花のある生活

花はあまり出てきませんが。

幸せになる勇気

2021-06-29 | アドラー心理学
今日は、前回の「嫌われる勇気」の続編になる「幸せになる勇気」を。

前作から3年たって図書館司書だった青年が、教職の道へ進み、母校の中学校の教師となった青年が、自分の受け持つ生徒との向き合い方に悩み「アドラー心理学を捨てる決心で来た」と言って、哲人の書斎を訪れたところから始まります。


「理想ではなく、現実的な話を聞きたいんだ」と言う青年に、哲人は「答えは一つ、まずは『あなた』が、子どもたちに対して尊敬の念を持つこと。 すべてはそこから始まります。」と述べた。

一般的な認識だと、「尊敬する」というのは、目上の人間に対して行われる行為、と思いがちで、青年も「親を尊敬しろ、教師を尊敬しろ、上司を尊敬しろ、というわけですか?」と言い返して、


哲人は、これに対して「これは親子であれ、あるいは会社組織の中であれ、どのような対人関係でも同じです。 まずは親が子どもを尊敬し、上司が部下を尊敬する。 役割として「教える側」に立っている人間が、「教えられる側」に立つ人間のことを敬う。 尊敬なきところに良好な対人関係は生まれず、良好な関係なくして言葉を届けることはできません。

さらには、「根源にあるのは「人間への尊敬」なのですから。 特定の他者を尊敬するのではなく、家族や友人、通りすがりの見知らぬ人々、さらには生涯会うことのない異国の人々まで、ありとあらゆる他者を尊敬するのです


すると、青年は「ああ、またしても道徳のお説教だ!  そうじゃなければ宗教だ。」と返して、「繰り返しますがね、先生の理想論じゃ現場は何一つ動かない。 しかも、あの問題児たちをどうやって尊敬しろと!!」


哲人は、「では、わたしも繰り返しましょう。 わたしは道徳を説いているのではありません。」と返し、「尊敬とはなにか? こんな言葉を紹介しましょう。 『尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。』

「目の前の他者を変えようとも操作しようともしない。 なにかの条件を付けるのではなく、『ありのままのその人』を認める。  これに勝る尊敬はありません。 そしてもし、誰かから『ありのままの自分』を認められたなら、その人は大きな勇気を得るでしょう。 尊敬とは、いわば『勇気づけ』の原点でもあるのです。」


青年は、初めて聞くような概念に反発を覚えて、「違う! そんなもの、私の知っている尊敬ではない。 尊敬っていうのはね、 自分もそうありたいと請い願うような、あこがれにも似た感情のことを指すのですよ!」

哲人は続けて「いいえ。 それは尊敬ではなく、恐怖であり、従属であり、信仰です。 相手のことをなにも見ておらず、権力や権威に怯え、虚像を崇めているだけの姿です。 他者を操作しようとする態度、矯正しようとする態度には、一切の尊敬がありません。


青年は渋々と「……ありのままを認めれば、あの問題児たちは変わりますか?」

哲人は淡々と「それはあなたにコントロールできることではありません。 変わるかもしれないし、変わらないのかもしれない。 とり戻した勇気を使うか使わないかは、生徒たち次第です。

青年は、落ち着きを取り戻し「そこは『課題の分離』だと?」

哲人は続けて「ええ。 水辺まで連れていくことはできても、水を呑ませることはできません。 あなたがどんなに優れた教育者であろうと、彼らが変化する保証はどこにもない。 しかし、保証がないからこそ、無条件の尊敬なのです。 まず『あなた』がはじめなければならない。 いっさいの条件をつけることなく、どんな結果が待っていようとも、最初の一歩を踏み出すのは『あなた』です。

「この世界には、いかなる権力者であろうと強要しえないものが、ふたつだけあります。 『尊敬』と『愛』です。 たとえば、会社のトップに立つ人間が強権的な独裁者だったとしましょう。 確かに従業員たちは、なんでも命令に従います。 従順な素振りを見せるでしょう。 しかし、それは、恐怖に基づく服従であり、そこに『尊敬』はひと欠片もありません。 『俺を尊敬しろ』と叫んでも、誰も従いません。 ますます心が離れていくだけです。 ……」


「今夜中に決着をつける」と、始まった対話の闘いにも、長い夜が明け、終わりがやってきた。

最後に、哲人は「世界はシンプルであり、人生もまた同じである。 しかし、『シンプルであり続けることは難しい』と。 そこでは、『なんでもない日々』が試練となるのです。

アドラーを知り、アドラーに同意し、アドラーを受け入れるだけでは、人生は変わりません。 しばしば人は、『最初の一歩』が大切だといいます。 そこさえ乗り越えれば大丈夫だと。 

しかし、実際の人生は、なんでもない日々という試練は、『最初の一歩』を踏み出したあとから、はじまります。 ほんとうに試されるのは、歩み続ける勇気なのです。 ちょうど哲学がそうであるように。

この先あなたは、何度となくアドラーと衝突するでしょう。 疑念を抱くでしょう。 歩みを止めたくなるかもしれず、愛することに疲れ、愛される人生を求めたくなるかもしれません。 そして再び、この書斎を訪ねたくなるかもしれません。 しかし、そのときには子どもたちと、あたらしい時代を生きる仲間たちと語り合ってください。


そして青年は、哲人の書斎を出て、現実の世界へと歩み始めた。




第一部

アドラー心理学は宗教なのか

教育の目標は「自立」である

尊敬とは「ありのままにその人を見る」こと

「他者の関心事」に関心を寄せよ

もしも「同じ種類の心と人生」を持っていたら

勇気は伝染し、尊敬も伝染する

「変われない」ほんとうの理由

あなたの「いま」が過去を決める

悪いあの人、かわいそうなわたし

アドラー心理学に「魔法」はない


第二部

教室は民主主義国家である

叱ってはいけない、ほめてもいけない

問題行動の「目的」はどこにあるのか

わたしを憎んでくれ! 見捨ててくれ!

「罰」があれば、「罪」はなくなるか

暴力という名のコミニュケーション

怒ることと叱ることは、同義である


第三部

「ほめて伸ばす」を否定せよ

褒章が競争を生む

共同体の病

人生は「不完全」からはじまる

「わたしであること」の勇気

その問題行動は「あなた」に向けられている

なぜ人は「救世主」になりたがるのか

教育とは「仕事」ではなく「交友」


第四部

すべての喜びもまた、対人関係の喜びである

「信用」するか? 「信頼」するか?

なぜ「仕事」が、人生のタスクになるのか

いかなる職業にも貴賤はない

大切なのは「与えられたものをどう使うか」

あなたに親友は何人いるか

先に「信じる」こと

人と人とは、永遠にわかり合えない

人生は「なんでもない日々」が試練となる

与えよ、さらば与えられん


第五部

愛は「落ちる」ものではない

「愛される技術」から「愛する技術」へ

愛とは「ふたりで成し遂げる課題」である

人生の「主語」を切り換えよ

自立とは、「わたし」からの脱却である

その愛は「誰」に向けられているのか

どうすれば親の愛を奪えるのか

人は「愛すること」を恐れている

運命の人は、いない

愛とは「決断」である

ライフスタイルを再選択せよ

シンプルであり続けること

新しい時代をつくる友人たちへ



嫌われる勇気

2021-04-06 | アドラー心理学
嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラーの教え」  岸見一朗 古賀史健


この本は、アルフレッド・アドラーの思想から「青年と哲人の対話」形式で書かれています。

青年と哲人が対話する形で話が進んで行くのですが、読みだしたら止まらないくらい面白い。


本の前書きを少々抜粋。

哲人  人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした世界に住んでいます。 あなたが見ている世界は、わたしが見ている世界とは違うし、およそ誰とも共有しえない世界でしょう。

青年  どういうことです? 先生もわたしも同じ時代、同じこの国に生きて、同じものを見ているじゃありませんか。

哲人  そうですね、見たところあなたはお若いようですが、汲み上げたばかりの井戸水を飲んだことはありますか?

青年  井戸水? まあ、ずいぶん昔のことですが、田舎にある祖母の家が井戸を引いていました。 夏の暑い日に祖母の家で飲む冷たい井戸の水は、大きな楽しみでしたよ。

哲人  ご存じかもしれませんが、井戸水の温度は年間を通してほぼ18度で一定しています。 これは誰が測定しても同じ、客観の数字です。 しかし、夏に飲む井戸水は冷たく感じるし、冬に飲むと温かく感じます。 温度計では常に18度を保っているのに、夏と冬では感じ方が違うわけです。

青年  つまり、環境の変化によって錯覚してしまう。

哲人  いえ、錯覚ではありません。 そのときの「あなた」にとっては、井戸水の冷たさも温かさも、動かしがたい事実なのです。 主観的な世界に住んでいるとは、そういうことです。 我々は「どう見ているか」という主観がすべてであり、自分の主観から逃れることはできません。 いま、あなたの目には世界が複雑怪奇な混沌として映っている。 しかし、あなた自身が変われば、世界はシンプルな姿を取り戻します。 問題は世界がどうあるかではなく、あなたがどうであるか、なのです。

青年  わたしがどうであるか?

哲人  そう。 もしかするとあなたは、サングラス越しに世界を見ているのかもしれない。 そこから見える世界が暗くなるのは当然です。 だったら、暗い世界を嘆くのではなく、ただサングラスを外してしまえばいい。 
 そこに映る世界は強烈にまぶしく、思わずまぶたを閉じてしまうかもしれません。 再びサングラスが欲しくなるかもしれません。 それでもなお、サングラスを外すことができるか。 世界を直視することができるか。 あなたにその”勇気”があるか、です。

青年  勇気?

哲人  ええ、これは”勇気”の問題です。 …以下続く


このあたりは序の口で、本編に入ると「身もフタも無いぐらい、容赦ないやり取り」が展開されますので、読まれる方は覚悟して読んでください。



目次


第一夜  トラウマを否定せよ

知られざる「第三の巨頭」

なぜ「人は変われる」なのか

トラウマは、存在しない

人は怒りを捏造する

過去に支配されない生き方

ソクラテスとアドラー

あなたは「このまま」でいいのか

あなたの不幸は、あなた自身が「選んだ」もの

人は常に「変わらない」という決心をしている

あなたの人生は「いま、ここ」で決まる


第二夜  すべての悩みは対人関係

なぜ自分のことが嫌いなのか

すべての悩みは「対人関係の悩み」である

劣等感は、主観的な思い込み

言い訳としての劣等コンプレックス

自慢する人は、劣等感を感じている

人生は他者との競争ではない

「お前の顔を気にしているのはお前だけ」

権力争いから復讐へ

非を認めることは「負け」じゃない

直面する「人生のタスク」をどう乗り越えるか

赤い糸と頑強な鎖

「人生の嘘」から目をそらすな

所有の心理学から使用の心理学へ


第三夜  他者の課題を切り捨てる

承認欲求を否定する

「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない

「課題の分離」とはなにか

他者の課題を切り捨てよ

対人関係の悩みを一気に解消する方法

「ゴルディオスの結び目」を断て

承認欲求は不自由を強いる

ほんとうの自由とはなにか

対人関係のカードは「わたし」が握っている


第四夜  世界の中心はどこにあるか

個人心理学と全体論

対人関係のゴールは「共同体感覚」

なぜ「わたし」にしか関心がないのか

あなたは世界の中心ではない

より大きな共同体の声を聴け

叱ってはいけない、ほめてもいけない

「勇気づけ」というアプローチ

自分には価値があると思えるために

ここに存在しているだけで、価値がある

人は「わたし」を使い分けられない


第五夜  「いま、ここ」を真剣に生きる

過剰な自意識が、自分にブレーキをかける

自己肯定ではなく、自己受容

信用と信頼は何が違うのか

仕事の本質は、他者への貢献

若者は大人よりも前を歩いている

ワーカホリックは人生の嘘

人はいま、この瞬間から幸せになることができる

「特別な存在」でありたい人が進む、ふたつの道

普通であることの勇気 

人生とは連続する刹那である

ダンスするように生きる

「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てよ

人生最大の嘘

無意味な人生に「意味」を与えよ




アドラー心理学をじっくり読む

2021-02-26 | アドラー心理学
アドラー心理学をじっくり読む  岸見一朗 


アドラー心理学は、十九世紀後半オーストリア・ウィーンの精神科医アルフレッド・アドラーによって提唱された心理学。

ジグムント・フロイト、カール・ユングと並び、「心理学の三大巨頭」と呼ばれている。


アドラーは自身の心理学を「個人心理学」と呼び、人間は「分割できない全体」と考え、人間の「精神と身体」「感情と理性」「意識と無意識」は一見、矛盾するように見えても「一つの同じ実体の相補的で協力的な部分」と考えた


アドラーは他者を「敵」ではなく「仲間」である、とみなし「共同体感覚」という考え方を提唱した。

この「共同体感覚」とは「他者が自分に何をしてくれるか」ではなく、「自分が他者に対して何が出来るか」ということに関心を持てるか、ということ。

故に、アドラー心理学は「実践心理学」である、と説いている。



アルフレッド・アドラーは1870年ウィーン近郊のルドルスハイムで、ユダヤ人家庭の7人兄弟の第2子として生まれました。

幼い頃のアドラーは父親との関係は良好だったものの、母親との関係はあまり良くなかったと言います。

母が自分より2歳年上の兄ジグモントの方を可愛がっていたことや、弟が生まれると、今度は弟の方に関心が向くようになったからです。


上と下に兄弟姉妹がいる中間子は、生まれてすぐは親の注目を浴びて育ちますが、次の子が生まれると、次の子に関心が移っていくので、第一子とは違って、親の関心や愛情を独占することが出来ません

アドラーは陽気な性格で兄弟仲は良かったそうですが、兄のジグモントとは折り合いが良くなかったそうです。

ユダヤ人の伝統を重んじるアドラー家では、兄のジグモントは長男として優位な位置を占めていましたし、さらにはアドラーは幼少期から病弱だったため、健康で優秀な兄に強い嫉妬心を抱いていたとのこと。


母親を「冷淡な人」と評していたアドラーでしたが、後に「母親は自分を皆と同じように愛していた、ということが分かった」と、当時を振り返って述べています。


このような背景から後に出会うことになる、フロイトが提唱する「エディプス・コンプレックス」を否定する根拠にもなったようです。

男の子が父親を憎み、母親に惹かれる、ということは、自身の経験に照らしても、決して普遍的なことではない、と考えたからです。



1895年に大学を卒業したアドラーは、最初は眼科医として働き、後に有名な遊園地への入り口であるプラーター地区で内科医として開業

患者には、遊園地で並外れた体力と業で生計を立てていた人たちが多く、生まれついての虚弱に苦しみながら、のちに努力して、その弱さを克服したことを見ていました。

また、アドラーは、自身が病弱だったこともあり、彼らの「器官劣等性」に関心を持つようになります。


「器官劣等性」とは、いわゆる生活に困難をもたらすような身体的なハンディキャップのこと

何らかのハンディキャップを持つ人は、そこから生じるマイナスを何かで補償しようとします。

アドラーは、それが性格形成や行動に影響を与えている、と考えたのです。


そのことから、アドラーは「客観的な劣等感」から「主観的な劣等感」へと関心を移していきます。

器官劣等性が、必ず劣等感を引き起こすわけではない、と自身の経験上で分かっていたからです。


アドラーは、1900年に出版されたフロイトの著書「夢判断」を読み、精神医学に興味を持ち始めます

アドラーは当時、批判的な意見が多かったフロイトを擁護する投書を新聞社に送り、それを知ったフロイトが自身の主宰するセミナーに、アドラーを招いたのが出会いの始まりでした。


アドラーは、フロイトが主宰するセミナーに招かれて共同研究者となったが、学説上の対立からフロイトと決別

その後、独自に「個人心理学会」を設立


アドラーは、アカデミズムから離れて活動の基盤を普通の人々の集まりに置くことにした。

アドラーは講演や講義の後、質問に来る人々に囲まれることを好み、熱心な学生や友人たちと夜遅くまで議論を続けました。


1914年、第一次世界大戦が勃発し、当時44歳だったアドラーは徴兵は逃れたが、精神神経科医の軍医として参戦、戦争神経症を患って入院する兵士が退院後、再び兵役に付けるかどうかを判断しなければなりませんでした。

再び前線に戻った兵士を殺すことにもなりうる、この任務はアドラーにかなりの精神的負担を与え、眠れぬ夜を過ごした、と語っています。

この戦争での経験が、「共同体感覚」という思想を生み出しました。


共同体感覚というのは、他者を「仲間」であるとみなす意識

フロイトは戦争を経験する中で「人間には攻撃欲求がある」と結論付けましたが、アドラーは全く逆の思想に到達したのです


終戦後、社会主義への関心が再燃したが、ロシア革命の現実を目の当たりにしてマルクス主義に失望、政治改革による人類の救済を断念し、個人の改革は育児と教育によってのみ可能、とアドラーは考えるようになりました。

そこから、教育改革の一環として多くの児童相談所を設立しました

この児童相談所は子供や親の治療の場としてだけでなく、教師・カウンセラー・医師など専門職を訓練する場としても活用され、自らのカウンセリングを公開して見せるなど、自分の治療法を積極的に公開していきます


こうした活動を続けるうちにアドラーの心理学はオーストリアを超えて、国際的に認められるようになり、ヨーロッパ諸国、アメリカでも講演や講義の依頼が来るようになりました。

ナチズムが台頭していくと共に、ユダヤ人に対する迫害を恐れたアドラーは、次第にアメリカに拠点を移していきました。



目次

まえがき ー 誤解だらけのアドラー心理学

序章 アドラーの人生と執筆活動

1章 アドラー心理学の独創性 『個人心理学講義 - 生きることの科学』

2章 大切なのは「これから」 『生きる意味を求めて』

3章 遺伝や環境のせいにするな 『人生の意味の心理学』

4章 汝自身を知れ 『人間知の心理学』

5章 タイプ分けにご用心 『性格の心理学』

6章 人生の課題から逃げる人たち 『人はなぜ神経症になるのか』

7章 子どものためにできること 『教育困難な子どもたち』

8章 罰でもなく、甘やかしでもなく 『子どもの教育』『子どものライフスタイル』

9章 自分自身を受け入れるには? 『個人心理学Ⅰ - 伝記からライフスタイルを読み解く』『個人心理学Ⅱ - 子どもたちの心理を読み解く』

10章 他人の評価は気にするな 『勇気はいかにして回復されるのか』

11章 それは「衝動」だけでなく・・・ 『恋愛はいかに成就されるのか』