遊々庵

懐手で、風に任せてゆっくり歩いてみたい。残された時間を大切に。

避難と疎開、80年目のシンクロ

2024-01-23 11:04:10 | 日記
1月22日(月)9時に起きる。穏やかな日差しの光に満ちている。
ブログ編集面に写真の転送ができなくなり、昨日から「絵なし日記」
になり、なんとも味気ない。
復活初日に転送できたのに・・・どこでヘソを曲げられたのか。

能登半島地震で、壊滅的な被害を受けた地域から、学童の集団避難が
相次いでいる。まだまだ親元で過ごしたい子らにとって、たとえ数か
月でも慣れない土地で暮らす心細さはいかばかりか。察するに余りあ
る。
集団避難・・・昔は「集団疎開」と言った。第2次世界大戦末期に激
化する米軍の空襲から逃れるために、都会の子供たちは強制的に安全
な地方に疎開(避難)させられた。
山深い田舎で暮らしていた5歳の時に、隣の空き家に疎開してきた子
供がいた。詳しくは覚えていないが夏のころで、ランニング姿の華奢
な男の子だったように思う。
すぐに田舎の生活に慣れて、刈り取ったばかりの稲を乾燥させる「ほ
だ掛け」にのぼって遊んだり、近くの小川で魚を取ったり、山に入っ
て柿や栗などを一緒に食べた記憶がある。

避難と疎開・・・言葉が違うが、子供たちを襲っているとてつもない
災難の「重さ」は同じだろう。
80年の時空を超えて、子供たちが背負う災難がシンクロするなんて、
想像もしなかった。


コメント (6)
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