むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

10、浮舟 ⑮

2024年07月11日 07時58分54秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・薫は思い当たる

さっき、
宮が熱心に読んでいられた手紙が、
紅の薄様だったことを

そこまで見届けさせた随身を、
気の利く男だ、と薫は思うが、
周囲に人がいるので、
詳しく聞けない

帰宅途中、
薫はそれからそれへと思い続ける

宮が浮舟にお文とは・・・

(一体、どんな機会に、
浮舟のことをお聞きになり、
どうやって近づかれたのだろう
宇治のような辺鄙なところだから、
まさか、間違いは起こるまい、
と思っていたのは不覚だった
昔からわけへだてなく、
つき合ってきた仲じゃないか
中の君のことも、
あんなに献身的に仲を取り持ち、
いうにいえぬ苦労をして、
宮を宇治へ連れ出したのに、
そのおれを裏切るようなことを)

と思うと全く面白くない

宮は近ごろ、
お具合が悪いとて、
いつもより人の出入りが多い

その取り込みの最中に、
どうやって遠い宇治まで、
手紙をやられるのか

もう浮舟のもとへ、
通い初められたのだろうか

そういえば、
お行方が知れぬと、
人々が捜していたことがあった

無理な恋にお心を痛められて、
ご不調なのかもしれない

昔もそうだった、
宇治へおいでになれぬ宮のお嘆きは、
見ていても気の毒なほどだった・・・

薫は思い続け、

(そういえば、
浮舟がひどくやつれていたのは、
このことだったのか、
なるほど)

思いあたる、
かのこと、このこと、
事情がわかってみれば、
薫は何もかも疎ましかった

(浮舟は可憐でおっとりして、
女らしいところ、
難のない人柄とみえていた
またそういう女は、
色めいたところがあって、
男にだらしないのだ
色好みの宮には、
お似合いじゃないか
宮に浮舟をお譲りして、
身を引いてもいい)

そう思いながら、
薫は浮舟をあきらめきれない

(彼女は初めから、
正式の妻とするつもりはなかった
愛人というか、囲い者というか、
そのままで手離さないでおこうか
縁を切るのは淋しいだろう)

思慮深い薫は、
将来まで想像せずにいられない

(もしおれが、
嫌気がさして浮舟を捨てたら、
どうなるか
宮は必ず迎えられるだろう
しかしそれも宮のこと、
ご寵愛はいっときだけのこと、
その後は浮舟の哀れな運命まで、
考えておやりになるはずは、
ないだろう
いっときなさけをかけた女たちを、
宮は姉宮のおそばに、
女房としてさしあげたり、
していられる
そういう女が二、三人もいる
浮舟がそんな風に宮仕えしているのを、
見聞きしたら、
やはり可哀そうで見ていられない)

そう思うと、
浮舟を捨てる気になれなかった

それにしても、
浮舟の様子が探りたくて、
手紙を書いた

例の随身を呼んで、
人のいぬ間に聞く

「大内記・道定は今も、
仲信の家に通っているのか?」

大内記・道定は、
薫の家司、仲信の娘婿である

薫は随身に、
宮とのことは知られたくなかった

大内記・道定が浮舟に、
思いをかけているらしいように、
言いつくろった

「大内記・道定は宇治へはいつも、
あの男を使いに出すのか
人目につかぬようにして行け」

随身はかしこまりつつ、
内心、

(そういえば、
大内記・道定はいつもこの薫の君の、
ご様子を知りたがり、
宇治の事情を聞いていたな)

宇治では、
使者がいつもよりしげしげ来るので、
浮舟の物思いも尽きない

薫の手紙には、

「<波越ゆる
ころとも知らず末の松
待つらんのみ思ひけるかな>

(私を世間の嗤い者にして下さるな)」

浮舟は一読して、

(へんだわ・・・
まさか
まさか・・・)

と胸がとどろいた

薫の歌は、有名な古歌、

<君をおきて
あだし心をわが持たば
末の松山波も越えなむ>

を敷いている

(あなたにふた心を持ったら、
海辺の松が波を越えるでしょう
決してそんなことはあり得ませぬ、
という愛の誓いの歌を、
あなたは知っているね
あなたは私に愛を誓ってくれている、
と信じていた
それなのに、
あなたは心変りしたのじゃないか)

薫の歌は、
そういう怨みを含んでいる

浮舟は返事に窮した

わかった風なことを、
書くのも気がひけるし、
薫の手紙を元通りに包んで、

「よそへのお手紙が、
間違って届けられたように、
存じますけれど
気分がすぐれませんので、
お許し下さいまし」

と書き添えて返した

薫はそれを見て苦笑する

それにつけても、
浮舟を憎むことは、
出来そうにもなかった






          


(次回へ)

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