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燃ゆる呉越

2011-11-05 11:13:10 | お勧め


面白いと思います

中国四大美人(ちゅうごくしだいびじん)とは、中国の歴史上において特に美人とされる四人の女性のこと。

一般に中国四大美人と呼ばれるのは以下の女性たちである。

1.西施(春秋時代)
2.虞美人(秦末)
3.王昭君(漢)
4.楊貴妃(唐)
中国4代美女の一人が

本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。

現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施→西施と呼ばれるようになった。

越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されてたといわれている。策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。

呉が滅びた後の生涯は不明だが、勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。その後、長江で蛤がよく獲れるようになり、人々は西施の舌だと噂しあった。この事から、中国では蛤のことを西施の舌とも呼ぶようになった。

また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もある。
http://deai.cho-chin.com/hanrei.html
より
范蠡(陶朱公)の名言
君辱しめらるれば臣死す。
(君主が恥辱を受けたら、臣は責任を取って死ぬべきだ。)
蜚鳥尽きて良弓蔵せられ、狡兎死して走狗煮らる
(飛んでいる鳥を射尽くせば、良い弓も蔵に仕舞われる。すばしっこい兎が死んでしまえば、どんなに良い猟犬でも不要になり、煮て食べられる。)

注:この言葉は、范蠡が越を去った後、友人の文種に伝えた言葉で、
優れた家臣も用がなくなれば殺される。
引き際を誤ってはいけない。という意味が込められています。

相手に説明できる価格設定をしろ。
売買はタイミング。ぐずぐずするとチャンスは逃げる。
期限は守れ。信用を失うな。

国を滅ぼすほどの美人と一緒でも大金持ちなった
軍師でもある人らしい
http://www.epochtimes.jp/jp/2006/12/html/d10571.htmlより

 李白に、西施の一生を描いた五言詩「西施」がある。ここに紹介しよう。

 西施越溪女(西施は越国の谷間に住む女性で、)
 出自苧蘿山(苧蘿山の出身。)
 秀色掩今古(彼女の美貌は古今それを超える者はなく、)
 荷花羞玉顔(蓮の花も彼女の玉のような容貌に恥じるほどだった。)
 浣紗弄碧水(彼女は川辺で薄絹を洗い、青い水をもてあそび、)
 自与清波閑(清らかな波とともに静かに過ごしていた。)
 皓歯信難開(貧しさゆえに、白い歯を見せて笑うこともなく、)
 沈吟碧雲間(碧雲の間に愁い沈んでいた。)
 勾践征絶艶(勾践が絶世の美女である西施を探し出した。)
 揚蛾入呉関(彼女は眉を揚げて堂々と呉国に入り、)
 提携館娃宮(呉王は彼女のために館娃宮を造った。)
 杳渺詎可攀(彼女の奥深さは誰も真似ることができず、)
 一破夫差国(その美しさに呉王夫差は惑い、呉国は滅んだが、)
 千秋竟不還(彼女はいつまでも帰ってくることはなかった。)

九尾の狐


http://blogs.yahoo.co.jp/kanji31936/930798.html
より
【題名と作者】
 【西施詠】 ; 「西施(せいし)を詠(うた)う」
  王維作  ; 「王維(おうい)作(さく)」

【詩文の読み】
艶色天下重;艶色(えんしょく)天下(てんか)重(おも)んず
西施久微;西施(せいし)(なん)ぞ久(ひさ)しく微(び)ならんや
朝爲越渓女;朝(あした)に越渓(えっけい)の女(じょ)爲(な)るも
暮作呉宮妃;暮(くれ)には呉宮(ごきゅう)の妃(ひ)と作(な)る
賤日豈殊衆;賤(いや)しかり日(ひ)豈(あ)に衆(しゅう)に
殊(こと)ならず
貴來方悟稀;貴來(きらい)方(まさ)に稀(まれ)なるを悟(さと)る
邀人傅脂粉;人(ひと)を邀(むか)へて脂粉(しふん)傅(つ)け
不自著羅衣;自(みづか)らは羅衣(らい)不著(つけ)ず
君寵益嬌態;君(くん)寵(ちょう)嬌態(きようたい)を益(ま)し
君憐無是非;君(くん)憐(あい)は是非(ぜひ)を無(な)くし
當時浣紗伴;當時(とうじ)紗(さ)を浣(あら)いし伴(つ)れも
莫得同車歸;車(くるま)を同(おな)じくして歸(かえる)を得(う)る
莫(な)し
持謝鄰家子;持(もっ)て鄰家(りんか)の子(こ)に謝(しゃ)す
效顰安可希;顰(ひそ)みに效(なら)うも安(いづ)くんぞ
希(ねが)う可(べ)けんや

【詩の大意】
美人の色香こそ天下に尊重されるもの
だから西施がいつまでも放って置かれようか
朝(あした)には越の小川の洗濯女が
日暮れには呉王の宮の妃(きさき)となる
賎しい身分の時はみんなと変わることなく
貴い身分になれば世にも稀な存在となる
人手を借りて化粧をほどこし
薄絹の衣装でさえも自分では着ない
王の寵愛に勝手気ままはつのり
王の愛情に是非の見分けもつかなくなる
昔いっしょに洗濯をした友も
同じ車で帰ることはできないよ
やめときましょう隣近所の娘たちよ
西施の真似をしようとて、できることではないのだから

燃ゆる呉越のストーリがわかります
http://www.vap.co.jp/goetsu/story0102.html
より
第一集 : 王者の剣
越王・勾践(こうせん)は霊姑浮(れいこふ)将軍に大軍で呉の姑蘇(こそ)城を急襲するよう命じ、自らは越の剣工房で、伝説の刀匠・欧治子(おうやし)から王者の剣を手に入れようとしていた。だが、そこに霊姑浮の首を手にした呉王・夫差(ふさ)が手勢を率いて襲ってくる。王者の剣によって難を逃れ、会稽山(かいけいざん)に立てこもった勾践だったが、すでに城下は呉軍に取り囲まれ、越国は絶体絶命の危機を迎える。

第四十一集 : 決戦のとき
大局は定まり、范蠡は勾践にいとまごいをしたが、許されることはなかった。しかしその翌日、鎧も従者も残したまま范蠡は姿を消した。勾践は戦いの指揮を文種にゆだねた。捕らえられたハクヒは勾践に呉に存続の道を与えて欲しいと懇願したが、勾践の辛辣な皮肉の言葉に、ハクヒは自害して果てた。西施は姑蘇台で毒酒をあおり、駆けつけた范蠡の腕の中に倒れた。勾践は夫差と対面し降伏を迫ったが、夫差は自害して果てた。勾践は夫差を王として手厚く葬った。勝利を収めた勾践は、赤い衣を身にまとい、ゆっくりと宣誓台を登っていった。

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