ぐだぐだくらぶ

ぐだぐだと日常を過ごす同級生たちによる
目的はないが夢はあるかもしれない雑記
「ぐだぐだ写真館」、始めました

シカバネをください。 1…死神・沓水良嶺の日常(2)

2007年01月29日 01時28分06秒 | 小説
駅前の路地の外れ、階段を登った先に、目的の名前を見つけた。

扉に紫色の花のマークと共に、「カキツバタ探偵事務所」という文字が見える。

いかにも胡散臭い雰囲気だが、自分の置かれている状況が状況だけに、怪しい場所に行き着いてもそれほど狼狽えなかった。

ノックをしたが、返事は無い。ノブを回すと、ドアが開いた。

「すみませーん……」

中に入ると、ドアの外で想像していたよりも幾らか広い部屋に、机や本棚が所狭しと詰め込まれていた。

机上や床には、分厚い本やファイルの山が並び、資料と思しき紙束が撒き散らされている。

よく見ると、散らかった部屋の真ん中に置かれた事務机に、人が突っ伏している。

「すみませーん」

今度は声を張ってみたが、やはり反応が無い。


……死んでる?


突然ガチャリと音がした。思わず身構える。

見ると、開いたドアの傍で、両手に本を抱えた小学生くらいの女の子が、無表情のままこちらを見ていた。

本のタイトルはやたらと長くて完全に読み取れなかったが、「プロテスタンティズム」という単語が見えた。

対峙するは、制服姿で北斗神拳の構えを取る高校生、沓水良嶺。時間無制限一本勝負。

「……こんにちは」

「こんにちは」

女の子は素っ気ない返事をすると、部屋の真ん中の机へすたすた歩いて行く。

事務椅子に座って眠りこけている人間の傍で立ち止まると、手にしていた本を振り上げ――


スパーン!!


反射的に瞑った目を、恐る恐る開く。プロテスタンティズムの一撃をもろに受けた頭は、それでも全く動きを見せない。

少女は再び無言で本を振り上げる。二撃目。続けざまに、三回目の快音が響いた。

四発目の構えに入った所で、ようやく机の上の頭がもぞもぞと動いた。

「姐さん、お客」

それだけ言うと、少女は部屋の奥へ行ってしまった。


机で眠っていた人間は、うーん、と声を上げ、上半身を反らした。

山積みになった本で隠れて見えなかった長髪が揺れる。

「はぁ……ああ、すいません」

ぼさぼさの髪を掻き上げ、女はよろりと立ち上がった。

葬式に着て行くような、真っ黒でよれよれのスーツを着ている。

ようやく見えた顔には、服のしわと涎の跡がくっきりと残っていた。

「どうぞ、こちらへ……」

テーブルとソファーが置かれた、応接用と思われるスペースに俺を誘導する。

一つ礼をして、ソファーに腰掛ける。

……固っ。何だこれ、ソファーじゃないぞ。

手で探ると、角材のようなものが中に入っている。木製の椅子に革を張っただけだ。

女は眠そうな表情のまま、ソファーにどかりと腰を下ろした。

向こうのソファーは、女の体重で凹みが出来ている。

女は柔らかそうな背もたれに頭を預けながら、大きなあくびをした。


「えー……カキツバタ探偵事務所の、鍔田(つばた)と申します」

テーブルの上に置かれた名刺は、「鍔田 燕」と記された周りを、紫色の燕子花(かきつばた)の文様が囲んでいた。

目の前のダメ人間オーラをこれでもかと纏った女が、本当に探偵だというのか。

そして、名刺にこれほどの繊細なデザインを施すセンスを、彼女が持ち合わせているというのか。

「……で?」

女は面倒臭そうに言う。

「……はい?」

「だから、ご用件は」

「ご用件というか……ここに行けって言われたから、来たんですけど」

「ご紹介で来られたのは分かりました、ご依頼内容をどうぞ」

「いやだから、カキツバタ探偵事務所へ行けって言われたんですよ、ナツキに。

鍔田さん、ナツキから何か聞いていませんか?」

鍔田は壁に掛けられた時計を見る。五時二十五分を指している。

「そんな話は知りません」

「そんなはずないですよ、話はつけておいた、って言ってましたよ」

鍔田は腕を組んで考え込んでいる。

腕組みした体勢のまま、瞼が徐々に閉じて行き、首がかくんと落ちた。

「姐さん、この人、ナツキ姐さんが言ってた人じゃないの」

さっきの少女が、コーヒーを両手に持って立っていた。

「どうぞ」

テーブルにコーヒーが置かれるが早いか、鍔田はカップを手に取り、一口すすった。

「あっ、そっちはお客さんのやつ……」

鍔田は少女と目を合わせると、カップを下ろし、ソーサーごと俺の前に差し出した。

……いやいや、あんた今口つけたよな。

「僕、こっちでいいですよ」

奪い取られない内に、もう一つのカップを手に取る。湯気が顔にかかる。

鍔田は不服そうな顔で、客用に入れられたコーヒーをもう一口飲んだ。

「……甘くない?」

「お客がお客だから」

客が子供だから、と言いたいのか? まさか、小学生に舐められてるのか、俺。

少女を睨みながら、コーヒーを口に運ぶ。

……苦っ。

「ほら、今日の五時に、例の件の手伝いで行かせるからって」

鍔田はまた時計を見上げる。五時二十六分。

「今は五時じゃないわ」

「あっ……すいません、道に迷って、遅れちゃいました」

鍔田は表情を曇らせる。

「そういう事は、最初に言うのが社会の常識よ」

それはもっともだが、あんたもさっきまで熟睡してただろ。


鍔田は立ち上がり、事務机の上の資料の山を漁り始めた。

コーヒーを持ってきた少女は、いつの間にか部屋から姿を消していた。

「念のため、事前にもらった情報と照らし合わせて、本人かどうか確認させてもらうわね」

一枚のA4サイズの資料を手に、ソファーの前へ戻って来た。

「これから幾つか質問をするから、答えてね」

「はい」

「名前は?」

「沓水良嶺」

「生年月日」

「××年の、六月五日」

「年齢」

「十七歳」

「家族構成は?」

「妹が一人、両親はいません」

「通っている学校は?」

「市立湖之岸高校の三年です」

「好物は?」

「マグロ、特に赤身」

「じゃあ、嫌いな物は?」

「……キュウリ」

「好きな色は?」

「黒」

「好きな女性のタイプは?」

「少し意地悪な年上」

「趣味は?」

「通販」

「特技は?」

「薙刀」

「好きな動物は?」

「インコ」

「好きな花は?」

「ヒガンバナ」

「理想のバストサイズは?」

「D……いや、E寄りのD」

「エロ本の隠し場所は?」

「本の類は持ってません、パソコンに入ってます」

鍔田は小さく頷き、ソファーに腰掛けた。

「……よし、そのスラスラと答える感じは、多分間違いないね」

「ちょっと待って下さい、そんな事まで書いてるんですか」

「会話の流れで情報を引き出すのは、探偵の基本よ」

「……」



「さて、悪ふざけはこの辺にして」

目の前に置かれた真っ白なA4用紙に絶句する俺を尻目に、悪徳探偵は切り出す。

「はい、これ書いて」

鍔田はいかにもかったるそうに、一枚の紙とペンを取り出した。履歴書のようだ。

「……何で履歴書?」

「一応、うちの職員って体で協力してもらいたいから」

「探偵のバイト、って事ですか」

「そそ。まあ、時給は0円だけどね」

ブラック企業……いや、ブラック探偵社だ。

「そんな顔しなくてもいいじゃない、冗談よ冗談。ほら、さっさと書く!」

ボールペンを押し付けようとする鍔田の前に、ギプスが巻かれた右手を差し出す。

「これ、見て分からないんですか?」

「見れば分かるわよ。でも君、左利きじゃなかったっけ」

ナツキの奴、どうしてそんな微妙な情報だけこいつに与えてるんだ。

仕方無く鍔田からボールペンを受け取り、書き込みを始めた。

「ん~?」

鍔田がわざとらしく顔を近づけ、声を漏らした。

「これ、何て読むの?」

氏名の欄に書かれた「良嶺」を差して、指をせっかちにトントン鳴らす。

「ナガレ、です」

「ナダレ?」

「山岳部の斜面上に降り積もった雪が重力の作用により高速度で移動する自然現象(Wikipedia)ではなくてですね。

川のナガレ、とかのナガレです。ナ・ガ・レ」

「ナガレ? 読める訳ないじゃない、そんなの」

「文句なら、俺の親に言って下さい」

「君の親御さんのセンスを詰るつもりは無かったんだけど……。ほら、ちゃんとフリガナも書きなさい」

見落としていたフリガナの欄を埋める。次は……なんだこれ。

「この学歴・職歴って、書く必要あります?」

「私、人の学歴とか見るの好きなんだよね。見下せるし」

見下される程度の学歴をちまちまと書き込む。次の欄、"免許・資格"。

「……薙刀三段って、資格に入りますか?」

「アピールになるなら、書けばいいんじゃない」

アピール……「どうだ、三段だぞ、強いんだぞ!」か。

最後の欄。恐らく、誰もが最も頭を悩ませる場所。

「志望動機とか、そもそも無いんですけど」

「そうね、私が感激で打ち震えるような事を書いてちょーだい」



文字で埋められた履歴書を受け取ると、鍔田は満足そうに懐にしまい込んだ。どうか彼女が詐欺師でありませんように。

「これで君も、めでたくカキツバタ法律事務所の仮職員ってわけだ。じゃ、本題に入りましょうか」

鍔田の目付きが心なしか鋭くなった。

「一か月程前に、私の事務所に依頼が来たの。人探しの依頼ね。

三年前に音信不通になった友人を探してほしいって、二十代後半の男の人が」

探偵って、本当にそんな依頼が来るものなのか。飼い猫を探すくらいが関の山だと高をくくっていた。

「その依頼を、どうして僕が手伝うんですか」

「違うわ、もう依頼は解決したの」

「……どういう事ですか?」

「一週間くらい探したんだけど、その友人さん、家族もいなかったから、足取りがほとんど掴めなかったの。

三年前に住んでたマンションから、夜逃げみたいに姿を消したっていう大家さんの話が、時系列では最後の情報ね。

でも、彼の当時の職場を訪ねて調べてみたら、ちょうど彼が行方不明になる数日前、その会社のパソコンから、

とあるサイト上に、複数人で自殺を計画しているような内容の書き込みがなされていた事が分かったの」

自殺。その単語に過敏に反応してしまうのが、自分の事ながらどうにも憎らしい。

「この事を依頼人に報告して、集団自殺を仄めかしている以上、友人さんはすでに自殺しているかもしれない、と言ったら、

もう調査は続けなくていいって、あっさり依頼を取り下げてしまったわ」

「身寄りの無い人が、誰に知られる事も無く死んでいった、という事ですか」

「そんな所ね。君も、家族は大切にしなさいよ」

緩利一家は俺の家族と言って良いのだろうか、という疑問が頭をよぎった。

「まあ、人生の教訓はそこそこにして、今から私たちは、この失踪した人間の死体を探して、回収しようというわけ」

ようやく話が繋がった。なるほど、俺が呼ばれるのも当然だ。

「でも、いいんですかね、それ。依頼者に断りもなく」

「依頼してきたのは家族でも何でもない、ただの友人さんよ。それに、依頼も取り下げられてる。後はこっちの勝手」

「探偵が、依頼者の情報利用しちゃまずいんじゃ……」

「そんな規定、うちの事務所の契約書には無いわ」

……どうにかして、さっきの履歴書を取り戻さなければ。



「ところで……鍔田さんも、俺と同じですか?」

「何が?」

「ナツキに使われてるというか、拾われたというか……」

「君は拾われて使われてるもんね」

「奴隷みたいに言わないで下さいよ」

「その点、私は人権と尊厳を兼ね備えた立派な人間よ」

「……僕には人権も尊厳も無いって言いたいんですか」

鍔田は憐れむような視線を向けてくる。何だ、やめろ。

「私はただの人間だけれど、事情は全部知ってるわ。一応、特例って事になるのかな。

でも、『あいつら』に協力する事が条件になってるから、君と大して変わらないわね」

「変わりますよ。僕はもう、ただの人間とは言えないし」

鍔田は変な物を見るような目つきになる。言い方がまずかったかな。

「あと鍔田さん、もう一つ聞きたいことが」

「さっきから言おうと思ってたんだけど、『鍔田』じゃなくて、下の名前で呼んで頂戴」

「え? あ、はい……」

どういう風の吹き回しだ。スパイ映画でよくある、「君と私は、今日からパートナーよ」的なアレか?

「じゃあ、えっと……燕さん、さっきの妹さんは、事情とか分かってるんですか?」

鍔田改め燕は訝しげな表情で首を傾げたが、すぐに合点がいったように顔を上げた。

「ああ、湊(みなと)ちゃんの事ね。あの子は妹じゃないよ。『姐さん』って呼ぶから、勘違いするのも分かるけど」

「……じゃあ、娘さん?」

「そんなに年食ってないわよ」

いやいやあなた、古井戸から出てきそうな風体してますよ。

「まあ、あの子はここの座敷わらしみたいなものね。マスコットみたいな感じ」

この探偵事務所には妖怪しかいないのか。

「質問に答えておくと、湊ちゃんにも当然話は通ってるわ」

「それならよかった」

燕は目を細め、身を乗り出してきた。もはや這い出て来た亡霊にしか見えない。

「……まさか、それを聞きたかっただけ?」

「はい、もう大丈夫です。安心しました」

燕は大きく溜め息をつき、背もたれに倒れ込んだ。埃が舞う。

「さっきから機密事項をベラベラと話しておいて、今更その質問をする神経を疑うわ……。

ひょっとして、クラスの友達にうっかり話したりしてない?」

「いやいや、流石にそこまで不用心じゃないです」

「そう? 顔を見る限り、思い当たる節がありそうだけど」

「まさか、そんな訳無いじゃないですかー」


足を組んで座っていた燕は、首を大きく一回転させ、よろよろと立ち上がった。

改めて見渡すと、ごちゃごちゃしているように見える資料の山も、分類して積み上げてあるようで、

整理が行き届いていないというよりも、多くの物が溢れすぎていて部屋に収まり切らない、といった印象を受ける。

さっきの湊とかいう子は、個室に籠ったきり物音一つ立てない。

他に勤めている人がいそうもないし、燕一人、もしくは二人だけで、これだけの仕事をこなしているのだろうか。

……いや、こんな辺鄙な町の一角にある探偵事務所に、そんなに依頼が舞い込む訳が無いよな。

「何をキョロキョロしてるの」

いつの間にか、燕はソファーの前で身を屈めていた。

燕が渡してきた紙には、幾つかの住所と共に、「万木 優慎」という名前が記されていた。

「えー……ま、まん……ぎ……?」

「『ゆるぎ』って読むの。ユルギユウマ。今から私たちが探す、行方不明の男の名前」

「ゆるり」と似ているのが何となく気分が悪い。いや、気分が悪いというのは相手方に失礼か。

「それじゃ、これからの具体的な計画を立てましょうか。明日からゴールデンウィークで、学校も休みでしょう?

目標は三日以内、子どもの日までに片付ける。七日の土曜日は打ち上げの予定だから、空けておいて」




扉から出ると、外はもう薄暗くなっていた。

「具体的な計画を立てる」とは言ったものの、既に彼女が立てていた予定を延々と聞かされただけで、

俺に関する予定といえば、「三日後、もう一度この事務所に来る」という事だけだった。

調査は探偵の領分だから、門外漢の俺が関わる必要は無い、という事か。

……つまり、俺はこの探偵事務所に、死体回収業者として雇われた事になるのか。


階段を降り、大通りに出た所で、ポケットの中で電話が鳴り出した。

……緩利か。

「あー、今から帰る。心配しなくていいって言っといて」

『良嶺くーん、まだ駅前にいるー?』

「……いるけど」

『湖ちゃん、まだ帰ってきてないのー。 迎えに行ってきてー!』

「……また?」

『じゃ、お願ーい』

「……」

……あっ、切れてる。


電灯の点き始めた大通りを西に進む。山の際がまだほんのりと明るい。

湖の事だから、どうせスーパーの前のゲームセンターだろう。

アイツの時間を忘れて熱中する癖も、そろそろはっきりと注意したほうが良さそうだ。

樹海の不審者はいいとして、今朝は市街で不審な人物がいたらしいって、先生が言ってたような……。

俺には関係無い話だが、兄としてたった一人の家族をないがしろには出来ない。

……「家族を大切にしろ」か。ちょっとくすぐったいな。


少し歩いた所で、人通りもほとんど無い歩道の向こうに、誰かが立っているのが見えた。

その人影が俺の気を惹いたのは、他に人が全くいなかった、という理由もあるが、どうもこちらをじっと見ているように感じたからだった。

近付いて行くと、その人物の姿がはっきりと見えてきた。

一人の少女。

まるで人形のような真っ白な肌、透き通った亜麻色の髪……一言で表すなら、妖精という言葉がしっくり来るだろうか。

だが、彼女のそういった身体的特徴を分析できるのは、俺が彼女の姿を見慣れているからであって、

何も知らない人が見たなら、真っ先に彼女の服装について言及するだろう。

……どうコーディネートしたら、帽子から靴まで全身ユニオンジャックになるんだ。


ユニオンジャックの少女は、俺が目の前まで来ると、にっと歯を出す。

何こいつ、夜中にくいだおれ人形みたいな格好でニヤニヤして、気持ち悪い。

「やあ良嶺ちゃん、おひさ~」

名前を呼ばれた気がするが、気のせいだ。そうだ気のせいに違いない。

そんな事より、早く湖を迎えに行かないと。

「ちょい待ちーや、無視すんな!」

早歩きになった俺を追いかけて、少女は俺の隣に付く。

「何や良嶺ちゃん、ちょっと会わんうちに薄情になったんやないか?」

「近付くな、知り合いだと思われる」

「冗談きついなあ、知り合いやろ~、うちら」

腕に手を回してくる。払い除け、小走りで距離を取る。

「どうしたんよ、何怒っとんのや」

「……その格好、何だよ」

「ああ、これか? この一週間、イギリスの方の研究所に視察に行ってきたんやわ。

身も心も、本場さながらのブリティッシュガールになって帰ってきたで」

「今すぐイギリスに戻って、本場のブリティッシュガールに土下座して来い」


少女は、俺の後ろにぴったりとついて来る。関西弁も相まって、もうくいだおれ人形にしか見えない。

「で、どうやった?」

「何が」

「行ってきたんやろ? 燕と湊んとこ。話はついたんか?」

「……あの悪徳探偵、何者?」

「燕か? むふふ……ナツキの、おねーさん」

「!?」

「なーに目丸くしてんの、『ナツキ』ってのはこの子やで、鍔田夏希。うちの身体」

ナツキは、自分の顔をつんつん指差す。

「燕は、色々あってうちとつるんでるんや。ええ奴やったやろ」

「いや全然」

「久々に、湊のコーヒーも飲みに行きたいなあ。飲んだか?」

「それより、ちょっと疑問に思うんだけどよ」

「話の腰を折るなや、今はコーヒーの話しとるんや」

さっきのコーヒーが手元にあったら、顔にぶっかけてやりたい。

「コーヒーは美味かった。しかもコーヒーを飲んでたら、何だか頭が冴えた気がして、ある事に気が付いた」

「おっ、何や? 言うてみ」

誘導成功。ちょろい。

「自殺して三年も経ってるんじゃ、死体を見つけても、骨しか残ってないんじゃないか?

そんな死体で、研究なんかできるのかよ」

言い切った後で、はっと周りを見渡した。誰もいない。車道には、ヘッドライトが点々としている。

「あー、それなら心配いらん。今回のは研究用じゃなくて、人間の身体を確保するのが目的やからな。

人間の身体は、下手に使うたら、死んだ奴の身内に見つかったりするやろ?

せやから、身寄りが無くて、しかも知り合いもほとんどおらん人間の身体ってのは、うちらが使うにはもってこいの貴重品っちゅー訳や」

俺はナツキの全身を舐めるように見た。貴重品、ねえ。

「宇宙人に自分の妹を品物扱いされて、燕さんも可哀想にな」

ナツキは険しい表情になる。

「宇宙人、って言い方はやめろって、何度言えばわかるんや?

知性のある生命体が、みんな人間みたいな姿形してるわけやない。うちらやってそうや。

そうやって自分らの価値観を押し付けたがるのが、人間のあかんとこやなぁ。せやから、いっつも戦争ばっかやっとるんやろ」

「人間の歴史まで引っ張り出して叱られる筋合いは無い」

「他に、ええ呼び方無いんか」

「それじゃ……『地球外生物』ってので、どう?」

「『地球外』ってとこが自己中やけど、まあええわ。で、妹を品物扱い、やったか?

別にそんな意味で言うた訳やない、言葉のアヤ、って奴や」

「宇宙人ってのも、言葉のアヤだよな」

ナツキは返事をしない。聞こえなかったのか、聞こえないふりをしているのか。


ナツキは俺の右腕のギプスを指差す。

「その腕、どーした?」

「ああ、これね……先週樹海で人に見つかりそうになって、慌てて崖から飛び降りたら、この通り」

「見つかりそうになった」ではなく、「見つかった」が正しいのだが。

「そうか、災難やったな。明日にでも新しいのに替えたるわ。暇な時に来てええよ」

「それはありがたいんだけど、お前がいない間に医者に連れて行かれたから、何度か通院しなくちゃならないんだ。

次の診察で急に完治してたら、いくら何でも不自然じゃないか」

「あー、それもそやな。じゃ、しばらく我慢してくれるか。痛みも感じないんやし、回収作業には支障無いやろ」

ナツキは、大きめのベレー帽を目深に被り直した。

「まあ、とにかく頑張ってくれや。報酬は弾むで」

「……はいはい」

ユニオンジャックの妖精は、緑の光に包まれ、姿を消した。

街灯が照らす大通りには、車一台通っていなかった。





→(3)へ続く

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