聖なる書物を読んで

現役JW29年目

ヨハネ6章

2018-09-19 | 聖書
前半でヨハネは、イエスがガリラヤで行なった大規模な宣教(奇跡)のうち、2つだけを取り上げている。

1つは、4福音書全てに記されている唯一の奇跡、5000人に食事を与えたこと。
もう1つは、ガリラヤ(ティベリア)の海の上を歩かれたこと。(ルカは書いてない)

後半は、イエスが与える真のパン(天から下ってくる命のパン=イエスの犠牲としての肉)と真の飲み物(イエスの贖いの血)の話。その話に多くの弟子たちが躓いたことなど。

1節。ティベリアの海。ガリラヤ湖のこと。ヘロデ・アンテパスが西岸に築いた都市をティベリウス・カエサルにちなんでティベリアと命名されたことから。ヨハネが福音書を書いた頃にはこの呼び名で通っていたらしい。

5節~
食料を調達するのが難しい、いわば荒野のような場所で、奇跡的に5000人(女子供合わせればその2,3倍)に食事をさせたことと、ご自分が与えるパン(マナ)とは世の命のためのご自分の肉であると語られたことまで、すべて合わせて考えることが大切だなぁと思う。

群衆はイエスの奇跡のおかげで満腹になったから、イエスを王にしようとした。いなくなったイエスを探して、わざわざ湖の東側から西側まで追ってまで。

物質的な利ゆえに王を求めてる群衆に対して、イエスが語る霊的な話は、とても理解の及ぶものではなかった。

44節には、「父が引きよせてくださらない限り、だれもわたしのもとに来ることはできない」(ものみの塔はこの言葉を、選民意識を植え付けるような用い方をするから嫌い)とあり、続く45節には「父から聞いて学んだ者はみなわたしのもとに来ます」とあって、霊的なことがら(神のみ言葉)を理解しようとする姿勢が大切だとわかる。(自動的に選ばれるわけじゃない)

イエスが語る言葉に、(神から学んでいたゆえに)命の言葉を感じ取った弟子たちは躓かなかった。贖いの犠牲について、まだわかっていなかったにもかかわらず。


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