テモテ②3:16より
新世界訳改訂版 「聖書全体は神の聖なる力の導きによって書かれたもの」
新世界訳旧版 「聖書全体は神の霊感を受けたもの」
田川訳 「書物はすべて神的に霊的なもの」
後世キリスト教の「聖書霊感説」の根拠となった聖句の一つ。どの聖句もすべて神の霊によって書かれたのだという。この組織もそう主張している。他の訳も似たり寄ったり。
でも、原文から受ける印象はだいぶ違うようです。
以下、田川建三氏「新約聖書 訳と註」疑似パウロ書簡より引用します。
__________
・・・原文には「霊感」などという語はどこにも見出されない。「神的に霊的な」と訳したのは合成語(theopneustos)で、「神」(theos)と「霊」(puneuma)をくっつけて一語の形容詞にしただけのもの。確かにこの「霊」は「神の霊」を考えているのであろうが、「霊的な書物」というのと(内容が「霊的」であるということ)、「霊感を受けて書かれた書物」というのとでは、だいぶ話が違う。
__________
以上。
「書物」とは、旧約聖書のこと(組織は新約にも当てはめてるけど)だから、この聖句は単に、旧約聖書は神の霊的なことが扱われた内容なんだよ、って言ってるだけなのね。
・・・つまり聖書は、人間が書いた神に関する本、ってこと。組織が主張しているように、社長(神)が秘書(人間)に自分の考えを書かせた本だ、という裏付けにこの聖句は使えないってこと。
たとえ人間が書いた本であっても、自分は、聖書が悪い本だとは思わないです。むしろ、読む価値のある良い本だと思ってます。もしかしたら神が書き手の思考を導いたのかも知れない、とさえ思ったりもします(神が降りて来た!・・なんて良く言うじゃないですかw)。
でも、バランスって大事ですね・・・
宗教とか信仰心とかが絡んでくると、過激になりやすい。見方も偏ってきて都合良く曲解したりもする。この組織のように、教理に合わせた改竄聖書まで作っちゃったりしてね。
なんか上手く文章にできないけど・・・人間って面白いなぁ。(←どういう思考回路でこういう結論になった?w)
新世界訳改訂版 「聖書全体は神の聖なる力の導きによって書かれたもの」
新世界訳旧版 「聖書全体は神の霊感を受けたもの」
田川訳 「書物はすべて神的に霊的なもの」
後世キリスト教の「聖書霊感説」の根拠となった聖句の一つ。どの聖句もすべて神の霊によって書かれたのだという。この組織もそう主張している。他の訳も似たり寄ったり。
でも、原文から受ける印象はだいぶ違うようです。
以下、田川建三氏「新約聖書 訳と註」疑似パウロ書簡より引用します。
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・・・原文には「霊感」などという語はどこにも見出されない。「神的に霊的な」と訳したのは合成語(theopneustos)で、「神」(theos)と「霊」(puneuma)をくっつけて一語の形容詞にしただけのもの。確かにこの「霊」は「神の霊」を考えているのであろうが、「霊的な書物」というのと(内容が「霊的」であるということ)、「霊感を受けて書かれた書物」というのとでは、だいぶ話が違う。
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以上。
「書物」とは、旧約聖書のこと(組織は新約にも当てはめてるけど)だから、この聖句は単に、旧約聖書は神の霊的なことが扱われた内容なんだよ、って言ってるだけなのね。
・・・つまり聖書は、人間が書いた神に関する本、ってこと。組織が主張しているように、社長(神)が秘書(人間)に自分の考えを書かせた本だ、という裏付けにこの聖句は使えないってこと。
たとえ人間が書いた本であっても、自分は、聖書が悪い本だとは思わないです。むしろ、読む価値のある良い本だと思ってます。もしかしたら神が書き手の思考を導いたのかも知れない、とさえ思ったりもします(神が降りて来た!・・なんて良く言うじゃないですかw)。
でも、バランスって大事ですね・・・
宗教とか信仰心とかが絡んでくると、過激になりやすい。見方も偏ってきて都合良く曲解したりもする。この組織のように、教理に合わせた改竄聖書まで作っちゃったりしてね。
なんか上手く文章にできないけど・・・人間って面白いなぁ。(←どういう思考回路でこういう結論になった?w)
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