<むらさめの 露もまだひぬ まきの葉に
霧たちのぼる 秋の夕ぐれ>
(村雨が通りすぎたあとの
露もまだ乾かぬ槙の葉に
霧は流れ薄れつつ
暗い木立をつつむ
秋の夕ぐれの深いしじまよ)
・この歌は、
ゲームとしてのかるたでは、
「むすめさせほせ」の一枚である。
かるた会で、
読み札を読みあげるとき、
最初の一語ですぐ取れる札が、
百人一首の中には七枚あるというのである。
「む」という音は、
この寂蓮法師の歌だけであるから、
「むら・・・」まで聞くことはない。
「む」と聞いたら、
すぐ取ればいい、というわけ。
この寂蓮法師の歌、名歌という人も多い。
私も、若い頃はともかく、年を加えると、
この日本画のような風景が好ましくなってきた。
村雨というから、
パラパラっと降って過ぎてゆく雨であろう。
のべつくまなしに降っている雨ではない。
ここには、すべてのいろどりはない。
暗緑色の槙の葉、
それよりもっと濃い山肌と谷底の闇。
村雨が置いていった露、
そして木の肌を濡らす霧、
そういう、グレーや白、
墨色の濃淡がにじんでぼけて、
しかも絵には動きがある。
霧は絶えず漂い流れるのである。
秋から冬へという季節は、
まことに肌にしむ歌である。
これは『新古今集』巻五の秋歌下の出ていて、
前書きに「五十首歌奉りし時」とある。
建仁元年(1201)二月、
「老若五十首歌合わせ」が催されたとき、
当代一流の歌人が十人、
左右に分かれ各人五十首の歌を合わせたもの。
この人は坊さんといっても、
定家のいとこである。
定家の父は俊成、
その俊成の弟の俊海の子である。
俊成の養子になっていたけれど、出家した。
歌人の家に生まれ、
歌才が脈々と伝えられており、
坊さんであるけれど、
この時代の代表的歌人である。
「三夕(さんせき)の歌」の一つは、
この寂蓮法師の、
<さびしさは その色としも なかりけり
まき立つ山の 秋の夕暮>
ついでにほかの二夕をいうと、
<心なき 身にもあはれは 知られけり
鴫立つ沢の 秋の夕暮>
(西行法師)
<見わたせば 花ももみぢも なかりけり
浦の苫屋の 秋の夕暮>
(藤原定家)
(次回へ)