むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

10、むかしあけぼの  ②

2021年04月10日 08時06分46秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・私は道隆の大臣が『春はあけぼの草子』を覚えて下さっただけで、
うれしさにわくわくしながらなおもながめる。

女房たちはひまなく群れて坐っており、
私のように几帳のうちのご一家のだんらんに、
もろともに心を奪わているようだった。

そこへ伊周の君や隆家の君が松君を連れておいでになる。
松君は三つ四つのおかわいさざかりで、
道隆の大臣はすぐにおひざに抱き取られる。
松君は伊周の君のご長男でいられる。

伊周の君は今は内大臣、
おん弟君の隆家中将はいかにも若者らしい俊敏さに、
あふれていらっしゃる。

この方々の他にまだ二人の姫君、隆円僧都、
尤も道隆の大臣は北の方の他にずいぶんあちこちに愛人を持たれ、
そこに出来た若君がたくさんいらして、
一人前に成長し殿上人になっていられる。

かの伊周の君の異母兄、道頼の君もそのお一人である。

それにしても北の方のお声はちっとも聞こえない。
道隆の大臣のご冗談にみな楽し気な笑い声を立てられるが、
北の方の笑いは聞こえない。

こんな間近にいる私にさえ、
聞きとることができないお声であった。
お顔も見えないのと同様に・・・

そしてそれは私にはひどく印象的だった。
私にはそれともう一つ弁のおもとの姿が見えないことが、
気がかりだった。

弁のおもとは貴子の上付きの古い女房なので、
必ず控えているはずなのに。

と、そこへ主上からお文がくる。
そして東宮からも。

お手紙は関白の大臣の手から北の方、中宮へ渡り、
中宮のお返事は早くすぐ渡される。

妹姫の淑景舎はすぐにお返事をお書きにならない。
まだ新婚でいらっしゃるからであろうか。

「さ、早くお返事を」とささやかれるのは北の方。

しばし離れているさえお文のやりとりがあって、
中宮と主上、淑景舎と東宮のご夫婦仲はこまやかなようであった。


~~~


・未の刻(午後二時)に主上がこちらへお越しになる。
お二方は母屋の真ん中の御張台に入られた。

春の日は明るい真昼であるが母屋は暗く、
まして御張台はなお暗い。

お二方のひめやかなささやきは、
昼の日もささぬ闇に吸い込まれ、
どんな耳にも聞こえない。

女房たちはそっと南の廂へすべり出る。
主上におつきしてきた殿上人たちが、
南のすのこ敷きにあふれていた。

道隆の大臣は「方々に酒肴を」と命じられる。
日の入りごろ主上はお起きになりお召し物を着けられ、
還御になる。

桜の直衣に紅の衣が裾からこぼれていられるお姿が、
夕日に映えてなまめかしい美少年ぶりでいられたことも、
書きとどめずばなるまい。

そこへ今度は主上からのお使いがくる。
中宮に清涼殿へ参上するようにというご命令。

主上は一刻も中宮と別れていられぬお気持ちで、
いらっしゃる。

しかし中宮はせっかくの妹姫やご両親、
ご兄弟らのまどいにも魅力を覚えられて、
この場を立ち去り難く思し召すらしい。

そこへ東宮のお使いまでくる。
早く参るようにとのお使いである。

関白さまは淑景舎を送って今度は中宮を送られるころは、
夕闇になっている。

帰る道々も関白さまは面白いことばかり言われるので、
私たちは笑いころげていた。

そのご様子は全く以前のままに見えるが、
今日の栄えある楽しい時間の高ぶりが活気を添えて、
お元気そうにみせているのかもしれない。

私は関白さまがひどくお痩せになり、
お召し物がだぶついてみえるのが不安だった。

私の父も老齢のせいで痩せて小さかったけれど、
元気だった。


~~~


・関白さまの弟君、道長の君は、
世のうわさでは関白さまご一家と反りが会わず、
中宮大夫に任ぜられたことを快く思っていられない、
ということである。

しかし、さすがに、というべきか、
道長の君は関白さまが足を踏み外されると、
すぐひざまつかれて軽く頭を下げられた。
それはまことに見やすいながめであった。

(道長の君は不気味な大物でいらっしゃる)
とは昔からひそかに語り伝えられている、
さまざまなうわさがあった。

私はそれを則光や古い友人の兵部の君から聞いた。

もうかなり前のことだけど、
東三条の詮子女院がご祈祷を修せられたとき、
僧の一人にとてもよく人相を見る者があった。

女房たちがときの貴人たちのことを尋ねた。
まだみんなお若くしていらしたときのこと。

「道長の君はどういう相でいられるか?」
と問うと、その僧は、

「まことに立派な相です。天下をお取りになる相がおありで」






          

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 10、むかしあけぼの  ① | トップ | 10、むかしあけぼの  ③ »
最新の画像もっと見る

「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳」カテゴリの最新記事