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ある大天使の帰天

2018年05月24日 | 宗教
これは、ここまでご説明して来た、谷口雅春という方が霊界から送られてきたというメッセージの中にある、谷口雅春が肉体を離れて霊界に戻られた時のことを、ご自分で説明されている文章を転載するものです。

地上に居られた時から、霊界の実在について広く語られていた谷口氏ですから、当然ですが、迷う事もなく本来のご自分の領域と言いますか、霊域に戻られる様子がよく分かります(部分的に編集してあります)。

(ここから)

さて、それでは、死後に、私、谷口雅春はどうなったかということを、あなた方にお伝えしておこうと思う。

このように話している以上、谷口雅春が地獄で苦しんでいるわけではないことは、まあ万人が認めるであろう。また、生長の家の弟子たちにとっても、まさか谷口雅春が地獄に堕ちたとは思っておらんであろう。そのとおり、我が教えに誤りなし、我は思いし通りの世界、如来界という世界であるが、今来ておる。仏教的にはここは金剛界とも言っておる。

私がいるような最奥の如来界においては、これはある意味では、胎蔵界(たいぞうかい)とも言われている。奥の奥という意味である。

さて私は、この地上を去ってからどうなったか。まあ焼き場へいって、肉体が焼かれるのを惜しんだわけではない。この地上を去るときが来たことは十分自覚しておったし、私も五十数年間、法を説いてきた。したがって、もうこの世に思い残すことは何もなかった。

執着のない霊にとって、この地上界に留まる必要など何もないということだ。私は自分の死を悟ってから、いち早く肉体を抜け出し、その日のうちに天上界へと帰ったのである。私は、四次元幽界などに、立ち止まったりしている暇はない。そういうことはしない。
生きているうちに悟りを開いて、天上界のことも、この世のことも悟っている人間にとっては、途中の休憩所にいって一服している暇はないのである。

目に見えるように説明するならば、まあ、幾たりかの天使が私を迎えにきて、その天使たちの手に支えられながら、天上界へと昇っていったという形となろう。その間様々なる世界を眼下に見た。

これはもちろん、人間的なる私の感覚に訴える映像ではあろうが、私にはだんだん地上に日本が小さく見えるのが見えた。大きな海原(うなばら)が見えた。これは太平洋でもあったろう。海原のなかに日本という島国が見えた。九州が見えた。四国が見えた。中国地方が見えた。関東が見えた。東北が見えた。北海道が見えた。

そうして大海原が次第に遠ざかっていき、そして地球という大きな丸い球体が見えてきた。あそこにアフリカがある。ここにアジア大陸がある。オーストラリアがある。あそこにアメリカ大陸がある。そういう大きな地球儀でも見るように、地球というものが見えてきた。

そして私は非常に速い速度で上昇していった。やがて幽界を通りすぎ、霊界を通りすぎ、菩薩界を通りすぎ、如来界へと入り、如来界の下段階を通りすぎ、中段階を通りすぎ、最上段階へと着いた。

私が着いたところは、あなた方に分かるように言うとするならば、昔からよく言われているような、のどかな風景のあるところである。そこはなだらかで、ゆるやかな傾斜のある丘陵であり、そこには色とりどりの美しい色の家が建ち並んでいた。そして私が帰った処には、私の家の玄関には、ちゃんと谷口雅春の名札がぶらさがっていたのである。

その名札は桧(ひのき)で作られたばかりの真新しいものであったが、その名札の下を見ると、私の過去世の名をちゃんと書いてあったのである。

最近作ったばかりの私の名札を取り除くと、その下に出てきたのは、プロティノスという名前であった。これはローマ時代の哲学者の名前である。新プラトン派の哲学者であり、プラトンの残した哲学を、さらに発展させた哲学者として、私は一度生まれている。そして、このプロティノスという名札を取り除いたならば、下から出てきたのは、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)である。ただ命(みこと)とは書いていない。伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)と書いてある。

ただ私は、心性として日本を好むがために、その家は非常に日本的なる色調のある家である。そうした、なだらかな天国を思わせる山の丘陵のなかに私のその日本式の庭園と日本式の家屋が建っており、私はそこに帰っていったのである。
(ここまで)

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