むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

13、浮橋 ②

2024年08月16日 08時36分16秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・僧都は薫の依頼が迷惑で、
当惑する

「手前が山を下りるのは、
今日明日に差支えがございます
月が変りましたら、
ご案内いたしましょう」

そういわれては、
薫も押してとはいえない

「それではよろしく」

と立たねばならなかった

だが薫は、
そのまま帰るつもりはない

かの浮舟の異父弟の少年を、
連れて来ている

浮舟は弟を見て、
心を動かされるのではあるまいか

今は僧都に対する思惑も、
生じていた

自分を案内するのを拒む僧都も、
弟なら引き受けるかもしれぬ、
と思うのであった

薫は少年を呼び寄せ、

「じつはこの子のことですが」

と僧都にいった

「この子は、
そのひとに近しいものです
これを使いにやりたいと思いますが、
お手紙を一筆頂けないでしょうか
誰ということは書かず、
捜している者が、
いるというぐらいのことを、
先方にお知らせ頂けないでしょうか」

僧都は率直な人であるから、
社交辞令で気安くうけ合わない

「手前がその手紙を、
したためますことは、
罪を作る手引きを、
しそうな気がします
せっかく仏道修行に、
いそしんでおられますのに、
煩悩を起させるのも、
法師の身として、
いかがかと存じます
このうえは、
ご自身、小野に出向かれて、
しかるべき処置をお取りになれば、
よろしゅうございましょう」

薫は四角四面の挨拶に、
思わず微笑する

そうして諄々とくどく

「罪を作る手引き、
と仰せられますのは、
私が出家したかの女に、
相も変らず俗情を寄せることを、
ご懸念なんですね
そう思われるとまことに、
恥ずかしいのですが、
私は昔から道心が深うございまして
こんな俗人のまま、
今日まで過ごしてきたのが、
不思議なくらいです
幼時から出家を志しながら、
母宮(女三の宮)が、
私一人を頼りにしていられるのが、
世を捨てられぬ絆に思え。
ぐずぐずしておりますうちに、
官位も高くなり社会的責任も生じて、
身の進退もままにならぬように、
なりました
ですが、形の上では俗人とはいえ、
心ではいつも出家したつもりで、
おります
心持ちの上では聖に劣らぬつもりです
せっかく得度した人の心を、
乱すような重い罪を得ることなど、
どうして考えましょう
決してそんなことはいたしません
ただ、哀れな親の嘆きを見るにつけ、
かの女がどんな風に暮らしているのか、
事情を聞き、
ありさまを見て、
親を安心させ慰めてやることが、
できたら・・・と思います
そうすれば私も嬉しく、
安心できましょう」

僧都は薫の謹厳な面持ちや、
口ぶりで薫に共感したらしく、
大きくうなずいて

「なるほど
まことにさもあろうと存ぜられます
ご殊勝なことでございます」

といった

日が暮れてきた

今から帰るとすれば、
小野に泊るのが好都合であるが、
事情もわからないまま、
訪ねていってもどうしようもあるまい

そう思って、
薫はそのまま帰ることにした

僧都は浮舟の弟に目を止め、

「かしこげなお子ですな」

とほめた

薫はすかさずいう

「よい子でしょう
この子に托して、
あなたから様子を知らせてやって、
頂けませんか」

僧都はついに、
手紙をしたためて渡した

薫の仲立ちはためらわれるが、
浮舟の弟ならと、
気が動いたのだった

僧都は少年に、

「時々は横川へも、
遊びにおいでなさい
あなたと私は縁のないことも、
ないのだよ」

と言葉をかけた

浮舟は僧都の仏弟子であるから、
その縁をいったのだが、
少年は何のことかわからない

少年は僧都の手紙を受け取って、
薫の供に加わった

小野にさしかかった






          


(次回へ)

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