むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「1」 ⑧

2024年08月27日 09時08分09秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・子供の声は力強く、
舌たらずであるが、
張りがある

いかにも健康そうであった

「生まれてから病気一つ、
したことがないんだ
手がかからないよ
めしなんか、
おれも顔負けするぐらい食うよ」

則光は自慢げにいった

ふと見ると、
彼は小鷹丸より、
もう少し小さい子を抱いていた

則光はその子を下ろして、

「そら、
広いところへ行って遊べ!」

と尻を叩いた

「あら
あの子もそうなの?」

「すまん、年子なんだ」

「二人もいたの?」

私は愕然となった

「あんた、
二人って言わなかったじゃないの」

「いわなかったか?
いわなかった気もするな・・・」

「するな、ってあんた、
私は一人だとばかり、
思っていたわよ!
二人だなんて聞かなかったわよ」

「どっちだっていいじゃないか、
お前は聞き流したのかもしれん
お前は大体、
おれの言葉を半分ぐらいしか、
耳に止めないから」

「そんなことないわよ
あたしは聞いたら忘れないわよ
あとの一人は隠してたのね、
卑劣よ!ずるいわよ」

「おれが卑劣?」

「意識して隠してるなんて、
そこがいやらしいのよ、
うそつき!」

「何も隠してやしないけど・・・」

そこへ乳母に抱かれた、
乳飲み子がもう一人来た

これは猛烈に泣きわめいていた

「三人いたの、え!
・・・あんた」

「年子なんだよ、みな」

則光はもう、
尻をまくった感じである

「一人も三人も、
手間は同じだろう
お前も気がまぎれていい、
と思うよ
先で頼りになるし、
みな男の子だ」

「三人だなんて・・・
いつの間に
許せないわ」

私が許せないのは、
一人や三人という数より、
則光が私に対して、
意識して操作したという、
生意気さかげんに対してである

私をなめているとしか、
思えない

「あたしはね、
三人なら三人でいいのよ、
それをわざとごまかして、
知らぬふりしてあざむいて、
いいくるめてすりぬけようとする、
そういうあんたのずるさ加減が、
いやなの!」

私は激高して声もかすれた

「わかったよ
そう怒るなよ
おれだって悪気はなかったんだ、
お前にあまり衝撃を与えまい、
として、さ・・・
二番目が出来たとき、
いおういおうと思っているうちに、
また腹がふくれちまった
三人も出来たといったら、
どんなにどやされるだろうと、
おれ、お前が怖くて、
いい出せなかった
お前は怖いからねえ・・・」

「あたしは、
筋道のたつことには怒りませんよ
うやむやとか、
白を黒といいくるめるとか、
ずるさって、
そういうものがいやなの
長いこと一緒にいて、
あたしの性質もわからないの!
このぼんくら」

「なんでお前はそう、
気が強いのかねえ
男を男とも思ってない
誰がお前をそうしつけたのだろう
お前は男の生まれ代わり
かもしれない」

「あんたは女の生まれ代わりよ
こっそりと悪いことをするのだもの」

そこへ乳母が乳飲み子を抱いて、
戻ってきた

赤ん坊があまりに激しく、
泣きわめくので、
抱いてあやしていたのである

赤ん坊は泣き止んでいた

乳母はもっさりと鈍重そうな、
垢ぬけない女だったが、
野卑といってもいいくらい、
頑丈そうな体つきで、
よく乳が出そうであった

赤ん坊は乳を飲んで納得したのか、
満足そうに笑っている

色白のよく太った、
清げな乳飲み子である

「二番目は小隼(こはや)丸で、
この子は吉祥丸だ」

則光は近寄ってきた

私の手に抱いた赤ん坊を、
のぞきこんでいる

そののぞきこみかた、
二番目の子を抱いていた時の抱き方、
まったく板についた格好

小さいものを日常、
身のまわりにまといつかせ、
触りなれたたたずまいであるのに、
私は胸をつかれた

私の知らない一面を生きている、
この男の人生を垣間見た気がして、
複雑な思いである

赤ん坊は思ったより、
重く暖かかった

ずっしりという気がし、
その暖かみは動物的触感であった

乳のにおいは、
なんというなつかしげな、
臭みであろう・・・

「これでどのくらいになるの?」

私はつぶやいた

私は子供を生んだことはないし、
見たことはあるけれど、
抱かせてもらったことは、
なかった

子供のことは無智にひとしい

「六カ月でいらっしゃいますよ
もうお坐りが出来ますので、
楽になりました
もうすぐはいはいも出来ますよ
私は五人産みましたが、
このお子はお育ちが早くて」

乳母は知らない国のなまりある、
言葉でいった

「吉祥丸というの、
坊やは?」

「あいつは、
これを生んでから間なしに亡くなった
この子の名前は小鴨丸だったが、
縁起をかついで吉祥とした」

私は則光と、
言い争ってるひまはなかった

もうその時から、
わが家は烈しい野分の風に、
吹きたてられたようになった






          


(次回へ)

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