・人相をよく見るという僧は、
道長の君は天下を取る相がおありと言った。
「それでは道兼の君は?」
(道隆、道兼、道長は三兄弟)
「あの方も貴相でございます。
雷(いかずち)の相とお見受けしました」
「雷とは?」
「一時は非情に高く鳴りますが終りを全ういたしませぬ。
ですから御末はどうでいらっしゃいましょうか、
危ぶまれます。
そこへ参りますと道長公のご運は限りなく貴くいられます」
いったいどこがそんなに立派な相か?と聞くと、
「はい。
人相の第一のものとして『虎子如渡深山峯(こしにょとしんせんぷ)、
と申すのがございまして道長の君の御面相はまことにぴったり、
これに叶っていらっしゃいます。
これは虎の子が険しい山の峰を渡るが如しと申しまして、
道長公がまさにそれに当たられます」
といったそうだ。
私は宮仕え以前よりも以後の方が、
こういううわさをたくさん聞いた。
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・かの東三条の大殿、兼家公(三兄弟の父君)が、
生きていらした時、
大納言、公任卿が学才に秀でていられるのを、
うらやましがられて、
「なんでよその息子はああも出来がよいのだ。
わが家の子は数はたくさんでも、
公任殿の影さえ踏めそうもないのは口惜しいの」
と言われた。
兼家公のお子たちは、
親の権勢でしかるべき位にあるものの、
個人としてはとても太刀打ちできない。
酒好きで色好みの道隆の君、
腹がわからぬと敬遠されて人望のない道兼の君、
そして末っ子の道長の君はまだお若い。
上二人の兄は父の愚痴を尤もと思われた。
が、末っ子の道長の君だけは公任卿と同い年なので、
敵愾心に燃えられたか、
「ふん!影どころか今に面を踏んでやりますよ」
とうそぶかれたという。
また、このお三人の兄弟は花山院ご治世の時、
ある五月雨の深夜、人影のない宮中の暗い庭で、
肝だめしをされた。
院から命じられて出てゆかれたが、
二人の兄は恐怖のあまり所定の場所まで行き着けず、
逃げ帰られた。
末っ子の道長の君は一人で深夜の大極殿へ入り、
高御座(たかみくら)の南面の柱のもとを削って来られた。
翌朝、削りくずをあてがわせてごらんになると、
ぴったり合ったという。
宮廷中はやんやの喝采であったが、
兄二人は黙然としていられた。
私はその話を聞いて削られた箇所が見たくて、
四、五人の女房と見に行ったら、
昼なお暗いところで高御座は仰ぐばかりに高く、
その箇所はわからなかった。
女の身ではたびたび行けないので、
話しやすい人柄の源経房の君に聞いてみた。
「よく聞かれるのですよ。それを。
でもそんな疵あとはありませんよ。
そんな疵抛っておいたら修理(すり)の守の責任問題だ」
「じゃ、あのお話はつくり話?」
この経房どのは道長の君に近い縁者である。
道長の君の二人目の北の方の兄君で、
道長の君にかわいがられている。
「まさか大極殿の柱を削るなんてことはやらない、
と仰せられていたけど、どこまでが本当かわからないね」
ということである。
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・道隆公ご全盛の今、
表だって道長の君を持ちあげる人はいないけれど、
でも「そこに在る」のを決して忘れるわけにはいかない、
そういう人でいらっしゃる。
どうしてかわからないが、
道長の君には人を頼もしがらせるものがある。
それは関白、道隆の大臣にも、
伊周の君にも隆家の君にもないものだ。
「少納言は道長の君がひいきなのね」
中宮は核心をお見通しになる。
とてもこの方にはうそはつけない。
「あの方には何か不思議な雰囲気がおありになる方で・・・」
私はしどろもどろになってお答えする。
「そうね。
相人が珍しい相だといったのは、
どういうのを指すのかわからないけれど、
でも、いろんな面を持っていられて不思議な方ね」
登華殿での楽しい一日は、
中宮が清涼殿(主上のもと)へお渡りになって終わった。
私は中宮の母君、貴子の上が、
お邸へ戻られるのをお見送りしてから、
顔見知りの人に弁のおもとの消息をたずねると、
やはり病に倒れている、というではないか。
私は驚いた。
内裏へ仕える身は病者に近づけない。
年を越してなお流行り病は猛威をふるっていた。
(10 了)