はーちゃんの気晴らし日記

気ままに 楽しく 書きくけこっこ!

横浜~横須賀---思い出を訪ねて

2009年08月19日 | 雑談
私は、年に2~3回、学生時代の友達3人と会うことを楽しみにしています。
そして、夏休み中の14日は、いつもの3人が会う日でした。
私たちは、3人が会うのに一番都合の良い場所、横浜で会うことが多く、今回も集まった場所は、横浜でした。
いつも通り、食事をしたり、お茶を飲んだりしながら、お互いの近況報告やグチなどを思う存分ぶちまけ、旅行のお土産や街で見つけたものなどを交換し合い、日々のストレスを発散します。

私は、いつも通りの行動だったのですが、主人の行動が違っていました。
いつも主人は私が友達と会うときは、家でのんびり、録り溜めていた録画を見たり、パソコンで図面をいじったりして過ごすらしいのですが、9日間の夏休みのうちの6日間をずっと家でゴロゴロしていたせいか、自分も出かけてくると言います。
「へぇ~、珍しいね。どこへ行くの?」
と訪ねると、
「高校時代を過ごした場所を歩いてみたい。」
と言います。
主人は、青春時代を横浜で過ごしました。
それで、3年間通った高校を見て、駅前の通りを歩き、その後、友達と遊んだ横須賀まで行ってみたいと言います。
それで、私が友達と会うのが横浜なので、横浜の駅まで一緒に行きました。

私と別れた後、主人は、3年間通った高校に行きました。

能見台です。


主人が利用していた頃は、『谷津坂』という駅名だったそうです。
それが、駅周辺を住宅地として開発するに当たり、江戸時代から知られた景勝地「能見堂」に因んで『能見台』という名前に改名されたそうです。
当時は、軍需工場のための駅だったため、駅周辺は、山ばかりでお店はもちろん住宅も1つ2つあるくらいだったそうです。

現在の駅前

かなり開けています。

3年間通った学校だそうです。


その後、主人は、横須賀に向かいました。


おかしなツーショット


ドブ板通り

<戦前、この通りには道の中央にどぶ川が流れていたが、人やクルマの通行の邪魔になるため海軍工廠より厚い鉄板を提供してもらい、どぶ川に蓋をしたことから「どぶ板通り」と呼ばれるようになった。その後ドブ川・鉄板ともに撤去された。>---ネットより。
スカジャン、発祥の地としても有名です。

お盆のせいか、それとも不景気のせいか、シャッター商店街のようです。


三笠公園です。
「水と光と音」をテーマに音楽に合わせて舞う噴水


記念艦三笠

日露戦争時の連合艦隊旗艦


<三笠の艦首は皇居へ向けられており、さらにそのまま直線状にロシアへ向けられている。これは保存時に三笠が帝国海軍の象徴とされていたことと、日露戦争からいつまでもロシアのほうを覗いていることから。そのために終戦直後に三笠はソビエト連邦 (当時)から解体の声が上げられたが、交渉等によってそれは回避された。>---ネットより

あれ?機関車?と思ったら・・・

国鉄D51形蒸気機関車に似せて造った災害時用の飲み水のタンクだそうです。

東京湾に浮かぶ唯一の無人島『猿島』です

今は海水浴でにぎわっていると思います。

海軍カレーの店


主人は、松屋でカレーを食べ、その後、この店を見つけて、がっかりしたとのことでした。

この後、横浜に戻ったらしいのですが、私が友達と別れて駅に行くと、な、な、なんと主人がホームに・・・
時間を示し合わせたわけではないのに、あまりの偶然に二人ともビックリでした。

「俺も先が見えているのかなぁ。何だか最近、昔の事が懐かしくて、行ってみたい、歩いてみたいと思うんだよ。」
と主人は言います。
そういう意味では私も、自分が通った高校に行ってみたいと思います。
駅周辺や学校周辺、校舎も変わっているだろうと思います。
やっぱり、私も先が見えてきているのかしら?
機会があったら、私も母校を訪ねてみたいな~と思っています。





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