よくわかる日本と朝鮮半島の古代史【学校やNHKでは教えてくれない事実】
『三国史記』(さんごくしき)は、高麗17代仁宗の命を受けて金富軾らが作成した、三国時代(新羅・高句麗・百済)から統一新羅末期までを対象とする紀伝体の歴史書。朝鮮半島に現存する最古の歴史書である。1143年執筆開始、1145年完成、全50巻。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E8%A8%98
より
朝鮮側の資料として『古記』、『海東古記』、『三韓古記』、『本国古記』、『新羅古記』、金大問『高僧伝』、『花郎世記』などを第一次史料として引用したことが見られるが、いずれも現存していないため、その記述の内容には史料批判が必要である。また、中国の史料と朝鮮の史料が衝突する場合には朝鮮の史料を優先している箇所もあるが、前記の史料の信用性に疑問があるため、慎重な取り扱いが必要とされる。日本では中国史料と対応する記事が認められない3世紀頃までの記事は、にわかには信じがたいとする考え方が主流である[1]。また、天変記事(ほうき星など)については中国史書と年月を同じくする記述も多い。
三国における史書としては、高句麗には『留記』・『新集』、百済には『日本書紀』にその名が確認される百済三書(『百済本記』、『百済記』、『百済新撰』)、新羅にも国史を編纂させたという記録があるが、いずれも現在は存在が確認されていない逸失書であるため、記述内容を確認できない部分も含まれている。
日本列島の先住民である縄文人と、朝鮮半島から渡ってきた弥生人とが混血を繰り返して現在の日本人になったとする「混血説」を裏付ける遺伝子解析の結果を、総合研究大学院大(神奈川県)などのチームがまとめ、日本人類遺伝学会が編集する1日付の国際専門誌電子版に発表した。
これまでも同様の研究結果はあったが、今回は1人当たり最大約90万カ所のDNA変異を解析し、結果の信頼性は非常に高いとしている。
チームはこれまで公開されている本土出身者(主に関東居住者)、中国人、欧米人など約460人分のDNAデータに、アイヌ民族と沖縄出身者の計71人分を新たに加えて解析した。その結果、アイヌ民族と遺伝的に最も近いのは沖縄出身者で、次が本土出身者と判明した。本土出身者は韓国人とも近かった。
この結果は、日本人全般が縄文人の遺伝子を受け継いでいる一方、本土出身者は弥生人との混血の度合いが大きく、混血しながら北海道や沖縄方面に広がっていったと解釈できるという。
日本人の起源は縄文人がそのまま各地の環境に適応した「変形説」、縄文人を弥生人が追い出して定着した「人種置換説」も知られているが、総研大の斎藤成也
さいとう・なるや
教授(遺伝学)は「研究結果は混血説のシナリオに一致した」と説明している。
チームは今後、縄文遺跡で見つかる人骨のDNAを分析するなどし、日本人のルーツの解明を進める。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26584569.html
より
日本人特有の遺伝子とは?
島国であり人の出入りが少なかった日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種である。
日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種
日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ
東アジアでも孤立したD系統を持つ日本人の異質さが際立つ
水子の譜(うた) (上坪隆) 1/2
日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名である。世界的にもチベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっているが、他の世界のどこにもほとんど存在しない。さらに日本のすぐ近くの朝鮮半島や中国人が南方系O系統であり、孤立したD系統を持つ日本人の異質さが際立って見える。
またこのD系統は、アジア人種よりも地中海沿岸や中東に広く分布するE系統の仲間であり、Y遺伝子の中でも非常に古い系統である。
東アジアの地域全体には南方系O系統が広く分布し、島国の日本や山岳のチベットにのみD系統が残ったと考えられる。
D2系統はアイヌ人88%、沖縄人56%、本土日本42~56%(参考までチベット33%)で、韓国ほぼ0%である。
アイヌには南方系O系統は無く、完全なD系統であり、本土日本人と沖縄人には南方系のOが混ざっている。それでも本土日本人のD系統は半数以上である。
つまり事実上アイヌと本土日本人は大差がなく、アイヌに南方系を足したのが本土日本人となる。
結論として日本人は基本的に共通して、アイヌ人~本土日本人~沖縄人までD系統(北方古モンゴロイド)がベースになっており、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA#.E3.83.9F.E3.83.88.E3.82.B3.E3.83.B3.E3.83.89.E3.83.AA.E3.82.A2DNA.EF.BC.88.E6.AF.8D.E7.B3.BB.EF.BC.89.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E7.B3.BB.E7.B5.B1.E5.88.86.E6.9E.90
人類集団の遺伝的系統-2
近隣結合法による遺伝的近縁図
この図によれば、アフリカン(ネグロイド)からコーカソイド(白人)が分岐し、コーカソイドからオセアニアン(オーストラロイド)・東アジア人(モンゴロイド)が分岐、そして東アジア人からネイティブアメリカ人が分岐した。この人類集団の近縁関係は上記の遺伝的系統樹と現在の人類集団の地理的配置に一致する。
日本人特有のM7aグループ
日本には世界で(主に)日本人にしか見られないM7aというグループがある[10]。これは台湾付近で発生したと考えられ、沖縄・アイヌに多く本州で少ないという特徴的な分布をしている(Mグループについて、M7aは台湾・日本から朝鮮半島中国北東部への北上。M7b,cは南方及び中国沿岸へ)。M7aの最大集積地が(最も頻度の高い地域)は日本列島や沖縄南部であり北上の上限がシベリアであったとの見方が主流である。M7a、M7b、M7cについてもシベリア等からの発祥は考えにくく、南方から北方に移動があったとされている。
これに対して崎谷満は2009年の著書で、M7aは極東・アムール川流域にも見られるほか、シベリア南部(ブリヤート)、東南アジアにも見られるとし、発生したのはシベリア南部 - 極東あたりと予想する一方、台湾先住民にも台湾漢民族にも存在せず、台湾から北上して日本列島に入ったものではないと記している[11]。なお崎谷は上記の著書において、ミトコンドリアDNA・Y染色体といった分子人類学的指標、旧石器時代の石刃技法という考古学的指標、成人T細胞白血病ウイルスやヘリコバクター・ピロリといった微生物学的指標のいずれにおいても、東アジアのヒト集団は北ルートから南下したことを示し、南ルートからの北上は非常に限定的で日本列島には及ばなかったと述べている[12]。しかし、M7b,M7c等が台湾を中心に拡大していることからもM7は北上ルートでシベリアに達したと考えるのが一般的である。この為近年では崎谷満の説は一般的に受け入れられていない。
塩基多様度のネット値 (DA) 分析による系統関係 [編集]
ミトコンドリアDNAの塩基配列の多様性の度合いを比較分析することによっても系統関係を計測できる。塩基多様度のネット値 (DA) 分析によって求められた集団間の遺伝距離をもとにした系統樹では、まずアフリカ人より西ユーラシア人(ヨーロッパ人)と東ユーラシア人(東アジア人)とが分岐し、次いで東ユーラシア人からアメリカ先住民が分岐し、次いでアイヌ人と東アジア人クラスターが分岐、次いで中国人と東アジア人が分岐、次いで琉球人と本土日本人とが分岐する。
Y染色体(父系)による系統分析 [編集]
母系のみをたどるミトコンドリア解析に対し、父系をたどるY染色体は長期間の追跡に適しており、1990年代後半からY染色体ハプログループの研究が急速に進展した[14][15][16]。ヒトのY染色体のDNA型はAからTの20系統がある。複数の研究論文から引用したY染色体のDNA型の比率を示す。全ての型を網羅していないため、合計は100%にならない。空欄は資料なしで、必ずしも0%の意味ではない
愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20111119 8
ヨーコ物語(竹の森遠く)概要1
Ode au Tango
『三国史記』(さんごくしき)は、高麗17代仁宗の命を受けて金富軾らが作成した、三国時代(新羅・高句麗・百済)から統一新羅末期までを対象とする紀伝体の歴史書。朝鮮半島に現存する最古の歴史書である。1143年執筆開始、1145年完成、全50巻。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E8%A8%98
より
朝鮮側の資料として『古記』、『海東古記』、『三韓古記』、『本国古記』、『新羅古記』、金大問『高僧伝』、『花郎世記』などを第一次史料として引用したことが見られるが、いずれも現存していないため、その記述の内容には史料批判が必要である。また、中国の史料と朝鮮の史料が衝突する場合には朝鮮の史料を優先している箇所もあるが、前記の史料の信用性に疑問があるため、慎重な取り扱いが必要とされる。日本では中国史料と対応する記事が認められない3世紀頃までの記事は、にわかには信じがたいとする考え方が主流である[1]。また、天変記事(ほうき星など)については中国史書と年月を同じくする記述も多い。
三国における史書としては、高句麗には『留記』・『新集』、百済には『日本書紀』にその名が確認される百済三書(『百済本記』、『百済記』、『百済新撰』)、新羅にも国史を編纂させたという記録があるが、いずれも現在は存在が確認されていない逸失書であるため、記述内容を確認できない部分も含まれている。
日本列島の先住民である縄文人と、朝鮮半島から渡ってきた弥生人とが混血を繰り返して現在の日本人になったとする「混血説」を裏付ける遺伝子解析の結果を、総合研究大学院大(神奈川県)などのチームがまとめ、日本人類遺伝学会が編集する1日付の国際専門誌電子版に発表した。
これまでも同様の研究結果はあったが、今回は1人当たり最大約90万カ所のDNA変異を解析し、結果の信頼性は非常に高いとしている。
チームはこれまで公開されている本土出身者(主に関東居住者)、中国人、欧米人など約460人分のDNAデータに、アイヌ民族と沖縄出身者の計71人分を新たに加えて解析した。その結果、アイヌ民族と遺伝的に最も近いのは沖縄出身者で、次が本土出身者と判明した。本土出身者は韓国人とも近かった。
この結果は、日本人全般が縄文人の遺伝子を受け継いでいる一方、本土出身者は弥生人との混血の度合いが大きく、混血しながら北海道や沖縄方面に広がっていったと解釈できるという。
日本人の起源は縄文人がそのまま各地の環境に適応した「変形説」、縄文人を弥生人が追い出して定着した「人種置換説」も知られているが、総研大の斎藤成也
さいとう・なるや
教授(遺伝学)は「研究結果は混血説のシナリオに一致した」と説明している。
チームは今後、縄文遺跡で見つかる人骨のDNAを分析するなどし、日本人のルーツの解明を進める。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26584569.html
より
日本人特有の遺伝子とは?
島国であり人の出入りが少なかった日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種である。
日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種
日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ
東アジアでも孤立したD系統を持つ日本人の異質さが際立つ
水子の譜(うた) (上坪隆) 1/2
日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名である。世界的にもチベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっているが、他の世界のどこにもほとんど存在しない。さらに日本のすぐ近くの朝鮮半島や中国人が南方系O系統であり、孤立したD系統を持つ日本人の異質さが際立って見える。
またこのD系統は、アジア人種よりも地中海沿岸や中東に広く分布するE系統の仲間であり、Y遺伝子の中でも非常に古い系統である。
東アジアの地域全体には南方系O系統が広く分布し、島国の日本や山岳のチベットにのみD系統が残ったと考えられる。
D2系統はアイヌ人88%、沖縄人56%、本土日本42~56%(参考までチベット33%)で、韓国ほぼ0%である。
アイヌには南方系O系統は無く、完全なD系統であり、本土日本人と沖縄人には南方系のOが混ざっている。それでも本土日本人のD系統は半数以上である。
つまり事実上アイヌと本土日本人は大差がなく、アイヌに南方系を足したのが本土日本人となる。
結論として日本人は基本的に共通して、アイヌ人~本土日本人~沖縄人までD系統(北方古モンゴロイド)がベースになっており、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA#.E3.83.9F.E3.83.88.E3.82.B3.E3.83.B3.E3.83.89.E3.83.AA.E3.82.A2DNA.EF.BC.88.E6.AF.8D.E7.B3.BB.EF.BC.89.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E7.B3.BB.E7.B5.B1.E5.88.86.E6.9E.90
人類集団の遺伝的系統-2
近隣結合法による遺伝的近縁図
この図によれば、アフリカン(ネグロイド)からコーカソイド(白人)が分岐し、コーカソイドからオセアニアン(オーストラロイド)・東アジア人(モンゴロイド)が分岐、そして東アジア人からネイティブアメリカ人が分岐した。この人類集団の近縁関係は上記の遺伝的系統樹と現在の人類集団の地理的配置に一致する。
日本人特有のM7aグループ
日本には世界で(主に)日本人にしか見られないM7aというグループがある[10]。これは台湾付近で発生したと考えられ、沖縄・アイヌに多く本州で少ないという特徴的な分布をしている(Mグループについて、M7aは台湾・日本から朝鮮半島中国北東部への北上。M7b,cは南方及び中国沿岸へ)。M7aの最大集積地が(最も頻度の高い地域)は日本列島や沖縄南部であり北上の上限がシベリアであったとの見方が主流である。M7a、M7b、M7cについてもシベリア等からの発祥は考えにくく、南方から北方に移動があったとされている。
これに対して崎谷満は2009年の著書で、M7aは極東・アムール川流域にも見られるほか、シベリア南部(ブリヤート)、東南アジアにも見られるとし、発生したのはシベリア南部 - 極東あたりと予想する一方、台湾先住民にも台湾漢民族にも存在せず、台湾から北上して日本列島に入ったものではないと記している[11]。なお崎谷は上記の著書において、ミトコンドリアDNA・Y染色体といった分子人類学的指標、旧石器時代の石刃技法という考古学的指標、成人T細胞白血病ウイルスやヘリコバクター・ピロリといった微生物学的指標のいずれにおいても、東アジアのヒト集団は北ルートから南下したことを示し、南ルートからの北上は非常に限定的で日本列島には及ばなかったと述べている[12]。しかし、M7b,M7c等が台湾を中心に拡大していることからもM7は北上ルートでシベリアに達したと考えるのが一般的である。この為近年では崎谷満の説は一般的に受け入れられていない。
塩基多様度のネット値 (DA) 分析による系統関係 [編集]
ミトコンドリアDNAの塩基配列の多様性の度合いを比較分析することによっても系統関係を計測できる。塩基多様度のネット値 (DA) 分析によって求められた集団間の遺伝距離をもとにした系統樹では、まずアフリカ人より西ユーラシア人(ヨーロッパ人)と東ユーラシア人(東アジア人)とが分岐し、次いで東ユーラシア人からアメリカ先住民が分岐し、次いでアイヌ人と東アジア人クラスターが分岐、次いで中国人と東アジア人が分岐、次いで琉球人と本土日本人とが分岐する。
Y染色体(父系)による系統分析 [編集]
母系のみをたどるミトコンドリア解析に対し、父系をたどるY染色体は長期間の追跡に適しており、1990年代後半からY染色体ハプログループの研究が急速に進展した[14][15][16]。ヒトのY染色体のDNA型はAからTの20系統がある。複数の研究論文から引用したY染色体のDNA型の比率を示す。全ての型を網羅していないため、合計は100%にならない。空欄は資料なしで、必ずしも0%の意味ではない
愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20111119 8
ヨーコ物語(竹の森遠く)概要1
Ode au Tango