むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

13、浮橋 ④

2024年08月18日 08時41分17秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・妹尼は少年がたいそう可愛くて、
浮舟に似通っている気もするので、

「ご姉弟じゃないの
お話したいことがおありでしょう
お部屋に入って頂きましょう」

といった

(いいえ、会うまい
私が生きているとも、
思っていないでしょうし、
それに情けない尼姿に、
面変りしているのを、
見られるのは恥ずかしい)

浮舟は思って、
妹尼に打ち明けた

「いつまでも隠し立てして、
水くさいとお思いでしょうね
情けないありさまで倒れていた、
いきさつは世にも珍しいことと、
ご覧になりましたでしょうけれど、
わたくしはそれで、
すっかり記憶も失いました
どんなにしても、
過ぎ去った昔のことが、
思い出せません
ただ母が・・・
わたくしのことを、
あれこれ心配してくれた母が、
まだこの世に生きておいでだろうかと、
そのことばかり心から離れず、
悲しい折がございます
この子の顔は、
小さい頃見た心地がしますのも、
なつかしゅうございますけれど、
今となっては、
この子たちにも生きていると、
知られないままこの世を終わりたい、
と思います
母だけは会いたいと切に思いますが
この僧都さまがおっしゃっている人には、
どうしても知られたくない気持ちで、
いっぱいです
何とか人違いとでもおっしゃって、
隠して頂けませんかしら」

「それは難しいことでしょう」

妹尼はいった

「僧都のご気性は、
聖という中にも、
とりわけ真正直で、
ありのままの方ですから、
すっかりお話していられるに、
違いありません
隠しても、
あとでわかってしまうでしょう
いいかげにあしらえる、
ご身分の方でもありませんし」

などと言い騒ぎ、
人々は浮舟のことを、

「ほんとに剛情な方ね
こんな剛情な方は知りません」

と言い合い、
母屋の御簾の側に几帳を立て、
小君を招じ入れた

小君は何といっても幼いので、
こちらから姉に呼びかけるのも、
恥ずかしく、

「もう一通ことづかっているお手紙を、
さし上げたいのですけど、
僧都は確かにこちらにいられる、
とお教え下さったのに、
こんなことでは困ってしまいます」

少年は伏し目になっていう

妹尼はいじらしくなって、

「賢いお子ねえ
お手紙のあて先の方は、
ここにおいでになるようなの?
私たちまわりの者も、
合点しかねているのですから、
もっとおっしゃいませ
大将殿がお使者に選ばれて、
頼りになさるだけのわけが、
あるのでしょうから」

などというが、
小君は黙っている人に向かって、
手応えがないのが不安だった

また姉がやさしみを、
見せてくれないのにも、
不満がある

「ただこのお手紙を、
人づてではなく、
じかにお渡しせよといわれて、
お持ちしました
ぜひ渡したいのです」

妹尼は同情して、
浮舟を説得する

「素直になさいませ
いくら何でも人情味のない、
なされかたです」

と言い聞かせ、
几帳のもとに浮舟を押し出した

浮舟は半ば呆然として、
坐っていた

小君は几帳の向こうの人を、
姉と悟った

とてもほかの人とは思えない感じ
それで几帳のそばへ寄って、
薫の手紙を渡し、

「お返事を頂いて帰りたいのです」

といったが、
ひと言も発しない姉のよそよそしさが、
不可解で情けなく、
今は早く帰りたかった

妹尼は手紙を開いて、
浮舟に見せた

昔のままの薫の筆跡、
薫きしめた香りの、
深くしみたゆかしさ

薫の手紙には、

「何とも申し上げようもない、
気持ちでいます
あなたはさまざま、
ひどい仕打ちをして、
罪を重ねてこられた
匂宮のことは措くとしても、
黙って身を隠し、
私にも親にも無断で出家し、
僧都に身許を明かさなかった
あんなに愛していた私に対し、
実にひどい仕打ちじゃありませんか
しかし僧都のお弟子になった、
あなたですから、
僧都に免じてお許しします
今はぜひ、
身を急に隠した衝撃の夜の、
思い出話だけでも共にしたい、
と思っております
あなたに会いたい、
このせかれる心、
われながら怪しからぬほどです
思うことを充分に書ききれません
この子はお忘れになったでしょうか
私はこの子を、
行方知れずのあなたの形見として、
側において心の慰めとしています」

などと情こまやかな手紙だった

こんなにこまごまと、
書いてあるのでは、
人違いとごまかされない

といって、
昔とすっかり違った尼姿を、
見られたら身のおきどころのない、
恥ずかしさを何としよう

さまざま思い乱れ、
浮舟は泣いてしまった






          


(次回へ)

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