相変わらず、まめたろうとの夕方のウォーキングは続いています。
おしゃべりなまめは自転車をこぎながら、色々話をしてきます。
ある時、
「ねぇ、ババ。神様はどこにいるの?」
と聞いてきました。
「どこにいるんだろうね?ババもわからないな。きっとお空の上のほうで、ハイジと一緒にいるんじゃないかなぁ。」
と、言いました。
「お空にいるの?」
と言って、まめは、自転車を止めて空をじーっと見ていました。
そこで、私は、
「どこかで、神様はいつもまめのことを見ているのよ。それでね、良いことをすると、それをちゃんと見てて、困ったときは助けてくれるの。さっき、まめは自転車ごと、どぶに落ちそうになったけど、ぎりぎりのところで落ちなかったでしょう?あれは、まめが良い子にしているから、神様がまめを助けてくれたのよ。」
と、思いつきで言いました。
その時の話は、それで終わりました。
その翌日、同じように自転車に乗りながら突然まめが言いました。
「ボクね、神様の声が聞こえるんだよ。」
と。
「どういう時に聞こえるかって言うと、ボクが悪いことをしたときとか、良いことをしたときに、神様の声が聞こえてくるんだ。」
と言います。
「神様は、どんな風に言うの?」
と聞いたところ、まめは何か答えたのですが、私の前を自転車で走っていたため、まめの声は風に流されて、聞こえませんでした。
家に帰ってから、まめが神様の声が聞こえると言ったことを主人に話しました。
すると、主人は、
「突然そんなことを言い出して、大きくなってから、変な宗教に走ったら困るな。」
と言いました。
ははは
それはないでしょう。
と私は答えました。
娘にそれを話すと
「お父さんの心配は、そっちかい?
私は、子供の頃って、そういうことが本当にあるかなぁと思うの。」
と言っていました。
実際、私の息子も中学生くらいまで、私たちには見えないものが見えたりして、あまりうれしくない経験をしているので、小さな子供にはそういうことがあるのかもしれません。
息子は、今は何も見ることはなく、十歳過ぎたらただの人ってヤツです。
最近では、私が仕事を終えて、家に帰り着く頃は薄暗くになってしまうようになりました。
そろそろ、まめたろうとの散歩も終わりかな?
おしゃべりなまめは自転車をこぎながら、色々話をしてきます。
ある時、
「ねぇ、ババ。神様はどこにいるの?」
と聞いてきました。
「どこにいるんだろうね?ババもわからないな。きっとお空の上のほうで、ハイジと一緒にいるんじゃないかなぁ。」
と、言いました。
「お空にいるの?」
と言って、まめは、自転車を止めて空をじーっと見ていました。
そこで、私は、
「どこかで、神様はいつもまめのことを見ているのよ。それでね、良いことをすると、それをちゃんと見てて、困ったときは助けてくれるの。さっき、まめは自転車ごと、どぶに落ちそうになったけど、ぎりぎりのところで落ちなかったでしょう?あれは、まめが良い子にしているから、神様がまめを助けてくれたのよ。」
と、思いつきで言いました。
その時の話は、それで終わりました。
その翌日、同じように自転車に乗りながら突然まめが言いました。
「ボクね、神様の声が聞こえるんだよ。」
と。
「どういう時に聞こえるかって言うと、ボクが悪いことをしたときとか、良いことをしたときに、神様の声が聞こえてくるんだ。」
と言います。
「神様は、どんな風に言うの?」
と聞いたところ、まめは何か答えたのですが、私の前を自転車で走っていたため、まめの声は風に流されて、聞こえませんでした。
家に帰ってから、まめが神様の声が聞こえると言ったことを主人に話しました。
すると、主人は、
「突然そんなことを言い出して、大きくなってから、変な宗教に走ったら困るな。」
と言いました。
ははは
それはないでしょう。
と私は答えました。
娘にそれを話すと
「お父さんの心配は、そっちかい?
私は、子供の頃って、そういうことが本当にあるかなぁと思うの。」
と言っていました。
実際、私の息子も中学生くらいまで、私たちには見えないものが見えたりして、あまりうれしくない経験をしているので、小さな子供にはそういうことがあるのかもしれません。
息子は、今は何も見ることはなく、十歳過ぎたらただの人ってヤツです。
最近では、私が仕事を終えて、家に帰り着く頃は薄暗くになってしまうようになりました。
そろそろ、まめたろうとの散歩も終わりかな?