むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

13、浮橋 ③

2024年08月17日 08時46分58秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・小野では、
遣水のほとりに飛び交う蛍を、
浮舟はぼんやりながめていた

いつもははるか遠くまで見渡せる谷を、
松明の灯もおびただしく、
行列が行く

なみなみならぬ貴人の一行であろう

尼君たちも端近に出て、
松明の動きを見た

「どなたでしょうね
昼に横川へ引干(海藻を乾かしたもの)
をさしあげたお返事に、
『大将どのがおいでになって、
急にご接待することになったので、
ちょうどよかった』
とあったけれど、
それではあのご一行は、
大将さまでしょうか」

妹尼はいう

「大将さまといえば、
当今の女二の宮の婿君で、
いらっしゃいましたね」

他の尼もいい交わし、
まことに世間離れした田舎であった

(薫さまのご一行だ!)

浮舟は直感する

宇治にいた時、
こんな山路を踏み分けて、
薫は通ってきた

浮舟はやるせなく、
阿弥陀仏を念ずることで気を紛らせ、
ひとしお無口でいた

このあたりに珍しい顕官の行列の灯を、
尼たちは見えなくなるまで見送った

薫は小君と呼ばれる少年を、
小野の山荘への使いにやろうと、
思っていたが供も多く、
人目について不都合だった

その翌日、
改めて小君を小野にやった

気ごころ知れた家臣、
二、三人を付け、
いつも宇治に連れていった随身を、
添えた

人のいない時小君を呼んで、
薫はいった

「亡くなったお姉さまの顔は、
覚えているかい
今は世に亡き人とあきらめていたが、
本当は生きているのだそうだ
人には知らさないでおこうと思うが、
お前が行ってたしかめておくれ
お母さんにはまだ知らせないで、
確実なことがわかるまでは
意外なことだから、
驚いて騒ぎ立てすると、
隠しておきたい人にも知れてしまう」

早くも口止めする

小君は幼な心にも、
浮舟の死が悲しかったので、
生きていると聞かされ、
思わず嬉し涙が出た

兄弟は多かったが、
この姉を美しい人と思い、
慕っていたから、
死に別れたのを悲しみ続けていた

「わかりました」

と返事をする

小野では翌朝はやくに、
僧都から手紙がもたらされた

「昨夜、
大将殿のお使いで、
小君がそちらへ参られましたか
事情をうかがって、
私としては、
よかれと思ってしたことが、
かえって悪かったかと、
気おくれしています
と姫君にお伝えください」

妹尼は何ごとだろうと驚いた

浮舟のもとへ行き、
その手紙を見せると、
浮舟は読むなり赤くなった

(薫さまが事情をお話しになった?
わたくしの身もとも境遇も、
すっかり僧都さまに知られた?
尼君はどんなにお恨みになることか)

と思うと返事のしようもなく、
うつむいている

「どうぞ打ち明けて下さい
このお手紙はどういう意味?
いつまでも他人行儀に、
打ち明けて下さらないのは淋しい」

妹尼は恨み、
いきさつがわからないので、
気をもんでいるところへ、
来客があった

「横川より僧都のお手紙を持って、
参った者がおります」

といって案内を乞う

「こちらへ」

と伝えさせると、
たいそう綺麗な品のいい少年が、
美しい衣装をつけて歩いてくる

簀子縁に丸い敷物を差し出すと、
少年は簾のもとにひざまずき、
妹尼が直接少年に会って、
僧都の手紙を受け取った

ひらいて見れば、

「入道の御方に
山より」

とあって僧都の名前が書いてある

浮舟は、

「自分当てではない、
人違いです」

と言い逃れる余裕もなかった

身のおきどころもない思いで、
部屋の奥に引きこもり、
誰にも顔を合わせない

妹尼は、

「ほんにまあ、
困りますねえ」

とこぼしながら僧都の手紙を見た

「今朝横川に、
大将殿がお見えになり、
あなたのご様子を、
お尋ねになりましたので、
一部始終をくわしく申し上げました
あなたに深いご愛情を持っておられた、
お方の心にそむいて、
みずぼらしい山里びとの中で、
出家なさいましたこと、
これは仏の賞でたまうことではなく、
かえってお叱りを受けるかも、
しれません
大将殿のお話をうかがい、
私は驚き、心配になりました
この上はどうにも仕方ないこと、
もともとのあなたと、
大将殿の契りを大切になさって、
大将殿の愛執の罪が消えるよう、
お心に応えておあげなさいませ
たとえ還俗なされましても、
仏縁を頼って生きていかれるが、
よろしかろうと存じます
詳しくはお目にかかって、
申し上げましょう
とりあえずは、
この小君がお話申しあげられる、
ことでしょう」

間違いはない
僧都ははっきり書いている

薫の来たこと、
浮舟に還俗をすすめること

しかし浮舟以外の人には、
何のことかわからない

妹尼は浮舟に、

「このお子はどういう方?
今になってもまだ、
隠し立てなさるなんて」

と強く責めた

浮舟が外を向くと、
小君がいた

この子は最期と思い決めた、
夕暮れにも、
もう一度会いたいと思った子であった

同じ家で暮らしていたころは、
たいそう腕白で憎らしかったけれど、
母がとても可愛がって、
宇治へも時々連れて来たので、
少し大きくなってからは、
姉弟互いに仲がよくなった

小君を見ると、
浮舟はほろほろと涙が落ちた






          


(次回へ)

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