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帰天、第一声

2018年05月29日 | 宗教
前回は、谷口雅春が霊界のご自宅に戻られたところまででした。谷口氏が、亡くなられた、その日のうちに霊界のご自分の家に戻られたというのは、驚きと言えば驚きですが、まあ真実をご存知だということは、そういう事なんですね。ここからは、先日の如来界のご自宅に着かれてからの、その後のお話です(一部編集、省略してあります。カッコ内は注)。

(ここから)

そうして、まあ光の天使たちにつれられて、そこにいったん居を落ち着けて、何人かと歓談したあと、私は広場へと導いてゆかれた。そこの広場には、様々な、如来と言われる方々が集まっていた。

まあ、如来(大天使)の数は大変多いが、私を迎えに来た如来たちを言えば、たとえば、天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)あるいは天常立之神(あめとこたちのかみ)国常立之神(くにとこたちのかみ)あるいは倭建之命(やまとたけるのみこと)、また、女神の世界からは、天照大神(あまてらすおおみかみ)も、急きょ駆けつけてきてくれた。主として日本神道系の方々であったが、それ以外の方々も、私のもとへ訪ねてきた。

たとえば、哲学者のカントであり、アメリカの思想家エマソンであり、たとえばプラトン自身であり、またソクラテス自身であったり。こういう哲学者たちも私のもとに馳(は)せ参じてくれた。日本神道系の神々、また、かつての哲学者たちが、主として私のまわりに集まってきて、私の帰天を祝福してくれたのである。

そして、やがて他の仏教界の方々も、私のもとを訪ねてきた。イエス・キリストしかり、これはキリスト教系の霊である。仏教系からは大日如来と言われる方がやって来た。阿閃如来(あしゅくにょらい)と言われる方もやってきた。

また、私より一足早く、この日本の国を去っていた高橋信次と言われる方も、私のもとに訪ねてきた。私は生前、まあ、それほど高く買っておらなかった人ではあったが、あの世へ帰って、どうやら同じ仲間だということを知った。決して、憎しみも何もあるわけではないが、そういう霊もいたということを知った。

こうした方々を迎えて、私は、帰天第一声をあげ、数十人の人々を相手に、地上での活躍を語ったのである。そして、私の説いてきた五十数年間、また生誕以来ならば、九十余年説いてきた教えの、間違っていなかったことを、そのときに確認したのである。

確かに天上界は、光一元の世界であり、私たちの信ずる世界は、光しかなかった、ということである。私は、自らの考えというものを、もう一度振り返ってみたが、そこに一点の誤りもないことを認めた。だから、自信を持って、私の、生長の家総裁の五十五年であろうか、その歩みを語ったのである。

戦前の、まず活動から、そして戦争時代に日本が突入し、その暗い時代に、如何にして、光明を掲げるために苦心したかを。さらに戦後、レッド・パージによって、私もまた文書を書くということを許されなかった時代のつらかったことを。また戦後、雨後の竹の子の如く、様々な新興宗教が興って、我が生長の家も、そのような新興宗教の一派と思われ、迷惑したことも語った。

戦前においては、生長の家は、本当に新しい啓蒙(けいもう)団体であり、人々の心をゆさぶるような新しい教えであり導きの光でもあったにもかかわらず、戦後という時代に、様々な新興宗教が興きて、その一派と間違われはじめたことは、私の深く悲しむところでありました。

しかし、私の光明思想、世を照らしていこうという思想自体は、決して誤ってはいなかった。私は、その光明の思想によって世を照らしたことで、多くの如来たちから賞讃を受けた。

ただ惜しむらくは、その啓蒙思想運動が、生長の家という、宗教の一派と思われたこと、そして、宗教に属さない他の方々にとっては、それを一つの線をひいたものとして、線引きをしたものとして、とらえられたということである。

これを宗教としてではなく、思想として、もっと大きく広げていったならば、もっと多くの人々を救うことができたのに、という感想を抱いたということは否めない。それは、私も感じたところである。

ただこれは、戦後、新興宗教ということでレッテルを貼り、新興宗教そのものを悪しきものとした、新聞をはじめとするマスコミや言論家たちの誤りだったと思う。

さて、私は、その五十数年間の伝道の歴史を語り、人々と共に語り合った。
生きていたときには知らなかったのだが、私を、主として指導していたのは、天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)であった。また、日本神道系の他の神々であった。時には、他の哲学者たちもインスピレーションを与えてくれたことがあった。
そうした方々と、手を取りあって私は話し合い、あなた方の力によって私はここまでこられたのだということを感謝した。

このように、地上の人間一人の力によっては、何事も成せるものではない。あくまでも、地上に下りたる宗教家は、それはスピーカーであって神のラッパであるのだ。これを忘れてはならぬ。

さて、今日の最後の話として、締めくくるとするならば、高橋信次すでに亡く、谷口雅春亡き後、日本の国を中心として新たな教えを説いていくのは、やはりあなた方であろう。

今後は私も指導霊として天上界から様々なアドバイスをするつもりであるが、どうか明るい世界を築くために、万教は帰一であり、同根であり、一つであることを、それを高らかに謳(うた)い上げ、たんに日本の教えとして留まることなく、全世界の人々を救うために、勇ましく立ち上がっていただきたいと思うのである。

仏教もキリスト教をも、神道をも儒教をも回教をも、ユダヤ教をも、哲学をも、文学をも、芸術をも、超えていくようであれ。そうした勇ましい活躍であれ。

世界は今(1980年代当時)、闇に沈もうとしている。このときに、大きな神理(真実)の太陽が昇る必要があるのだ。大きな光が、明るい光が必要なのだ。人々に対する光明が、必要なのだ。それを忘れるな。光明となれ。自らのことを考えるな。勇ましく人々の心を照らしてゆけ。世を照らしてゆけ。それが、あなた方の使命である。

(ここまで)

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