花のある生活

花はあまり出てきませんが。

すっぱいブドウと甘いレモン

2020-07-21 | 寓話
2024/02/23更新
今日は、イソップ童話の「すっぱいブドウ」を。


ある日キツネは、木の枝にツルが伸びてブドウが一房、ぶら下がっているのを見つけました。

それはそれは熟して、おいしそうなブドウでした。


木の枝は高いところにあり、飛び上がらなければ取れないところにありました。

キツネは必死になってブドウを取ろうと、何度も飛び上がりました。


何度飛び上がってもブドウには届かず、ブドウをにらみつけながらキツネは言いました。

「どうせ、あのブドウはすっぱいに決まってる」

そう言い放って、どこかへ行ってしまいました。



心理学では防衛機制の「合理化」と呼ばれるもので、簡単に言えば「負け惜しみ」。

他の種類には「認知的不協和」もあります。

最初に「おいしそうなブドウが木にぶら下がっているのを見て、取ろうと思ったけど手が届かなくて取れなかった」だったのが、「あのブドウはすっぱいに決まってる、だからいらない」に認知が修正されたわけです。


さて、この話には続きがあって、
ブドウが取れなくて帰る途中、キツネはオレンジが落ちているのを見つけました。

しかし、近づいて拾ってみると、それは「オレンジ」ではなく「レモン」でした。

「オレンジだ、ラッキー」と思って拾ってみたら「レモン」だったことでガッカリしたキツネ・・・。

「・・・さっきのブドウよりもこっちの方が甘いよな」と、拾った「レモン」をかじりながら帰りましたとさ。



これを「甘いレモンの論理」と言い、「すっぱいブドウ」とは反対の心理だけど、これも「合理化」の一種で「負け惜しみ」を感じる状態。


こちらの場合だと「おいしそうなオレンジが落ちていると思ったのに拾ってみたらレモンだった」に対して「本当はすっぱい」のに、無理をして「さっきのブドウよりは甘いだろう」と強がりを言ってしまう心理状態。


防衛機制というのは、「自身が感じる不快な感情から気をそらして自己防衛をする心理状態」なので、必ず客観的に現実的な判断をしているわけではないことがあります。

他人に迷惑をかけない範囲ならば、ときには「自分にウソをつく」ことも必要なのかもしれません。




イソップ童話に学ぶダメな恋 「すっぱいブドウ」「甘いレモン」の法則とは




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