花のある生活

花はあまり出てきませんが。

「平均的な意見」も「一番、頭の良い人の意見」と同じくらい優れている

2020-09-01 | 読んだ本
「みんなの意見」は案外正しい  ジェームズ・スロウィッキー作 小高尚子訳


舞台は食肉用家畜見本市で行われる、雄牛の重さを当てるコンテスト。

雄牛の重さに見当をつけたら、重量の推定値を記入してコンテストにエントリーすると「一番、正解に近い人が賞品をもらえる」というもの。

この運試しに参加したのは800人で畜産農家の人や、食肉店の人間も多いが家畜についてほとんど知らない人も多かった。

この場に居合わせたイギリス人科学者のゴールドンは、この背景も経験も全く違う人々がそれぞれ一票を投じるさまは民主主義における「選挙」の手法とそっくりだ、と思い、かねてから気になっていた「平均的な有権者」に「社会にとって適切な判断ができるかどうか」を確認してみたいと思った。

というか、統計データと遺伝に関する研究、優生学で名を知らしめたゴールドンは「選ばれたごく少数の人間だけが社会を健全に保つのに必要な特性を持ち合わせている」と信じていたから、おそらく「平均的な有権者」には何もできないであろう、という自説を証明したかったのだ。

コンテストが終了した後コンテストの主催者に掛け合い、投票に使われたチケットを借り受けて統計的な検証を行った。

チケットに記された数値を「最大」から「最小」に順に並べて正規分布になるかを調べ、次には書かれた数値をすべて足し上げて「参加者全体の平均値」を算出した。

非常に優秀な人が少し、凡庸な人がもう少し、そこに多数の愚民の判断が混ざってしまえば、全く的外れな数値が出るだろうとゴールドンは予想した。

参加者の予測平均値が「1197ポンド」に対して実際の重さは「1198ポンド」で、結果はゴールドンの予想に反し、両者の間にあまり差が無かったのである。

この後、ゴールドンは「当初の予測よりも民主的な判断に信頼がおけることを示しているとも考えられないわけでもないかもしれない」と述べたそう。


たいていの場合「平均的」という言葉は「普通」「凡庸」との意味に使われることが多い。

しかし多数の人間が集まり、問題を解決したり、意思決定する場では「一番、頭の良い人の意見と同じくらい」もしかすると、それ以上「平均的な意見も優れている」ことが多いことが分かる。


「賢い集団の特徴」として4つの要件が挙げられている。

意見の多様性(それが既知の事実の突拍子のない解釈だとしても、各人が独自の私的情報を持っている)

独立性(他者の考えに左右されない)

分散性(身近な情報に特化し、それを利用できる)

集約性(個々人の判断を集約して、集団として一つの判断に集約するメカニズムの存在)


多様性には集団に「新しい視点」を加えるだけでなく、集団のメンバーの意見を言いやすくするメリットがあるし、意見の独立性にも集団が賢明な選択をするのに必要不可欠な要素でありながら、それを維持することがきわめて難しいのだという。

なぜなら人間は「自律的」であると同時に「社会的な存在」でもあるので、自分の住んでいる場所や学校・職場などの影響を受ける「社会的な存在」だと気づいていながら、人々の好みや意見に「周りの人が与える影響」を過小評価しがちで、「個人の自律性」ばかりを強調する。

集団のメンバー間で「個人的な関わり」が強くなり、お互いに影響を与えるような関係性が出来あがると、周りの人間に同調して意見を合わせてしまったり、「集団の論理」に従うように圧力をかけたりするようになると「集団としては愚かになる」可能性が高くなる。


第12章では、選挙の投票率について書かれていて面白いと思ったところをちょっと。

~~ アメリカの政界では「投票率の低さ」を嘆くのがお約束となっているが、経済学者の観点から見れば「投票なんかをする人がいる事実」こそが不可解な現象なのである。 自分が投じる一票が「選挙の結果」を変える可能性はゼロに近い。 それに、ほとんどの人にとって ーーそれが大統領であってもーー たった一人の政治家が「自分の日々の生活に及ぼす影響」は限られている。

投票をしても大勢に影響はないし、そもそも誰が当選しても大きな違いがないのなら、なぜ投票するのだろうか? 公共選択論者は「人々が投票する理由」を手を替え、品を替え、説明しようとしている。 たとえばウィリアム・ライカーは、人々は「投票を通して選挙結果に影響を与えよう」としているのではなく、「自分の政治的な信条を確認し、政治制度における(自らの)有効性を主張しようとしている」と分析する。

だが、真実はライカーの説明より、ずっとつまらないようだ。 人々が投票するのは「自分が投票すべきだと考えている」からだ。 ライカー自身が集めた1950年代以降の選挙に関するデータは、投票するか・否かは「その人が感じている義務感にかかっている」ことを示している。

ともあれ、仮に有権者の投票が「自己表現の一種」だとすると「自分の利益になるような投票結果」を求めて投票するより、「自分の政治スタンスを公にするために」投票した方が、社会全体にとって「メリットになる結果」に結びつく可能性は高いと言えよう。 人々が「自己利益以外の理由」から行動するにしても、彼らが「実際に投じた票が自己利益を反映していない」とは言えないことは確かだ。 だが、ここにも自己利益理論の限界はある。

そもそも「自己利益」と「投票行動」の間に、「明確な相関関係」は見出されていないのだ。~~



「投票率が低い」のを嘆くのがお約束なのは、日本も同じだけどね。

確かに、投票に行っても「票を入れた人が必ず当選する」とは限らないし、誰が当選してもそんなに変わらないような印象はあるけど。

だから、選挙に行くときは「自分の一票が世の中を変える」というよりは、政治に対して「自身の考え方を発信している」と考えた方が「投票に行く意味」もあるのかな。



目次

はじめに

第1部  

第1章  集団の知恵

第2章  違いから生まれる違い ―― 8の字ダンス ピッグス湾事件 多様性

第3章  ひと真似は近道 ―― 模倣 情報の流れ 独立性

第4章  バラバラのカケラを一つに集める ―― CIA リナックス 分散性

第5章  シャル・ウィ・ダンス? ―― 複雑な世の中でコーディネーションをする

第6章  社会は確かに存在している ―― 税金 チップ テレビ 信頼

第7章  渋滞 ―― 調整が失敗したとき

第8章  科学 ―― 協力 競争 名声

第9章  委員会 陪審 チーム ―― コロンビア号の惨事と小さなチームの動かし方

第10章  企業 ―― 新しいボスって、どうよ? 

第11章  市場 ―― 美人投票 ボウリング場 株価

第12章  民主主義 ―― 公益という夢


訳者あとがき

解説  山形浩生




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