、雲湧くチンネ、
小窓の王、小窓雪渓。雲の湧く ハツ峰を 背に、
たおやかな草の原、池の平。この大自然を 穏やかに
映して、池糖の水面、きらきらと輝く。ああまさに、
この国に あらざるこの景色。ここは、仙人の 
棲まう雲上の桃源郷。一筋の道を下り、池糖に至り
草のしとねに 寝ころがれば、
静寂のなかに 時が止っていく。

    反歌
烟ゆるやかに岩峰にかかり我が夏の盛り過ぎていく
池糖のほとり夏草にまどろめば青春いまも高嶺にやどる


仙人池のヒュッテにもどったのは、午後三時半ごろで 部屋には大阪からきたという官庁勤めのご夫婦と一緒になった。部屋の小窓からあかず剣岳を眺めている。
さっそく自慢の風呂に入れてもらった。風呂場として整理された場所とは言いがたいが、立派な槍の湯船がどんと設えてあって、その湯船に首までつかりながら、窓から五竜岳の黒々とした姿を見ていた。もう満足そのものである。
夕食になると、食堂は泊り客で満席になった。それでも20人くらいだろう。料理は山菜のてんぷらであった。
私が昼間、てんぷらがいいと言ったので 今日は山菜のてんぷらになったのだ。私たちだけのオーダーと思って言ったのだが、夕食のメ一ニューを決めさせてしまったらしい。みんな席につくとごはんと味噌汁、それにシチュー、富山のいか墨を振舞う。たくさんおかわりをしろと、女主人が言う、 外は暗闇になったが、食堂は女主人のサービスににぎわった。食事がほんとに美味しいのだ。そんな時ランプを着けて到着した登山客がきた。
「遅いじゃないの、大丈夫へまだ誰かくるかね」
「もうひとり来ます。行くからと伝言を頼まれているから。いま仙人新道を登っていると二一だろう。かなりの歳の人だったよ。ゆっくり行くからって」
「八時過ぎるね」
「たぶん、室堂からだからね」
「まあ、ゆっくり休みましょう、食事もあるから」
ほんとに優しい心つかいの山小屋である。実際、その夜八時過ぎに相当年配の人が到着したのだが、室堂から一日で入ってくるというのは相当のことだ。じつにすごいと思った。
客のなかに、剣の北方稜線を越えてきた人がいて、
「山なれた人なら誰でも大丈夫ですよ。仙人池にくるのには、こっちの方が早いからね」と簡単に言われてしまったが、いつか実現したいと思った。食堂でなにかと山の話に花をさかせて、九時近くなる前に部屋にもどる。明日の朝、きれいな朝焼けに金色に反射する剣岳が眺められることを願いながら眠りに着く。まったく天国みたいなところだ、ここは!

闇に山々つつまれて灯ともりやさしく生きること考える
夜霧につつまれて眠る雲海の果てにめぐる銀河あり
あさひに光るアルプスの峰今日をまた美しい命と思う
この小屋の母の笑い顔雪降るまで山まもるたくましく
愛する妻と恋する山にきて青々ひろがる空にとけこむ

8月26日 晴れ
仙人池小屋5:55沢出合い6:10-6:15仙人温泉小屋7:30-7:45 第二の沢の出合い8:20-8:30 黒四分岐 10:05阿曾原小屋10:20-11:10 平道取りつき11:40-11:50大滝12:50-13:00欅平が見える地点 13:40-13:45志合谷トンネル14:15-14:20下りにかかる15:35 橇平16:20-16:31宇奈月17:50-20:11 富山21:21-2230
8月27日 池袋 5:00


翌朝、日の出前に仙人池に行くと、池のまわりにズラーとカメラを抱えて写真を撮りに来たとばかりに並んでいる。期待通りのとは言えなかったが、朝日が昇るにつれて、八シ峰の岩壁が光りだす。私もシャッターを何回も押した。美しい写真の通りの眺めで、池はほんとうに鏡のように止水の水面であった。名残り惜しいが帰らなければならない。志鷹さんに「こんなに素敵な山小屋はない、必ずまた来ますから」
と、言って仙人池ヒュッテに別れを告げた。
仙人温泉は道の端に露天風呂がある。五竜岳が正面に見える。阿曾原までは沢筋の道を下る。長い道だ。阿曽原までもかなりきつい。小屋の近くの沢で食事をとった。阿曽原の小屋もプレハブの小屋である。いよいよ水平道だ。しかしこの、水平道への取り付きが結構きつい。そして、ともかくこの水平道は長い。しかし眺めはすごい。絶壁の壁をくり抜いて作った道だけのことはある。幅一メートルの道の片側はすっぽり切れ落ちている。志合谷のトンネルは真暗なうえに水が流れていて、浅い川を渡るような水量があった。道は山檗にそってくり抜いてあるから、檸平の駅も見え、駅のアナウンスも聞こえてくるのだが、実に遠いのだ。そして散々歩かされたあげくに、駅のすぐちかくにきてから「シジミ坂」という急坂を下らされる。駅まで200メートルも下る。いいかげん足がまいってしまった。
かくして私たちの剣岳仙人池への旅は終わりに近づいた。あとは観光客と一緒に黒部渓谷のトロッコ列車を楽しんで宇奈月に出て、温泉に入り、帰宅の途につくだけとなった。妻にも何事もなく、無事、長年の夢を果たせたことに大満足したのであったろう。