Carpe Diem-Seize the Day-

Because life means just right now for us...

惜別の刻

2014年01月02日 10時05分40秒 | ペットロス・QOL

そうなのか。そういった考え方も一理有るのか。。。


この俳句はシリアで銃弾に散った

ジャーナリストの親御さんが謳ったモノ。


散歩で出会うお婆さんに言われた。

でも、沢山病気があったってそれが判ってるから

色々してあげられるからまだ良いじゃない。。。と。

あんた、あれだよ、急に事故なんかで

亡くなってみ、何も準備出来なくて大変だよ。

そうやって考えたら良いんだよ。


実際にそういった砂を噛む様な思いを

される飼い主さんは居るだろう。

何も事故に留まらず、本当に有り得ない突然死を。

勿論、何等の変調はあったのかも知れないが

それは獣医ですら予見不可能なレベルで。。。

だが、疾患疾病にて亡くなっていく仔等の方が

絶対数からは圧倒的に多いと想像をする。

闘病期間が1週間かも知れない、1年、2年かも

判らないが、その間思い切りその仔に

尽くせる、という事を言いたいのだろうと思う。


確かにそうなのかも知れない。

その仔の死等、全く考えない中突如として

失うという事はどれ程の思いが残るのか。


これはニンゲンも同様、否それ以上だろう。

行って来ます、と朝元気に玄関ドアを開け

出掛ける。しかしその後ろ姿が最期の姿となる

場合も有る。もしかすると当たり前の日常に

その後ろ姿さえ見送らず、部屋の中から

行ってらっしゃい、と叫んだだけかも判らない。


余りに幼く断片的な記憶しか無いが

母親は家族性に発生する脳血管の病気だった。

徐々に進行していった様だ。

子供乍ら、恐らく心の片隅では

そう長くない事は知って居たのか。突然に

亡くしたワケではなかった故か。。。

心の準備も何処かしらで

出来て居たのかも知れない。

悲しみは然程感じなかった記憶がある。

或いは死への概念が希薄だったか。

突然死であったなら、又相違した記憶として

残って居たのだろう。


---それでも---


もし。。。長年寝込む、或いは介助介護を要し

無意識の中に於き心の準備が

徐々に出来て居様とも。。。

今現在の自分の様、毎日毎日

ゆきとの生活は永遠ではない、と言い聞かせ様とも

いざ、その刻を迎えたなら。。。それは違う。

寝た切りで動かず、意思疎通が全く不可能になり

飲まず食わず、本当にこれで生きて居ると

言えるのか、と思える状態であっても。。。

生と死の違いは絶大に開いて居る。


その仔が無くなれば、それまで頑張って

横たわり息をして居た生の証とも言える、ベッドの窪み

その生の温度を教えてくれたタオルケット、

全てが冷たく無機質な物質と化す。


やはり。。。死とはどういった容であれ

残酷で残忍な惜別なのだ。


それでも、その準備期間に思う存分

何かを施せる、と前向きに捉える考え方も有る。。。

そう教えられる。


惜別の刻を迎える為の準備等

本当に嫌だ。出来ればしたくない。

しかしイヌを迎えた以上

これはもうどう足掻いても然るべき事。。。

逆では大変なのだ。自らに言い聞かせる。


犬の十戒一番目を読み返す。。。


...My life is likely to last ten to fifteen years.

 

ゆきを迎える前から解って居た事だろう?

なのに15年経った今でも踏ん切り等付かない。

否。。。寧ろ執着は益々激しくなる。


自己中な飼い主はこの期に及んでも

まだ自分の心配をして居るのだ。

おまえが居なくなったら、おまえがこの世から

消えたら、と。

本当に抹殺してしまいたいこの心。


惜別の刻へ。。。




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