ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

122.ちび猫が見付けた【アリ的な人々の想い】の断片(2)

2015-03-21 | つぶやき
第0122号


*****(制作終了)*****


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120.ちび猫が見付けた【アリ的な人々の想い】の断片からの続きです。

123.ちび猫が見付けた【アリ的な人々の想い】の断片(3)へ続きます。







令和2年度版







*魔法が起こせる事(Lesson9)。【6月7日・日】



魔法を使っての

≪ひとり言でもいいので「俺なんて頼りにするな」や「【KY:空気を読まない】なんだ、非難されて当然さ」をどんどん繰り返して、自分が幸せになるべく【幸せな想い】をする≫

という事によって、


『ADHD』を治し、


自分が幸せだと想える事である

≪人の世の常識であった『“前後が反転”した時間認識』を修正し、人の営みの常識であった『物事が積み上げられていく“共通の土台:パラダイム”』が自分の都合で作り変えられるようになって、{みんなを平均した『特定の何者か』の為ではなく}自分が一番幸せになれる倫理道徳を創作し、{共有する価値観に基づいた『特定のモデルケース』の為ではなく}自分が一番に成れる科学技術を開発する≫

を自由に取り組めるようになって、


自分の進むレールを自由に敷いて

≪人間が公共の名の下で我慢を強いられる『お金』の使われ方がされている『特定の経済活動』の中に在り、『お金』に縛られて窮屈な労働を強いられながら、{スパイが見せかけの職業をするように}自分の都合に合わせて仕事をする≫

というスタンスで生きるのが【魔法が起こせる事】である。



魔法が使われない

≪人の世の常識として『時間認識の“前後反転”』をしてしまい、誰もが簡単に「我慢している」とか「窮屈だ」とか思ってしまって。人の営みの常識として『物事の“共通の土台:パラダイム”の上への積み上げ』をしてしまう為に、人間の常識として『憂さ晴らしは人間の必然』だと誰もが言ってしまっていて。そうした事によって誰もが安易に「それで贖罪になっている」として自己満足している振りをしてしまうものだから、人間なら誰もが憂さを溜め込んでしまう。≫

という事によって、


人間はどうしても『ADHD』を悪化させてしまい、


『反省転嫁:責任問題の転嫁』による{人を責任者に仕立て上げる}“二者択一”の問題である

≪「人間社会の安全・安心は倫理道徳の普及によるものであり、倫理道徳が否定されれば乱暴とイカサマに陥るしかないが、あなたはどうする」や「人間社会の進歩・発展は近代科学の普及によるものであり、近代科学が否定されれば原始生活に戻るしかないが、あなたはどうする」などのように、他人事にさせないように仕組まれた巧妙な仕組≫

を突きつけられると動揺してしまって、


人は誰であっても決められたレールを進む事しか出来ないように

≪無自覚でイジメや虐待や各種ハラスメントを始めてしまい、これが正義だとして迫害や虐殺に至ったり、自分ではどうしようもなくドロップアウトに至ったりする≫

という事しか出来なくなってしまうのが『魔法が使われない世界で起こる事』である。







*魔法が起こせる事(Lesson8)。【6月4日・木】


魔法の呪文は「俺なんて頼りにするな」や「【KY:空気を読まない】なんだ、非難されて当然さ」であって、「我慢している」や「窮屈だ」を{贖罪を頑張っている自分に}何万回叫んだところで、『倫理道徳の試練』に於ける{頑張っている自分を自己評価しての}自己満足にしかならない。

「俺なんて頼りにするな」や「【KY:空気を読まない】なんだ、非難されて当然さ」が{ひとり言でも}言えている人は、《ADHD》が治まっていて、『反省転嫁:責任問題の転嫁』による{人を責任者に仕立て上げる}“二者択一”の{「人間社会の安全・安心は倫理道徳の普及によるものであり、倫理道徳が否定されれば乱暴とイカサマに陥るしかないが、あなたはどうする」や「人間社会の進歩・発展は近代科学の普及によるものであり、近代科学が否定されれば原始生活に戻るしかないが、あなたはどうする」などの、他人事にさせないように仕組まれた}問題を突きつけられても{動揺しないで}相手にせず、自分の為の事に{【ちび猫】が犬の散歩コースの安全確保の為に「ヤマビル対策としての草刈り、清掃、消石灰の散布」をしていて、{贖罪などではなく}他の人の都合など考える気はなく、{【KY:空気を読まない】なんだから}非難されてもかまわないと思っているように}専念できる。

「我慢している」や「窮屈だ」を連呼していると、{『反省転嫁:責任問題の転嫁』による{人を責任者に仕立て上げる}“二者択一”の問題を突きつけられて、他人事に出来ないまま時間を浪費し、精神が削られて}人は憂さを溜め込み、{イジメや虐待や各種ハラスメントを始め、迫害や虐殺に至ったり、ドロップアウトに至ったりするように}《ADHD》を進行させてしまうので、結果的に{絶対的大多数の人がヤマビルをただ嫌悪し、ヒステリックになるように}イライラして『不適切行為』をしてしまう。







*魔法が起こせる事(Lesson7)。【5月12日・火】


“裁量権”に於ける『使われ方』と【使い方】の違いを具体的に説明すると、

『使われ方』というのは≪組織に貢献する『贖罪』として“裁量権”が「地域振興の一環であるサル山公園で行われるイモでのサルの餌付け」に使われる≫というようなものであり、

【使い方】というのは≪安心して家庭菜園ができるようにサルをどうにかしようとして“裁量権”を「地域振興の一環であるサル山公園で行われるイモでのサルの餌付け」に使う≫というようなものでありますから、

『使われ方』で“裁量権”が使われると≪『贖罪』の成果として『出世』や『反省転嫁での指導効果』を求めて『社畜』な精神性に侵されてしまい、「仲間への『イジメ』や、子供への『虐待』や、部下や女性への『各種ハラスメント』などの暴走」が止められなくなっていて、気が付いた時にはドロップアウトの選択肢しか残っていない情況に追い込まれていた≫という事になるのですが、

【使い方】で“裁量権”を使うと≪損をしてもいいし評価もいらないので仕事の時でも心が安らぎ、仕事の成果を誰かに譲るものだから謙虚だと思われ、求めていなかった役職に推選される事になり、{家庭菜園をする時間が減ってしまい}少し迷惑に感じる≫という事になるのです、

となります。







*魔法が起こせる事(Lesson6)。【5月11日・月】


“裁量権”には『地域振興の為のサル山公園のサルへの餌付け用のエサの様な使われ方』や『贖罪の意識による倫理道徳の試練としての使われ方』のような『使われ方』と【自分が各自個別である為のお金の使い方】や【魔法の受容によるKY(空気を読まない)の幸せな想いとしての使い方】のような【使い方】の二面性がありまして、

『贖罪』の意識から“裁量権”を{試練のように}引き受けて{特定の何らかの為にもなるのだからと}意気揚々と{反省転嫁まで得意になって}用いるような『裁量権の使われ方』をしていては{イジメや虐待や各種ハラスメントをしていながら}「自分の様に“裁量権”を使いこなせる者がなかなかいない」などと不満を言って “裁量権”の悪質な独占に至ってしまうだけなのですが、

自分が安心して幸せを感じられていたくて{その為の問題を解決させられる}“裁量権”を{それが損や危険とされる事で、誰からも支持や賛同が得られなくても、臆さず立ち向かって、その責任とともに}引き受けるように{自由に想うような}【裁量権の使い方】をするのであれば【幸せな想い】と同じで{【魔法の受容】により【KY:空気を読まない】になれる{魔法にとって重要な}【糊の溶解】へと至り{それが魔法である}【糸の縺れを解く】へと至れて}各自個別な自分の達成による自然な加護(魔法の効果)が得られるのです。







*魔法が起こせる事(Lesson5)。【5月10日・日】


近代以降の人間は{一律に}スリ込まれた様々な強迫観念に従って反射的な動きを色々にしているだけの{不合理な事を合理的な言い訳を付けて行動する}ロボットみたいな{一様な}存在となっていて、

現代に於いては「誰もがノイローゼ(現代病)だと言われ、それが必然であるかのように『憂さ晴らし』が{日本の国内外で、イジメや虐待や各種ハラスメントや、差別や迫害や虐殺として}繰り返され、少なくない数の人が『ドロップアウト』へと至ってしまう」というような《ADHD》の悪化を進行させながら{それでも}個人は{自主的に}画一的な社会{みんなが同意した事になっている枠組み}に閉じ籠もるしかなく、

そんな{文明社会での}個人の在り方(人間的な生き方)というのが本来の人間の在り方(各自個別な生き方)からあまりにもかけ離れたものであった為に、

人の営みも本来の人類の在り様(大全体である自然(多様性の更新)から求められる{多様性を補(オギナ)う}アリ的予備軍である、自然からの恩恵が受け有れる存在)からかけ離れた{調整用の更新を過度に起こして乱用(部分解禁)する}ものとなっていて、

人間がどんなに足掻(アガ)いても破綻へと向かうのを先送りする事(パラダイム変換)しか出来ない{土台の上に物事を積み上げて行くように}閉塞した未来観(前後が反転した時間認識によるもの)に人々は苛(サイナ)まれるしかなかったのです。


その状況というのは縺(モツ)れた糸が{更に}糊(ノリ)で固められているようなものであり、

その縺れは{【幸せな想い】や【KY:空気読まない】や【前後が反転した時間認識の修正】や【更新する無限に多様な大全体の概念】や【遺伝が進行する『全体』ではなく《ADHD》が進行する【各自個別な個人】の問題としての問題認識】などでの}魔法の【使い方】によって解(ホグ)れるハズのモノなのですが、

しかし本当に問題なのは{その縺れを解け難くしている}糊が“魔法を使う”という{精神的な作用の}事でしか溶かす事が出来ないという事なのです。


問題である{縺れを固めている}糊の分り易い例の一つは『ノーベル賞の絶対的な権威』であり、

もう一つ上げると『中二病という否定的な言葉』でありまして、

それらの事によって人は“魔法を使う”という事に対して真摯に向き合うコト(“魔法を使う”という事を精神的に受容するコト)が出来なくなり、

大多数の人々が{糸の縺れの固まりに阻(ハバ)まれて}魔法の【使い方】に進む事ができなかったのです。


この状況のもう少し身近な例の一つは「子供の頃に学校の先生から『反省転嫁』での{正論を強調した}指導を受けた時に{子供の都合で}それを拒むしかなくて“罪悪感”がスリ込まれていて、それがトラウマとなって『贖罪』に深く傾倒しているのだが、そんな自分を{もっと【KY】に}変えてもいいのだと思えるようになるには{天罰を無効化できる}“魔法を使う”という事の受容が必要になる」であり、

もう一つ上げると「経済活動である『お金の使われ方』の中に入り込めて“裁量権”が高まり、多額の『お金』をやり取りしている事に対するそれ相応の報酬を得ていて、同じ様に出来ない者たちを{反省転嫁で}叱責しているのだが、そんな自分を{自分の為の【お金の使い方】が{各自個別に}出来るだけではなく、反省転嫁をする事もなく他者を{各自個別に}評価できるように}変えてもいいのだと思えるようになるには{人の世の道理が解除できる}“魔法を使う”という事の受容が必要になる」でありまして、

これらの事が示す様に人が“魔法を使う”という事を受容するコト(糸の縺れを固めていた糊を溶かすコト)によって「スターウォーズの『フォース』と反対の価値認識を持つ」というコト(糸の縺れを解くコト)も可能となるのであります。







*魔法が起こせる事(Lesson4)。【5月6日・水】



魔法を大まかに言うと「自分の為の【使い方】をする{色々な}コト」であり、


魔法の極意は「何らかの為の『使われ方』をする{様々な}コトには{“裁量権”に惑わされず}注意する事」でありまして、


分かり易く言うと「ノーベル財団が権威を担っている唯一神教世界を中心に広く普遍的価値観として認識されているモノの逆」でありますが、


更に端的に言うと「スターウォーズの『フォース』とは逆の在り方のモノだ」という事であります。



自分の為の【使い方】をする《想い》や《お金の使い道》や《科学的努力》で物事に取り組めれば、


{魔法である≪「【KY:空気を読まない】なコトをする事」が予想外に沢山の良い事を起こせる≫という事の応用として、

自由な心での【幸せな想い】によって、『贖罪』の縛りによる{無自覚な}暴走(一人試練・試練の反省転嫁)から{正しさの指針であった『贖罪』が間違いの原点だと認識できて}解放され、

{組織の中での“裁量権”が基準になった認識などとは違う}KY(空気を読まない)な一人親方的な認識で《お金の使用》や《拘りの仕事》や《マイペースな休憩》に{他人の評価よりも「自分の勉強になる事」や「自分が納得できる事」や「自分が続けやすい事」を優先させて}取り組む事によって、“裁量権”とは異なる{本当の}自由の身となれ、

{下水処理や観賞魚の水質浄化システムという限定仕様で用いられているだけなのだが}その気になれば誰でも簡単に始められる【生きた水】を人間が“各自個別”に作る事(絶滅寸前の生物の遺伝子を奪い合って{『調整用の更新の乱用:人間による部分解禁』では対抗しきれない『調整用の更新の暴走:人の営みが脅かされる部分解禁』への対処策を探しあぐねての}成果とするのとは違って、『調整用の更新の暴走』を人の個性の為のモノとする)によって、{生存競争での淘汰の主体を人間とする為に作られ始めたが、地球に於けるチーム生物の{アリ的予備軍を含めた}記録でもある}進化論の図での人間の立ち位置を{アリ的予備軍に}変えて}


自然に{導かれて}上手く行くものなのです。



{“裁量権”を安易に信じ、警戒せずに利用して}何らかの為の『使われ方』をする《想い》や《お金の使い道》や《科学的努力》で物事に取り組んでしまうと、


{『倫理道徳』が周知され、『経済発展のグローバル化』の連なりに人間がハメ込まれて、『科学技術の進歩』の名の下に特定のモデルケース(悲観的未来観で“延命処置”を続ける人類の未来像)の為の{必要なモノを想定しての}様々な工程に於いて人々の色々な努力が{破綻の先送りの生贄(イケニエ)として}浪費される為に、文化的文明社会だと言われる様になると共に人間にとって『憂さ晴らし』が必然となり、『ドロップアウト』が{人々が“尊厳死”を望んで}頻発し始める様に。

パラダイム論(足枷共有論)によって{進歩の理想形だと誘惑して「人類は枠組を共有して一様であるベキなのだ」と{ノーベル賞の受賞によって}一律にスリ込まれて}パラダイム変換が{足枷の共有によって危機対応(多様性の更新)の為の持ち駒(アリ的予備軍)が脆弱(ゼイジャク)となって}必要となってしまう様に。

『前後反転した時間認識』が{人の認識を縛って}悲観的未来観へと至らせる様に。

『土台の上に物事が積み上がる世界観』が{人の考え方を縛って}世界を閉塞させてしまう様に}


破綻が必然である為にその先送りをする事でしか先の見えない道を{“裁量権”という砂にしがみ付いて藻掻(モガ)くアリ地獄の状況で}進む事になるのです。







*魔法が起こせる事(Lesson3)。【4月29日・水】


魔法である「【KY:空気を読まない】なコトをする事」が起こせる予想外に良い事には、{他にもまだまだあるとは思うのですが}まだ三つ目がありまして。


【ちび猫】が、『倫理道徳の試練』から解放される為の【幸せな想い】から進んで「子供や学生の頃の『大人からの反省転嫁を拒んでしまった事への罪悪感』がトラウマになっての、『各種ハラスメント』や『善意のイジメ』や『正義の暴力』が止められなくなる『贖罪』の衝動」の自覚に至れたのは、

仕事をマイペースでする事による効率アップの為の【休憩・休日の自由】から進んで「人間関係や国際関係などでの『個人の《役職や資格》や国家の《体制や繁栄》によって権威や権限が向上して裁量が増える事による{錯覚でしかない}自由感覚の獲得』が誘発する、ゴリ押しでしかない{乱暴な}お節介や介入」の認識が持ててからであり、

その先に、『他者を縛る為の{自分も縛られてしまう}お金の使われ方』を回避する為の【各個に個別な{自分の為でもある}お金の使い方】から進んで「地域振興の為のだとしてサル山でサルを餌付けする為に撒かれるエサのような『お金の使われ方』ではなく、サルが力を蓄えて行動を起こす為に食べるエサのような『お金の使い方』を広めて、経済活動の連なりの一環にされたサル山で{エサをめぐって争うが結局は}疲弊していくだけのサルたちをサル山から解放させるように人間を各個に強くする為にお金を使い、{そんな個人々々を}更に補強する為に科学技術が個別に開発されるベキだとする考え方」の意識をし始める事が出来たのです。


{1000年先の時代の}皆さんは、『贖罪』の衝動の自覚の先に、どのような【KY】の応用に至れて、どんな個性の発揮をしているのでしょうか。







*魔法が起こせる事(Lesson2)。【4月26日・日】


魔法の一つである「【KY:空気を読まない】なコトをする事」によって起こる予想外に良い事には、まだもう一つありまして。


【ちび猫】の住む地域には自治会を中心に幾つかの組合組織があり、新しい住宅地の『都会暮らしの経験者』が住む地域の組合の会合では欠席者が{年々}増えてきて地域の草刈りも{欠席が多くて}行えないのですが、昔からの『古い家の人』が住む地域の組合の会合では意見がたいていバラバラなのですが昔からの{年間に幾つかある}行事にはほぼ全員が出席するのです。

『都会暮らしの経験者』は物事の道理からの{都会の常識を発散させるような}主張を始めて些細(ササイ)な事での対立で{自分の殻に閉じこもって}話しを止めてしまい『遣るべき事』があっても{引き籠もってしまって}ほとんど人が集まらないからなのですが、それに対して、『古い家の人』はたいてい【KY】で身勝手なのですが『遣るべき事』は分かっていてそれに反対をする事はないからなのです。


{1000年先の時代の}皆さんは、どのような【KY】で集合する組織を形成していて、どんな活気ある人の営みを行っているのでしょうか。







*魔法が起こせる事(Lesson1)。【4月26日・日】


魔法の有難い事の一つに、「【KY:空気を読まない】なコトをする事が、自然から求められている事である事によって、予想外に良い事が{享受が受けられて}起こる」という事がありまして。


【ちび猫】は、「野良猫はかまうな!」という獣医からの{犯罪者扱いに近い}警告や近所からの{畑作農家の迷惑になるだろうという}忠告があったものの、野良猫が「糞害だ!」と言われて嫌われているからこそだと考えて、{【KY】と思われるのを覚悟して}庭に一畳ほどの広さの{市販されている『腐葉土(2)』と『赤玉土(2)』と『黒土(1)』と『くん炭(0.2)』と『消石灰(0.01)』を{()内の混合比率で}ブレンドして作る【猫用の砂】を入れて造った}花壇のような【野良猫用トイレ】を作り、毎日ふかふかになるように耕し、糞も集め、さらには{市販されている一般的な猫トイレに近い大きさの}桶や植木鉢を用意して{そこに【猫用の砂】を入れて軒下に置いていて}雨天にも備えているのですが。

そうすると、野良猫たちが家の庭からあまり出なくなり、車に轢かれる事故が{年間に10匹ほどあった【ちび猫】の家の前での野良猫の事故が、今年はまだ0匹と}減りまして、【ちび猫】としては{予想外の事に}驚いているしだいであります。


{1000年先の時代の}皆さんは、どのような【KY】なコトをしていて、自然から何を享受しているのでしょうか。







*魔法世界の実現(九歩目)。【4月25日・土】


『ナショナリズム』に対しての『グローバリズム』というのは「『パラダイム内での進歩』に対しての『パラダイム変換での進歩』が『枠組み』に縛られている事に於いて同じある」という事に於いて同じであり、「《全体主義の『全体』》に対しての《更新する無限に多様な大全体の【大全体】》とは、個別性を認識していて多様性を大切にし、調整用の更新を予備軍に多様性での更新を無限にしていて、全くの別物である」とは違うものでありまして、結局は人の在り様を{『グローバリズム』という}特定の『枠組み』に縛ろうとするものでしかなく、人間の意識というのは『全体』の範疇(『枠組み』という縛り)からなかなか抜け出せない為に、人の《ADHD》が{人間をサルに見立てるなら、サルが餌付けされるだけで、サルの個別性{猿であった場合の自然にとっての有効性}が認識される要素などまったく無い{『ナショナリズム』な}観光サル山公園(全体)で、{自然から必要とされる猿が脅かされ、自然を破綻させてしまう}地域振興に{『グローバリズム』で}貢献するような、{人々にモデルケースの厳守が求められ、それが難しいという贖罪に人々が悩まされる}人の営みの中で}どんどん進行いてしまうので


【ちび猫】は、『欧米の枠組』に切り替えただけの明治時代に起こった『維新』という{欧米の原画を塗り絵にしていながら{ちょっとアレンジを加えて上手に出来るだけで}オリジナルが作れるのだと妄信してしまった}現象に{超安易な}期待を寄せて、閉塞状況の打開の為として『現代の維新』が必要になっていると{超楽観的に}言い、{人が《ADHD》を進行させてしまった事による}危機感を暴走させての体制批判を{切り替える{次にアレンジを加える}塗り絵の原画(新しい縛りとなる次の『枠組み』)が{パラダイム変換が待たれている状況で}無い事にも気付かずに}している人たちにも{その気さえあれば}出来る、{人間をサルに見立てて、地域振興の事など【KY:空気を読まない】で無視し、サル山で餌付けされる為ではなく自由で在る為に野山でエサを食べていて、{観光サル山公園に依存しないで}野山で自然に求められる個々に個別な{猿で在る}生き方をする}人の《ADHD》の進行の自己制御である魔法を広めているのです。


{1000年先までに}皆さんが、サル山で餌付けされていて観光サル山公園を形成する{地域振興にとっての『スーパーサブ』としての}モデルケースなサルで在る事をみんなで{贖罪に追い詰められて}守っているという状況から離脱してしまう{野山で自然から各個に求められる【KY:空気を読まない】な【アリ的予備軍】の}猿のような人間となり、人の《ADHD》の進行の自己制御によって『全体』に帰属せず『グローバリズム』の事など意に関しない事が、魔法世界の実現の九歩目となるのです。







*魔法世界の実現(八歩目)。【4月24日・金】


『悪の自然誌』に在る{実験装置の}水槽の中のような出来事の一つ一つの積み上げを、{付け足しを繰り返しながら}土台を広げる事(進歩の理想形であるパラダイム変換へと至る方法)だと表明し、それによって『ノーベル賞』の選考基準の明確化がなされているのだとしているようなのですが、{結局は}それが{パラダイム変換が必要になるような}破綻を繰り返させて来た『人間の縛り』であったものですから、

【ちび猫】は、『ノーベル賞』の事を【反面教師】だと思うようにし、{土台(枠組み)を基準にした縛り(成功のモデルケース)から離反して}自分が自分らしく在ろうと{それまでは嫌悪と軽蔑の対象でしかなかった【KY:空気を読まない】なアリ的予備軍で}模索しているのです。


{1000年先までに}皆さんが、これまでの多くの『ノーベル賞』を【反面教師】に、{『お金』で人を縛っている『サルが餌付けされているサル山公園を観光資源にしての地域振興』のような経済活動から距離を取って{エサを必要とせず、サル山に縛られず、野山で{勝ち残るのではなく}必要とされる存在である猿のように}自然の求めに耳を傾け}自分が自分らしく在る事を{それまでは誰もが向かう事を躊躇していた時間を前に{進行の縛りを後ろに残して}進んで行って}実現してくれる事が、魔法世界の実現の八歩目となるのです。







*魔法世界の実現(七歩目)。【4月24日・金】


『進化論の図』を{淘汰の主体に仕立て上げた}人類の戦暦をアピールするような{意図された}用いられ方がされているのを{特に意識しないで}ただ見ていては、{誰でも}淘汰の戦いでの勝敗図だとしか理解できないので、

【ちび猫】は、『進化論の図』を「チーム地球の{予備軍を含めた}メンバー履歴(多様性の記録)」だと、{特に意識して}認識するようにしているのです。


{1000年先までに}皆さんが、種の進化や絶滅を、その時代ごとの{【大全体】を監督にした}種のチーム編成だと考え、そこから{意識する事で}色々な事を学び取り、そんなチーム地球の{多様性を盛り立てる}裏方さん(アリ的予備軍)を担ってくれる事が、魔法世界の実現の七歩目となるのです。







*魔法世界の実現(六歩目)。【4月22日・水】


宇宙戦艦ヤマトの『波動エンジン』をモデルケースにして考えられた「核エネルギーに於ける【E=mc²】での質量の変化」は、土台が付け加えられて広がったパラダイム変換で、{全てのエネルギー反応で質量が変化するという事が無視されて}核反応に特有の問題(波動エネルギーも『波動エンジン』特有のエネルギー反応)だとしか認識されないので、

【ちび猫】は、「全てのエネルギー反応で質量が変化するという事」というのを「【大問題】に於ける世界の更新」の代表的な例だと言っているのです。


{1000年先までに}皆さんが、宇宙戦艦ヤマトの『波動エンジン』を考える時に、波動エネルギーとは誰の足下にも在る「ありきたりなエネルギー反応」と同質のもので、『波動エンジン』とはそれを{周囲の質量を変化させながら}効率よく引き出しているだけのものだと想像してくれる事が、魔法世界の実現の六歩目となるのです。







*魔法世界の実現(五歩目)。【4月22日・水】


四歩目で少し触れた『問題の読み違い』の悪循環を「人が《ADHD》を進行させてしまう」と「人類の《ADHD》が進行してしまう」を用いて説明すると、

≪『前後が反転した時間認識:遺伝のような時間進行』の{閉塞した}未来観の世界(物事の進行が{一括りにしたモノとして}括られていて、自分の思考や言動も{一括りにした多くのモノと同じ様に}括られている)に於ける「人が《ADHD》を進行させてしまう」という{個別の}状況が、「人類の《ADHD》が進行してしまう」という状況認識に{危機感を抱いているとして得意になって}誤認され、調子に乗って「《ADHD》が進行した人類の救済として『人間の間引き:悪い遺伝の排除:既得権益の継続』か『文明の浄化:遺伝のリセット:テロ至上主義』かのどちらかを{二者択一で}選択しなくてはならない」という考え方を他者に向けて反省転嫁をし、他者に対して{どちらも選択できないでいるからと言って}各種のハラスメントをするものだから、{さらに}それが「人が《ADHD》を進行させてしまう」という状況を悪化させ、{そして}さらに「人類の《ADHD》が進行してしまう」という状況認識(誤認)が悪化した事による{危機感を高めた人間による傲慢な反省転嫁から生じる}激しいハラスメントへと人々が駆り立てられ、{そして}さらに多くの人が暴走したハラスメントの被害に合うという悪循環が起こる≫

という事でありまして、

【ちび猫】は、『前後が反転した時間認識:遺伝のような時間進行』を修正した思考で、物事(その進行)や他者を{バラバラにして、個別性を認識し、多様性を大切にして}一括りにせず、自分の在り様も{【KY:空気を読まない】を欠かさずに}括りからの解放を目指していて、「自分の《ADHD》を進行」の抑制を目指しているのです。


{1000年先までに}皆さんが、物事を語られるのに「日本人は~~~」とか「日本社会は~~~」とか「現代人は~~~」とか「現代社会は~~~」とかの{括られた}言い方がされる事(自分が容認している事、自分もやっている事)に疑問を感じた事や、社会生活の中で「二者択一の選択」や「こうあるべきだと言う反省転嫁」で迫られている事(自分が受け入れてしまう事、自分もやってしまう事)に違和感を抱いた事を、個々が個別に明確に{【KY:空気を読まない】で}表現して、「人が《ADHD》を進行させてしまう」という事の抑止を{【KY:空気を読まない】な集団組織の中で}個々に個別に目指してくれる事が、魔法世界の実現の五歩目となるのです。







*魔法世界の実現(四歩目)。【4月22日・水】


『物事が土台の上に積み上がって行くとする世界観』による『前後が反転した時間認識:遺伝のような時間進行』の{閉塞した}未来観の世界であると、

≪{閉塞を少しでも遅らせようとして}土台を広げる{パラダイム論に於いて枠組を替える}パラダイム変換をし易いように{社会や科学や人や自然が進行していく}物事を『一括りにしたモノ』に括ってしまう処置(土台を広げるのが簡単で済む為の善処)が{括れた事で得意になり、他者を一括りにしての反省転嫁として}取られてしまう事による『問題の読み違い』の悪循環(五歩目で補足)も{相互に関係し合って}起こしながら≫

その{積み木崩しが進行していてゲームオーバー(閉塞)が必然の}状況を「続ける」か「止めて放棄してしまう」かの二者択一(進歩を議論する時に「文明を続ける」か「放棄して原始生活に戻る」かで悩んでしまう)に人間をどうしても追い込んでしまう(「破綻を覚悟で文明を続ける」という者たちと「手遅れでの破綻に至らせない為に文明を放棄させる」という者たちで対立する)ものなので、

【ちび猫】は、『前後が反転した時間認識:遺伝のような時間進行』を修正して思考する事を心掛けていて、『午前』と『午後』も{相手がいる時に相手を困らせない範囲で使うだけで}あまり使いません。


{1000年先までに}皆さんが、進歩信奉者(既得権益にしがみ付く保守勢力)と抵抗勢力(既存の社会構造への敵意しか抱けなくなった知識人が行き着くテロ思想)が争う{大多数の一般生活者が{弱者から次々と}犠牲になる}地球上の出来事を憂いて、{『午前』と『午後』の使用の{反転修正を目標にした}制限は活動標語の一例ぐらいに認識し}それぞれの立場でそれぞれに『前後が反転した時間認識』の修正に取り掛かってくれる事が、魔法世界の実現の四歩目となるのです。







*魔法世界の実現(三歩目)。【4月21日・火】


『お金』で人の自由が奪われる『経済』という枠組内での『お金の使われ方:サル山での餌付け用のエサの使われ方と同じ』がなされては、『お金』の奉仕者(淘汰の中で主体になろうと『お金』を武器に部分解禁する)になるか、『お金』の抵抗勢力(『経済』という枠組内に居る人間を殺菌消毒する)になるかを迫られてしまい、『お金』に背を向ける{日常の光景に同化していく}逃避者(人生をドロップアウトする)にならざるを得なくなるだけなので、

【ちび猫】は、個々に個別の【お金の使い方】を{他者とは違って}するように意識しているのです。


{1000年先までに}皆さんが、{他者を一括りにする事もなく、他者が自分と同じで在る様に求める事もなく、個別性を認識し、多様性を大切にして}各個がそれぞれに【お金の使い方】を考えてくれる事が、魔法世界の実現の三歩目となるのです。







*魔法世界の実現(二歩目)。【4月21日・火】


親や学校の先生などの大人からの『反省転嫁』によって子供の頃に{一括りにされた中での一律な要求(虐待やイジメや各種ハラスメント)に応じきれずに}抱かされた罪悪感に{良い子のままで}縛られたまま、大人になって{ブラックな職場でも空気を読んで頑張ってしまうような}無理をしてでも『倫理道徳の試練』に{これは『贖罪』なんだといって}取り組んでいては、『憂さ晴らしの必然』や『ドロップアウトの日常化』を{自分で自分に}招いてしまい、{自分も『反省転嫁』をしてしまって}虐待やイジメや各種ハラスメントを{子供や異性や部下などに}してしまうだけなので、

【ちび猫】は、【幸せな想い】をするのはもちろんですが、【KY:空気を読まない】にも取り組んでいます。


{1000年先までに}皆さんが、その誰もが自由に【幸せな想い】をしてくれて、集団組織の構成員として【KY:空気を読まない】であってくれる事が、魔法世界の実現の二歩目となるのです。







*魔法世界の実現(一歩目)。【4月21日・火】


観賞魚用の水槽設備で{魚を入れないだけの}通常の手順で作られる【生きた水】では『モデルケース』でしかないので、

【ちび猫】は、{最近は}そこに《PSBバクテリア》と《米麹菌》を入れて【生きた水】を作り、霧吹きスプレーに入れて何にでも吹き掛けるのですが、昔は《蜂蜜》や《オロナイン軟膏》などを入れて【生きた水】を作っていましたし、夏には「自分やペットの全身」や「壁やカーテン」や「布団や枕」などにも{臭い消しと涼しさの為に}吹き掛けてしまいます。


{1000年先までに}皆さんが、自分で勝手に何でも入れて【生きた水】を作り、それで{霧吹きスプレーに入れて使うだけではなく}様々な使い方をして色々な目的で使ってくれる事が、魔法世界の実現の一歩目となるのです。







*魔法から学ぶ事。【4月19日・日】


魔法は『反省転嫁』出来ませんので、自分で「自分が『贖罪』に囚(トラ)われて無理をしているのではないか」と少しでも感じられるのなら、子供や学生の{親や教師から指導を受けていた}頃の{指導に従えなくて罪悪感を抱いてしまった}事とか、職場での{各種のハラスメントを受ける}就業環境の{空気を読んで我慢をしてしまった}事とかを振り返ってみて、{良い機会なので}何か可笑しくないかとよく考えてみたら良いのです。

『進化論の図』からは魔法の要素が削り取られていて、進化論を『進化論の図』で理解した気になってしまうと、「人や生物を{バラバラに}一括りにして認識し、設定した特定のモデルケースで人や生物が想定され、{部分解禁(調整用の更新の活性)をしていく}人や生物で生存競争による淘汰が繰り返されて来たのだ」と簡単に考えてしまい易いので、そういった{『進化論の図』に捉(トラ)われた}意識(人間優先での科学万能主義で人類を淘汰の主体だとする考え方)が自分にもあると少しでも感じられるのなら、自分が「現代人は」とか「近代社会は」とか「日本人は」とか「日本社会は」とか言って一括りにしていないかとか、自分もモデルケースを設定して研究が効率よく進むように想定する『科学技術』の用い方をしていないかとか、自分の所属する全体(仲間・職場・社会など)が淘汰されてしまわないように貢献しようとしていないかと振り返ってみて、{良い機会なので}何か可笑しくないかとよく考えてみたら良いのです。







*魔法の取り扱いに於いて留意すべき事。【4月18日・土】


『お金』で人の自由が奪われる『経済』という

{パラダイム論をスリ込まれた人にとっての{人類の進歩の為にも自分勝手には踏み外せない神聖な全体と意識してしまい、贖罪へと連なる}トラウマである}

枠組内での『お金の使われ方』が

{時間認識を前後反転させた『物事が土台の上に積み上がる世界観』を基にして特定の土台の上で特定の『モデルケース』を進歩・発展・向上させる事と同じように}

なされているものだから、

「人は『お金』で幸せにも不幸にもなる」と言って{何の疑問も抱かずに}毎日誰もが『経済活動』に執着していたり、

「人は『お金』の為に生きている訳ではない」などと言って{暴力や逃避を目的に}時々誰かが『経済活動』を嫌悪したりする事となるのですが。


しかし本当は「人が個々に個別の【お金の使い方】をする事によって{魔法を使える}自分らしくあれば、それによって人間は【大全体】の構成員(自然から求められる魔法が使えるアリ的予備軍)となれ、そして【KY:空気読まない】な人々が{魔法を使おうと}沢山集まって魔法が掛けられて、不思議な程に{隠し扉を見つけて開く事(倫理道徳や近代科学)にばかり目が向いて閉塞させてしまっていた}人の営みが{多様性によって紡ぎ出される魔法と言えるような作用(大全体での世界更新や危機対応)で}進み出す」のでありますから、

その道理からすれば「適合者の優遇である『科学技術』の{調整用の更新を部分解禁する}枠組内で、『科学技術』を学んで適合者の振りをしてその{多様性での更新を用いない部分解禁でしかない}恩恵を{みんなの為にもなるのだと言って}引き出そうとたり、『科学技術』を拒絶(打破)して{危機意識の高さとしての悲観的未来観から導き出された}破綻へと進む世界の枷(カセ)になろうと{これが正義だと言って}したりする必要は無く、自分が一番になれる【科学技術の開発】を各個に行えばいい」のですし、

「理想的なモデル社会の為の『倫理道徳』の{誰にとっても無理でしかない}枠組内で、{贖罪として頑張り過ぎてしまって}憂さ晴らしを必然とさせたり、{頑張る事を頑張り過ぎてしまって}ドロップアウトを日常化させたりする必要は無く、自分が幸せを感じられる【幸せな想い】を{『ガス抜き』や『反発』や『言われたから』ではなく、『目的の行動』の為でもなく、ただ想う}自由な意思(楽しみ)ですればいい」のです。







*物事が生きてくる魔法の考え方。【4月14日・火】


人というのは、『贖罪』や『倫理道徳の試練』の為に存在しているのではなく、この世界からの「自由に【幸せな想い】を発揮してほしい」という期待に応えてこそ生きてくるものなのです。

未来というのは、“後ろ”へと連なっている{遺伝のような}ものではなく、“前”に無限に在る{その時代その地域の風習のような}ものとして考えられてこそ生きてくるものなのです。

科学技術というのは、『モデルケース』を上手に作る為のものではなく、自分が一番になれる事を研究開発してこそ生きてくるものなのです。

『お金』というのは、他者の自由を{特定の目的で利用しやすいよう一括りにして}縛って置く{観光用のサル山で餌付けの為にバラ撒かれるイモのような}エサとして使われるのではなく、自分が自分らしく在ろうとして使ってこそ生きてくるものなのです。







*この世界が待ち望んでいる魔法。【4月14日・火】


一人一人の人間には、個々に個別な【生きた水】が在り、【幸せな想い】が在り、【世界の更新】が在る。

それらは、人間が使うのをこの世界が待ち望んでいる魔法と言えるかもしれないモノであり、誰の“前”にも在る無限のものなのです。







*問題は「問題の読み違い」から始まっていたのです。【4月12日・日】


『人類の《ADHD》の進行』に伴う{自己解決が出来ない}困難から人類が{絶対の存在によって}救済され易くなるよう“一括り(ヒトククリ)”になる為に文明や文化が始まると、

人間が“一括り”になって多様性が減少し始めて《調整用の更新》である【人による《ADHD》の進行】が深まってしまう状況になり、

更なる救済の必要性に備えて人が出来るだけ“一括り”から漏れる事がないようにと「倫理道徳の向上」や「貨幣経済の発展」や「科学技術の進歩」が理想の“モデルケース”として目指されると、

人間の更なる“一括り”によって多様性がどんどん消失していって【人による《ADHD》の進行】が深まってしまう状況の更なる悪化に至ってしまうのですが。


誰もが『憂さ晴らし』が必然で『ドロップアウト』が珍しくない「人間の一生」に{悪くなりながら繰り返されて}陥ってしまうという悪循環にハマり込んで抜け出せなくなってしまうのは、

【多様性による更新】を補(オギナ)う為の《調整用の更新》の発動であった【人による《ADHD》の進行】を{人を“一括り”にしてしまって}人類が病んでいくような『人類の《ADHD》の進行』と勘違いする「問題の読み違い」から始まっていたのです。



人間が『進化論の図』を原則に生物を種で“一括り”にしてしまっての{【更新する無限に多様な大全体】を無視した}作業(生存競争を有利に進める)を始めてしまうと、

多くの生物が“一括り”にされて《多様性による【大全体】での更新》が減少し始めて「《調整用の更新》での世界の更新(腐敗など)の進行」が何時も起るような状況になり、

生存競争での人間の絶対勝利の為として種による生物の“一括り”の厳格化が目指されると、

人間が断行する生物の更なる“一括り”によって《多様性による【大全体】での更新》が消失して来て「《調整用の更新》での世界の更新(腐敗など)の進行」が何時も起るような状況の更なる悪化に至ってしまうのですが。


誰も【生きた水】など作らず医療施設や畜産施設などでの消毒殺菌が繰り返されて人間世界の生き物が「耐性病原体によるパンデミックの発生」に{悪くなりながら繰り返されて}陥ってしまうという悪循環にハマり込んで抜け出せなくなってしまうのは、

【多様性による更新】を補(オギナ)って来た《調整用の更新》の歴史であった『進化論の図』を生物による生存競争の勝敗表と勘違いする「問題の読み違い」から始まっていたのです。



人間が『質量保存の法則とエネルギー保存の法則』を原則に物質とエネルギーを別々に“一括り”にしてしまっての{【E=mc²】を無視した}作業(産業活動を効率的に進める)を始めてしまうと、

物質とエネルギーが別々に“一括り”にされて《【E=mc²】での世界の更新》の事が無視され始めて「科学技術の成果と物理世界との差異」が何時も在るような状況になり、

産業活動の更なる効率化の為として物質とエネルギーを別々にしての“一括り” の厳格化が目指されると、

人間が断行する物質とエネルギーを別々にしての更なる “一括り”によって《【E=mc²】での世界の更新》の事が拒絶されて来て「科学技術の成果と物理世界との差異」が何時も在るような状況の更なる悪化に至ってしまうのですが。


「質量とエネルギーのバランスを崩す科学技術の在り様」が見過ごされて「質量とエネルギーのバランスが{少しずつだが}崩れて行くという認識を持つ事」が出来ていればそれで良いとして「エネルギーや化学製品の大量生産・大量消費」が{安全なハズの石橋をとりあえず叩いてみる様にして}繰り返されて「公害や放射能汚染や温暖化などの事後処理はしても{進歩の為に研究はするベキだとして}放棄はしない」に{悪くなりながら繰り返されて}陥ってしまうという悪循環にハマり込んで抜け出せなくなってしまうのは、

人間の{物理世界の}世界観にとっての大切なものは{非効率で生産活動に向かないが個々の人間の思考方向を多様なものにしてくれて}人の営みにも多様性をもたらしてくれるハズの《【E=mc²】での世界の更新》ではなく{その『枠組み』から生じる誤差や矛盾が更なる進歩の切っ掛け(パラダイム変換の呼び水)になる事が繰り返されるという考え方に基づいた}旧来のままの『質量保存の法則とエネルギー保存の法則』の方であると勘違いする「問題の読み違い」から始まっていたのです。







*一括りにされた“モデルケース”という認識を用いる考え方。【4月4日・土】


人間世界に於ける《ADHD》の進行は{閉鎖された}人の営みの{更新の為の}多様性の欠落を補助する【調整用の更新】の発動であり、それを一括(ヒトクク)りにしてしまえる事態(特定の実験装置内での一括りに出来てしまえるような人の営み)というのは{直ぐに回避が必要な}危険な状態(《ADHD》の進行が暴走してしまう)であるのに、そんな{人の営みが一括りに出来てしまえるような}状態のままで{『悪の自然誌』がそうであったように}それを{それこそが「文化的だ」とか「科学的だ」とか断言して}良いの悪いのと{“モデルケース”というオブラートに包んでしまい、何の気遣いもせずに容赦なく、サンドバックを相手にするように}確定事項として言う反省転嫁が{昔から倫理・道徳や宗教・哲学などで}繰り返されて来ていて、子供や若者に{一括りにされた}罪悪感がスリ込まれ、{トラウマの}贖罪で暴走する{一括りに出来てしまえる}大人が仕立て上げられて来たのが人の世であったものですから、『前後が反転した時間認識』の土台の上に科学技術が{一括りにされた“モデルケース”の誰かの為に、誰にとってもただ閉塞へと向かって}積み上げられた近代化以降は{人間世界の歴史は凄惨(セイサン)であったが}特に凄(スサ)まじい事態(《ADHD》の進行の暴走:憂さ晴らしの必然的連鎖(イジメや虐待や各種ハラスメントや、差別や迫害や戦争やテロへと至る連なり)やドロップアウトの必然的常態化(ホームレスや難民や、自殺や自爆テロへと至る流れの確立)など)に陥ってしまったのです。

1000年経って、「一括りにされた“モデルケース”という認識を用いる{これこそが「文化的だ」とか「科学的だ」とか断言しての}考え方」が問題の核心であった事に、ようやく気付くのです。

生物世界に於いては、『進化論の図:木が枝を伸ばしているように描かれている:変化を続けた地球環境に対する生物たちの関係性の事が記述されていない』が「一括りにされた“モデルケース”という認識を用いる考え方」の代表例の一つで、生存競争を想定される世界で人類が淘汰されない為の人の営みによって、{人間を含む}どの生物も破綻へと{1000年経つまで}進んでしまうのです。

物理世界に於いても、『質量保存の法則・エネルギー保存の法則:物理世界が【E=mc²】で更新し続けている事を無視している』が「一括りにされた“モデルケース”という認識を用いる考え方」の代表例の一つで、唯一不変だと信じた土台の上での積み上げによって、{物事の}何もかもが閉塞へと{1000年経つまで}進んでしまうのです。

皆さん、「空気を読む」などという{憂さ晴らしが必要になり、ドロップアウトに至ってしまう}事は{自分も、他者への要求も}止めて【幸せな想い】に踏み込んだり、個別に【生きた水】を作るのにチャレンジしたり、自分が一番に成れる事の為の科学の進歩に取り組んだりして、{1000年経つまでは}勝手に待たせていただきましょう。







*《ADHD》を『人間が退化する文明病』と間違えた結果。【3月29日・日】


人の《ADHD》が、『人間が退化する文明病』として{哲学・思想や倫理・道徳が発達した{古代文明の}昔から}注視されていたが、それは人間に於ける【調整用の更新】の発動に対しての{勘違いと言える}ものであり、人の営みの文明化によって世界(自然)の多様性が失われてしまった事に対してこの世界(自然)の【無限の多様性】の確保の為に起こっている{人間が目を向けてこなかった【更新する無限に多様な大全体】に関する多くの}事の一つなのです。

人の《ADHD》が、『人間が退化する文明病』として{躾(シツケ)や教育が一般化された近代化以降特に}注視されていて、{教育が{牢獄での}犯罪者の再教育のように認識され}文化人や科学者の論理の中で『罪悪感』に陥り易い子供や若者が一括(クク)りにされて、{時間認識が前後反転したままで{閉ざされた一つの実験装置内のように在る人の営みの}未来を心配する姿勢での}独善的な大人の『反省転嫁』の餌食(文化が放棄されていく病的退化が進行してしまうので文化の保護の為には荒療治(子供や若者の焼き入れ)が必要だという論理での使命感の発揮)にされてしまうものですから、{平均的な一人の人間に於ける}《ADHD》の進行(『贖罪』の名の下での行い、行いが理解されない事に対しての憂さ晴らし、行いが理解されない故(ユエ)のドロップアウト:ADHD症状の悪循環)が止まらないのです。


文字にして書いてしまえば簡単な事のようなのですが、この事が普通に語られるのは、1000年先になるでしょう。







*問題の読み違えを正す。【3月26日・木】


現代人による「人類も自然の一部分である為に近代化の過ちを補正しようとして近代化に伴って人間に生じる《ADHD》の進行を、人類の進歩を脅かす「問題の発生」だと捉え、その『問題対策』によって「世界の安定した発展」の妨げを排除しようとしている」というのは、

『幸せな想い』をしないまま『倫理道徳の試練』という{自殺行為を肯定するような}蛮勇で突き進む独善によって惹き起こされる、

「スリ込まれた罪悪感から逃れたくて『贖罪』としての{「空気を読む」という縛りを『反省転嫁』する}ゴリ押しをしてしまうが、反発されてストレスとなり、そして「ストレスを溜め込んでは爆発させ、溜め込んでは爆発させを繰り返す憂さ晴らし」に至るか「ストレスの発散が上手く出来ない事による、逃げるようにしてのドロップアウト」に至るかしてしまう愚行」に気付かずにいるのと同じ事であり、

《時間認識に於ける前後の反転》に疑問を抱かない『土台の上の世界観』に縛られたままでの閉塞した未来観によって惹き起こされる、

「人の営みが多様性を消失させた事によって生じる【微調整用の更新】の活性化を、「正常な人の営みの危機」と捉え、「科学技術の全てをつぎ込んで{多様性の消失を拡大させながら}人の営みを正常に保とうと努める」という間違い」に気付かずにいるのと同じ事であります。


「空気を読まない」で『幸せな想い』をして自分がイチ番となる為の科学技術の更新に取り組める人たち(【更新する無限に多様な大全体】の構成員である【アリ的予備軍】)が自由に集まった実験装置ではない自然な形態の{サル山のように恣意的なものではない}人の営みの形成が出来れば、

人間に生じる《ADHD》の進行が止って高度な社会性の維持が可能になるものの、

それは言葉の上での{誰でも直ぐに出来そうだというだけの}話しであって、

実際にはまだまだ1000年は掛かる{「問題の読み違えを正す」という困難が{不可能なように}立ち塞がっている}事なのです。







*《ADHD》の進行を真剣に考えるのなら。【3月23日・月】


人間が近代化と並行して《ADHD》を進行させてしまった{特定のパラダイムに於いて科学的挑戦を誰がしても大多数はマケ組にしかならない結果に至るという}のは、

自然による《部分解禁の暴走》を受けて【大全体】の構成員である【アリ的予備軍】という事がどんどん必要になり「空気を読まない」という{人は各個に何時も一様で在りたいが、みんなと一律に同じになるのには馴染めない}特性が引き出されて、

科学的挑戦ではなく各個に個別の挑戦をして自分がイチ番になる事が必然となった為であります。


自然世界が人間世界の近代化と並行して《部分解禁(微調整用の単独種の更新)の暴走》を進行させてしまった{特定のパラダイム(縛り)を土台にしての自然環境の安定化や改善が目指されても{必然のように腐敗や腐食が進行(微調整用の単独種の更新)して}必然的に破綻(微調整用の単独種の更新)に至るという}のは、

人間による《部分解禁(微調整用の単独種の更新)の乱用》を受けて【大全体】の構成員である【アリ的予備軍】という事が{既存の多様性が減少しているにも関わらず}必要になり「腐敗と腐食が相互に活性化(微調整用の単独種の更新)を引き出し合う」という{自然世界の【更新】を確保する為に、多様性の減少に反比例して部分解禁(微調整用の単独種の更新)が促進される}特性が引き出されて、

人間がパラダイム(縛り)による《部分解禁(微調整用の単独種の更新)の乱用》で多様性を減少させてしまい自然に於いて暴走する様に部分解禁(微調整用の単独種の更新)が進行するのが必然となった為であります。


人の営みに於いて人間が『パワハラ・セクハラ・イジメ』や『躾としての虐待』や『車のあおり運転』などを正義の名の下に起こしてしまうのは、

子供の時に大人から『反省転嫁』をされた事によって{スリ込まれるように}形成されてしまう{悪い事だと言われた事をしてしまい、良い事だと言われた事をしてこなかった}罪悪感のトラウマによる「『贖罪』としての正義感の発動」が{自己犠牲を大義名分に}暴走するからであります。


人類がその意識に於いて《時間認識に於ける前後の反転》に疑問を抱かずに土台の拡張(『パラダイム論』に於ける枠組の拡張であるパラダイム変換)が繰り返されるだけの実験室での研究(『悪の自然誌』に於いて「自然の悪い所」が結果として導き出された実験)ばかりが行われて【更新する無限に多様な大全体】の世界であれば出来るハズの《これから起こり得る【更新】への挑戦》や《一旦は閉ざされて埋もれてしまった【更新】の掘り起こし》が行われなかったのは、

《ADHD》の進行を{必要で起こっている事の意味を無視して}単に問題と捉えてその『問題対策』を{悪い事態に対処するという事で考えて}して来た結果なのであります。







*もっと楽に{自由に}生きていければ、安心していける。【3月15日・日】


罪悪感から下位者に問題意識が形成され、贖罪として『問題への対策』が嘆願されてしまう。

『問題への対策』の嘆願に対して、それに応(コタ)えるように指示命令系統が連なっていく。

指示命令系統の連なりに要求されて、上位者が反省転嫁を行ってしまう。

親や先生の反省転嫁によって、子供たちに罪悪感がスリ込まれ、そのトラウマから{多くの社会人の}贖罪が止められず、それを{贖罪に縛られている事を民度の高い美徳と褒め称えて}食い物にする{画一的な}企業や{均一な}社会体制が無くならないのです。


罪悪感から形成される問題意識に苛(サイナ)まれずに下位者が幸せな想いでいられるようになって、贖罪としての『問題への対策』に追われなくなり、各個によって個別に作られるようになる{多様性と部分解禁(調整用の更新)による更新の可能性を無限なものにするアリ的予備軍(大全体な存在)であるのに欠かせない}自由スペース(千差万別な存在を形成する自由な想いや思考)が緩衝(カンショウ)になって、『問題への対策』の嘆願へと至らず、指示命令系統も連ならなくなり、反省転嫁も起らなくて、{結果的に}贖罪に縛られた人々を食い物にする{画一的な}企業や{均一な}社会体制が無くせるのです。

多様性と部分解禁(調整用の更新)による更新の可能性を無限なものにするアリ的予備軍(大全体な存在)で形成される自然世界に於いては、{画一的な}近代科学や{均一な}人の営みは{部分解禁(調整用の更新)の乱用となって}邪魔であり、{アリ的予備軍(大全体な存在)の安定機能を乱(ミダ)して}腐敗や腐食の部分解禁(調整用の更新)を暴走させてしまうのですが、それは自然からの《人間への報復》ではなく、アリ的予備軍(大全体な存在)であるべき人間の《身から出た錆》なのである。


{画一的な}近代科学に於ける隠し扉を発見していく様な{一律な}進歩は{更新する無限に多様な}大全体に於ける{状況の変化に対応する多様性での更新を補完する為の単種に起こる調整用の更新である}部分解禁の乱用(スーパーサブとして実験室で起こる{悪の自然誌な}自然と戦う)である。

人の営みが均一である為に生じてしまう{状況の変化に対応する多様性での更新を支えるものが起こす}腐敗や腐食などの{動植物を脅かす病原体の薬品耐性化や、自然界を侵食する化学物質や放射性物質の拡散・蓄積(不安定要因が分解されない)などのような}不自然で一様な進行(実験室で起こる{悪の自然誌な}自然)も部分解禁の暴走(実験室でのスーパーサブによる《身から出た錆》の発生)である。

{均一な}人の営みである{スーパーサブを目指しての}実験室で生じてしまう{悪の自然誌な}自然との戦い(自分の《身から出た錆》である部分解禁の暴走に対しての部分解禁の乱用での尻ぬぐい)での苦戦が、{画一的な}近代科学が重用された{パラダイム論の枠組に閉じ込められた、一律な}進歩の{近代以降の{一律一様を好んでしまう}《ADHD》の進行によって人の営みが激変してしまった、大全体が無視される}原動力となっていたのです。

その{人間が自然と部分解禁で戦う{自分で自分の尻ぬぐいをする}実験室のような{均一な}人の営みが作られる}黒幕を継承して、{近代以降の{一律一様を好んでしまう}《ADHD》の進行を利用して}人類に《身から出た錆》を{画一的な近代科学での{隠し扉を発見していく様な}一律な進歩を奨励して}広めていたのがノーベル財団なのである。


{一律一様を好んでしまう}《ADHD》の進行によってもたらされた近代以降の人類の発展の{負の}真実である「人間が{均一な人の営みである}実験室のモルモットになり、画一的な近代科学を一律に進歩させてしまい、その{腐敗や腐食などに於ける不自然で一様な進行である}《身から出た錆》に自業自得(終わりの無い戦いを自然に対して仕掛けてしまい、進歩に追われてしまう事)で苦しんでいた事」や「贖罪に縛られた人々を食い物にする{画一的な}企業や{均一な}社会体制が{国民を民度の高い美徳と褒め称えて}放置されていた事」を自覚して、人々が{人類の発展や贖罪の事よりも各個に個別な{自分の}事が大切に考えられて}もっと楽に{自由に}生きていければ、《ADHD》が更に進行するこれからであっても{誰もがアリ的予備軍(大全体な存在)となれて}安心していけるのです。







*心に自由なスペースが広がる事で得られる安心。【3月8日・日】


『宇宙戦艦ヤマトの波動エンジン的な科学の進歩』や『時間認識の前後反転』や『倫理道徳の試練』などの問題というのは、それによる「閉ざされた可能性や千差万別の可能性が無視され、隠し扉を開いて、特定のモノを優遇するものでしかない科学観」とか「閉塞へと進む未来観」とか「幸せな想いさえ拒む贖罪(ショクザイ)」などの呪縛(解放が出来ていない事)ではなくて、{問題認識から導き出されてくる}呪縛からの解放が出来ていない事に対して生じるストレスによる「鬱になるか、憂さが暴発するか」の{安心が得られていなくて、負荷をオーバーさせてしまっている}情況の事(自由なスペースの無い窮屈な心)なのであります。

人間は{野生という呪縛から解放されて}人らしく在るというコトが{より沢山}出来るようになるにつれて{発達障害へと至る}《ADHD》を進行させてしまって来ていて、近代以降は《ADHD》の進行が特に{加速度的に}進んで来ていた為に、現代では誰もがより人らしく在る事(呪縛からの解放)を他者が安易に求めてしまい、自分に対してもより人らしく在る事(呪縛からの解放)を安易に求めてしまっているのですが、それによって{人が人らしく在る為に《ADHD》を進行させて来た訳ではなく、《ADHD》が進行しているからといって人が人らしく在れるハズもなくて}《ADHD》の進行した現代人にとっては{人の営みの中で目指される「誰かに{呪縛からの解放を}要求する事(自分が呪縛されている反省転嫁)」や「自分が自分に{呪縛からの解放を}要求する事(自分が呪縛されている贖罪)」が昔と比べてはるかに高度で多く、上手く行かなくて}生きづらい世の中(鬱になるか、憂さを暴発させるかしかない)となってしまっているのです。

人が人らしく{自由で豊かで文化的な人の営みの中に}在るベキだとする{人間の思いや考えまでも呪縛されてストレスが掛かり続けてしまう}近代以降の人の世は、《ADHD》を進行させている人間には{鬱になるか、憂さを暴発させるかしかなくなって}生きづらく、{対策がなされる度に指示命令系統が厳格化されていって}社会不安が扇動されている様な{不適合者を炙り出して排除するのが目的としか思えない}状況なのです。


『宇宙戦艦ヤマトの波動エンジン的な科学の進歩』や『時間認識の前後反転』や『倫理道徳の試練』などの問題は、それを上手く解決して物事を好転させようと強いストレスが掛かってしまう事なのですから、まずは肩の力を抜いてゆるりと問題に向き合い、{近代以降の進歩の理想形だとか、自由で豊かで文化的な人の営みだとかに縛られず}自分の心のスペース(想いや考え方の自由)をどんどん広げる事から始めたらいいのです。

そして、自分が安心できる事を大前提として、{自分の想いや考え方による}人の営みの在り方も《ADHD》の進行を{対処としてではなく}包容するようにどんどん広げていったらいいのです。







*問題に見えた事への対処により本当の問題が生じる。【3月8日・日】


これが自由だと{定義されて}パターン化されると、{科学による合理的なものだからといって}それを反省転嫁するのが上位者であり、{罪悪感から}それを厳守(自己反省)してしまうのが下位者である為、不自由への対処を名目に陰湿なパワハラが{教育の場などで、子供たちに贖罪のトラウマを植え付けて、奴隷を大量生産するように}生じてしまうのです。

これが『休憩をするという事だ』と{定義されて}パターン化されると、{科学による合理的なものだからといって}それを反省転嫁するのが上位者であり、{贖罪(ショクザイ)から}それを厳守(自己反省)してしまうのが下位者である為、休憩を取らせるのを名目に指示命令系統の厳格化が{労働の現場などで、休憩の自由さえ与えず、廃人になるまで食い物にしてしまうように}生じてしまうのです。

これが《ADHD》に有効(治験による対策の前進)だと{定義されて}パターン化されると、{科学による合理的なものだからといって}それを反省転嫁するのが上位者であり、{罪悪感に縛られた贖罪の為の奴隷根性から}それを厳守(自己反省)してしまうのが下位者である為、《ADHD》への対処を名目に{指示命令系統の下で}強要される治験が{どんなに不快で腹が立っても}拒否されない{治験が使命とされる}集団主義的治験社会が生じてしまうのです。


科学と人間との関係は、上位者と下位者の関係と似ています。

「進歩は人々の共通認識(枠組み)の上に{閉塞するのだが}積み上げられ、更なる進歩の為に共通認識(枠組み)が{閉塞の繰り返しになるのだが}変更される」という『パラダイム論』が上位者によって反省転嫁され、下位者は{トラウマから沸き起こる罪悪感から逃れたいが為の}贖罪の為に『パラダイム論』を厳守していて、科学は特定の{何らかの}ものに恩恵をもたらし、人間はただ{その事の}犠牲になっている事で安心を得ているのです。

《ADHD》の進行する近代に於いて、そういった事への同調が{罪悪感が高まるのとともに}始まり、現代では{《ADHD》の進行の先についてが}不可触になっていて、現代人は{自然と対立するのに人間が犠牲を払っても}進歩に寄与した事(贖罪)で安心するのです。


人間が自然と対立してしまうのは、上位者が反省転嫁を得意とし、下位者がそれを自己反省として受け入れてしまっていて、{個々が個別さを失い、マネばかりしていて}人間や人の営みが【アリ的予備軍:自然からの必要に答えられる多様性】からはほど遠い『スーパーサブ:自然と戦う戦力に特化したもの』になってしまっているのが原因のように見えてしまいます。

しかし、変に「オリジナルでなくてはダメで、マネをしていてもダメなの」といって無理をして、鬱(ドロップアウト)になるか、溜まった憂さが暴発(枠組みを破壊)するかになってしまい、それによって人間や人の営みが『スーパーサブ:自然と戦う戦力に特化したもの』へと{競争原理が行き着く先へ行き着いて}淘汰されてしまって{パラダイム変換の連なりから抜け出せずに}いるだけなのです。

知的財産権が争われる世界でのクリエイターという訳ではないのですから、色々な事を{マネを組み合わせて}好きにマネしてもいいハズですし、それをダメだという事(個々が個別で在るベキだとする事)の方が自由の侵害でしかないのですから、{マネを組み合わせて}好きにマネをする事を禁じてはならないと思うのです。

贖罪を必要とするトラウマにしばられて、反省転嫁の連なりから抜け出せず、人間や人の営みが進歩の犠牲(閉塞して破綻へと至る)になっているのは{時間認識が前後反転していたり、倫理道徳の試練に縛られていたりしていて}問題に見えますが、見た目だけでダメ(問題点)だと決めつけて無理(蛮勇でしかない無謀な徹底対処)をしてしまう事(鬱になるか、憂さが暴発するか)こそが真の問題(問題に見えた事を解決しようと対処するコトにより本当の問題が生じている事)であるのです。


人間に必要なのは進歩ではなく、《ADHD》の進行に見合った人の営みから得られる安心なのですから。







~~~~~参考に~~~~~







*何が本当に大切なのか、立ち止まって考えてみましょう。【3月5日・木】


《ADHD》の欠点をあげつらって無理を放置した結果が、《ADHD》のパニックの拡大に当たる、{憂さ晴らしが必要になった}戦争や{ヒステリックに【スーパーサブ】へと駆り立てられた}自然破壊であります。

{反省転嫁で}正論を言う事はまったくの無意味だし、{贖罪で}無理に頑張る事には何の価値も無いのと同じで、ただ近代文明やその進歩を批判したり、行動が必要だと人々を扇動したりしても、争いが更なる争いの拡大を招き、感情的な暴走が制御を拒絶したまま世界中に拡散されてしまうだけなのです。

皆さん、何が本当に大切なのか、立ち止まって考えてみましょう。







*人間たちを保護し、生き残りを模索する。【3月4日・水】


人間は《ADHD》で、物事(世界)が単純化されていないと安心できないのです。

科学の進歩は、《ADHD》が進行する人間たちに対応したもので、物事(世界)の単純化を目指しているものなのです。

「宇宙戦艦ヤマトの波動エンジン」のような{隠れアイテム的に}見えていなかった作用を{実験を繰り返して}導き出して来て{科学のノートに}記録するという単純化された科学観でないと安心できないですし、「自然は更新していて科学はその更新の記録であり、様々な方向に更新が進んでいる訳なので、科学は{四方八方へと}多角的に進歩をするものだし、閉ざしてしまった進歩や、進んでこなかった進歩もある」というような科学観では不安になってしまうだけなのです。


科学の進歩が、誰の考え方にも応じられるような多重構成のものである事よりも、特定の事にだけ有用に作用する単純なものである事の方が、《ADHD》の人間には有り難いのです。

《ADHD》の人間にとって生きやすい世界で在るようにと、科学は進歩をしてきていて、自然の多様性から《ADHD》の進行する人間たちを保護しているのです。

自然との関係に於いて、{時間認識の前後反転によって人の未来観に縛りが掛けられ、パラダイム論によって人の営みが特定の枠組で縛られて}人間と人間世界が{指示命令系統の下で{競争の原理で勝ち残った、自然の中で淘汰されない為の}スーパーサブが目指されていても}間違いを犯しているという訳ではなくて、《ADHD》の進行する人間たちの生き残りが模索されているのです。





~~~第0122号先頭へ~~~






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