goo blog サービス終了のお知らせ 

「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

5、パリ ⑦

2022年10月08日 09時07分51秒 | 田辺聖子・エッセー集










・パリの下町といっても明るいところばかりでなく、
ぽつんぽつんと灯のついている暗い通りも多い。

しかしムッシュ・フランソワーズによれば、
女の一人歩きも大丈夫で、
雑多な人種がいるけれど、
物盗り強盗はざらにはなくて、
治安も風紀もいいということである。

ただ、日本でも折々ささやかれる、
若い女性の誘拐はあって、

「ウチのフランソワーズも、
よくママに注意されたそうです。
噂じゃ年間を通じて、
二百人くらいの若い娘が行方不明になっているそうですね。
中近東へ売られてる、
ということですが・・・」

西洋から見れば、
日本を含めた東南アジアの何とはない不気味さは、
東洋から見る、西ヨーロッパ、中近東の不気味さに、
通うかもしれない。

我々、日本人から見ると、
西ヨーロッパにぽっかり開いた抜け穴の口は、
地中海ふかく、中近東、アフリカにまで続いていて、
その奥は見通しもできない暗闇である。

パリは不気味な顔も持っているわけである。

それでいながらたとえば、
パリの市街の美しさは、
放射状に敷かれた小さい石の舗道にもよるが、
地下工事でそれらの敷石がめくられ、
工事が済むとまた、

「一つ一つ、
小さい石を元通りにはめこんで、
放射状に並べています」

ということである。

大きい一枚石にするとか、
アスファルトの道にするなら簡単であるが、
それをしないで、手間をかけてコツコツと、
元通りに、小石をはめこんでいく。

碁盤状に並んでいるのではなく、
放射状になっているので、
パズルみたいに大変だろうと思われるが、
断固、昔のままにするところが面白い。

日本みたいに、何でも便利にと、
能率一点張りの子供じみたことをしない。

便利なりゃいい、というものではないのだ。

郵便配達が便利だというので、
古くからあるゆかしい町名を変えてしまったりして、
何せ、することが心浅く幼稚である。

日本全国に、新町や本町なんていう、
便宜的な町名をいっぱい作っている。

建物は大きくすりゃいい、
というのでビルを建て、
会社も大きければいい、とばかり、
合併して大きくして、結果潰れたり、する。

ムッシュ・フランソワーズはインテリ青年であるから、
フランスの若い人に好んで読まれる作家を、
いろいろあげてくれた。

サガンはポピュラーになりすぎて、
学生たちはむしろ読んでいない。

「ウチのフランソワーズ」は学生らしい。
楽しい新婚生活らしい。

フランソワーズさんもムッシューも好きなのは、
マルグリット・デュラス、
これは若者に人気があり、
デュラスの本が出ると、
一応買うという青年が多いそうである。

女流作家でいうならボーボワールも人気がある、
ということだった。

食前酒がすんで仔牛のクリーム煮に、
ジャガイモのカリッと揚がったのを食べた。

ジャガイモはラルチーヌ母さんが大籠に入れて、
山のように盛って、「お代わりはどうか?」
と聞いてくれる。

ごく家庭的な雰囲気である。

荒れた手をして働き者らしいが、
ムッシュ・フランソワーズが、
「元気そうだね」というと、
神経痛が出て困る、というらしい。

母さんはふしくれて変形した手を見せ、
体具合がどうだこうだと訴えているらしい。

この人はドクターだよ、
とムッシュ・フランソワーズがおっちゃんを指すと、
ラルチーヌ母さんは目を輝かせて、
何かしゃべりはじめた。

神経痛の治療法を聞いているらしいけど、

「あんまり水を使わんほうがええ」

といったって、

「商売だからね、
水を使わないわけにはいかなくて」

ということである。

「冷えたところへカイロ当てるとええけどな。
カイロ、なんてあるやろか。
白金カイロ、パリにあるやろか」

おっちゃんは更に言葉を添え、

「あんまりいろいろクスリ服まんこと」

といつもの持論をいう。

ラルチーヌ母さんは、
私には六十五、六に見えたが、
五十そこそこということであった。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 5、パリ ⑥ | トップ | 5、パリ ⑧ »
最新の画像もっと見る

田辺聖子・エッセー集」カテゴリの最新記事