聖なる書物を読んで

現役JW29年目

現状維持

2020-06-14 | エホバの証人
奉仕報告も出さなくなって3ヶ月が経ちました。
それ以前は、報告出してくださいっていうメールが来ていたので、0時間で出していたんですけど、6ヶ月続けて0時間で報告したら、もう催促メールも来なくなりました。
不活発認定されたのかな。

ちょうどコロナと重なったからなのか、長老からも特に何の連絡もなく。
何かあったら、排斥でも断絶でもいいから、自分が今の組織に対して思ってることをぶちまけようかな(もちろん慎重に言葉を選びながらですが・・・)、なんて考えたりもしてたけど、そんな機会もなく。

もうすっかり、会衆とは離れて生活しています。(世的にも現役引退してるので、毎日、のほほんと楽しく暮らしてます)
たぶん、こちらからの働きかけがない限り、この状態は続くんだろうなと思います。

でもなんかまだ・・・ふっきれない感じというか、引きずってる感じというか、そんなモヤモヤ感が残ってます。
な~んにも心残りなく、いい感じで卒業できればいいんですけどね・・・もう少し時間がかかるのかな。

先日も遠方の姉妹から久し振りに電話があって、自分実は今こんな感じで不活発なんだって話をしたんですよね。
そしたらイロイロと励まして下さるわけです。
で、幾つか疑問に思ってることも話したんですけど・・・話していて思ったのは、話が通じないなぁ、いくら話しても平行線だなぁ、ということでした。
正直、イラッとしましたよ~~いやぁ、自分も現役時代はあんな感じで話してたんだろうなぁ~~ははは・・・

何がって、結局どんなにオカシイ点をついても、エホバ(組織)の正しさをなんとかかんとか理屈付けて擁護しようとするんですよね。
究極は「どんなにオカシイとしても、エホバ(組織)のお考えは人間には理解できないほど高いから、今は理由が分からなくても従おう」ってことになっちゃう。

でもこれ、よく考えたらとんでもないことですよね。
組織は、神の名のもとに、何でも出来ちゃうってことになる。
聖書の解釈だって、やりたい放題に出来ちゃう。取り敢えず、いくつかまともなこと言っておけば、そこに訳分からないこと混ぜ込んでも、それもアリってことに出来ちゃう。
で、信者は知らず知らずのうちに組織にがんじがらめにされて行ってしまって、そうなってることにも気付けない。
なんかオカシイなと思っても、従順に従うことが信仰を示すことだと勘違いさせられてるから、なんとか従おうとする。
で、組織から与えられる情報だけに頼り切ってしまい、自分で考えることをやめてしまう。

人間は一人で生きられないし、社会的な生き物だから、組織に属すのは(たとえこの組織であっても)悪いことだとは思わないんですけどね・・・
組織内では助け合いの精神もないわけではないですし・・・
歳が行っていれば、今さら生活を変えるのも難しいでしょうし・・・
でもまぁ、なんでもホドホドがいいってことでしょうか・・・
そのために、組織の情報だけに頼るのはやめて、いろいろ情報を取り入れて、自分で考えることをやめないようにしてほしいなと思います。

話しは変わりますが、昨日、テレビドラマで「大化の改新」(15年前の再放送)を見たんです。
その中に聖徳太子の17条憲法の中の10条が出て来ました。
現代訳にすると、
「心に憤りを抱いたり、それを顔に表したりすることをやめ、人が自分と違ったことをしても、それを怒らないようにせよ。人の心はさまざまでお互いに相譲れないものをもっている。相手がよいと思うことを自分はよくないと思ったり、自分がよいことだと思っても相手がそれをよくないと思うことがあるものだ。自分が聖人で相手が愚人だと決まっているわけではない。ともに凡夫なのだ。是非の理をだれが定めることができよう。お互いに賢人でもあり、愚人でもあるのは、端のない鐶(リング)のようなものだ。それゆえ、相手が怒ったら、むしろ自分が過失を犯しているのではないかと反省せよ。自分ひとりが、そのほうが正しいと思っても、衆人の意見を尊重し、その行うところに従うがよい。」(「和楽」より)
というもの。

最近の研究記事を読むより、よっぽど教訓的だなと思った次第ですw。

相変わらずまとまりなくてすみません~~~