
・パリの下町といっても明るいところばかりでなく、
ぽつんぽつんと灯のついている暗い通りも多い。
しかしムッシュ・フランソワーズによれば、
女の一人歩きも大丈夫で、
雑多な人種がいるけれど、
物盗り強盗はざらにはなくて、
治安も風紀もいいということである。
ただ、日本でも折々ささやかれる、
若い女性の誘拐はあって、
「ウチのフランソワーズも、
よくママに注意されたそうです。
噂じゃ年間を通じて、
二百人くらいの若い娘が行方不明になっているそうですね。
中近東へ売られてる、
ということですが・・・」
西洋から見れば、
日本を含めた東南アジアの何とはない不気味さは、
東洋から見る、西ヨーロッパ、中近東の不気味さに、
通うかもしれない。
我々、日本人から見ると、
西ヨーロッパにぽっかり開いた抜け穴の口は、
地中海ふかく、中近東、アフリカにまで続いていて、
その奥は見通しもできない暗闇である。
パリは不気味な顔も持っているわけである。
それでいながらたとえば、
パリの市街の美しさは、
放射状に敷かれた小さい石の舗道にもよるが、
地下工事でそれらの敷石がめくられ、
工事が済むとまた、
「一つ一つ、
小さい石を元通りにはめこんで、
放射状に並べています」
ということである。
大きい一枚石にするとか、
アスファルトの道にするなら簡単であるが、
それをしないで、手間をかけてコツコツと、
元通りに、小石をはめこんでいく。
碁盤状に並んでいるのではなく、
放射状になっているので、
パズルみたいに大変だろうと思われるが、
断固、昔のままにするところが面白い。
日本みたいに、何でも便利にと、
能率一点張りの子供じみたことをしない。
便利なりゃいい、というものではないのだ。
郵便配達が便利だというので、
古くからあるゆかしい町名を変えてしまったりして、
何せ、することが心浅く幼稚である。
日本全国に、新町や本町なんていう、
便宜的な町名をいっぱい作っている。
建物は大きくすりゃいい、
というのでビルを建て、
会社も大きければいい、とばかり、
合併して大きくして、結果潰れたり、する。
ムッシュ・フランソワーズはインテリ青年であるから、
フランスの若い人に好んで読まれる作家を、
いろいろあげてくれた。
サガンはポピュラーになりすぎて、
学生たちはむしろ読んでいない。
「ウチのフランソワーズ」は学生らしい。
楽しい新婚生活らしい。
フランソワーズさんもムッシューも好きなのは、
マルグリット・デュラス、
これは若者に人気があり、
デュラスの本が出ると、
一応買うという青年が多いそうである。
女流作家でいうならボーボワールも人気がある、
ということだった。
食前酒がすんで仔牛のクリーム煮に、
ジャガイモのカリッと揚がったのを食べた。
ジャガイモはラルチーヌ母さんが大籠に入れて、
山のように盛って、「お代わりはどうか?」
と聞いてくれる。
ごく家庭的な雰囲気である。
荒れた手をして働き者らしいが、
ムッシュ・フランソワーズが、
「元気そうだね」というと、
神経痛が出て困る、というらしい。
母さんはふしくれて変形した手を見せ、
体具合がどうだこうだと訴えているらしい。
この人はドクターだよ、
とムッシュ・フランソワーズがおっちゃんを指すと、
ラルチーヌ母さんは目を輝かせて、
何かしゃべりはじめた。
神経痛の治療法を聞いているらしいけど、
「あんまり水を使わんほうがええ」
といったって、
「商売だからね、
水を使わないわけにはいかなくて」
ということである。
「冷えたところへカイロ当てるとええけどな。
カイロ、なんてあるやろか。
白金カイロ、パリにあるやろか」
おっちゃんは更に言葉を添え、
「あんまりいろいろクスリ服まんこと」
といつもの持論をいう。
ラルチーヌ母さんは、
私には六十五、六に見えたが、
五十そこそこということであった。



(次回へ)