第A0006号
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第A0005号【ちび猫の目指す『経済弱者からの脱出』の公開(1)】より
テーマ
【更新する多様な全体】の知識機能によって〔世界〕が更新されていたモノを、人がそこから『自己機能』を【部分解禁】して抜き出し、【チョイス】して使い出したものだから。学問という可笑しな事が、〔人間世界〕に起こり始めたのです。
・平成27年度版
*『パラダイム変換』の真実。【8月28日・金】
『パラダイム論』に於ける『パラダイム変換』とは本来、人間が進歩の過程を振り返り、その不自然に気付いて、進歩を縛る『枷(カセ)』から開放される為に、【反面教師】の役目を担って論理構築されたモノであったのですが。
何時の間にか、通常の進歩と言われる{『枷』に縛られたままの}状態が続いた後の、段階的な進歩と言われる{『枷』の交換である}パラダイム変換が、人間にとっての進歩の理想的な在り方であり雛形であると、広く一般に認知されてしまっていて。結局は、人間の進歩を阻む、大きな壁となってしまっているのです。
さらに言えば、【更新する無限大に多様な全体】に則(ソク)した進歩からはほど遠い段階的進歩を、『パラダイム変換』と呼んで{『神』の恩恵の如く}有り難がっている状況が、『神』に依存した他力本願な{世界を統べている}唯一神教に於ける大切な信仰と言えるモノとなっていまして。『パラダイム変換』の不自然さに気付かずにいられる事が、何時の間にか{踏み絵のように作用する}信徒としての証となってしまっているのです。
*〔人間の理解〕に於ける【全体】の問題。【7月22日・水】《3》
〔微生物世界〕や〔核物理世界〕と同じ様な現象が起きているのが、〔人間の理解〕でありまして。【一次的全体】に当たる《{様々なモノに知識が存在していると思えるコトによる}『何モノからも知は求められる』》という想いが、様々な[宗教]や[教育]や[活動]などで失われる事で、重度の『理解障害』が起こってしまうが。《{完全な知識などは無いし、参考にならない知識なども無いと自覚するコトによって}『何モノからも知は求められる』》という想いが“回復”すれば、{これで全てだと言われている時には見えなかったモノが、それだけでは足りなかった時から見えるようになるように}理解力もすぐに“回復”しますし。さらには【二次的全体】に当たる《『神は死んだ』や『進歩の見本とされている『パラダイム論』は、実は反面教師であった』や『人間は【全体】の【部分】であって、『全体の利益』の『全体』や『利益』の“為に”に埋没している場合ではない』》へと“更新”が始まれば、理解の範囲もドンドン“更新”されて拡大して行くのです。
そしてこの問題でも、問題を惹(ヒ)き起こしているのは、既得権益の確保を目指す『既存の利権者である権力者』であり、問題を深刻化させているのが、《『権力者』への攻撃》と《既得権益の温存》の両立を画策する『次の利権者を窺(ウカガ)う知識人』であり。問題を実施しているのが、既得権益の下支えの継承を善良な行為としてしまう『大衆庶民・市民活動家』であったのです。
また、『全体の利益』の《『全体』の“為に”》や《『利益』の“為に”》の、“~の為に”という『尊大な作為』がもたらす害悪や危険性につい考えたいというのであれば、『神は死んだ』という【開放】を自分自身でよくかみ締(シ)め、{自分の感情と対比して}何度も咀嚼(ソシャク)してみて、現代人が“~の為に”によって心が縛られ、[畏縮(イシュク)]や[差別の心]に捉(トラ)われている事や、現代社会が“~の為に”によって対立関係へと分断され、[奪(ウバ)い合い]や[潰(ツブ)し合い]が横行している事態を想像してみたら良いと思います。
大多数の人が{教育によって}《『神』の名の下》に“~の為に”とは『大切な想い』だとスリ込まれてしまい、{大衆庶民や市民活動家という存在ほど}可笑しな強迫観念に捉(トラ)われてしまっていて、個人では[畏縮]や[差別の心]に捉われ、『全体』では[奪い合い]や[潰し合い]に急(セキ)き立てられている状況が、『既存の利権者である権力者』や『次の利権者を窺(ウカガ)う知識人』によってハメラレテいる状況なのだと、きっと解るでしょう。
そして、[革新からの進歩]と[崩壊しながらの停滞]とを繰り返す『パラダイム論』の状況というのも、≪“~の為に”という尊大な精神によって【部分解禁】という付加価値の為に【全体】の『切り崩し』が断行されるが、じきに崩壊した【全体】の他の【部分】によって【部分暴走】が発生して付加価値が消滅してしまう≫という事によって起こっているので。『パラダイム論』を反面教師にして、《『枷(カセ)』の交換のスパイラル》から脱却するのにも、《“~の為に” とは『価値の有る想い』である》というスリ込みに抗(アラガ)えなくてはならないという事も解るでしょう。
*想いが“理解”されるのは数百年先だろう。【7月14日・火】
150年前の【ダーウィン】による『進化論』というメッセージには、≪各種の動植物や人間は、個別に神によって創造されていて、各個に生存しているようなモノなどではなくて。【全体】の【部分】としての関係を持って、一つの【全体】の構成員として存在していて。【全体】の進化の為に、その【部分】である各種の動植物や人間が、その必要に応じて進化してきているので。神の名の下に確定された『全体の正義』や『全体の利益』などの為に、人間が縮(チヂ)こまる必要はないし、縮こまってはならないのです。≫という想いが込められていて。
100年前の【ニーチェ】による『神は死んだ』というメッセージには、≪『お金』や『経済活動』や『全体の利益』に特段の意義を与えて、人間から頼(タヨ)られていた『神』は、もう存在していなくて。人類がその【部分】となる【全体】の機能を、もっと活かす為の、人としての“理解力”を回復させる時が来ていて。『全体の利益』への依存から脱し、人がもっと自由に『お金』を用意し、『経済活動』の目的が【全体】の【部分】である自分の為であるように、人間は開放されたのです。≫という想いが込められていて。
100年前の【アインシュタイン】による『E=mc²』というメッセージには、≪この〔世界〕は、『神』の創造によって安定した存在などではなくて。エネルギーと質量とが、『E=mc²』で反比例する関係で存在し、たえず変動を続けていて。人間も、その【全体】の【部分】として、その渦中に存在しているモノであるので。人間が、もっと真剣に【全体】と向き合えば、【全体】である〔この世界〕と『人の営み』とが、もっと上手くリンクしていけるハズなのです。≫という想いが込められていて。
50年前の【トーマス・クーン】による『パラダイム論』というメッセージには、≪人間が【全体】の【部分】である為に、人間の進歩によって【全体】である〔この世界〕も進化していくものなのですが。《人間が【全体】の【部分】である事》という事を《特定の『全体』の為に貢献する事》と人間が誤解している為に、人間は『全体』の為に《【全体】のほかの【部分】》を切り崩すような進歩しかしていなくて。そして、そんな人間の進歩に、〔この世界〕の進化が反応して、直ぐに後退してしまうものだからなのか。人間が進歩をする度に、その成果が直ぐに行き詰まってしまって、人の営みが何時の時代でも閉塞してしまう事になるのです。≫という想いが込められているのですが。
しかし、こういった歴史上の偉人たちのメッセージへの想いが、人々に{余計な解説が付加されたり、分解・継ぎ接ぎされたりする事なく}正しく“理解”され、【全体】である〔この世界〕の進化に人間の進歩が{同調して}貢献できる日は、まだ数百年は先なのかもしれませんがね。
*人間が“ダメ”である必要性(!?)。【7月8日・水】
「“ダメ”でも“ダメ”なりに頑張るしかない」と言う《既存の利権者》が居て、「“ダメ”だから、やり直しをするしかない」と言う《次の利権者を窺(ウカガ)う知識人》が居るのですが。
《大局を見据えての利益》や《全体での繁栄》の『大局』や『全体』の範疇(ハンチュウ)が{硬直していて、単調で}小さすぎであり、[利益]や[繁栄]が【部分解禁】による【個】の【更新機能】の暴走を価値化したモノであり、そのために“ダメ”であるのに、その“ダメ”をそのままにして、「“ダメ”なりに頑張ろう」とか、「“ダメ”をやり直そう」とかしたところで、“ダメ”のスパイラルからは脱(ヌ)け出せないのである。
【更新する無限大に多様な全体】の【部分】としての人類の在り様が再生される《無限大の多様性による全体での更新機能が活性した世界》が『神は死んだ』や『反面教師のパラダイム論』の合図によって始まるハズであったのですが。《大局を見据えての利益》や《全体での繁栄》の“ダメ”をそのままにして「“ダメ”なりに頑張る」や「“ダメ”をやり直す」と頑張るものだから、何時までも“ダメ”がそのままの理解しか出来ず、人間が“ダメ”なままの世界観からも脱け出せないのである。
生体科学や核物理学や民主主義や自由市場経済が人の営みを豊にする事を目的に実践されていても、結果的には、それを上回る人間の危機や不幸をもたらしてしまっているのだが。そういう“ダメ”をそのままにして、『“ダメ”なりに頑張る』や『“ダメ”をやり直す』とタダ頑張らされてしまうモノだから、結果的に「人間の本質は“ダメ”なのだ」と大多数の人々(一般市民)が確信させられてしまうのです。
≪《既存の利権者》や《次の利権者を窺(ウカガ)う知識人》の為に既得権益を恒久的に安定化してしまう《大局を見据えての利益》や《全体での繁栄》の“ダメ”≫に絶対の価値が付加されている為に、人間が犯す“ダメ”の多くの原因に、一般市民は気付けないのであり。そういう“ダメ”の原因の多くがそのままである事によって、『お金』の価値が恒久的に安定化する“ダメ”が{一般市民の無自覚のまま}続いてしまい、経済は終焉(シュウエン)を迎えたまま永続し、経済の既得権益だけが《既存の利権者》から《次の利権者を窺う知識人》へと引き継がれるのです。
『お金』が何度も再分配され、その価値がその都度(ツド)再生される《無限大の多様性による全体での更新機能が活性した世界》の実践とは、経済の〔無限大な多様性〕と〔全体による更新機能〕を【活性】させての{人々の理解力を《一つの経済》だけに合わせて縛ってきた『お金』に対しての【一律、一様】な価値観を、理解力が【活性】するように【多様化】させる}開放であり。≪【部分解禁】による【個】の【更新機能】の暴走の価値化≫である『人間の進化』や『核エネルギー開発』や『民主主義の理念』や『自由市場経済の信仰』への価値認識を否定する{人間を“ダメ”な人間で居られなくしてしまう}思想的テロであり。大多数の人々(一般市民)が《大局を見据えての利益》や《全体での繁栄》による{“ダメ”な}拘束(コウソク)から解き放されて行く訳ですから。《既存の利権者》や《次の利権者を窺う知識人》にとって、そういう{“ダメ”であった人々の理解力が【活性】してしまう}事態は、とうてい受け入れるコトは出来ないのです。
*退廃という濡れ衣。【6月21日・日】
凄(スゴ)く面倒くさい事が教えられ、それが試されていて、人々はそれによって篩(フルイ)に掛けられてしまう。【広い意欲】を持って物事に取り組めば、すぐ直ぐ近くに《答えに結びつくモノ》が沢山あり、さらにそこからは、答え以上のモノが簡単に導き出されるのに、人々は気付かず、気付こうともしない。
そして、その《【広い意欲】を持つ事》を社会に仇(アダ)なす反逆行為と{決定事項として}見なし、ココが自分の忠誠心の《示し時》とばかりに{盲目的に}その事に牙をムキ、それを仕事の中で実践していて、お金をもらう事で{さらにドンドン}有頂天になってしまう。凄く面倒くさい事を学び、試しに合格しても、結局は何も出来はしないというのにである。自分の能力を食いつぶし、他人の能力を踏み潰し、社会を貧困に追いやってしまうだけなのだが、それでも人間はそれが止められないのである。
≪貧困や犯罪や戦争が人間を[貶(オトシ)め]・[苦しめ]・[縮み込ませる]と言い、そして『シタリ顔』をしているが、それは、それによって自分たちの愚行の正当性の証としているだけの退廃である≫という想定が作られ、《【広い意欲】を持つ事》で物事の真実に目を向ける者たちに、その想定の濡れ衣を着せてしまう。
そして言うのである、「我々は退廃を許さない(!)」と。
*『理解』を【知識機能】にまで拡大させる。【5月31日・日】
人間というのは、本物の情報が目の前にあったとしても、自分の思い描く『型』に収まる情報を探し、『理解』しようと欲求していて、それを達成する『自己能力』に依存して生きているモノでありまして。
{試験勉強の為に}テキストや参考書などの本を読んでも、難しく感じるばかりで、{自分の想像した範疇(ハンチュウ)での}歪んだ『理解』しか出来ず。いざ試験を受けると、勉強に一生懸命であった人ほど、《問題を読んで理解する読解力》や《数式に置き換えて計算する計算力》や《解答の正誤を決める判断力》に欠けてしまって、正解を上手く導き出せないモノでありますし。
「『パラダイム変換』が{人間が抱える諸問題の解決の為などに}有用なモノである」と、多くの有識者が{喜び勇んで}その有効性を納得し自主的に受け入れてしまったのが、自分の思い描く『型』が{何かの拍子に}少し広がっただけで、劇的に《読解力》や《計算力》や《判断力》などの『自己能力』が向上した経験によるモノである為。『パラダイム論』の本質が、『反面教師』である事に気付けずに、【進歩の足枷(アシカセ)】である『枠組み』の再構築に心酔(シンスイ)し、【部分解禁】の『チョイス』に夢中になってしまって、【更新する多様な全体】の【知識機能】が段階的に{切り崩されて消耗していくように}全面解禁からは程遠い状態で解禁されるだけでありますし。
「思い描けた『夢』だけが現実になる可能性があるのであって、『夢』を抱かない人は何も実現させるコトは出来ない」と、{誰も反論せずに}真(マコト)しやかに言われていて、『夢』の範疇の実現を目指すという《人間の『自己能力』への過度な依存》がまかり通ってしまっている為。『夢』のパーツを{その恵まれた環境などによって}たくさん用意できた人が優遇され、『夢』のパーツの持ち合わせの少なさで人が差別されていて、特定の人による歪んだ『夢』の実現の為に人間社会が形成されてしまい、大多数の一般市民がその人間社会に否応なく帰属させられているものですから。人類が本来形成するハズであった{【更新する多様な全体】の【知識機能】が共有されている事による、みんなの『夢』が多様に集った無限大の全体としての}社会とはかけ離れた、可笑しな人間社会が、{観賞魚を飼育していた水槽の水が少し悪化するたびに、カルキ抜きをしただけの水道水での水の総入れ替えが断行されて、結局は観賞魚が全滅してしまうような}破綻に向かって突き進んでいるのです。
{本来の人類には無かったハズの}現代の人間の問題とは、自分の思い描く『型』である『枠組み』や『夢』に合致した【部分】的な『理解』だけを{意図的に}目指し、その【部分解禁】を『チョイス』しながら序々に消耗している{破滅的な}事を、自分自身や人間社会が進歩しているコトと錯覚している事でありますが。この閉鎖的な『理解』の全面解禁の有用性が{学習や読書などが先駆けとなって}周知され、【更新する多様な全体】の【知識機能】の有効性が{『生きた水』や『E=mc²』や『人類としての志』などが先駆けとなって}普及すれば、解消できない事ではないと【ちび猫】は確信しているのです。
*『学問』と『自己能力』の危険性。【5月29日・金】
この〔人間世界〕というのは、この〔世界〕の全体であった【更新する多様な全体】の“知識機能”の部分にすぎなかった人間の『自己能力』が、意図的に【部分解禁】され、それが【チョイス】されて使われだした事によって始まったモノであり。
そして『学問』というのは、人間が『自己能力』を、その“知識機能”から切り崩しながら【チョイス】してきた、人間の『単独負荷行為』でありまして。その実践には、{【部分解禁】であるが故に}人間一人一人に対して個別に『負荷』が求められてしまい。必然的に、{人間の[言動]や[思考]の単なる【足枷】となるだけではなく}個人差が如実(ニョジツ)に現れて、足並みも揃(ソロ)わず、嫌悪や差別の原因にもなってしまうのです。
人間が再び、『自己能力』から、“知識機能”に目を向け直(ナオ)せばいいだけの話しなのですが。 “知識機能”の普及には、【人間社会(人間)】の『学問』への依存がネックになっていて、そう簡単には行かないのです。
そもそも、≪“知識機能”をドンドン多様にしていって、それを人類全体で共有するコトで、人類が本来の進化を取り戻す≫という理屈には現実味が無く、既存の『学問』の効果や、それによる進歩の方に実感があるので。「“知識機能”などという荒唐無稽なモノを、『自己能力』に依存せずに構成して、みんなで共有しましよう」などと言ったところで、誰もまともには話を聞いてくれないのです。
しかし、【人間社会(人間)】の個人個人の『自己能力』への依存による弊害は、【人間社会(人間)】を確実に破綻へと導いていて。既存の『学問』のあり方は、{危険性を示している}その分かり易い例でもあるので、何としてもココから、【更新する多様な全体】の“知識機能”の再現に繋げたいのです。
***テーマの変更***
*『リスクヘッジ』の個人的発動【2月15日・日】
『リーマン・ショック』の時の{それ自体が『リスクヘッジ』を兼ね備えた『分散投資型債券』であったとされる}『サブプライムローン関連債券』が、日本でも一部の金融機関や保険会社などで分散投資が不十分なまま購入されていて、{不況の中で投資が冷え込んでいた為に、日本では影響が少なかったと言われながらも}倒産に至ってしまった保険会社があったぐらいであるのに。{『正義感』や『義務感』の達成にも異常なほど執着(シュウチャク)してしまい易く、『責任感』に変な拘(コダワ)りがあるため}ただでさえ分散投資に『抵抗感』を抱いていて、初めから【一つの投資】に陥(オチイ)っているような日本人(個人)に、「『リスクヘッジ』は自分達がしているから、これだけを買い求めていれば、安全は確保されます」と言って投資を募(ツノ)るばかりで、多種類の投資への個人々々による分散を促(ウナガ)さないのは、明らかに『リスクヘッジ』の言葉をその主旨を逸脱して使用した、詐欺行為でありますから。
【部分解禁】の『切り崩し』である{進歩の範囲が固定されてしまう}『停滞』でしかない、『一般的進歩』とされるモノの多くは、【一つの投資】への拘(コダワ)りによって招かれる損失と同類であり。【枷の交換】でしかない【部分解禁】の『パラダイム変換』である{段階的に進歩をして行く事による}【歪み】でしかない、『革新的進歩』と言われるモノの多くは、決算で損失を出すたびに【一つの投資】の投資先を変えて、次々と損失を積み上げているのと同類でありますし。『生きた世界観』に基づいた【多様な全体】の【更新】による『生きた進歩』というのは、{多様な金融商品を刻々と変えながら購入していく}理想的な分散投資と同類であり、究極の『リスクヘッジ』であります。
にも拘(カカワ)らず、日本のみならず世界中の『社会・国家』も『企業・組織』も『産業』も『宗教』も、{分散投資を自分がするような}本当の意味での『リスクヘッジ』をしている訳でもなく、ただ《『リスクヘッジ』をしている》というモノを『吟味』し、『無駄』なく取り入れる【『リスクヘッジ』の一点買い】に精力をつぎ込んでいるだけだというのに、『リスクヘッジ』を確(シッカ)りしているつもりになっていて。≪【部分解禁】の『切りくずし』でしかない進歩によって作られた、【更新機能】という『リスクヘッジ』を持たない『EM菌や遺伝子操作生物』を大量生産する≫のと同じような【『リスクヘッジ』の一点買い】の危うい政策が各方面・分野で実施されているというのに。個人の人間は、≪同じ『EM菌や遺伝子操作生物』を正確に継承して、生産していくための、{引き継ぎ、引き継がせる}『引継ぎ』≫に相当する仕事に、《誠実さの発揮》であると自画自賛し、{『正義感』や『義務感』の発動として}躍起(ヤッキ)になって頑張ってしまうばかりで。誰も、その不自然さに気付かないか、気付いても、既得権益に目が暗(クラ)んで、黙りこんでしまうだけでありまして。
今まで【『リスクヘッジ』の一点買い】で取り組んでいた政策が、何度破綻してしまおうとも、その都度、再《吟味》し、最も《無駄》の少ない【『リスクヘッジ』の一点買い】の政策を見つけ出しては、繰り返し取り替えて来たのだが。≪『EM菌や遺伝子操作生物』が何度破綻しようとも、次の『EM菌や遺伝子操作生物』が次々と選ばれ、作りだされて、新しい『EM菌や遺伝子操作生物』が繰り返し大量生産されてきた時に、その反面で、それらの効果を持続させるための『殺菌・消毒』が、{近代化に於いて、建て前上必要不可欠な、『リセット』を名目にして}強化され続けていた≫のと同じで、末端の人間が不平不満や懐疑心から反動的になってしまうのを防ぐためだとして、反動的な者たちへの容赦ない排斥(ハイセキ)処置・処罰が{近代化に於いて、建て前上必要不可欠な、『リセット』を名目にして}拡大し続けていて。≪『殺菌・消毒』の頻度が高い病院施設や畜産施設で、『殺人バクテリア』や『薬品耐性ウイルス』の発生・拡散が繰り返されて、{そんな悪循環の中で}『パンデミック』の脅威がドンドン高まっている≫のと同じようにして、秩序維持のための『処罰』や『リンチ』が重く容赦のない地域ほど、《負の連鎖》が繰り返されて、{そんな『悪循環』の中で}『テロや紛争』の脅威が増しているのです。
したがって、『リスクヘッジ』を決して他力本願にしないためにも、『生きた世界観』に基づいた【多様な全体】が【更新】する事による『生きた進歩』を確(シッカ)り達成したり。『分散投資』をするような物事への多種多様な取り組みを心がけたりする事は大切でありますが。【一つの投資】という事への拘(コダワ)りから、【『リスクヘッジ』の一点買い】に疑問を抱かなかったり、『正義感』や『義務感』で頑張ろうとして、その『引継ぎ』を強行したり、《『リスク』としての処罰》に順応したりする必要は、まったくなくて。
好きな『仕事』を好きなだけやって、『お金』は好きなだけ貯めればよいのであり。好きでもない仕事を続けるストレスの発散に大金をつぎ込んだり、イヤな思いをして引き継いだ仕事をイヤな思いをして引き継がせたりする必要はなく。それこそが、『リスクヘッジ』の個人的発動の始まりなのです。
*新テーマについて(2)【2月13日・土】
『一つの投資』に責任を抱いてしまって、分散投資を不誠実に感じてしまうのは、【停滞】の特徴であり。キツイ仕事で、ゆとりが持てないでいるのに、『正義感』と『義務感』を貫(ツラヌ)いて引き継ぎ、それを引き継がせるのも、【停滞】の典型であり。
詐欺師から「自分達は分散投資をしているから安心です」と言われて、自分が分散投資をするのを怠って、その『一つの投資』に全財産をつぎ込んでしまい、破産してしまったり。ブラック企業で真面目に働き、部下にも真面目に働かせてしまって、部下からは恨(ウラ)まれ、自分はノイローゼになって、退職するハメに陥(オチイ)ってしまったりするのは。【部分解禁】の『切り崩し』による{『通常の進歩』といわれる}【停滞】に{無防備に}安住してしまって、イザという時に全てを失ってしまう状況である事に危機感を抱いていないために起こるモノであり。
何度も投資に失敗していながら、何度でも『一つの投資』を繰り返してしまう事で、【歪み】がドンドン増し。仕事で何度も破綻しているのに、次こそは真面目に働こうと頑張ってしまう事でも、【歪み】がドンドン蓄積されていくのでありまして。
毎回投資に失敗していながら、その都度{カッコ良く}『一つの投資』しかしないで、損失を膨らませ続けてしまったり。何度も仕事で破綻しているのに、何時までも真面目に働く事にこだわり、職場での破綻や自滅を繰り返して、仕事の機会も仕事への気力も無くしてしまったりするのは。【枷(カセ)の交換】でしかない『パラダイム変換』での{『段階的進歩』}といわれる【歪み】に{何の疑念も抱かず}信じてしまって。自分が破綻寸前である事にも気付かずに、危うい夢の中をさ迷っているために起こるモノであります。
*新テーマについて(1)【2月12日・金】
『生きた世界観』とか、【多様な全体】の【更新】による『生きた進歩』というのは、究極の『リスクヘッジ』であり。【部分解禁】の『切り崩し』での【停滞】や、【枷(カセ)の交換】でしかない『パラダイム変換』での【歪み】というのは、≪同じ被害者が、同じ様なサギに何度も引っ掛かって来たのに(【停滞】にハマる度(タビ)に【歪み】を積み上げて来ているのに)、また同じようなサギに引っ掛かる(何度でも【停滞】にハマってしまう)≫のと同じであります。
*市民感情と経済損失【1月28日・水】《完成版》
近代科学を裏支えしている『唯一神教』に基づいた【完成した世界の世界観】が支配的な世の中での、『データ集積』の正当性を高めるためには『リセット』の繰り返しは必要だと信じ込んでしまった振りによる、世界の活性を見失い硬直してしまった{茶番劇のような}認識で。{『データ集積』の見せ掛けの正当性ための}『リセット』効果を狙っての{『パンデミック』の引き金になっている}『殺菌・消毒』のような『処罰』を善人気取りで何度も繰り返し、人間が人類の共通事項として持っていた【多様な全体で一つである】という生活や意識を崩壊させて。『知識人』や市民である『貧困層や労働者階級』を、{多様性を失った}『雑菌』や『殺人バクテリアや新型ウイルス』のような{攻撃的な}存在に追い込んでしまう。『体制側』や『主流派』の偽善者振りは、確かに大問題であり。
{『データ集積』の見せ掛けの正当性ための}『リセット』効果を狙っての{『パンデミック』の引き金になっている}『殺菌・消毒』のような『処罰』が、『体制側』や『主流派』によって偽善的に繰り返されて来た事により【多様な全体で一つである】という人類の共通事項が崩壊してしまった中で{たとえ}あったとしても。{多様性を失った個別の集合体である}『雑菌』の如く反動的な市民感情を、安易に{過激なデモや陰湿なストライキ行動などによる経済損失を狙って}暴走させ。さらには、『処罰』による淘汰(トウタ)の中で、{個別の更新機能が暴走しすぎてしまった}『殺人バクテリアや新型ウイルス』の如く『テロや紛争』を{その攻撃性や残虐性などにより社会不安を狙うようにして}惹き起こす『テロリスト』や『武装集団』に傾倒してしまう。『知識人』や市民である『貧困層や労働者階級』の{身勝手な}独善者振りも、無視できる問題ではなく。
それらが放置されるコトにより、{『データ集積』の見せ掛けの正当性ための}『リセット』効果を狙っての{『パンデミック』の引き金になっている}『殺菌・消毒』のような『処罰』である{『知識人』や市民である『貧困層や労働者階級』を標的にした}偽善的な制裁や攻撃が無くならず。『体制側』や『主流派』が目指す経済発展に於いての反動的な市民感情の{『核開発推進』との二者択一の中で、無知をさらけ出している『反核運動』や、『改憲論』との感情的な憲法論争の中で、近年の身近な『成功教訓』に無思慮なまま取り込まれ、経済発展が他力本願であった事も忘れて有頂天となり、埋もれた『失敗教訓』の掘り起こしにまったく目が向けられなくなって、『神仙思想』を敗者の言い訳に仕立て上げて無視してしまった『護憲運動』などのような}暴走による経済損失や、その独善的な市民感情がさらにエスカレートして攻撃衝動が高まり集る事による{過激な思想の武装集団である『タリバン』や『アルカイーダ』などに資金が流れ、『イスラム国』(ISIS/ISIL:カリフ制イスラム国家の樹立を目指している武装組織の名称であり、武装組織により掲げられている国家の名称でもある)に戦闘員が集るなどの}社会不安が、何時まで経(タ)っても増すばかりなのです。
確かに、普通に考えていては、反動的な市民感情の暴走による経済損失や、攻撃衝動の発散である市民感情がさらにエスカレートしていく事による社会不安が解消しなくては、{『データ集積』の見せ掛けの正当性ための}『リセット』効果を狙っての{『パンデミック』の引き金になっている}『殺菌・消毒』のような『処罰』は、たとえそれが偽善的なモノであっても、「決して無くせない」としか誰も言えないのだろうが。
しかし、【未完成な世界の世界観】の上に立った【多様な全体としての更新機能】が活用される本物の進歩の道理が{より多くの人に}理解され、活性した世界に於いての『リセット』の害悪が暴かれ、〔この世界〕の多くの場面で【多様な全体】が再構築されて、そこでの【更新機能】が広く人々に受け入れられれば。『処罰』の『リセット』としての効果の意味が無くなり、偽善的な『処罰』も無くなって、独善的であった市民感情の暴走も安定するので、{病的に無知な『知識人』には無理であるかもしれないが}市民である『貧困層や労働者階級』であっても、全体の中の一員として経済活動の{独善的でも、他力本願でもない}平等な担い手となれて、社会不安が{ようやく}解消に向かうハズなのです。
だがしかし今の時代は、≪【部分解禁】の切り崩しによる一般的な進歩と言われる【プチ・パラダイム変換】と、【枷(カセ)の交換】でしかない段階的な進歩と言われる【革新的パラダイム変換】の繰り返しを、人間の理想的な進歩としてしまった『パラダイム論』≫や、≪そんな{形だけの}進歩を、『神』により作られていた隠し扉の開錠とし、その鍵が『お金』で、開錠行為が経済活動であるとして、自由市場経済による経済発展が『神』に導かれた進歩を正当に手にする最善策であるとする『経済論』≫などによって、物事を普通にしか考えない{立派に人間であろうとする}人間で溢れていて。本当の意味で人類の助けになるハズの、本物の進歩の道理が、{立派に人間であろうとする}人間によって、無自覚なまま隠蔽(インペイ)されているのですが。
しかしたとえそうであったとしても、そういった当然の道理が公然と踏みにじられる現代の様な世にあって、人類の行く末に心を痛めながら犯罪者のような扱いを受けて『ドロップアウト』を余儀(ヨギ)なくされている人々を救い出し、失望して自殺に追い立てられている人に手を差し伸べられる 、“清廉”な人たちに、【ちび猫】は支援を惜しまないのです。
*市民感情と経済損失【1月27日・火】《下書き》
近代科学を裏支えしている『唯一神教』に基づいた【完成した世界の世界観】の中で{データ集積の成果を高めるためには}『リセット』の繰り返しは必要だと信じ込んでしまった、世界の活性を見失い硬直してしまった認識で、『リセット』効果を狙っての『殺菌・消毒』のような『処罰』を繰り返して何度も行い【多様な全体】を崩壊させて、『知識人』や『貧困層や労働者階級』を{多様性を失った}雑菌のようにしてしまう『体制側』や『主流派』も問題だが。
『リセット』効果を狙っての『殺菌・消毒』のような『処罰』が繰り返される事により【多様な全体】が崩壊した中で、{多様性を失った個別の集合体である}雑菌の如く、反動的な市民感情を暴走させ、その淘汰の果てに{個別の更新機能が暴走しすぎてしまった}殺人バクテリアの如く、『テロや紛争』を惹き起こしてしまう『知識人』や『貧困層や労働者階級』も問題で。
そんなだから、『リセット』効果を狙っての『殺菌・消毒』のような『処罰』が無くならず。『体制側』が目指す経済発展に於いての反動的な市民感情の暴走による経済損失や、エスカレートした市民運動による社会不安が、何時まで経(タ)っても増すばかりなのであります。
普通に考えていては、反動的な市民感情の暴走による経済損失や、エスカレートした市民運動による社会不安が解消しなくては、『リセット』効果を狙っての『殺菌・消毒』のような『処罰』は無くせないとしか言えないのだが。【未完成な世界の世界観】の上に立った【多様な全体としての更新機能】が活用される本物の進歩の道理を理解し、『リセット』の害悪を暴き、【多様な全体】を再構築して、そこでの【更新機能】を受け入れられれば、『処罰』は無効化されて、無くなって行き、市民感情が安定化して、市民も経済活動の発信者になれるのであります。
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第A0005号【ちび猫の目指す『経済弱者からの脱出』の公開(1)】より
テーマ
【更新する多様な全体】の知識機能によって〔世界〕が更新されていたモノを、人がそこから『自己機能』を【部分解禁】して抜き出し、【チョイス】して使い出したものだから。学問という可笑しな事が、〔人間世界〕に起こり始めたのです。
・平成27年度版
*『パラダイム変換』の真実。【8月28日・金】
『パラダイム論』に於ける『パラダイム変換』とは本来、人間が進歩の過程を振り返り、その不自然に気付いて、進歩を縛る『枷(カセ)』から開放される為に、【反面教師】の役目を担って論理構築されたモノであったのですが。
何時の間にか、通常の進歩と言われる{『枷』に縛られたままの}状態が続いた後の、段階的な進歩と言われる{『枷』の交換である}パラダイム変換が、人間にとっての進歩の理想的な在り方であり雛形であると、広く一般に認知されてしまっていて。結局は、人間の進歩を阻む、大きな壁となってしまっているのです。
さらに言えば、【更新する無限大に多様な全体】に則(ソク)した進歩からはほど遠い段階的進歩を、『パラダイム変換』と呼んで{『神』の恩恵の如く}有り難がっている状況が、『神』に依存した他力本願な{世界を統べている}唯一神教に於ける大切な信仰と言えるモノとなっていまして。『パラダイム変換』の不自然さに気付かずにいられる事が、何時の間にか{踏み絵のように作用する}信徒としての証となってしまっているのです。
*〔人間の理解〕に於ける【全体】の問題。【7月22日・水】《3》
〔微生物世界〕や〔核物理世界〕と同じ様な現象が起きているのが、〔人間の理解〕でありまして。【一次的全体】に当たる《{様々なモノに知識が存在していると思えるコトによる}『何モノからも知は求められる』》という想いが、様々な[宗教]や[教育]や[活動]などで失われる事で、重度の『理解障害』が起こってしまうが。《{完全な知識などは無いし、参考にならない知識なども無いと自覚するコトによって}『何モノからも知は求められる』》という想いが“回復”すれば、{これで全てだと言われている時には見えなかったモノが、それだけでは足りなかった時から見えるようになるように}理解力もすぐに“回復”しますし。さらには【二次的全体】に当たる《『神は死んだ』や『進歩の見本とされている『パラダイム論』は、実は反面教師であった』や『人間は【全体】の【部分】であって、『全体の利益』の『全体』や『利益』の“為に”に埋没している場合ではない』》へと“更新”が始まれば、理解の範囲もドンドン“更新”されて拡大して行くのです。
そしてこの問題でも、問題を惹(ヒ)き起こしているのは、既得権益の確保を目指す『既存の利権者である権力者』であり、問題を深刻化させているのが、《『権力者』への攻撃》と《既得権益の温存》の両立を画策する『次の利権者を窺(ウカガ)う知識人』であり。問題を実施しているのが、既得権益の下支えの継承を善良な行為としてしまう『大衆庶民・市民活動家』であったのです。
また、『全体の利益』の《『全体』の“為に”》や《『利益』の“為に”》の、“~の為に”という『尊大な作為』がもたらす害悪や危険性につい考えたいというのであれば、『神は死んだ』という【開放】を自分自身でよくかみ締(シ)め、{自分の感情と対比して}何度も咀嚼(ソシャク)してみて、現代人が“~の為に”によって心が縛られ、[畏縮(イシュク)]や[差別の心]に捉(トラ)われている事や、現代社会が“~の為に”によって対立関係へと分断され、[奪(ウバ)い合い]や[潰(ツブ)し合い]が横行している事態を想像してみたら良いと思います。
大多数の人が{教育によって}《『神』の名の下》に“~の為に”とは『大切な想い』だとスリ込まれてしまい、{大衆庶民や市民活動家という存在ほど}可笑しな強迫観念に捉(トラ)われてしまっていて、個人では[畏縮]や[差別の心]に捉われ、『全体』では[奪い合い]や[潰し合い]に急(セキ)き立てられている状況が、『既存の利権者である権力者』や『次の利権者を窺(ウカガ)う知識人』によってハメラレテいる状況なのだと、きっと解るでしょう。
そして、[革新からの進歩]と[崩壊しながらの停滞]とを繰り返す『パラダイム論』の状況というのも、≪“~の為に”という尊大な精神によって【部分解禁】という付加価値の為に【全体】の『切り崩し』が断行されるが、じきに崩壊した【全体】の他の【部分】によって【部分暴走】が発生して付加価値が消滅してしまう≫という事によって起こっているので。『パラダイム論』を反面教師にして、《『枷(カセ)』の交換のスパイラル》から脱却するのにも、《“~の為に” とは『価値の有る想い』である》というスリ込みに抗(アラガ)えなくてはならないという事も解るでしょう。
*想いが“理解”されるのは数百年先だろう。【7月14日・火】
150年前の【ダーウィン】による『進化論』というメッセージには、≪各種の動植物や人間は、個別に神によって創造されていて、各個に生存しているようなモノなどではなくて。【全体】の【部分】としての関係を持って、一つの【全体】の構成員として存在していて。【全体】の進化の為に、その【部分】である各種の動植物や人間が、その必要に応じて進化してきているので。神の名の下に確定された『全体の正義』や『全体の利益』などの為に、人間が縮(チヂ)こまる必要はないし、縮こまってはならないのです。≫という想いが込められていて。
100年前の【ニーチェ】による『神は死んだ』というメッセージには、≪『お金』や『経済活動』や『全体の利益』に特段の意義を与えて、人間から頼(タヨ)られていた『神』は、もう存在していなくて。人類がその【部分】となる【全体】の機能を、もっと活かす為の、人としての“理解力”を回復させる時が来ていて。『全体の利益』への依存から脱し、人がもっと自由に『お金』を用意し、『経済活動』の目的が【全体】の【部分】である自分の為であるように、人間は開放されたのです。≫という想いが込められていて。
100年前の【アインシュタイン】による『E=mc²』というメッセージには、≪この〔世界〕は、『神』の創造によって安定した存在などではなくて。エネルギーと質量とが、『E=mc²』で反比例する関係で存在し、たえず変動を続けていて。人間も、その【全体】の【部分】として、その渦中に存在しているモノであるので。人間が、もっと真剣に【全体】と向き合えば、【全体】である〔この世界〕と『人の営み』とが、もっと上手くリンクしていけるハズなのです。≫という想いが込められていて。
50年前の【トーマス・クーン】による『パラダイム論』というメッセージには、≪人間が【全体】の【部分】である為に、人間の進歩によって【全体】である〔この世界〕も進化していくものなのですが。《人間が【全体】の【部分】である事》という事を《特定の『全体』の為に貢献する事》と人間が誤解している為に、人間は『全体』の為に《【全体】のほかの【部分】》を切り崩すような進歩しかしていなくて。そして、そんな人間の進歩に、〔この世界〕の進化が反応して、直ぐに後退してしまうものだからなのか。人間が進歩をする度に、その成果が直ぐに行き詰まってしまって、人の営みが何時の時代でも閉塞してしまう事になるのです。≫という想いが込められているのですが。
しかし、こういった歴史上の偉人たちのメッセージへの想いが、人々に{余計な解説が付加されたり、分解・継ぎ接ぎされたりする事なく}正しく“理解”され、【全体】である〔この世界〕の進化に人間の進歩が{同調して}貢献できる日は、まだ数百年は先なのかもしれませんがね。
*人間が“ダメ”である必要性(!?)。【7月8日・水】
「“ダメ”でも“ダメ”なりに頑張るしかない」と言う《既存の利権者》が居て、「“ダメ”だから、やり直しをするしかない」と言う《次の利権者を窺(ウカガ)う知識人》が居るのですが。
《大局を見据えての利益》や《全体での繁栄》の『大局』や『全体』の範疇(ハンチュウ)が{硬直していて、単調で}小さすぎであり、[利益]や[繁栄]が【部分解禁】による【個】の【更新機能】の暴走を価値化したモノであり、そのために“ダメ”であるのに、その“ダメ”をそのままにして、「“ダメ”なりに頑張ろう」とか、「“ダメ”をやり直そう」とかしたところで、“ダメ”のスパイラルからは脱(ヌ)け出せないのである。
【更新する無限大に多様な全体】の【部分】としての人類の在り様が再生される《無限大の多様性による全体での更新機能が活性した世界》が『神は死んだ』や『反面教師のパラダイム論』の合図によって始まるハズであったのですが。《大局を見据えての利益》や《全体での繁栄》の“ダメ”をそのままにして「“ダメ”なりに頑張る」や「“ダメ”をやり直す」と頑張るものだから、何時までも“ダメ”がそのままの理解しか出来ず、人間が“ダメ”なままの世界観からも脱け出せないのである。
生体科学や核物理学や民主主義や自由市場経済が人の営みを豊にする事を目的に実践されていても、結果的には、それを上回る人間の危機や不幸をもたらしてしまっているのだが。そういう“ダメ”をそのままにして、『“ダメ”なりに頑張る』や『“ダメ”をやり直す』とタダ頑張らされてしまうモノだから、結果的に「人間の本質は“ダメ”なのだ」と大多数の人々(一般市民)が確信させられてしまうのです。
≪《既存の利権者》や《次の利権者を窺(ウカガ)う知識人》の為に既得権益を恒久的に安定化してしまう《大局を見据えての利益》や《全体での繁栄》の“ダメ”≫に絶対の価値が付加されている為に、人間が犯す“ダメ”の多くの原因に、一般市民は気付けないのであり。そういう“ダメ”の原因の多くがそのままである事によって、『お金』の価値が恒久的に安定化する“ダメ”が{一般市民の無自覚のまま}続いてしまい、経済は終焉(シュウエン)を迎えたまま永続し、経済の既得権益だけが《既存の利権者》から《次の利権者を窺う知識人》へと引き継がれるのです。
『お金』が何度も再分配され、その価値がその都度(ツド)再生される《無限大の多様性による全体での更新機能が活性した世界》の実践とは、経済の〔無限大な多様性〕と〔全体による更新機能〕を【活性】させての{人々の理解力を《一つの経済》だけに合わせて縛ってきた『お金』に対しての【一律、一様】な価値観を、理解力が【活性】するように【多様化】させる}開放であり。≪【部分解禁】による【個】の【更新機能】の暴走の価値化≫である『人間の進化』や『核エネルギー開発』や『民主主義の理念』や『自由市場経済の信仰』への価値認識を否定する{人間を“ダメ”な人間で居られなくしてしまう}思想的テロであり。大多数の人々(一般市民)が《大局を見据えての利益》や《全体での繁栄》による{“ダメ”な}拘束(コウソク)から解き放されて行く訳ですから。《既存の利権者》や《次の利権者を窺う知識人》にとって、そういう{“ダメ”であった人々の理解力が【活性】してしまう}事態は、とうてい受け入れるコトは出来ないのです。
*退廃という濡れ衣。【6月21日・日】
凄(スゴ)く面倒くさい事が教えられ、それが試されていて、人々はそれによって篩(フルイ)に掛けられてしまう。【広い意欲】を持って物事に取り組めば、すぐ直ぐ近くに《答えに結びつくモノ》が沢山あり、さらにそこからは、答え以上のモノが簡単に導き出されるのに、人々は気付かず、気付こうともしない。
そして、その《【広い意欲】を持つ事》を社会に仇(アダ)なす反逆行為と{決定事項として}見なし、ココが自分の忠誠心の《示し時》とばかりに{盲目的に}その事に牙をムキ、それを仕事の中で実践していて、お金をもらう事で{さらにドンドン}有頂天になってしまう。凄く面倒くさい事を学び、試しに合格しても、結局は何も出来はしないというのにである。自分の能力を食いつぶし、他人の能力を踏み潰し、社会を貧困に追いやってしまうだけなのだが、それでも人間はそれが止められないのである。
≪貧困や犯罪や戦争が人間を[貶(オトシ)め]・[苦しめ]・[縮み込ませる]と言い、そして『シタリ顔』をしているが、それは、それによって自分たちの愚行の正当性の証としているだけの退廃である≫という想定が作られ、《【広い意欲】を持つ事》で物事の真実に目を向ける者たちに、その想定の濡れ衣を着せてしまう。
そして言うのである、「我々は退廃を許さない(!)」と。
*『理解』を【知識機能】にまで拡大させる。【5月31日・日】
人間というのは、本物の情報が目の前にあったとしても、自分の思い描く『型』に収まる情報を探し、『理解』しようと欲求していて、それを達成する『自己能力』に依存して生きているモノでありまして。
{試験勉強の為に}テキストや参考書などの本を読んでも、難しく感じるばかりで、{自分の想像した範疇(ハンチュウ)での}歪んだ『理解』しか出来ず。いざ試験を受けると、勉強に一生懸命であった人ほど、《問題を読んで理解する読解力》や《数式に置き換えて計算する計算力》や《解答の正誤を決める判断力》に欠けてしまって、正解を上手く導き出せないモノでありますし。
「『パラダイム変換』が{人間が抱える諸問題の解決の為などに}有用なモノである」と、多くの有識者が{喜び勇んで}その有効性を納得し自主的に受け入れてしまったのが、自分の思い描く『型』が{何かの拍子に}少し広がっただけで、劇的に《読解力》や《計算力》や《判断力》などの『自己能力』が向上した経験によるモノである為。『パラダイム論』の本質が、『反面教師』である事に気付けずに、【進歩の足枷(アシカセ)】である『枠組み』の再構築に心酔(シンスイ)し、【部分解禁】の『チョイス』に夢中になってしまって、【更新する多様な全体】の【知識機能】が段階的に{切り崩されて消耗していくように}全面解禁からは程遠い状態で解禁されるだけでありますし。
「思い描けた『夢』だけが現実になる可能性があるのであって、『夢』を抱かない人は何も実現させるコトは出来ない」と、{誰も反論せずに}真(マコト)しやかに言われていて、『夢』の範疇の実現を目指すという《人間の『自己能力』への過度な依存》がまかり通ってしまっている為。『夢』のパーツを{その恵まれた環境などによって}たくさん用意できた人が優遇され、『夢』のパーツの持ち合わせの少なさで人が差別されていて、特定の人による歪んだ『夢』の実現の為に人間社会が形成されてしまい、大多数の一般市民がその人間社会に否応なく帰属させられているものですから。人類が本来形成するハズであった{【更新する多様な全体】の【知識機能】が共有されている事による、みんなの『夢』が多様に集った無限大の全体としての}社会とはかけ離れた、可笑しな人間社会が、{観賞魚を飼育していた水槽の水が少し悪化するたびに、カルキ抜きをしただけの水道水での水の総入れ替えが断行されて、結局は観賞魚が全滅してしまうような}破綻に向かって突き進んでいるのです。
{本来の人類には無かったハズの}現代の人間の問題とは、自分の思い描く『型』である『枠組み』や『夢』に合致した【部分】的な『理解』だけを{意図的に}目指し、その【部分解禁】を『チョイス』しながら序々に消耗している{破滅的な}事を、自分自身や人間社会が進歩しているコトと錯覚している事でありますが。この閉鎖的な『理解』の全面解禁の有用性が{学習や読書などが先駆けとなって}周知され、【更新する多様な全体】の【知識機能】の有効性が{『生きた水』や『E=mc²』や『人類としての志』などが先駆けとなって}普及すれば、解消できない事ではないと【ちび猫】は確信しているのです。
*『学問』と『自己能力』の危険性。【5月29日・金】
この〔人間世界〕というのは、この〔世界〕の全体であった【更新する多様な全体】の“知識機能”の部分にすぎなかった人間の『自己能力』が、意図的に【部分解禁】され、それが【チョイス】されて使われだした事によって始まったモノであり。
そして『学問』というのは、人間が『自己能力』を、その“知識機能”から切り崩しながら【チョイス】してきた、人間の『単独負荷行為』でありまして。その実践には、{【部分解禁】であるが故に}人間一人一人に対して個別に『負荷』が求められてしまい。必然的に、{人間の[言動]や[思考]の単なる【足枷】となるだけではなく}個人差が如実(ニョジツ)に現れて、足並みも揃(ソロ)わず、嫌悪や差別の原因にもなってしまうのです。
人間が再び、『自己能力』から、“知識機能”に目を向け直(ナオ)せばいいだけの話しなのですが。 “知識機能”の普及には、【人間社会(人間)】の『学問』への依存がネックになっていて、そう簡単には行かないのです。
そもそも、≪“知識機能”をドンドン多様にしていって、それを人類全体で共有するコトで、人類が本来の進化を取り戻す≫という理屈には現実味が無く、既存の『学問』の効果や、それによる進歩の方に実感があるので。「“知識機能”などという荒唐無稽なモノを、『自己能力』に依存せずに構成して、みんなで共有しましよう」などと言ったところで、誰もまともには話を聞いてくれないのです。
しかし、【人間社会(人間)】の個人個人の『自己能力』への依存による弊害は、【人間社会(人間)】を確実に破綻へと導いていて。既存の『学問』のあり方は、{危険性を示している}その分かり易い例でもあるので、何としてもココから、【更新する多様な全体】の“知識機能”の再現に繋げたいのです。
***テーマの変更***
*『リスクヘッジ』の個人的発動【2月15日・日】
『リーマン・ショック』の時の{それ自体が『リスクヘッジ』を兼ね備えた『分散投資型債券』であったとされる}『サブプライムローン関連債券』が、日本でも一部の金融機関や保険会社などで分散投資が不十分なまま購入されていて、{不況の中で投資が冷え込んでいた為に、日本では影響が少なかったと言われながらも}倒産に至ってしまった保険会社があったぐらいであるのに。{『正義感』や『義務感』の達成にも異常なほど執着(シュウチャク)してしまい易く、『責任感』に変な拘(コダワ)りがあるため}ただでさえ分散投資に『抵抗感』を抱いていて、初めから【一つの投資】に陥(オチイ)っているような日本人(個人)に、「『リスクヘッジ』は自分達がしているから、これだけを買い求めていれば、安全は確保されます」と言って投資を募(ツノ)るばかりで、多種類の投資への個人々々による分散を促(ウナガ)さないのは、明らかに『リスクヘッジ』の言葉をその主旨を逸脱して使用した、詐欺行為でありますから。
【部分解禁】の『切り崩し』である{進歩の範囲が固定されてしまう}『停滞』でしかない、『一般的進歩』とされるモノの多くは、【一つの投資】への拘(コダワ)りによって招かれる損失と同類であり。【枷の交換】でしかない【部分解禁】の『パラダイム変換』である{段階的に進歩をして行く事による}【歪み】でしかない、『革新的進歩』と言われるモノの多くは、決算で損失を出すたびに【一つの投資】の投資先を変えて、次々と損失を積み上げているのと同類でありますし。『生きた世界観』に基づいた【多様な全体】の【更新】による『生きた進歩』というのは、{多様な金融商品を刻々と変えながら購入していく}理想的な分散投資と同類であり、究極の『リスクヘッジ』であります。
にも拘(カカワ)らず、日本のみならず世界中の『社会・国家』も『企業・組織』も『産業』も『宗教』も、{分散投資を自分がするような}本当の意味での『リスクヘッジ』をしている訳でもなく、ただ《『リスクヘッジ』をしている》というモノを『吟味』し、『無駄』なく取り入れる【『リスクヘッジ』の一点買い】に精力をつぎ込んでいるだけだというのに、『リスクヘッジ』を確(シッカ)りしているつもりになっていて。≪【部分解禁】の『切りくずし』でしかない進歩によって作られた、【更新機能】という『リスクヘッジ』を持たない『EM菌や遺伝子操作生物』を大量生産する≫のと同じような【『リスクヘッジ』の一点買い】の危うい政策が各方面・分野で実施されているというのに。個人の人間は、≪同じ『EM菌や遺伝子操作生物』を正確に継承して、生産していくための、{引き継ぎ、引き継がせる}『引継ぎ』≫に相当する仕事に、《誠実さの発揮》であると自画自賛し、{『正義感』や『義務感』の発動として}躍起(ヤッキ)になって頑張ってしまうばかりで。誰も、その不自然さに気付かないか、気付いても、既得権益に目が暗(クラ)んで、黙りこんでしまうだけでありまして。
今まで【『リスクヘッジ』の一点買い】で取り組んでいた政策が、何度破綻してしまおうとも、その都度、再《吟味》し、最も《無駄》の少ない【『リスクヘッジ』の一点買い】の政策を見つけ出しては、繰り返し取り替えて来たのだが。≪『EM菌や遺伝子操作生物』が何度破綻しようとも、次の『EM菌や遺伝子操作生物』が次々と選ばれ、作りだされて、新しい『EM菌や遺伝子操作生物』が繰り返し大量生産されてきた時に、その反面で、それらの効果を持続させるための『殺菌・消毒』が、{近代化に於いて、建て前上必要不可欠な、『リセット』を名目にして}強化され続けていた≫のと同じで、末端の人間が不平不満や懐疑心から反動的になってしまうのを防ぐためだとして、反動的な者たちへの容赦ない排斥(ハイセキ)処置・処罰が{近代化に於いて、建て前上必要不可欠な、『リセット』を名目にして}拡大し続けていて。≪『殺菌・消毒』の頻度が高い病院施設や畜産施設で、『殺人バクテリア』や『薬品耐性ウイルス』の発生・拡散が繰り返されて、{そんな悪循環の中で}『パンデミック』の脅威がドンドン高まっている≫のと同じようにして、秩序維持のための『処罰』や『リンチ』が重く容赦のない地域ほど、《負の連鎖》が繰り返されて、{そんな『悪循環』の中で}『テロや紛争』の脅威が増しているのです。
したがって、『リスクヘッジ』を決して他力本願にしないためにも、『生きた世界観』に基づいた【多様な全体】が【更新】する事による『生きた進歩』を確(シッカ)り達成したり。『分散投資』をするような物事への多種多様な取り組みを心がけたりする事は大切でありますが。【一つの投資】という事への拘(コダワ)りから、【『リスクヘッジ』の一点買い】に疑問を抱かなかったり、『正義感』や『義務感』で頑張ろうとして、その『引継ぎ』を強行したり、《『リスク』としての処罰》に順応したりする必要は、まったくなくて。
好きな『仕事』を好きなだけやって、『お金』は好きなだけ貯めればよいのであり。好きでもない仕事を続けるストレスの発散に大金をつぎ込んだり、イヤな思いをして引き継いだ仕事をイヤな思いをして引き継がせたりする必要はなく。それこそが、『リスクヘッジ』の個人的発動の始まりなのです。
*新テーマについて(2)【2月13日・土】
『一つの投資』に責任を抱いてしまって、分散投資を不誠実に感じてしまうのは、【停滞】の特徴であり。キツイ仕事で、ゆとりが持てないでいるのに、『正義感』と『義務感』を貫(ツラヌ)いて引き継ぎ、それを引き継がせるのも、【停滞】の典型であり。
詐欺師から「自分達は分散投資をしているから安心です」と言われて、自分が分散投資をするのを怠って、その『一つの投資』に全財産をつぎ込んでしまい、破産してしまったり。ブラック企業で真面目に働き、部下にも真面目に働かせてしまって、部下からは恨(ウラ)まれ、自分はノイローゼになって、退職するハメに陥(オチイ)ってしまったりするのは。【部分解禁】の『切り崩し』による{『通常の進歩』といわれる}【停滞】に{無防備に}安住してしまって、イザという時に全てを失ってしまう状況である事に危機感を抱いていないために起こるモノであり。
何度も投資に失敗していながら、何度でも『一つの投資』を繰り返してしまう事で、【歪み】がドンドン増し。仕事で何度も破綻しているのに、次こそは真面目に働こうと頑張ってしまう事でも、【歪み】がドンドン蓄積されていくのでありまして。
毎回投資に失敗していながら、その都度{カッコ良く}『一つの投資』しかしないで、損失を膨らませ続けてしまったり。何度も仕事で破綻しているのに、何時までも真面目に働く事にこだわり、職場での破綻や自滅を繰り返して、仕事の機会も仕事への気力も無くしてしまったりするのは。【枷(カセ)の交換】でしかない『パラダイム変換』での{『段階的進歩』}といわれる【歪み】に{何の疑念も抱かず}信じてしまって。自分が破綻寸前である事にも気付かずに、危うい夢の中をさ迷っているために起こるモノであります。
*新テーマについて(1)【2月12日・金】
『生きた世界観』とか、【多様な全体】の【更新】による『生きた進歩』というのは、究極の『リスクヘッジ』であり。【部分解禁】の『切り崩し』での【停滞】や、【枷(カセ)の交換】でしかない『パラダイム変換』での【歪み】というのは、≪同じ被害者が、同じ様なサギに何度も引っ掛かって来たのに(【停滞】にハマる度(タビ)に【歪み】を積み上げて来ているのに)、また同じようなサギに引っ掛かる(何度でも【停滞】にハマってしまう)≫のと同じであります。
*市民感情と経済損失【1月28日・水】《完成版》
近代科学を裏支えしている『唯一神教』に基づいた【完成した世界の世界観】が支配的な世の中での、『データ集積』の正当性を高めるためには『リセット』の繰り返しは必要だと信じ込んでしまった振りによる、世界の活性を見失い硬直してしまった{茶番劇のような}認識で。{『データ集積』の見せ掛けの正当性ための}『リセット』効果を狙っての{『パンデミック』の引き金になっている}『殺菌・消毒』のような『処罰』を善人気取りで何度も繰り返し、人間が人類の共通事項として持っていた【多様な全体で一つである】という生活や意識を崩壊させて。『知識人』や市民である『貧困層や労働者階級』を、{多様性を失った}『雑菌』や『殺人バクテリアや新型ウイルス』のような{攻撃的な}存在に追い込んでしまう。『体制側』や『主流派』の偽善者振りは、確かに大問題であり。
{『データ集積』の見せ掛けの正当性ための}『リセット』効果を狙っての{『パンデミック』の引き金になっている}『殺菌・消毒』のような『処罰』が、『体制側』や『主流派』によって偽善的に繰り返されて来た事により【多様な全体で一つである】という人類の共通事項が崩壊してしまった中で{たとえ}あったとしても。{多様性を失った個別の集合体である}『雑菌』の如く反動的な市民感情を、安易に{過激なデモや陰湿なストライキ行動などによる経済損失を狙って}暴走させ。さらには、『処罰』による淘汰(トウタ)の中で、{個別の更新機能が暴走しすぎてしまった}『殺人バクテリアや新型ウイルス』の如く『テロや紛争』を{その攻撃性や残虐性などにより社会不安を狙うようにして}惹き起こす『テロリスト』や『武装集団』に傾倒してしまう。『知識人』や市民である『貧困層や労働者階級』の{身勝手な}独善者振りも、無視できる問題ではなく。
それらが放置されるコトにより、{『データ集積』の見せ掛けの正当性ための}『リセット』効果を狙っての{『パンデミック』の引き金になっている}『殺菌・消毒』のような『処罰』である{『知識人』や市民である『貧困層や労働者階級』を標的にした}偽善的な制裁や攻撃が無くならず。『体制側』や『主流派』が目指す経済発展に於いての反動的な市民感情の{『核開発推進』との二者択一の中で、無知をさらけ出している『反核運動』や、『改憲論』との感情的な憲法論争の中で、近年の身近な『成功教訓』に無思慮なまま取り込まれ、経済発展が他力本願であった事も忘れて有頂天となり、埋もれた『失敗教訓』の掘り起こしにまったく目が向けられなくなって、『神仙思想』を敗者の言い訳に仕立て上げて無視してしまった『護憲運動』などのような}暴走による経済損失や、その独善的な市民感情がさらにエスカレートして攻撃衝動が高まり集る事による{過激な思想の武装集団である『タリバン』や『アルカイーダ』などに資金が流れ、『イスラム国』(ISIS/ISIL:カリフ制イスラム国家の樹立を目指している武装組織の名称であり、武装組織により掲げられている国家の名称でもある)に戦闘員が集るなどの}社会不安が、何時まで経(タ)っても増すばかりなのです。
確かに、普通に考えていては、反動的な市民感情の暴走による経済損失や、攻撃衝動の発散である市民感情がさらにエスカレートしていく事による社会不安が解消しなくては、{『データ集積』の見せ掛けの正当性ための}『リセット』効果を狙っての{『パンデミック』の引き金になっている}『殺菌・消毒』のような『処罰』は、たとえそれが偽善的なモノであっても、「決して無くせない」としか誰も言えないのだろうが。
しかし、【未完成な世界の世界観】の上に立った【多様な全体としての更新機能】が活用される本物の進歩の道理が{より多くの人に}理解され、活性した世界に於いての『リセット』の害悪が暴かれ、〔この世界〕の多くの場面で【多様な全体】が再構築されて、そこでの【更新機能】が広く人々に受け入れられれば。『処罰』の『リセット』としての効果の意味が無くなり、偽善的な『処罰』も無くなって、独善的であった市民感情の暴走も安定するので、{病的に無知な『知識人』には無理であるかもしれないが}市民である『貧困層や労働者階級』であっても、全体の中の一員として経済活動の{独善的でも、他力本願でもない}平等な担い手となれて、社会不安が{ようやく}解消に向かうハズなのです。
だがしかし今の時代は、≪【部分解禁】の切り崩しによる一般的な進歩と言われる【プチ・パラダイム変換】と、【枷(カセ)の交換】でしかない段階的な進歩と言われる【革新的パラダイム変換】の繰り返しを、人間の理想的な進歩としてしまった『パラダイム論』≫や、≪そんな{形だけの}進歩を、『神』により作られていた隠し扉の開錠とし、その鍵が『お金』で、開錠行為が経済活動であるとして、自由市場経済による経済発展が『神』に導かれた進歩を正当に手にする最善策であるとする『経済論』≫などによって、物事を普通にしか考えない{立派に人間であろうとする}人間で溢れていて。本当の意味で人類の助けになるハズの、本物の進歩の道理が、{立派に人間であろうとする}人間によって、無自覚なまま隠蔽(インペイ)されているのですが。
しかしたとえそうであったとしても、そういった当然の道理が公然と踏みにじられる現代の様な世にあって、人類の行く末に心を痛めながら犯罪者のような扱いを受けて『ドロップアウト』を余儀(ヨギ)なくされている人々を救い出し、失望して自殺に追い立てられている人に手を差し伸べられる 、“清廉”な人たちに、【ちび猫】は支援を惜しまないのです。
*市民感情と経済損失【1月27日・火】《下書き》
近代科学を裏支えしている『唯一神教』に基づいた【完成した世界の世界観】の中で{データ集積の成果を高めるためには}『リセット』の繰り返しは必要だと信じ込んでしまった、世界の活性を見失い硬直してしまった認識で、『リセット』効果を狙っての『殺菌・消毒』のような『処罰』を繰り返して何度も行い【多様な全体】を崩壊させて、『知識人』や『貧困層や労働者階級』を{多様性を失った}雑菌のようにしてしまう『体制側』や『主流派』も問題だが。
『リセット』効果を狙っての『殺菌・消毒』のような『処罰』が繰り返される事により【多様な全体】が崩壊した中で、{多様性を失った個別の集合体である}雑菌の如く、反動的な市民感情を暴走させ、その淘汰の果てに{個別の更新機能が暴走しすぎてしまった}殺人バクテリアの如く、『テロや紛争』を惹き起こしてしまう『知識人』や『貧困層や労働者階級』も問題で。
そんなだから、『リセット』効果を狙っての『殺菌・消毒』のような『処罰』が無くならず。『体制側』が目指す経済発展に於いての反動的な市民感情の暴走による経済損失や、エスカレートした市民運動による社会不安が、何時まで経(タ)っても増すばかりなのであります。
普通に考えていては、反動的な市民感情の暴走による経済損失や、エスカレートした市民運動による社会不安が解消しなくては、『リセット』効果を狙っての『殺菌・消毒』のような『処罰』は無くせないとしか言えないのだが。【未完成な世界の世界観】の上に立った【多様な全体としての更新機能】が活用される本物の進歩の道理を理解し、『リセット』の害悪を暴き、【多様な全体】を再構築して、そこでの【更新機能】を受け入れられれば、『処罰』は無効化されて、無くなって行き、市民感情が安定化して、市民も経済活動の発信者になれるのであります。
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