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ヴァージニア・ヘンダーソン

2012-06-09 23:47:06 | 医療


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E5%9A%A5

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1.患者の呼吸を助けるについて
 ヘンダーソンが患者の呼吸状態の観察および安楽な呼吸を促す体位に焦点をあてているのと同様にナイチンゲールもまた「呼吸の様子はどうか、患者が最も楽に呼吸できる体位はどれか、これらも看護婦が必ず観察すべきいまひとつのことである。」と述べている。さらにナイチンゲールは「患者が呼吸する空気を、患者の身体を冷やすことなく、屋外の空気と同じ清浄さに保つこと」と記しており、体内に取り入れる空気の質にも目を向けていることがわかる。

2.患者の飲食を助けるについて
 ヘンダーソンは「食堂まで歩ける患者、松葉杖や車椅子を使って、あるいはたとえストレッチャーに乗ってでも食堂に行ける患者は、一般的にはそうするほうが彼のためによい。・・・少なくともそこには変化があり、友人を見つける機会がある。」と述べているのに対し、ナイチンゲールは「食事中の病人はなるべくひとりにしておくほうが良い、と言われるが、それは問題なく正しい。」と述べている。今日の看護において、食事はコミュニケーションの場としてとらえられる傾向にあり、ヘンダーソンの理論に基づいたケアが実施されることが多いが、患者の習慣や嗜好などの個別性を考慮し、ナイチンゲールの理論を用いたケアを行うことも、食欲増進のために有効と言え・・・・・


ナイチンゲールとヘンダーソンの看護理論について
1 ナイチンゲールの看護理論
ナイチンゲールの看護理論の中心概念は「環境」である。人間におけるすべてのものを「環境」と捉えている。
環境を物理的環境、精神的環境、社会的環境の3分野に分類し、これら3つはお互いに影響し合い、3つが揃わなくてはバランスを失うとした。その中でも、物理的環境を重要視し、つまり、物理的環境が整えば、残りの2つの環境もよくなると、中心的な位置づけとした。
環境の不備により患者のエネルギーが消耗し、生命力が衰えないように、これらの環境を整えることが看護師の役割である。
環境の3分類を、具体例を挙げながら説明してみる。
Ⅰ 物理的環境
①空気----人間が生きていくうえで、空気は必要不可欠で、患者にとっては最重要とした項目であるとした。健康人は当然のように呼吸しているので、その関心は薄い。特に住居における空気の質にこだわり、新鮮な空気を窓を開けることにより、室内に取り入れる「換気」を基本とした。
②光----患者にとって、空気の次に必要不可欠なものとして捉え、陽光は患者にとってよい影響を与え、病室の患者は常に窓から外が見..




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看護学概論
ヘンダーソンは、医師の機能と看護の機能とは、全く別のものと示し、看護は、疾病や健康に関する対象の回復を支え、自立に向けての援助を行う役割を担うとしている。
ヘンダーソンの言葉にもある、看護においての「自立」というキーワードをよく理解し、看護というものをより深く学び、そこから得たものを、自分の現在の看護につなげていければと、ヘンダーソンの看護理論を選んだ。
ヴァージニア・ヘンダーソン(1897年11月30日~1996年3月19日)は、アメリカの看護学者であり、看護教育の指導者として、フローレンス・ナイチンゲールに次いで世界でその名を知られている。ミズーリ州のカンザスシティに生まれ、8人の兄弟姉妹の5番目。第一次世界大戦で兄弟たちが従軍したため、自分も何かの役割をとアメリカ陸軍看護学校(1918年開校)に学ぶ。その学校の校長が、学校の創立者で初代校長でもあり、またアメリカ看護の開拓期のアメリカ看護のThe Great Trioの一人、アニー・ウォーバートン・グッドリッチだった。彼女が終生ヘンダーソンの師となる。グッドリッチ自身、コロンビア大学、イェール大学の教授、学部長というキ..


http://www.ict.ne.jp/~i_camu/sub19.htm

ヴァージニア・ヘンダーソン                                  

Ⅰ.ヘンダーソンの経歴           

1897年 ミズーリ州カンサスシティーで8人兄弟姉妹の5番目の子供として生まれた。

父親の仕事の関係上、ヴァージニア州で育つ。

1918年 第1次世界大戦中に、傷病兵の世話をしたいという気持ちから看護への関心

を高めワシントンの陸軍看護学校へ入学。

1921年 同校卒業。訪問看護婦として働く。

1922年 故郷のヴァージニア州の病院看護学校で教鞭をとる。

1929年 看護に関わる自然科学と人文科学を学ぶ為にコロンビア大学のティーチャー

ズ・カレッジに進学。学士号と修士号を取得。

1961年 『看護の基本となるもの』を出版。

1966年 『看護論』を出版。

1996年 生涯を閉じる。



主な著書:看護の基本となるもの       

     看護論

     看護の原理と実際

Ⅱ.ヘンダーソンの理論の概略

ヘンダーソンは、看護を医師の監督や指示による仕事とは区別し、「独自のもの」としてとらえ、看護の機能を以下のように著した。

看護婦の独自の機能は、「病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)に資するような行動をするのを援助することである。その人が必要なだけの体力と意思力と知識とをもっていれば、これらの行動は他者の援助を得なくても可能であろう。この援助は、その人ができるだけ早く自立できるようにしむけるやり方で行う。」1?と述べている。そして、ヘンダーソンは看護の構成要素として14の基本的ニーズを挙げ、「対象が健康人であっても病人であっても、看護婦は衣食住に対する人間の免れえない欲望を念頭におかなければならない。」2?と述べ、看護師の役割は、患者がこれらのニーズを満たせるよう補助することであると示し、看護が人間の基本的ニーズに根ざしていることを強調している。14の基本的ニーズについては後述のとおりである。この本質的ないし独自の機能は、看護師が自らの主導において遂行でき、それに関しては看護師が最も優れているとしている。





著書

1)V・ヘンダーソン著(湯槇ます、小玉香津子訳): 看護の基本となるもの、

日本看護協会出版会、1995年、p.11

2)小玉香津子訳:ヴァージニア・ヘンダーソン論文集、日本看護協会出版会、

3)V・ヘンダーソン著(湯槇ます、小玉香津子訳): 看護論、日本看護協会出版会、


http://www.ict.ne.jp/~i_camu/sub20.htm



Ⅱ.ヘンダーソンの理論の概略

ヘンダーソンは、看護を医師の監督や指示による仕事とは区別し、「独自のもの」としてとらえ、看護の機能を以下のように著した。
看護婦の独自の機能は、「病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)に資するような行動をするのを援助することである。その人が必要なだけの体力と意思力と知識とをもっていれば、これらの行動は他者の援助を得なくても可能であろう。この援助は、その人ができるだけ早く自立できるようにしむけるやり方で行う。」1?と述べている。そして、ヘンダーソンは看護の構成要素として14の基本的ニーズを挙げ、「対象が健康人であっても病人であっても、看護婦は衣食住に対する人間の免れえない欲望を念頭におかなければならない。」2?と述べ、看護師の役割は、患者がこれらのニーズを満たせるよう補助することであると示し、看護が人間の基本的ニーズに根ざしていることを強調している。14の基本的ニーズについては後述のとおりである。この本質的ないし独自の機能は、看護師が自らの主導において遂行でき、それに関しては看護師が最も優れているとしている。

http://www.ict.ne.jp/~i_camu/sub21.htm

はじめに

現在、多様な看護理論が打ち立てられているが、それは、私達が学習したヴァージニア A・ヘンダーソン(以下ヘンダーソンと略す)の考え方を発展させたものが多くみられる。
ヘンダーソンは、自らが受けてきた看護教育や看護実践、教員経験の中から看護とはということを探究してきた。そして、看護の独自の機能について、「病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康回復(あるいは平和な死)に資するような行動をするのを援助することである。その人が必要なだけの体力と意思力と知識とをもっていれば、これらの行動は他者の援助を得なくても可能であろう。この援助は、その人ができるだけ早く自立できるようにしむけるやり方で行う。」1?と述べており、基本的欲求の充足ということを中心にとらえてきた。また、患者と看護婦の関係や看護の科学性についても述べている。
私達は、ヘンダーソンの経歴を振り返り、その中で彼女が人間の存在や看護のあり方についてどう考えていったのかを知り、ヘンダーソンの理論について理解を深めていくことができたのでここに報告する。


Ⅰ.ヘンダーソンの経歴

1897年 ミズーリ州カンサスシティーで8人兄弟姉妹の5番目の子供として生まれた。
父親の仕事の関係上、ヴァージニア州で育つ。
1918年 第1次世界大戦中に、傷病兵の世話をしたいという気持ちから看護への関心
を高めワシントンの陸軍看護学校へ入学。
1921年 同校卒業。訪問看護婦として働く。
1922年 故郷のヴァージニア州の病院看護学校で教鞭をとる。
1929年 看護に関わる自然科学と人文科学を学ぶ為にコロンビア大学のティーチャー
ズ・カレッジに進学。学士号と修士号を取得。
1961年 『看護の基本となるもの』を出版。
1966年 『看護論』を出版。
1996年 生涯を閉じる。

ヘンダーソンは、1897年、父が法律事務所を開いていたミズーリ州カンザスシティーで8人兄弟姉妹の5番目の子供として生まれた。2、3歳の頃に母が生まれ育ったヴァージニア州に引越し、そこで幼少期を過ごした。ヘンダーソンの母方の実家は裕福であった。祖父母は教師をしており、ヘンダーソンは、教養のある環境の中で育っていった。ヘンダーソンはよく手紙を書いていた。これは、ヘンダーソンの母が、誰かが何かしてくれたときにはお礼の手紙を書くようにと躾ていたからである。ヘンダーソンの向学心や書くことの能力はこの頃に培われたのであろう。
第一次世界大戦で傷ついた傷病兵の世話をしたいという気持ちから看護への関心を高めたヘンダーソンは、1918年、ワシントンの陸軍看護学校へ入学した。20歳のときである。そこで、ヘンダーソンは、校長アニーW・グッドリッチと巡り合う。グッドリッチは、学生たちに看護の役割が非常に重要であること、そして看護は一生かかって勉強するものだということを感じとらせたのである。また、学生たちと大人の人間として接していた。このようなことがあり、ヘンダーソンはグッドリッチのことを最も尊敬する師と仰ぐようになる。ヘンダーソンは、3年間の看護学校生活でさまざまな経験をし、また、いくつかの懸念を感じていた。授業は、医師による講義がほとんどで、疾患・診断・治療方法に焦点が当てられており医学教育を簡略化したものであった。医学教育に基づいたケアに対し不満を持ち、このような看護は単に医学の延長でしかないと考えていた。このような出来事が、看護とはということを考えるきっかけとなったのであろう。そして、お手本となる看護モデルが不足していることも感じていた。

3年間の課程を終え、1921年、ワシントンの陸軍看護学校を卒業し、訪問看護婦として働いた。訪問看護婦を選んだのには、病院には患者と看護婦の両者にさまざまな制限があり、地域保健機関による看護活動のもつ自由さを好ましく思ったからである。訪問看護婦として1年経過した1922年、ヴァージニア州で働きたいと思い、同州の登録試験を受けていた。その成績は優秀であり、看護教育に大いに貢献してくれるだろうと考えたエセル・スミスは、看護学校で教鞭をとってもらえないかと、ヘンダーソンに依頼をした。しかし、彼女は教育者の家系に生まれながら、教えること以外の仕事をしたいと思っていた。それは、家系の伝統に反抗しようとしたわけではなく、看護は興味深く建設的な仕事だと思っていたからである。そんなヘンダーソンであったが、自分が気づいていない資質を他の人が自信を持って勧めてくれたので自分の天性と感じ教員という仕事を受けることにした。教鞭をとる一方で看護実践者としての能力を高めようと土・日曜日は病院で患者のケアを行った。ヘンダーソンが、理論家というより実践者といわれる所以である。

ヘンダーソンは教鞭をとる傍ら、自らも教育を受ける必要があると感じていた。1929年、看護に関わる自然科学と人文科学を学ぶ為、コロンビア大学のティーチャーズカレッジに入学した。1年が経過した時、学費が尽きた為に休学するという出来事があったが、臨床で働き復学を果たした。学習意欲は益々大きくなっていった。また、看護の専門性を探究するために研究の必要性を感じ、自らそれを実践した。そして、学士号と修士号を取得した。ヘンダーソンは、カレッジに残り、そこで教鞭をとっていたが、学部長との意見が合わず、また、教科書『看護の原理と実際』の改訂を行いたかったこともあり、退職する。1948年のことである。カレッジを退職後も、多くの人々とともに看護研究や文献研究を行い、その結果『ナーシング スタディ インデックス』を完成させた。理論を開発しようとしたきっかけは、自らが受けてきた看護教育や『看護の原理と実際』の改訂、アメリカ看護協会が採択した看護の定義に満足できなかったことにある。理論の開発にあたり、多くの学者や理論家の影響を受けている。先にも述べたアニーW・グッドリッチ、キャロライン・スタックポール(生理学教授)、ジーン・ブロードハースト(微生物学教授)、Dr.エドワード・ソーンダイク(心理学者で基本的欲求についての研究調査を行った)、Dr.ジョージ・ディーヴァー(理学療法医)、ベルタ・ハーマー(『看護の原理と実際』の原著者)、そして、患者と看護婦関係の基本的考えについて影響を受けたのはアイダ・オーランドであった。ヘンダーソンは、執筆活動以外でもさまざまな場に赴き講演をするなどして活躍していった。その活動は、看護教育や看護現場に大きな影響を与えたのである。このように、看護に携わる人々に多大な影響を与えたヘンダーソンであるが、チョコレートが好きであったり、室内インテリアに凝ったり、服をデザインするセンスを持ち合わせるなど、ユーモアに富んだ人柄であった。1996年3月コネチカット州の自宅で生涯を閉じた。98歳であった。


Ⅱ.ヘンダーソンの理論の概略

ヘンダーソンは、看護を医師の監督や指示による仕事とは区別し、「独自のもの」としてとらえ、看護の機能を以下のように著した。
看護婦の独自の機能は、「病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)に資するような行動をするのを援助することである。その人が必要なだけの体力と意思力と知識とをもっていれば、これらの行動は他者の援助を得なくても可能であろう。この援助は、その人ができるだけ早く自立できるようにしむけるやり方で行う。」1?と述べている。そして、ヘンダーソンは看護の構成要素として14の基本的ニーズを挙げ、「対象が健康人であっても病人であっても、看護婦は衣食住に対する人間の免れえない欲望を念頭におかなければならない。」2?と述べ、看護師の役割は、患者がこれらのニーズを満たせるよう補助することであると示し、看護が人間の基本的ニーズに根ざしていることを強調している。14の基本的ニーズについては後述のとおりである。この本質的ないし独自の機能は、看護師が自らの主導において遂行でき、それに関しては看護師が最も優れているとしている。

ヘンダーソンのメタパラダイムの4概念と解釈(資料1)

人間:共通の基本的欲求を持っており、多様な生活様式や個人を取り巻く環境によって影響され変化する。二人として同じものはいず、各自はそれぞれ独自のパターンで自分の欲求を解釈する。心と身体は切り離すことは出来ない。また、社会に認められることに満足を得ることから身体的、精神的、社会的側面をもつ統合体である。健康であれば環境をコントロールすることが出来る。また、親密な間柄でもお互いを完全に理解するのは難しい。

環境:友人、家族を含めた社会的、文化的背景は基本的欲求に影響をあたえる。健康であれば環境をコントロールできる。

健康:身体的、精神的にバランスのとれた状態であり、社会的にも問題がない。その人にとっての意味のある健康、病気からの回復、平和な死へ向かって援助を受けながら自立していくこと。体力と意思力と知識を持っており、自立した状態である。
 
看護:病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)に資するような行動をするのを援助することである。看護は基本的欲求を満たす普遍的な活動であり、患者の言葉、沈黙、表情、動作、こうしたものを絶えず分析して行われる。それは各人の常在条件などに応じてケアを変容させる創造的活動でもある。看護師は医療チームの一員として協働し、基本的看護ケアについては権威者として看護独自の働きをする。看護の役割は時代や社会、またその看護師がおかれている状況により変化する。


Ⅲ.ヘンダ―ソンが理想とする看護

ヘンダ―ソンは理論家というよりむしろ実践の人といわれている。彼女が理想とする看護を代表的な著書(看護の基本となるもの・看護論)の中から 人間の基本的欲求、患者と看護師の関係、科学性について考察した。

1. 人間の基本的欲求

人間の基本的欲求は、人間が生物として生存していくため、また人間社会の中で充実した生活を送るために必要な欲求である。人は、必要な体力、意思力、知識があれば、本来自分の欲求を自分で充足する能力をもっており、日常生活の中で自らの健康の維持増進を図ることができるし、健康障害が起きた場合には、健康回復に努めるものである。しかし自分自身で欲求を充足することができない場合、他者の援助を必要とすることになる。すなわちヘンダ―ソンは、欲求の充足という考えを中心に捉えたのである。
ヘンダ―ソンは人が持つ基本的欲求の多様性について、患者の欲求は個別的であり、日々同一ではない。その人にあった援助をし、その人らしく生きる上で不可欠である。そして「文化が異なれば、人間の欲求も異なった形で現れ、各人はそれぞれなりに欲求を表現する。」と言っている。これらのことから、人間の共通の欲求は二つとして同じ表現で現されるものはなく、欲求の満たされ方もそれぞれ多様であることを認識しておくことが重要である。
ヘンダ―ソンは、人間の日常生活の中から、人間誰もが共通にもつ欲求を以下の14項目に分類した。

①正常に呼吸する②適切に飲食する③身体の老廃物を排泄する④移動する、好ましい肢位を保持する⑤眠る、休息する⑥適切な衣服を選び、着たり脱いだりする⑦衣類の調節と環境の調節により体温を正常範囲に保持する⑧身体を清潔に保ち、身だしなみを整え、皮膚を保護する⑨環境の危険因子を避け、また、他人を傷害しない⑩他者とコミュニケーションをもち、情動、ニード、恐怖、意見などを表出する⑪自分の信仰に従って礼拝する⑫達成感のあるような仕事をする⑬遊び、あるいは種々のレクリエーションに参加する⑭正常な成長発達および健康へとつながるような学習をし、発見をし、好奇心を 満たし、また利用可能な保健設備などを活用する

1) 正常に呼吸をする
この欲求が充足している状態はガス交換が正常に行われている、安楽に呼吸が出来ることである。ヘンダーソンは看護師がこのような呼吸のありようについて正確に観察することは非常に大切なことであると考えている。看護師は環境の温度、湿度、不快な臭気などの存在に絶えず注意をはらい患者に心地よい環境を提供する必要があると示している。

2) 適切に飲食する
この欲求が充足した状態は必要な栄養が摂れている、楽しく食べられ、満足感があることである。看護師は他のどの職種よりも、患者のそばにいる時間が長いため、患者の食習慣をとらえ、援助が出来る最適な立場にある。患者が自分の好みに沿った快適な食事が出来ることは、患者が"生活の流れ"にのっていると感じとれることが出来るかどうかの重要なキーポイントとなる。

3) 身体の老廃物を排泄する
この欲求が充足している状態は生理的で正常な排泄である、快感があることである。看
護師は排泄に関する生理学的な知識を持ち合わせている必要がある。患者の自立を促す
という基本原則は変わらないが、排泄に関しては社会的、文化的習慣さらにその人の年
齢といったさまざまな要素を考慮すること。また排泄に関する不快感、恥ずかしいとい
った気持ちについて看護師は敏感に感じ患者に接していく必要がある。

4) 移動する、好ましい肢位を保持する
この欲求が充足した状態は歩行、立つ、座る、眠るなどの姿勢が適切である、良い姿勢
のとり方を理解していることである。看護師は姿勢や動作にはその人のその時の気分や生活態度が敏感に反映されていると知っていること、そして患者の姿勢を注意深く観察することが必要である。体位変換については、患者の運動神経系の自立を勧めていけるよう援助することが重要である。

5) 眠る、休息する
この欲求が充足した状態は休息や睡眠が自然にとれる、ストレスや緊張感からの開放感
があることである。ヘンダーソンは看護師がストレスを研究する人々に加わって当然であり、休息や睡眠を誘うさまざまな方法を看護師が使ってみることを勧めている。心細くなる就寝時看護師のケアが患者の自然な眠りを高める効果があることを強調している。

6) 適当な衣類を選び、着たり脱いだりする
この欲求が充足した状態は適切な衣類を身につけている、きちんと身づくろいが出来る
ことである。衣生活については社会学的、生理学的、心理学的に意義があることを知っていることは必要なことである。出来る限りいつまでも患者を現役の生活者にしておくような衣類を勧めることに看護師が関わり、着たり、脱いだりに際して患者が必要とする体力を看護師が補わなくてはならない。

7) 衣類の調節と環境の調整により体温を正常範囲内に保持する
この欲求が充足した状態は体温が生理的範囲内にある、体温調節に努めることが出来る
ことである。体温や放熱に関する生理学的な原理を理解し、患者に適切な空気の温度、湿度を調整し、食べ物を工夫し、衣服や寝具の加減をすることが必要となる。

8) 身体を清潔に保ち、身だしなみを整え、皮膚を保護する
この欲求が充足した状態は皮膚や粘膜が清潔になっている、清潔の基準が保たれている、
他人に受け入れられやすい身だしなみであるということである。ヘンダーソンは人間の
身だしなみは、姿勢と同じようにその人の生き方が現れたひとつのしるしであるとしている。特に身だしなみの重要性を高く評価しており、看護師は患者の清潔と身だしなみについて十分観察することが必要であり、その個々の人にあわせた援助を行うことが重要である。

9) 環境の危険因子を避け、また他者を傷害しない
この欲求が充足した状態は自分で自分の環境を自由に調整できる、周囲に危険なものが
ない、知らずに他人に害を与えないことである。看護師は、場所を問わず、墜落や火事、毒性化学物質などの事故防止に役立つ立場にあるべきと述べている。さらに、物理的な障害がおこるのを最小限にする方法に精通していなければならないとしている。

10)他者とコミュニケーションをもち、情動、ニード、恐怖、意見などを表出する
この欲求が充足した状態は自分の欲求、興味、希望などを十分に自分の身体の上に表現
できる、周りの人々に理解してもらえることである。患者は病気によってこれまで繋がっていた人間関係、つまり家族や友人との繋がりを奪われてしまうことが往々にしておこる。この奪われた繋がりを患者とともにつなぎ合わせていくことが看護師の役割ではないか。そのために看護師は患者の意思を伝達し、自分の欲求や気持ちを表現するのを助けるのである。
 
11)自分の信仰に従って礼拝する
この欲求が充足した状態は誰もが自分の信じる教義、思想に従う権利が守られる、自分
の宗教に基づいた生活の仕方ができることである。ヘンダーソンは、ナースはどのような状況であっても患者の霊的欲求を尊重し、患者がそれを満たすのを助けるのは基本的看護の一部であると述べている。

12)達成感のあるような仕事をする
この欲求が充足した状態は仕事ができる、自分自身が社会に受け入れられている、社会
に認められているという満足感が得られることである。何の達成感もない一日を過ごす
ということは無力感を感じるものである。物であれ、知識であれ、何かの生産的活動を
日常の中で行えるよう、他の専門家と協力し、患者の欲求を解釈し、判断することは大
事である。このことはチーム医療の重要性についても述べている。

13)遊ぶ、あるいは種々のレクリエーションに参加する
この欲求が充足した状態は変化や気分転換、慰安レクリエーションの機会をつくること
により、気分が引き立ち、楽しい気分になれるということである。制限の多い状況の中
で、患者が心から楽しめるような時間を作り出し、共に分かち合う時間は、患者が生活
の流れにのっているのだという気持ちを持つことにつながる。

14)正常な成長発達、および健康へとつながるような学習をし、発見し、あるいは好奇
心を満たし、また利用可能な保健施設などを活用する
この欲求が充足した状態は、自分が設定しうる最良の健康生活習慣に従って生活すると
いうことである。知識不足から病気の予防、回復するための行動が実行できないことが
ある。このような患者に、最良の健康生活習慣が営んでいけるように、看護師は健康
指導、訓練、教育をしていくことが大事である。
   
以上の14項目を基本的欲求と呼んでいる。心理学の分野でマズローが、人間のいろいろな欲求を生理的欲求、安全の欲求、所属と愛情の欲求、自尊心の欲求、自己実現の欲求の5つに分類し、これらを階層的に配列している。マズローの欲求の階層も下位レベルの欲求から上位レベルの欲求に向けて順に満たしている。
欲求は生きるための生理的欲求から最優先されなければならない。ヘンダ―ソンの14の基本的欲求は生理的欲求から、より高次の欲求に向かって順位づけている。(資料2)
欲求や欲求を満たす能力を見ていく場合に、考慮しなければならない要因がある。看護の対象となる個人の欲求は、個人の発達段階、社会的、文化的、身体的状態などの常在条件と症状や病態などの病理的状態によって影響をうける。基本的欲求に影響を及ぼす常在条件には、年齢、性別、性格、社会的・文化的背景、身体的・知的能力が含まれる。
看護は、人間に共通して存在する基本的欲求に加え、その人の独自の個人的要素を考え合わせ、その人にとっての自立へ向けてケアを展開するのである。

2. 患者と看護師の関係(資料3)

患者と看護師の関係は、非常に依存的な関係から全く自立した関係まであり、ヘンダ―ソンは、患者と看護師の関係を3つに分けて説明している。

1)代行…患者の代行をする事
患者が昏睡状態の時や、絶対安静や手術直後の時期、初産婦の出産直後、新生児の移動、引っ込み思案の人など、患者が基本的欲求を充足することができない状態の時、看護師は体力・意思力・あるいは知識の不足ゆえに患者が、自分の'完全性''全体性''自立性'を保持するのに足りないところの代わりの存在となる。
看護師は患者に欠けている能力を確認し、充足できない基本的欲求を速やかに補う。ヘンダ―ソンはこの様な看護師の行為を具体的に「ある時は意識を失っている人の意識となり、自ら命を断とうとする者に代わって命の熱愛者として立ち、足を切断した人の足、光を失ったばかりの盲人の目、赤ん坊の移動の手だて、若い母親の知識と自信、身体が弱りはてて、あるいは引込思案のために物の言えない人々の"代弁者"となるのであり、まだまだこの続きはたくさんある。」4)と説明している。更に、看護師は患者の基本的欲求を理解する為に、あらゆる努力をしなければならないと言っている。ヘンダ―ソンの表現によれば看護師は、「患者の皮膚の内側へ入る」5)のである。

2)手助け…患者の行動の手助けをする事
患者が、回復期にある場合や基本的欲求を充足する能力に限界がある状態、看護師は自立の程度を判断し、不足している部分を補う。また援助を工夫することによって自立範囲を拡大するよう手助けをする。そして患者自身が自立の獲得や取り戻す事を助ける。
ヘンダ―ソンは「自立とは、相対的な言葉である。われわれは、他者に依存しないわけにはいかない。しかし、われわれは病的な依存ではなく健康的な相互依存を目指して努力する。」6)と言っている。

3)パートナー…患者のよき相談相手(パートナー)となる事
 患者が、自分自身で自立に向けて行動を選択する場合、看護師は患者と一緒にケア計画
を立てる事ができる。その際、患者が賢明な選択をするよう援助する。患者が自立へ向か
って進歩するためには、どのような看護活動であっても常に患者教育や指導が含まれてい
る。

更に、患者―看護師間の人間関係を成立させたり、維持・発展させたりするには、信頼関係が欠かせない。信頼関係なくして看護は成り立たないのである。ヘンダ―ソンは患者との信頼関係を構築する為の重要な手段としてベッドサイドケアを挙げ、看護師がベッドサイドケアを他の職種に委託して、看護師がその他の業務につくことをよしとしなかった。
「患者の身体的ケアを比較的未熟な看護婦にまかせることの危険は2倍になる。彼らは患者の基本的欲求を査定することに失敗するかもしれない。しかしもっと重要なことは、有能な看護師が身体的なケアをしながら患者の基本的欲求を査定する機会を奪われることになる。それは、このような状況のもとにしか査定される機会のない患者の基本的欲求を見落とすことになる。」7)と言っている。これは有能な看護師はケアを提供しながら、対人関係のプロセスとアセスメントを行なっているということを示している。

3.科学性(研究活動)について

ヘンダ―ソンは、看護師には豊富な知識と、個別的で人間的なケアを実践する基礎能力、そして科学的な問題解決をする能力が必要であると主張している。
豊富な知識には広い社会的な経験が必要であり、医学や生物学や社会学などをたえず学んでいくことが要求される。看護を実践する際には、研究をふまえて実践すること。実践を評価し改善する為に研究をすることは重要である。
「現代においては、いかなる専門職、職業、あるいは産業も研究無しにはそれぞれの実践を適切に評価したり改善したりできない」8)と言い、全ての看護師は研究者であるとしている。ヘンダ―ソンは臨地でこつこつとすばらしい看護を実践している名もない看護師を高く評価している。そのような看護師が研究をすることで、更に自己の看護に磨きをかけることができるのである。


Ⅳ.事例紹介とその考察

1. 事例紹介

Aさん 72歳 男性 妻と二人暮し。息子2人は独立し遠方に在住。
右下腿外傷後の骨髄炎で右脛骨に開創部あり。
洗浄と骨移植術が行われたが経過は不良で、左下腿後面の皮膚からの有茎皮膚移植が施行される。約3週間の固定を行ったが、病状の進行がみられ最終的に右大腿より下肢は切断された。
Aさんは元とび職。妻や同室患者と陽気に会話する社交的な人で、入院直後から車椅子で病院内を移動する活発な人であった。また身の回りのことは何でも自分で行う人であった。しかし、手術、皮膚移植と治療が施されるにつれて活動範囲は狭まり、皮膚移植時には同一体位(下肢をクロスした体位)での生活を余儀なくされた。清潔、排泄行動は著しく制限され、日常生活、安楽な体位への援助を行った。しかし看護者が介入することに遠慮されることが多く、身辺の介助は妻に任されていた。固定の日を追うごとに、温厚だったAさんはふさぎこみがちになり、いらついた気持ちを妻にぶつけるようになった。
また「こんな足は切り落としてほしい」と訴えるようになった。骨髄炎の悪化と移植部の壊死をおこし最終的に下肢が切断された。医療者としては、避けたい結果となったが、看護者の予測とは相反してAさんには笑顔が戻り、以前のように明るく活動的に過ごされるようになった。

2.考察

 ヘンダーソンは看護について「看護の独自の機能とは、病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)に資するような行動をするのを援助することである」1)と言っている。看護とは患者が日常の生活パターンを保つのを助けること、すなわち普通は他者に助けてもらわなくてもできる行動を助けることにある。そして、それは「人間の基本的欲求に根ざしている」9)としている。

 当症例は、同一体位で固定されることによって、著しく日常生活に制約を受け、清潔、排泄、良い姿勢の維持等の欲求が不足している状態にあった。看護者は、清潔や排泄への援助を行うことで患者の不足した欲求を満たそうと考え援助を行った。しかし、患者の欲求は満たせたとは言えず、その逃避行動が妻にあたるという形で現れた。患者の笑顔が戻ったのは切断により身体の自由を得たときであった。このことは、看護者にとって予想外のことであった。同一体位による苦痛は理解できているつもりであったが、身体の一部を失う「切断」ということのほうがより苦痛なものとして感じられたからである。

当症例を看護するにあたり、看護者としては患者の不足した基本的欲求を把握しそれを充足するために働きかけたが、結果的には看護者のアセスメントした患者の基本的欲求やそれを充足させるための援助は患者が求めていたものではなかった。時として看護者は、過去の経験や慣れから患者の基本的欲求を予測したり、援助を行ったりする。当症例においても、身体を固定された患者の不足した基本的欲求を、決め付けた思い込みの援助で行った傾向がある。ヘンダーソンは「人間の基本的欲求はふたつとして同じものはない無限に多様の生活様式によって満たされる」10)と言っている。すなわち看護婦がいかに賢明でも、またいかに一生懸命努めようとも、一人一人が求めることすべてを完全には理解できないし、その人の充足感に合致するように要求を満たすこともできない。この患者にとっての基本的欲求をヘンダーソンの言う「皮膚の内側に入り込んで」6)理解しようとする姿勢が重要であったと考える。そして、その援助においては、「看護を受けるその人にとっての意味における健康、その人にとっての意味における病気からの回復、その人にとっての意味におけるよき死」11)を患者と共に考え、共に目指していく姿勢こそ必要となる。


理論の評価とまとめ

ヘンダーソンの看護の定義と基本的欲求項目は、看護行為全体を説明しようとするときの見方の一つである。ヘンダーソンの唱える基本的欲求は、誰もが生活上必要と考えることをはっきり言明してあり、基本的欲求という側面から人間を理解することによって、病気や病態の理解・ケアだけでなく、患者の生活に視点をおいた人間的な看護としての考え方を示している。このことからヘンダーソンの概念は理解しやすく、現在も看護実践や看護教育のガイドとして、幅広く活用されている。

しかし、彼女の看護の定義と基本的欲求項目には、理論を一般化する為の実践の分析や、患者ケアの為の理論的な裏付けが不足している。また、基本的欲求項目の構成要素の関連性や、看護ケアへの影響についての記述が曖昧である。これは、彼女が理論を開発する意図が無かったため、理論に検証可能性を与えるために必要な、相互関係のある理論的主張ないし操作上の定義を手がけていないためと考える。

近年、医療技術の進歩と共に看護が多様化し、看護の本質が見失われがちな昨今、ヘンダーソンが定義した看護の中には、看護本来の目標があるように思われた。

ヘンダーソンが「看護とは」を追い求めた時代から50年以上経過した現在もなお、看護への追求は続いている。社会情勢や患者を取り巻く環境が変化しつづける以上、「看護とは」の模索には終わりがない。私たちは常にその時々の看護のあり方を追求する姿勢を持つべきであり、強いてはそれが看護の質と看護学の向上につながると考えた。

ヘンダーソンが、看護を定義しようとした努力、対象論としての先見的業績は、看護における理論開発以前になされたことを考えると歴史的価値があり、多大な貢献である。また、その業績はこれからも後輩達の原動力となると確信している。

またグループ活動を通して、一人一人の看護観を分かち合い、あらためてヘンダーソンの理論を学習したことは、自己の看護観や価値観を深めていくことに生かすことができると感じた。ヘンダーソンが願ったように、私たちが理論をそのまま受け入れるのではなく、一人一人がそれぞれの看護についての自分の概念を、自分自身で感じ、考え、行う中で発展させていくことが今後の課題であると考える。


引用文献
1) V・ヘンダーソン著(湯槇ます、小玉香津子訳): 看護の基本となるもの、
日本看護協会出版会、1995年、p.11
2) 前掲1)、p.17
3) 前掲1)、p.17
4) 前掲1)、p.13
5) 前掲1)、p.13
6) 小玉香津子訳:ヴァージニア・ヘンダーソン論文集、日本看護協会出版会、
1982年、p.120
7) 前掲1)、p.25
8) V・ヘンダーソン著(湯槇ます、小玉香津子訳): 看護論、日本看護協会出版会、
1995年、p.67
9) 前掲1)、p.17
10)前掲1)、p.18
11)前掲1)、p.18

参考文献
1) 秋葉公子他著: ヘンダーソン看護論の実践、廣川書店、1998年
2) 黒田裕子編: やさしく学ぶ看護理論、日総研、1999年
3) ジェイズ P・スミス著(小玉香津子、尾田葉子訳):ヴァージニア・ヘンダーソン 
90年のあゆみ、日本看護協会出版会、2000年
4) ジュリア・B・ジョージ(南裕子、野嶋佐由美、近藤房恵訳):看護理論集 増補改訂版、日本看護協会、2000年
5) 竹尾恵子監修: 超入門 事例で学ぶ看護理論、学研、2001年
6) 都留信子他監修:看護理論家とその業績 第2版、医学書院、2001年
7) V・ヘンダーソン著(稲田八重子他訳): 新版・看護の本質、現代社、1998年
8) ルビー・L・ウェズレイ著(小田正枝 日本語版監修): 看護理論とモデル 第2版、へるす出版、2000年
9) 渡辺トシ子編: ヘンダーソン・ゴードンの考えに基づく実践看護アセスメント、
http://www.nakayamashoten.co.jp/kango/ebnf/pdf/1-4-a.pdf
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1 コメント

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はじめまして。 (くるみ)
2014-11-19 17:40:54
お一つ質問なのですが一番はじめのほうにナイチンゲールも同様述べていると書かれているのですがナイチンゲールの述べたことに関して引用参考文献は何なのか教えて下さい。
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