怠惰なひな菊

漫画家・萩原玲二(はぎわられいじ)の怠惰なブログ(2006~2019)

M4A3E8 シャーマン イージーエイト

2018-04-23 03:50:37 | 映画
Fury |2014| All Tank Battles [Edited]



唐突に―――ハリウッド映画で、21世紀のポリティカル・コレクトネスの敷衍、一般化と、映画の題材としてのナチズムの絶対悪度の高まりは比例していると思っていて、もちろんナチズムは絶対悪に決まっており、映画の中で武装SSが虫けらのように殺戮されるシチュエーションなど、まあそりゃそうだろうなのだが、それとは別にナチの絶対悪度は映画のプロットにおける都合にすぎないともいえ、もやもやするのである。

タランティーノの『イングロリアス・バスターズ』〔2009〕くらい戯画化されていればわはははと笑ってすませられるものの、ブラピつながりで『フューリー』〔2014〕となると、かなり疑問符がつく。

なぜなら『フューリー』は戦車馬鹿勢が渋々(!)満足する高水準の戦車映画だが、実はこの作品の本質は「西部劇」であり、『駅馬車』〔1939〕や『赤い河』〔1948〕や『ワイルド・アパッチ』〔1972〕のリメイクといってもよいような異文化との衝突にある。

すなわち『フューリー』の武装SSはインディアンの偽装にすぎず、『フューリー』の最大の欠点はラストに騎兵隊が突撃ラッパを鳴らして救援にやってこないことに尽き(?)、その点さすがにスピルバーグは『プライベート・ライアン』〔1998〕でP-51にティーガーを爆撃させてみせた。
(といいつつ、武装SSの少年兵が見逃してくれるシーンは嫌いになれない)

とにかく『フューリー』は作品全体がフラーの『最前線物語』〔1980〕のオマージュにみえるのに(オープニングなどそのまんま)、『最前線物語』に横溢するアナーキーで硬質なユーモアは全然ない。

ようするに真面目すぎるわけで、戦争やナチを語るのにユーモアなど必要ではないといわれればその通りなのだが、映画は所詮映画なのであって、そのクソ真面目な姿勢に21世紀の澱が何処かに凝縮されつつある気がして憂鬱なのだった。







で、『フューリー』といえば、本物のティーガーI初期型以上にM4A3E8シャーマンであり、イージーエイトといえば近年発掘された朝鮮戦争における↑のカラー写真はすこぶる興味深いものであった。
(映画で使用されてるのはディーゼルエンジンのM4A2E8らしいが)





タミヤ 1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ No.359 アメリカ戦車 M4A3E8 シャーマン イージーエイト 朝鮮戦争 プラモデル 35359

新考証に基づいて、赤い悪魔の顔で知られる第89戦車大隊などのデカール2種類をセット。

タミヤ(TAMIYA)



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