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真宗の起源と弥陀の本願の真義、親鸞のメッセージ、1986年

2020年05月27日 | 宗教
これは、今から三十年余り前に、あるチャネラーに伝えられた、日本の歴史上、親鸞と呼ばれる方の霊界からのメッセージです。

親鸞上人は、鎌倉時代に活躍された方で、浄土真宗(いわゆる真宗)という仏教の一派の創始者のような方です。真宗は、現在、京都にある東西の本願寺という二つの大きなお寺が本山になっています。天台宗、比叡山延暦寺で修行をされ、そこを出られてから、当時一般的に、お寺の僧侶は生涯独身で、肉食も御法度だったにも関わらず、妻帯肉食を始められたということで、破戒僧と言われるような革新的な方だったようです。このメッセージにも、そうした部分が表れているように思います。元はインタビューですが編集してあります。カッコ内は補注です。

(ここから)

親鸞でございます。

(まず、申したいことは)親鸞は(昔日から)一向に進歩はしておりません。親鸞は、あなた方が思っているように(は)、著しい進歩をしている人間ではありません。(地上の鎌倉時代を生きた)七百年前も、その前も、その後も、わが心性は変わっておりません。

私は進歩がない人間です。私は私として、ただ一筋に、自分の念いのままに、想うがままの道を生きるまででござる。あくまでも、親鸞、にわかに、親鸞以上の親鸞にはなりません。親鸞は、あくまでも愚禿親鸞でござる。賢くなってもおりません。悟ってもおりません。このような親鸞の考えでよいのならば、いくらでもご披露致しましょう。

ただ、それが、あなた方の満足の行くものかどうか、地上の世の人々の満足の行くものであるかどうかは、私には判りかねます。しかし、世の人々が、今、親鷽を懐う気持ちがあるならば、親鸞の思想、どこにありやと思う気持ちがあるならば、それに応えることを惜しむような私ではござらぬ。

私は(地上に)生きていたうちにも、それほど熱心に布教したわけではござらんし、それほど弟子の養成をしたわけでもござらぬ。親鸞は親鸞としての信念のうちに、ただ生きたのみ。それを世の他の人々が如何に見たかは、彼らの側の問題でござる。ただ、その親鸞の、ものの考え方が、現代のあなた方から見て不可解であるならば、私は、私の分かる範囲で全てを語り尽くそうと思います。

唯円(お弟子とされる方)が書いた「歎異抄」の、 いわゆる「悪人正機説」の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」の一節ですが、キリスト教の、これに似た、イエスの「富める者が神の国に入るよりは、駱駝が針の孔を通る方が、かえって易しい」とのお教えとは、ある意味においては、同じものです。

とかく仏法を求めている人は、偉くなりたい、悟りたいと希(ねが)うものです。そして、仏の教えを理解すればするだけ、自らが偉くなったが如く、宗教天狗となって行くのです。そこで、私は、警告を発したのです。

鎌倉時代には、もはや仏教は形骸化し、当初の釈迦の教えは、末法の世となり、正しく伝わってはおらず、諸宗派、相競って、釈迦の何経が正しいとか、この教えこそ真の教え、こちらは違う、と、こうした事ばかりをやって、学者が議論をしていたのです。

しかし、考えてもみなさい。仏の教えは、言わば、総合的な人間学で、全ての学びの本(もと)でござる。今の世で言えば、学問にも色々ござろう。英語とか、国語、社会、理科とか、様々な学問がある。そのうちの英語だけやれば、人間は完成しますか。数学だけを学べば、人間はそれでいいのですか。国語だけをやっておれば、世の中のことが分かりますか。理科の実験だけをやっていて、世界の仕組みが解りますか。そうしたものではないはずです。

人間が学ぶべき事とは、学びの根本の精神を酌みとって、様々な角度から考えていくことです。

ところが、当時の教学は、仏説の真理を判断し、これこそは真説、経文のこの意味はこういうこと、こうしたこと(を知ること)が悟りであるかの如く誤解されていたのです。

しかし、今から二千五百有余年前に、釈迦が説いた教えは、そのような、学者相手に説いたのではござらぬ。

釈迦の時代は、インドもまた、戦乱の世でした。戦乱の世であったからこそ人々は真なるものを求め、本当の「ブッダ(悟れる者)」の教えを求めていたのです。そうした、世が乱れ仏法が衰えた(ときが、則ち)本当の神理、神の教えが衰えた時だったのです。

従って、また、釈迦の時代も、当時として見れば、末法の世であったわけです。末法の世だからこそ、末法の世を建て直すがために釈迦が出られ、人々を導かれたのではないでしょうか。

また、我らが時代、鎌倉時代にも、仏の教えの真髄は失われ、世は戦乱の時代で、人々は慟哭し、動乱の時代だったのですが、そうした時に、かつての仏教、仏典が、釈迦の時代のバラモンの教典のようには、知識化し学問の対象と(は)なっていなかったのです。

ですから、あなた方から見れば、私がやったことは、あまりにも簡単過ぎる。
どんな人間でも救われる、弥陀の本願を信じて疑うな、というような教えは、現代のあなた方から見れば、ずいぶん幼稚な理論だと思えるでしょう。しかし、これは、一つの、悟りに至るための精神棒であった、ということなのです。

果たして、釈迦は、二千五百有余年前に、インドの衆生に対し、そんな難しい専門的なことを説かれたでしょうか。

鎌倉時代には、もはや仏教は、専門の学問と堕しておりました。難しい漢文を読めなければ、人々は救われないのですか。釈迦の時代に、そんな難しい古語を読めたような人を相手に、教えておりましたか。

釈迦が教えていた相手は、当時のインドの民衆でした。そうした戦乱の中で救いを求めていた方々でした。そうした方々に説いた教えならば、なぜ、そんな難しいことがあるでしょうか。釈迦は、そんな知識を得なければ救われないような事を、言ったのでしょうか。

当時のバラモン階級、貴族階級は、余裕があったために、様々の学問を学び古の教えに接したことでしょう。しかし、下層階級の人たちはどうでしょうか。奴隷階級の人たち、商工人たちはどうでしょうか。彼らには、古(いにしえ)の難しい教典を学ぶような、そういう余裕があったでしょうか。そういう時間、そういう機会があったでしょうか。ありはしないのです。

ですから、釈迦は、そういうバラモンの僧を相手に法を説いたのではありません。釈迦が説いたのは、一般民衆に対してです。ならば、釈迦の本意はどこにあったか。貧しい人々、迷える一般の大衆を救えるような教えにあったはずです。

ところが、それが中国に伝わり、漢訳され、またその漢籍が日本に伝わるにあたって、その様な難しいものとなり、何経が正しいとか、そのようなことを言(う様にな)っていたのです。

日蓮上人から見れば、念仏で救われる、などということは、堕地獄の業かも知れない。教学をやった人間から見れば、確かにそうであろう。釈迦の本説を読みもしないで、なぜ救われるかと、そう思う人もいるであろう。しかし、それは、当時のインドで言えば、バラモンの悟りなのです。仏説を、知力で学んで、そして悟るというのは、バラモン階級、貴族階級の悟りなのです。

しかし、釈迦の本意は、そこにはなく、釈迦にとっては、庶民を悟らしめることが本当の気持ちであった、真のお気持ちであられたはずです。

では、釈迦は、如何にして人々を導かれたのであろうか。釈迦は、大いなる慈悲を説かれた方です。

慈悲とは何でしょうか。

慈悲とは、父母が幼児を見守るような眼で人々を見る、それが慈悲ではないでしょうか。幼い者を護る、幼い者を愛する、幼い者を導くということが慈悲ではないでしょうか。

釈迦の教えは、百万言費やしても分かりません。その仏門には様々な道があります。何百何千の入り口があります。それを究め尽くすことは出来ません。

ただ、しかし、釈迦の教えを一言で言い切るとするならば「慈悲」ということです。

つまり釈迦は、慈悲を説かれたのです。慈悲は何人に向けられたのでしょうか。迷える衆生、迷える人々です。悟ろうとしても悟れない、そういう人々に対して慈悲が向けられ、釈迦は、その慈悲を説いたのではないでしょうか。

では、鎌倉時代に、慈悲を説いた方がいるでしょうか。日蓮上人は慈悲を説いたでしょうか。日蓮は、知力による悟り、その悟りに基いた生き方、これを主張しました。

道元禅師はどうでしょうか。道元は坐禅を説きました。そして難しい哲学を説きました。その道で満足出来る方もおられたでしょう。けれども、それは慈悲ではないはずです。

他の方々はどうでしょう。

天台の教学をやった方々はどうでしょうか。彼らは、本当に慈悲を知っていたでしょうか。天台智顗は偉い方だったでしょう。けれども、天台智顗の言う難しい学問的仏教を、一般の人たちは理解出来たでしょうか。それを学んだ、比叡山の延暦寺ですね、彼らの教えを、どうして民衆が解るでしょうか。

釈迦は、ただ、慈悲、を説かれたのです。しかし、誰も、その慈悲を説こうとはしないのです。私は、これは一つの問題点であろうと思いました。

慈悲さえ説けば、釈迦の本意は伝わるのです。ならば、私は、その慈悲を説こうと考えた。

では、鎌倉時代において、慈悲とは一体何でしょうか。

世は乱れ、戦乱です。宗教は末法です。人々は、何がどうなっているのか分かりません。人々は、いつも、死後の恐怖に戦(おのの)いていたのです。

当時は、今の人たちよりは、死後の(世界の)存在を信じていたのです。

今の世の人々、特に知識人と言われる人々は、死後の世界はない、魂の世界はないのだ、と、そんな愚かなことを、したり顔をして言っています。しかし、当時の民衆は、死後の世界を信じておりました。現在のように、唯物的なものの見方をする人などおりませんでした。皆んな、死後を知っておりました。

そして、死後の世界には、天国と地獄があるということも知っておりました。これは、当時の民間信仰では、常識であったのです。

天台の教学を学ばなければ天国へ行けないのならば、下層の庶民は、地獄へ堕ちることは、もう決まっているはずです。彼らは、それで、戦々恐々とした毎日を送っていたのです。

善行をすれば救われると言っても、このように世が乱れた時代に、如何ほどの善行が出来ましょうや。善行をするどころか、悪行を、犯そうと思わずしても犯してしまうような世であった。罪を犯そうと思わなくとも、犯すような世であったのです。

では、そうした時に、庶民大衆を救う教えとは何でしょうか。
何百万もの人が、それを聴いて解るような、やさしい教えでなければいけないのです。今のように、学問が進み、大学を出ている人が多い世の中ではありません。学問などないのです。読み書きが出来れば、よい方です。大部分の人たち、つまり、人口の七割、八割の人は、読み書きすら出来なかったのです。自分の名前さえ書けない人も多かったのです。

こういう人々を導くには、ただ一転語を以って、その人を悟らしめる以外には、ないではないですか。そうでしょう。

釈迦が、鎌倉時代に慈悲を説かれたならば、どうなのか。私は日夜学びました。

釈迦が鎌倉の時代に出ておられて、この衆生の迷いを見たら、一体、何を説かれるだろうか。釈迦は、仏の救いという事を、やはり、お教えになるに違いない。あなた方は皆んな救われる、とお教えになるに違いない、と。なぜならば、慈悲とは、父や母が幼児を見るような、やさしい眼で見守ることを言うからです。

あなた方は、自分の子供が、例えば、二つ三つの幼児が悪い事をしたからといって、それを罰しようと思いますか。

幼児は、まだ善悪が分からない。物事の判断が分からないのです。言葉を発することも困難なのです。ただ一言、乳がほしいとか、ご飯がほしい、喉が乾いたとか、そうしたことを言えるだけの幼児です。

そのような幼児に,、これを学ばなければ、お前は一人前ではないと、あなた方は鞭打てますか。父母の心ならば鞭打てないはずです。これが神仏のお心です。

私の時代には、阿弥陀信仰というものがありました。すなわち「阿弥陀経」というものがあって、阿弥陀仏が、人々を救うために、四十八の"発願"をされたのです。阿弥陀仏は、人々を、衆生を救うために修行に修行を重ねて「この四 十八願が叶わないならば、わが命を奪い給え」と、そこまで覚悟されて修行に打ち込まれた。それだけの願いがありました。

その中で、阿弥陀如来は「衆生を救う」ということを、はっきりと言っておられます。「どんな人であろうとも救う」と言っておられる。

あなた方、人間ならば、良い人を救い、良くない人を救わないのは簡単です。しかし、神仏の大いなる眼から見たら、人間は平等です。

神仏は、ある意味では、泳ぎの達人です。もし、あなたが泳ぎの達人だとして、川で人が溺れている時に、あなたは、その人が善人だから悪人だからといって、救うか救わないかを決めますか。 あなたは泳ぎの達人です。あなたは、よいですか、日本一の泳ぎの達人なのです。日本一の泳ぎの達人がいて、そこに子供が溺れているのです。川に。

川に流れはあるでしょう。普通の人ならば、自分が溺れることもありましょう。しかし、あなたは日本を代表するような泳ぎの達人です。そして、その眼の前で、子供が溺れているのです。助けられないわけはない、ではありませんか。

あなたは、その子が、品行方正な子供か、それとも、おいたをしている子供かによって、救うか救わないかを決めますか。決めないはずです。その子の通信簿を見て、オール「5」だから救うのですか、オール「1」だから救わないのですか、そうではないはずです。

神仏と人間とは、それだけの差があるのです。神仏が、私たち人間のような差別知で物事を見ているならば、神仏は、好き嫌いで人間を救う救わないを決められるでしょう。しかし、そうではないのです。泳ぎの達人で神仏が現われるならば、必ず救って下さるはずです。

親鸞は、川の中の溺れる者たちの中にあって、私も、また川に流されていた(うちの)一人の人間でした。私は川の中で流されておりました。自らを救うことも出来ずに流れていた人間です。その時、同じく、浮きつ沈みつ流れていた多くの人々がいたのです。しかし、親鸞には救うことは出来ません。

けれども、よいですか、「神は、神仏は、阿弥陀如来は、必ずあなた方を救って下さるよ」と、親鸞は泳ぎつつ人々を励ましたのです。この教えに何の誤りがありましょう。必ず救って下さるはずです。人々よ、その教えを信じなさい。私は、こう説いたのです。

私もまた(比叡山で)難しい教学を学びました。難しいことを言って、それで人々が救われるものならば、私はそれも言いましょう。しかし、慈悲はそうではないのです。(鎌倉時代に)何百万、何千万という人々は、川の中を浮きつ沈みつして流れていたのです。今にも溺れかからんとして、息も絶えだえに流れていたのです。

そこで、親鸞は声を出し「皆様、私はお助けは出来ませんが、きっと神、神仏は、阿弥陀如来は、皆様をお助け下さると思います。なぜなら、阿弥陀如来は泳ぎの達人でいらっしゃるからです。ですから、そのお力も並外れたものです。きっと救って下さるに違いありません」と説いたのです。

現に、阿弥陀如来は、人々をお救いになられるからです。これが釈迦の慈悲でなくて何でありましょう。もし釈迦が鎌倉の時代に生まれたならば、きっと、私と同じ教えを説かれたでありましょう。浮きつ沈みつしている子供に「お前が善人なら救ってやろう」と釈迦が言われたでしょうか。お前の通信簿がオール「5」であったら救ってやろうと言ったでしょうか。

日頃の学びにおいて、オール「5」を目指しなさい、品行方正な子供になりなさい、と教えるのは簡単です。それは、その通りです。学校でもそう教えます。しかし、事態を見極めなさい。激流の中で浮きつ沈みつしている時に、そんな道徳論を言っておれますか。まず救うことです。それが先決です。

イエス様の教えにも、同じようなものがあります。これから話すのは、イエス様の教えの中の喩え話です。

ある愚かな人が、道に倒れておりました。そこに、ある人が通りかかって、その者に語りかけました。すると、その者は「私は脇腹に傷があって、血が出ています。步けません」と、そう言いました。すると、そのある人は、「ああ、私の手には負えないな。そのうち向こうから医者が来るだろうから、その医者が救ってくれるだろう」と、見て見ぬふりをして、先へ行きました。

そこへ、また次の人が来ました。愚か者はまだ血を流して苦しんでいます。次の人は、病んでいる者から「助けて下さい」と言われたのですが、「いや、君は病院へ行けば治るよ」と言って、そのまま通り過ぎてしまいました。

三番目の人が来ました。三番目の人も、その病んでいる人を見ました。この人は宗教家でありました。その人は尋ねました。
「あなたは、怪我をしているのですか」
「しています。血が流れています」
「あなたは、何教を勉強されていますか」
「私は異教徒です」
「あなたは、キリスト教に改宗しなければ救われません。まず教会に行って、キリスト教徒になりなさい。そうしたらお助け致しましょう」
その宗教家は、そう言って通り過ぎて行きました。異教徒は救ってはいけないと思っていたからです。

そこに、例えばイエス様が通りかかったとしましょう。
イエス様はどうされるでありましょう。イエス様は、まず何も言わないで、すぐに傷の手当をされるはずです。その病の人を救おうとして、その病の者を担いで、次の宿場まで、宿まで運んで行かれるはずです。

そのような重病人に対しては、まず何を言うではなくて、命を救うことが先決なのです。血を流して苦しんでいる人に対しては、まずその傷の血を止めることが大事なのです。そうではなくて、その人を救う専門家がいるだろうとか、あるいは、その人の考えが間違っているとか、そんなことを言って(いて)はいけないのです。それは神の御意ではないのです。

よいですか、私の今の喩え話を、これはキリスト教で言われている喩え話ですが、よく覚えてほしいのです。

鎌倉時代に、何教でなければ救われないと言っている人は、お前はクリスチャンでなければ、教会に登録しなければ救ってあげられない、と言っている宗教家と同じなのです。そのようになってはいけません。どのような者であっても、救われねばなりません。

それが神の御意です。神様が出られたら、必ずお救いになります。その人の品行方正、そんなことは何も言いません。きっとそのはずです。

釈迦にも、また、同じ教えがあります。釈迦には「毒矢の喩え」という教えがあります。

ある理論好きの人がおりました。その人が、釈迦に問いかけました。

「ここに毒矢に射たれた人がいる。そして、毒がまわって死にそうです。この時、あなたは、どうされますか」と。
そこで、釈迦は、「まず、命をとり止めることが先決である」と、そういうことを言いました。

ところが、その理論家は、嘲笑って、こう言ったのです。

「あなたは間違っている。まず、その矢がどこから飛んで来たのか、そして、何の毒が塗ってあるかが分からなければ治療は出来ないではありませんか。ですから、どこから飛んで来て、何の毒が塗ってあるかを知ることが先決で、それからでなければ、救うことは出来ないはずです」

釈迦は、その時に、言葉に窮したかのように黙しておられた。黙っておられたとのことです。

しかし、釈迦の真意は、そんな所にあったのではないのです。まず、生命を取り止めねばいけない。矢がどこから飛んで来たか、毒が何であるか、そんなことは後のことだ。まず、傷口をふさいで、包帯をして、命を取り止めることが大事だ。釈迦はそういうことを言ったのです。

これから 、あなた方に対しても、 色々な人が色々の事を言うでしょう。

この矢の喩えの如く、あなた方に「悟りとは何か」と言って、あなた方が高邁な理論で答えないのを嘲笑う人がいるでしょう。

あるいは、あなた方が親鸞の説教を説いているならば、「浄土真宗のこういう本を読んでいるか」「こういう教義の本質を理解しているのか」と、こういうことを言う人がいるでしょう。

「親鸞は慈悲こそ全てだと言っています」と、あなた方が答えます。すると、理論家は嘲笑うでしょう。この彼は、仏教大学で「浄土真宗」を専攻している人なのです。

「そんなものではない。親鸞の教えとはそんなもんじゃない。親鸞は、こんな事を言っている。あんな事を言っている。歎異抄で唯円が書いているが、ここは親鸞の考えを理解していない」

このようなことを、彼は、ああでもない、こうでもないと言うでしょう。

ただ、本当は、人が救われれば、それでよいのです。

学問的に、その理論の正否ではないのです。毒矢の如く、まず、毒矢に当たっている人を救わなければならないのです。その人が何の階層に属しているか、矢がどこから飛んで来たか、どんな毒か、こんなことは関係ないのです。

釈迦は、当時、ある人から「悟りとは何か」、あるいは「宇宙とは何か」というような質問をされたことがあります。しかし、釈迦は答えなかった。

そこで、それを後世の人たちは、釈迦は宇宙は何かが分からなかった、悟りとは何かが一言で言えなかった。だから、まだまだ勉強が未熟だったのだ、と、評したりしました。

しかし、それは違っています。毒矢です。まず、命を取り止める必要があったのです。

私たちの時代でも、毒矢に当たって苦しんでいる人が一杯いたのです。ところが、その時に、矢がどこから飛んで来たかが判らなければ人は救えない、とか、毒の種類が判らなければ救えない、とか言っている人が一杯いました。他の宗教家たちです。

矢がどこから飛んで来たかが判らなければ救えない、とは、どういうことか。これは、ある人が悩んでいても、その原因がどこにあるのか判らなければ、その人は救えない。あるいは、毒の種類が判らなければ救えない。まず、それを知ってから手当をしたらいいだろう、と、こういうことを言っているのと同じです。

矢が当たって血が流れているなら、まず止血をしなければいけない。血を止めるのです。腕に矢が当たったなら、矢が当たった腕の、心臓に近い所の上を縛りあげて止血し、そして、矢を抜かなければなりません。それが第一です。

親鸞が教えとは、かくの如きものです。

私は、矢がどこから飛んで来たかは知りません。敵の矢か味方の矢かどうかも存じません。その毒が何の毒か、ハブの毒か、あるいは、他の鉛の毒か、私は、そのようなことは知りません。ただ、矢に当たった人がそこにいるのならば、一秒でも早く止血し手当をせねばならぬ。ただそれだけです。

親鸞が教え、親鸞が弥陀の本願、念仏と申したのも、ただ、矢が当たったら、まず応急処置をしなさい、ということです。

その教えは、全てではありません。まず応急処置をして命をくい止める。それが先決です。そして、その後に、様々な研究をすればよろしいでしょう。毒の性質を研究すればよいでしょう。そうした人もいるでしょう。それはそれでよろしい。

ですから、私が、今から数百年前に説いた教えというのは、人々に、本当の信仰とは何かということを教えることでした。

阿弥陀如来という、神仏の偉大なる化身がおられて、日夜あなた方を救うために努力しておられるのですよ、と、そういう事を、私は言いたかったのです。そのことを知りなさい。そのことを悟りなさい。それだけで、あなた方は一命を取り止めることが出来るのです。

これは、専門的な治療ではないかも知れません。しかし、あなた方は毒矢に当たって苦しんでいるのですから、まず命、これを救わねばなりません。それは、仏の大いなる慈悲を知ることです。あなた方にとっても、そうです。現代人にとって悩みの種は尽きません。しかも自分だけで解決しようとして、迷路に入って行ってしまうのです。


なぜ、あなた方は、この世界が神仏の造られた世界だということを理解しようとしないのですか。

この三次元、則ち、現象世界だけが全ての世界ではないのです。神仏は、あなた方の全てをしっかりと見ておられる。そうであるならば、なぜ彼らに、お任せしようとしないのですか。なぜ人間心で、色々と、ああでもないこうでもないと、出口を求めて狼狽するのですか。なぜ神仏のご慈悲にお任せしないのですか。

もちろん、自力で救われる人はおります。しかし、自力で救われるということは、もう(他力的な)信仰は必要ないのです。自力信仰ならば、これは自分を信じるということであり、自己確信と同じです。どんな難局があっても、自分で切り拓いて行ける人ならば、そういう人はよろしい。そういう人は泳ぎの達人です。

泳ぎの達人は、いくら水泳の名選手が岸辺にいたとしても、その人に救われようとはしません。彼は、自分で泳いで岸に上がって来れるのです。そうではありませんか。水泳の選手が水泳の選手を助けはしないのです。泳げない人だからこそ助ける必要があるのです。

自力論者、則ち、優れた人々にとっては、まさにその通りでありましょう。優れた人々は、神仏が手を下すまでもなく自らを救って行くのです。そうした方がいることを親鸞は知っております。

彼らが(自分を)自分自身で救えるならば、弥陀は力を発揮する必要はありません。自分自身の中なる仏性を信じて立ち直って行ける方は強い方です。そうした方は、自分で救って行きなさい。弥陀もそれを喜ばれるでしょう。

けれども、自らが溺れている人には、それは無理です。あなたは、水を飲んで流されている子供に、自力で自らを救いなさいと言えますか。自力で泳いで岸まで来いと言えますか。それは一見、正論です。自力で岸まで泳げる人ならば助けなどいりません。しかし、そうでないからこそ助けが必要なのです。

私が救おうと思った人々とは、庶民の方々、迷える人々です。迷える人々だからこそ救いの手を差しのべる必要があるのです。だからこそ神仏のお心を教える必要があったのです。神仏は、溺れている子供に、沈めとは言っていないのです。助けようと思っておられるのです。

ただ、間にあわなくて、助けられないままに沈んでしまう方もいます。けれども、そのお心を疑ってはいけない。神仏は溺れているあなた方を救おうとしておられた。その事だけは忘れてはいけない。順番に溺れる者を拾って行かれる間に沈んでしまう人もいます。則ち、これが地獄に堕ちる人です。だから、とりあえず地獄に堕ちた人もいます。弥陀のお力が及ばなかった、とは言いかねます。(けれども)地獄に堕ちる人もいるでしょう。

しかし、そうした人たちを必ず救って下さるのです。水に沈んだ子を、神仏は助け起こして岸辺まで拾い上げて、水を吐かせ、人工呼吸をしてでも救おうとされるのです。沈む前に救いたいのは、やまやまです。しかし、沈む前に救えないこともあります。そのような時には、沈んで顔が土色になっている子供であっても、神仏は、水を吐かせ、人工呼吸をし、心臓のマッサージをして、お救いになろうとしておられるのです。

この大いなる慈悲に気が付きなさい、と、私は、これを教えたのです。私は、この教えに間違いはないと思います。自力の人は自分で救って行きなさい。それはそれで結構です。

私たちのような、煩悩多き迷える衆生、水を飲みながら泳いでいる衆生は、それで救えないからこそ、神仏にすがっているのです。ですから、あなたも、あなたの足にまとわりついてくる幼児を、足蹴には出来ないはずです。親もまた同じです。

私が衆生に教えたのは、神仏は、父であり母であるということです。

ですから、その足に縋りつきなさい。ひとえに縋りつきなさい。そう訓えたのです。あなたは、あなたの可愛い子が足に縋りついたとして、それを蹴飛ばせますか。両手で抱き起こすでしょう。人間は、神仏が造られた子供なのです。神仏の分け御魂なのです。なぜそのように、つれなく突き放しましょうや。

その子の、お行儀がいいから、その子の這い方がいいから、その顔付きがいいから抱き上げる。あるいは、その子の顔付きが悪ければ蹴飛ばす、そのようなことを神仏がなされるはずがありません。

平等の 「愛 」というものを信ずること、これが信仰の根本なのです。

これを邪説と言う人もおりましょう。それならば、邪説と言って頂いて結構です。その方は、信仰の何たるかを知らない人です。また、神の御意を知らない方です。その御意がどれだけ大きいか。それは、大人と子供以上の差があるのです。

この世界をお造りになり、この世界に、生きとし生けるものを、全て送り込んだ方なのです。そのような偉大な方であるならば、助けを求めれば救って下さるのは当然です。それを、単純だと言い、仏説を知らないと言うのならば、それでも結構です。

しかし、それを知らないで、知識を、いくら学んでも意味がありません。

信仰とは、弱き者を救うことです。強き人は自ら救って行きなさい。自ら自分を救って行ける人は、自らが教祖のような人です。自分教で自分を救えるのですから、そういう人は、自分を救って行きなさい。それで結構です。

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