花のある生活

花はあまり出てきませんが。

北風と太陽

2021-09-30 | 寓話
今日は、イソップ童話の「北風と太陽」を。


ある日、北風と太陽は、互いに「どちらが強いのか」を言い争っていました。

北風と太陽のどちらも「自分の方が強い」と譲らなかったので勝負をしよう、ということになり、たまたまそこへ通りかかった旅人のマントを脱がせた方が勝ち、ということにしました。


まずは北風から、旅人に向けて、思い切り風を吹き付けました。

「うわっ、風が強くなってきた」

旅人は、いきなり風が強くなってきたので、マントをしっかり押さえて歩いています。

北風は「勝負はこれからだ」と、どんどん風を強く吹き付けますが、旅人は風に飛ばされてはかなわない、と必死でマントを押さえながら歩いています。

どれだけ風を強く吹き付けても、旅人はマントを離しません。


「次は僕の番だ」と、太陽は旅人に向けて、サンサンと日差しを降り注ぎます。

「今度は暑くなってきたな」

旅人は暑くなってきたので、羽織っていたマントを脱ぐことにしました。

マントを脱いで歩いている旅人を見て、太陽は「この勝負は僕の勝ち」と言いました。

おわり


「旅人のマントを脱がす勝負」が、よく聞くストーリーなんですが、北風と太陽には、もう一勝負「旅人の帽子を脱がす勝負」もあるそうです。


ある日、北風と太陽は、互いに「どちらが強いのか」を言い争っていました。

北風と太陽のどちらも「自分の方が強い」と譲らなかったので勝負をしよう、ということになり、たまたまそこへ通りかかった旅人の帽子を脱がせた方が勝ち、ということにしました。


まずは太陽から、旅人に向けて、サンサンと日差しを降り注ぎます。

旅人は「日差しが強くなってきたな」と、帽子をしっかりとかぶりました。

太陽は「勝負はこれからだ」と、日差しを強めていきますが、旅人に帽子を脱ぐ様子はなく、汗を拭きながら歩いていきます。


「次は僕の番だ」と、北風は旅人に向けて、思い切り風を吹き付けました。

すると、旅人はかぶっていた帽子を飛ばされてしまい、慌てて帽子を拾いにいきます。

「やれやれ」と、帽子を拾っている旅人を見ながら、北風は「この勝負は僕の勝ち」と言いました。 

おわり



この話の教訓は「適切な方法であれば、それほど苦労することなく出来る」ということで、逆に言えば「強引に動かそうとしてもうまくいかない」ということです。

よく「自分のしたいことが分かっているのに、何もしてくれない!!」と腹を立てて八つ当たりしてくる人もいますが、「何もしない」のは意地悪でも何でもなく、ただ「やり方が悪い」だけです

自分から相談するなり、頼みごとをするなり、「自分の方から」話をしない限り、無理やり「相手を動かす」ことは出来ません


大人になると「物事を自由にする裁量」が大きくなるからなのか、黙っていても「何でも自分の自由に動くもの」と思い込んでいる人がたくさんいます。

人間も簡単には動きませんが、「空の天気」も必ず思い通りになるものではないですし、自動で動く機器も、あらかじめプログラムされているから動くわけで、「自分の意志」で動いているわけではありませんし。


通りすがりに太陽と北風の「権力争い」に巻き込まれてしまう旅人が一番大変なのかも。



「北風と太陽」から学ぶ教訓とは。 帽子にまつわるもう一つのあらすじも紹介

寓話・北風と太陽には「北風勝利」編もある


すっぱいブドウと甘いレモン

2020-07-21 | 寓話
2024/02/23更新
今日は、イソップ童話の「すっぱいブドウ」を。


ある日キツネは、木の枝にツルが伸びてブドウが一房、ぶら下がっているのを見つけました。

それはそれは熟して、おいしそうなブドウでした。


木の枝は高いところにあり、飛び上がらなければ取れないところにありました。

キツネは必死になってブドウを取ろうと、何度も飛び上がりました。


何度飛び上がってもブドウには届かず、ブドウをにらみつけながらキツネは言いました。

「どうせ、あのブドウはすっぱいに決まってる」

そう言い放って、どこかへ行ってしまいました。



心理学では防衛機制の「合理化」と呼ばれるもので、簡単に言えば「負け惜しみ」。

他の種類には「認知的不協和」もあります。

最初に「おいしそうなブドウが木にぶら下がっているのを見て、取ろうと思ったけど手が届かなくて取れなかった」だったのが、「あのブドウはすっぱいに決まってる、だからいらない」に認知が修正されたわけです。


さて、この話には続きがあって、
ブドウが取れなくて帰る途中、キツネはオレンジが落ちているのを見つけました。

しかし、近づいて拾ってみると、それは「オレンジ」ではなく「レモン」でした。

「オレンジだ、ラッキー」と思って拾ってみたら「レモン」だったことでガッカリしたキツネ・・・。

「・・・さっきのブドウよりもこっちの方が甘いよな」と、拾った「レモン」をかじりながら帰りましたとさ。



これを「甘いレモンの論理」と言い、「すっぱいブドウ」とは反対の心理だけど、これも「合理化」の一種で「負け惜しみ」を感じる状態。


こちらの場合だと「おいしそうなオレンジが落ちていると思ったのに拾ってみたらレモンだった」に対して「本当はすっぱい」のに、無理をして「さっきのブドウよりは甘いだろう」と強がりを言ってしまう心理状態。


防衛機制というのは、「自身が感じる不快な感情から気をそらして自己防衛をする心理状態」なので、必ず客観的に現実的な判断をしているわけではないことがあります。

他人に迷惑をかけない範囲ならば、ときには「自分にウソをつく」ことも必要なのかもしれません。




イソップ童話に学ぶダメな恋 「すっぱいブドウ」「甘いレモン」の法則とは




鎖につながれた象

2019-01-28 | 寓話
今日は「鎖につながれた象」のお話。


お祭りの日にやってくるサーカスを、いつも楽しみにしていた男の子。

中でも、象のショーが一番のお気に入り。

大きな体で長い鼻を揺らしながら、曲芸をする象を、いつも喜んで見ていた。


ある日、男の子は、サーカスのテントの裏で、大きな象が、ちっぽけな杭につながれて出番を待っていることに気づき、不思議に思った。

「象は力が強いはずなのに、なんで象は逃げ出さないんだろう」


男の子はその疑問を、親や、学校の先生、周りの大人たちに聞いてみることにした。

しかし、周りの大人たちは、あいまいな答えを返すだけで、結局「象が逃げ出さない理由」は、分からなかった。


数年たったある日、男の子は、様々な国を渡り歩いている旅人と知り合い、話をした。

その旅人は、すごく物知りで、たくさんの事を男の子に教えてくれた。

男の子は、数年来、持ち続けたその疑問を、その旅人に聞いてみることにした。


すると、その旅人は「サーカスの象が逃げないのは、象がまだ子供のうちから、ずっとその杭につながれているからだよ」と答えた。

男の子は、子供の象が杭につながれている様子を想像してみた。


まだ遊び盛りの子供の象は、動き回りたくて何とか動こうとするけれど、杭につながれた鎖は取れず、動けない。

来る日も来る日も、何とか動こうとして鎖を引っ張るけれど、やはり鎖は取れず、そこから動くことはできない。

そのうち、そこから動くことをあきらめた子供の象は、そのまま成長して大きくなり、力が強くなっても、自由に動くことはできない、と思い込んでいるから、こんなちっぽけな杭でも象は逃げ出さないんだ。


男の子は、象の境遇を想像すると、ちょっとかわいそうな気持ちにもなったが、象のショーが好きなことは変わらなかった。


おしまい。


鎖につながれた象

ためしよみ「寓話」セラピー



これは「象の話」なんだけど、「人間」でも同じような状態になっている人いますよね。

子供の時は、親が何でもしてくれて「自分の力で何もしたことがない」とか、親の言われるがままに行動していて「自分の意思で行動できなかった」とか。


他にも、カマスを水槽に入れて、エサとなる小魚を入れ、カマスと小魚の間に仕切りを入れると、カマスは小魚と食べようとして、何度も仕切りに体をぶつけ、しまいには、小魚を食べようとすることをあきらめる、「カマス理論」というものもあります。

カマス理論


この状態を心理学的に言うと、「学習性無力感」

米国の心理学者、セリグマンが提唱した心理学理論。


犬2匹を電気ショックの流れる部屋に入れ、片方には、電気が流れると止められるボタンを用意し、もう片方は、何をしても電気を止められないようにします。

ボタンがある方の犬は、電気が流れるとボタンを押すことを覚えますが、もう片方の犬は何をやっても電気ショックを回避できないため、何も行動しなくなり、おとなしく電気ショックを受け続ける状態になってしまったという。

このため、何か不快なことや、嫌悪することがあっても逃げることもできず、「自分はどうすることもできない、何もできない無力な存在」と思い込んでしまう状態


「学習性無力感」の状態が続いた結果、引き起こされる問題として、

・ 環境に対して、積極的、自発的な働きかけが起こさなくなる

・ 成功体験を学習することが困難になる

・ 無力感に苛まれたり、いら立ちなど情緒不安定になる


などが挙げられています。

学習性無力感

当てはまっていないかい? 学習的無力感の諸症状



・・・私の周りでもこんな人、たくさんいるなあ…。

なぜか、自分の場所から一歩も動かずに「自分の気持ち」なるものを伝えようとしてくる人たちが…。

「自分の思う相手」と、コミニュケーションを取ろうと思うなら、自分から話しかけてくるなり、電話でもメールでも、なんでも連絡手段を考えればいいだけだし、何でも自由にできるはずだが・・・。

なぜか「できない場所」から、「何か」を伝えようとしてくるんだね。



あと、この「つながれた象」の話、「象が動くのをあきらめた」というのもあるけど、この男の子も「象が逃げ出さない理由」を分からないまま、聞くことをあきらめたら、それこそ、分からないまま、終わってしまうし。

私も、「PCの動作問題」を、あちらこちら問い合わせているのだが、なかなかハッキリした答えをもらえないしな・・・。

まあ、こちらも、あきらめないで頑張ろう。






ヤマアラシのジレンマ

2017-04-15 | 寓話
今日は、心理学の話を。

「新世紀エヴァンゲリオン」の中で、碇シンジと言い合いになった後、葛城ミサトが「ヤマアラシのジレンマ…か…」と、つぶやいたコレ。

この後、シンジ君、家出しちゃったり。


エヴァの登場人物は、感情の動きとか、個人の心理状態がよく描かれているから、心理学の宝庫だわ。



この「ヤマアラシのジレンマ」、新しい人間関係を構築する上では、避けては通れない「通過儀礼的な心理状態」でもあるのです。


心理学用語「ヤマアラシのジレンマ」を知り、恋愛で使用する


2匹のヤマアラシが、寒いときに身を寄せ合って温まろうとすると、互いのトゲで、互いの体を傷つけあってしまうため、近寄れない

しかし、離れれば寒いため、トゲが刺さらない距離を保ってそばにいる、という、ドイツの哲学者ショーペン・ハウアーの寓話から。


恋愛関係上でも、この距離感がうまくつかめないと「別れる」ことにもなりかねません。

どれだけ「好きな人と一緒にいたいから」といっても、何をするときでも、いつでも2人一緒にいなければいけない、のでは、そのうち疲れてしまいます

どれだけ「お互い自由なのがいいから」といっても、全く連絡一つもしない、遊びにも行かないのでは、いつまでたっても仲が深まりませんし。


「付かず離れず」ちょうどいい距離感を保つのが、人間関係が長続きする方法なのです。 

いい人間関係を保つためには、一緒に過ごす時間も、一人の時間も必要なんですよね。


カップが陥りがちな「ヤマアラシのジレンマ」とは? 気持ちを伝えることの大切さ



美酒となるか、ただの水となるか

2016-10-01 | 寓話
今日は、「ぶどう酒が水になった」という話を。

ある村で、長年お世話になった教師が、次の赴任先へ引っ越すことになりました。

そこで村人たちは、その教師に感謝の贈り物をしようと考えました。


しかし、何しろ貧しい村のこと、贈り物を買うお金がありません。

そこで村人全員で、ぶどう酒をコップ一杯ずつ持ち寄り、樽に入れて教師に贈ろうと決めました。


教師が旅立つ前の日、集会所に置かれた樽に、村人たちはぶどう酒を一杯ずつ、樽に注いでいきました。

次の日、教師は贈られたぶどう酒の樽に感激しつつ、次の赴任地へと向かいました。


さて、赴任地に着き、ひとまず落ち着いた教師、村人たちから贈られたぶどう酒を飲もうと樽を開けてみると、なんと中身は水でした。

教師は驚いて、前の村の村長に、聞いてみることにしました。

話を聞いた村長も驚いて、村人たちを問いただしました。


そうすると、村人の全員が「自分一人くらい水を入れても分からないだろう」と、樽に水を入れた、とのこと…。



せっかくもらった樽の中身が水なんて、教師、ガッカリですね。

村長さんが驚いたのは、「自分も水を入れたから」なのか、「村の人たちがそんなことをするなんて」のどっちだったんでしょうね~。


この話、イソップ童話だと思ったのですが、どうやら違うらしいです。

知っている人がいたら、コメントでもしていただけたら嬉しいです。



ところで、こちらの方では、富山市議、県議の不正が続々発覚していますが、「自分一人ぐらいわからないだろう」どころか、「みんなでやれば怖くない」

自民党議員と民進党議員が、不正のやり方を共有していた、とか、視察に行って、宴会、2次会、朝ビール、って、いったい何しに行っているんだろう…とか、こちらも本当に驚くばかり。

立場が上に上がったら、「これだけ仕事しているんだから、このぐらいはやってもいいだろう」というのは、公僕としてどうなんですかね?

議員の人がそんなことだから、高所得の人が「税金払うのがバカらしい」などと言ったりするんじゃないですかね。(低所得なら、それこそ大変だし)


はたまた、不正の話じゃなくても、選挙戦の結果は、ふたを開けてみなければ分かりません。

イギリスのEU離脱か、残留か、との選挙戦では、残留派が優勢かと思われていましたが、結果は、EU離脱。


今、アメリカ大統領選挙では、トランプ候補か、クリントン候補か、と熱い戦いが盛り上がっていますよね~。

ニュースで見たぐらいでは、クリントン候補優勢かな、と思いましたけど、どうなるんでしょうね。


それから、「選挙に行っても、行かなくても、何も変わらないし…」と言うのも、もったいない。(実際、変わりないかもしれないが…)

「誰に投票するのか」を考えるのは、非常に悩ましいことだし。

でも、一票で結果が違ったりもしますから。


こちらでも、富山市議の補欠選挙あるし、本当に悩ましいわ~。


勝利の美酒となるか、ただの水となるか…は、自分次第。



ぶどう酒が水になった話

水になったワイン