・私は道隆の大臣が『春はあけぼの草子』を覚えて下さっただけで、
うれしさにわくわくしながらなおもながめる。
女房たちはひまなく群れて坐っており、
私のように几帳のうちのご一家のだんらんに、
もろともに心を奪わているようだった。
そこへ伊周の君や隆家の君が松君を連れておいでになる。
松君は三つ四つのおかわいさざかりで、
道隆の大臣はすぐにおひざに抱き取られる。
松君は伊周の君のご長男でいられる。
伊周の君は今は内大臣、
おん弟君の隆家中将はいかにも若者らしい俊敏さに、
あふれていらっしゃる。
この方々の他にまだ二人の姫君、隆円僧都、
尤も道隆の大臣は北の方の他にずいぶんあちこちに愛人を持たれ、
そこに出来た若君がたくさんいらして、
一人前に成長し殿上人になっていられる。
かの伊周の君の異母兄、道頼の君もそのお一人である。
それにしても北の方のお声はちっとも聞こえない。
道隆の大臣のご冗談にみな楽し気な笑い声を立てられるが、
北の方の笑いは聞こえない。
こんな間近にいる私にさえ、
聞きとることができないお声であった。
お顔も見えないのと同様に・・・
そしてそれは私にはひどく印象的だった。
私にはそれともう一つ弁のおもとの姿が見えないことが、
気がかりだった。
弁のおもとは貴子の上付きの古い女房なので、
必ず控えているはずなのに。
と、そこへ主上からお文がくる。
そして東宮からも。
お手紙は関白の大臣の手から北の方、中宮へ渡り、
中宮のお返事は早くすぐ渡される。
妹姫の淑景舎はすぐにお返事をお書きにならない。
まだ新婚でいらっしゃるからであろうか。
「さ、早くお返事を」とささやかれるのは北の方。
しばし離れているさえお文のやりとりがあって、
中宮と主上、淑景舎と東宮のご夫婦仲はこまやかなようであった。
~~~
・未の刻(午後二時)に主上がこちらへお越しになる。
お二方は母屋の真ん中の御張台に入られた。
春の日は明るい真昼であるが母屋は暗く、
まして御張台はなお暗い。
お二方のひめやかなささやきは、
昼の日もささぬ闇に吸い込まれ、
どんな耳にも聞こえない。
女房たちはそっと南の廂へすべり出る。
主上におつきしてきた殿上人たちが、
南のすのこ敷きにあふれていた。
道隆の大臣は「方々に酒肴を」と命じられる。
日の入りごろ主上はお起きになりお召し物を着けられ、
還御になる。
桜の直衣に紅の衣が裾からこぼれていられるお姿が、
夕日に映えてなまめかしい美少年ぶりでいられたことも、
書きとどめずばなるまい。
そこへ今度は主上からのお使いがくる。
中宮に清涼殿へ参上するようにというご命令。
主上は一刻も中宮と別れていられぬお気持ちで、
いらっしゃる。
しかし中宮はせっかくの妹姫やご両親、
ご兄弟らのまどいにも魅力を覚えられて、
この場を立ち去り難く思し召すらしい。
そこへ東宮のお使いまでくる。
早く参るようにとのお使いである。
関白さまは淑景舎を送って今度は中宮を送られるころは、
夕闇になっている。
帰る道々も関白さまは面白いことばかり言われるので、
私たちは笑いころげていた。
そのご様子は全く以前のままに見えるが、
今日の栄えある楽しい時間の高ぶりが活気を添えて、
お元気そうにみせているのかもしれない。
私は関白さまがひどくお痩せになり、
お召し物がだぶついてみえるのが不安だった。
私の父も老齢のせいで痩せて小さかったけれど、
元気だった。
~~~
・関白さまの弟君、道長の君は、
世のうわさでは関白さまご一家と反りが会わず、
中宮大夫に任ぜられたことを快く思っていられない、
ということである。
しかし、さすがに、というべきか、
道長の君は関白さまが足を踏み外されると、
すぐひざまつかれて軽く頭を下げられた。
それはまことに見やすいながめであった。
(道長の君は不気味な大物でいらっしゃる)
とは昔からひそかに語り伝えられている、
さまざまなうわさがあった。
私はそれを則光や古い友人の兵部の君から聞いた。
もうかなり前のことだけど、
東三条の詮子女院がご祈祷を修せられたとき、
僧の一人にとてもよく人相を見る者があった。
女房たちがときの貴人たちのことを尋ねた。
まだみんなお若くしていらしたときのこと。
「道長の君はどういう相でいられるか?」
と問うと、その僧は、
「まことに立派な相です。天下をお取りになる相がおありで」