今までは「ICFの視点」についての考察でしたが、これからは働きかけに入ります。
演者は「よくする」ための働きかけの内容として「プログラム」「チームワーク」「本人家族のインフォームド・コーオペレーション」を説いている。
プログラムとして「あるべき人生」の具体像としての「活動」の「目標」を定める「目標思考型アプローチ」を求めている。
つまり、対象となる「人」は機能障害や低下によって制限が加えられており、そのために制限のある人生を送っているが、その制限が加わった姿でなく「あるべき人生」を具体像としての「活動」の「目標」を定めることが「目標思考型アプローチ」だと説いている。
実に壮大なイメージをもたらす内容と言える。1個人、1支援者としてどこまでできるかという疑問は残るが視点としては大事なことだろう。加齢に伴って肉体的衰えから就労が困難になった場合でも「あるべき人生」の具体的な「活動」として就労という具体的目標をプログラムとした場合、社会的制度を視野にした支援プログラムを要求する。まさにICFたる所以といえる。いままでの障害機能の分類からはとても発想しえない概念、考え方と言える。
ICFを考えるときよく思うのは無限への取り組みというイメージを持つ。ときに社会変革という視点をもたらすことに戸惑いを感じることがあるが関わりを持つ皆様はどう考えるだろうか。
演者は「よくする」ための働きかけの内容として「プログラム」「チームワーク」「本人家族のインフォームド・コーオペレーション」を説いている。
プログラムとして「あるべき人生」の具体像としての「活動」の「目標」を定める「目標思考型アプローチ」を求めている。
つまり、対象となる「人」は機能障害や低下によって制限が加えられており、そのために制限のある人生を送っているが、その制限が加わった姿でなく「あるべき人生」を具体像としての「活動」の「目標」を定めることが「目標思考型アプローチ」だと説いている。
実に壮大なイメージをもたらす内容と言える。1個人、1支援者としてどこまでできるかという疑問は残るが視点としては大事なことだろう。加齢に伴って肉体的衰えから就労が困難になった場合でも「あるべき人生」の具体的な「活動」として就労という具体的目標をプログラムとした場合、社会的制度を視野にした支援プログラムを要求する。まさにICFたる所以といえる。いままでの障害機能の分類からはとても発想しえない概念、考え方と言える。
ICFを考えるときよく思うのは無限への取り組みというイメージを持つ。ときに社会変革という視点をもたらすことに戸惑いを感じることがあるが関わりを持つ皆様はどう考えるだろうか。
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