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古代ギリシャ思想の真実、ソクラテスのメッセージ、1984年

2020年06月19日 | 思想
これは、古代ギリシャの思想家、ソクラテスとして知られる方が、霊界から、あるチャネラーに語られたとされるメッセージです。実直な人柄が伺える内容となっています。元はインタビューですが、編集してあります。カッコ内は補注です。

(ここから)

(私は)ソクラテスです。私は、ギリシャの国に生まれました。今から、およそ二千五百年程前です。

私は、今の、あなた方がギリシャと呼んでいる国の、アテナイという都市で、人間として生きていく者の正しい生き方が、如何なる方法(によるもの)であるか、ということを(当時の人々に)説いていた(者な)のです。

私は、この(チャネリングと同じ)ような「対話」の形を通じて、人々を啓発するという方法をとリました。

(私の思想に関する書物ということで言えば)私の弟子達が、私の語ったものを記録に残しております。私、自らは書いてはおりません。

(その、私の書物が残っているということが)釈迦や、イエスが、説法されて、その弟子の方が、後々の世のために書物として書き残された、ということとは、同じで、あったかも知れませんが、違うかも知れません。

私(の説法の留意点として)は、主として知識、知力、理性というもの(観点)から「正法」を説いていた者です。(要は)真理に対する正しい知識を持っていなさいと(いうことです)。そうすることが、あなた方の進歩に繋がるのです。間違った心、間違った知識や知恵は何の役にも立たない。そういうことを議論によって次々と表わして行きました。

(正しい知識という事で言えば)私の考えは(大事な事は)神というものを哲学的に認識することでした。具体的には(私は)私が招霊をしていた者との交信を通して様々な知識を得ました。

それは、その時点で、私が「神(神霊)」の存在というものを自覚していたということです。

正しい知識は、いわゆる人間知によるものか、神から出された本来の英智というものか、そのけじめは、確然としていました。

ただ、あなた方(地上の人々)は、一般に、宗教という形で人々に説いていたけれども、当時のギリシャは、非常に知的な文化が進んでおり、非常に、学問的にも進化しておりましたので、宗教を宗教として単に信ずる、感じるというのではなくて、私の当時の使命は、宗教を学問化する、ということが、私の当時の目的であり、神を、ただ信ずる、などというのではなくて、この世界、あの世の世界を学問的に体系づける、ということが、私のやり方の一つでした。

私が(霊感で)感じて、(交信の)対象としていたのは、ゼウスの神です。ゼウスは、人格神ですが、諸々の聖霊達の上に立つ者です。

(ゼウスは)宇宙の創造神ではなく、地球霊団の指導者という形の神であったか、といえば、そうとも言えますし、そうでないとも言えます。

具体的に、人格的な神であられることは存じておりましたが、それ以外に、天地創造の大きな働きと関係あることを否めません。それ(らの違い)を学問的に捉えることも難しいと思います。ゼウスという言葉も、人格神としてのゼウスと、それ以外の、大きな力を表わしているゼウスがあると思います。

その辺の関係性を、理論的に私は説いたのです。

弟子のプラトン、アリストテレスなどには、彼ら(なり)の立場や考え方がありましたので、(彼らが)文書に著わしたものは、必ずしも私の意図したもの通りとはなっておりませんが、私の考え方、思想の一端は、彼らも述べ伝えているはずです。

(この地上に生活する人間が、如何に生くべきかという具体的な生活の行動指針だけではなく)私は霊の世界についても説いております。転生輪廻についても語っており、霊界の世界も、生きながらにして行って来ました。そして、天上界の仕組みについても、私は、語りました。そういうものがあるということを、人々、特に青年達に教えていきました。

青年達に、アテナイの、ギリシャの未来を担う青年達に、魂の世界のあること、天上界という組織があるということ、転生輪廻もある、ということを教えましたが、当時の、他のソフィスト達は、私を、青年達を惑わす者、青年達を悪に引き込むものだ、というふうに称して、私に、議論でよく負けていたものですから、そういう反感から、私を陥れようと陰謀した人達も、随分あって、私を、青年達を惑わした、という名のもとに、死刑にしようとしました。その人達には、役人とか、或いは、政治的な背景を持った人達も居りました。当時、有名な言論家達が、たくさん居りました。私は、当時でも、異端のように思われていたのです。

当時の言論家達、雄弁家達は、自らの知識を誇りにしておりましたが、私は、そうではないのだ、あなた方は全く無知なのだ、学問をいくらやっても学問馬鹿というものがある。

いくら、この世の学問を修めたところで、あなた方は、霊について何も知らないではないか、死後の世界を、何も知らないではないか、神についても知らないではないか、転生輪廻について何も知らないではないか。

何も知らない者が、知った者のように語ることは如何なることか。何も知らないのに知っているように語るよりは、知っている事と、知らない事とを分け、知らない事を知らないと言える謙虚な人間こそが、もっと立派である、と、私は彼らに言いました。

あなた方は、何も知らないではないか、何も知らない。霊も知らない、神も知らない、この世の仕組みも知らない。仕組みも知らないのに、何もかも知ったような顔をして青年達を教えるというのは、間違っているではないか。

そのようなことを、私は、事ある毎に人々に言いました。ところが、当時の人達は、私を、世を惑わす異説、異端と決めつけて、私を消し去ろうとしたのです。イエス様が十字架にかかったのと、似たような事情です。

当時の、私の仕事は、今でいえば、大学教授のようでもあるし、弁論家でもあるのですが、弁証家が、それだけの力を持っていた時代なのです。

立場としては、(それぞれの時代時代に)いろんな現われ方で、例えば、仏教では、いろんな僧侶が、沢山、出て来ました。キリスト教では、キリスト教の、教会とか、いろんな方が出て来ました。

私達の時代には、雄弁家というか、学問家というか、自分らで考えたことを次々発表して、真理を競うとか、真善美、これを追究するための文化が、非常に発達した時期でした。

当時も、学校はありました。私自身、アテナ学園を創っていった人間の一人です。そういう学園の研究室で、弟子達を集めて教えておりました。

プラトンは、その当時の弟子です。アリストテレスは少し時代が下がります。そういう若い青年達を対象にして、説法していたということです。

当時の方々は、学問という(ものの)基礎は、もうあったのですが、本当のことが分からない。それで、哲学というものを作ったのは私達ですが、これは、神の弁証、真理の弁証というものを、或る程度、学問的に捉えようとした動きです。

そしてまた、私は、このように、現在、このチャネラーが語っているように、光の天使達と語ることが出来たために、今と同じように、私の事を怪(おか)しいというような人も、やはり随分居たわけです。しかし、私を信ずる者は、私に従いて来ましたが、私を信じないでペテン師だと言っていた人も多かったのです。

私は、当時、既に霊能力が開かれていました。ゼウス様とは、直接は、お話できませんでしたが、お弟子様達と(は)お話(が)できました。

私の学問とその教えの基本が、今様の帰納法か、それとも、演繹(えんえき)法か、といえば、両方とも、言葉が適切ではありません。帰納でも演繹でもありません。私のやり方は違います。

私は、神の世界も知っていますし、霊の世界を知っています。

当時、(霊の世界については)全て分かっていましたけれども、当時の人で、そのようなことを理解できる人は居なかったのです。

ですから、議論ということを通して、相手に、自らが無知であるということ、魂の頁実に対して無知であるということを悟らせる、これが、悟りの第一歩だ、ということで、私は、人々の「無知」ということを悟らせようと努力したのですが、これが、無知を悟らせられる側の人から見たならば、大変、傲慢なやり方に思えたはずです。

キリスト教には、自らの罪に気付いて懺悔する、というやり方があるでしょう。仏教でいうならば、反省ということがあるでしょう。私のやったことも、同じことなんですが、人間には、間違った考え(があり)、(人間は)愚かな考えや、欲望に振り廻されておりますが、それは無知に基づくものです。その「無知」に気付かせるために、私は、いろんな所で、いろんな人と議論を行ない、いろんな人に、いわば、恥をかかせました。これは、まあ、一つの方法です。

私の「汝自らを知れ!」という言葉ですが、それが、自身の反省に立脚せよという意味であったわけですが、今日的な宗教的な言葉で言うならば、神の子である自分に目覚めなさい、或いは、自分の良心に目覚めなさい、そういう言葉です。当時は、そういう言葉でしか「正法」は説けなかったのです。

私は(一般の人々が見て不思議に思うような、霊的な)現象は、人々に(は)見せません(でした)。

私の採った方法は、こういうことです。なんというか、神の子としての自覚を持って日々生きていく人々は、それなりの、高貴な魂、高貴な精神の持ち主、として、外見にも表われ、言動にも現われるものです。

私は、そういうもの(現象ー霊的な作用)を知っていましたけれど、そうではなくて、私から出る波動によって悟らしめる、という、私の言動、私の立ち居振舞い、そのようなものを見て、人は、何か悟るものがあるであろう、という、そういうやり方を、私はとったのです。

そういうことで、人々の中には、悟れる人もあったのです。

さらに突っ込んで、私の説をもっと深く学びたいという学生達で、霊能力の開発ということまで進めた人は、極く稀(まれ)な人でして、プラトン(プレイトゥー)は、そのような、私と同じような力を持っておりましたが、やはり天性のものですし、ただ、当時には、そのような力があるということは、或る程度、信じられていましたので、神の人、という見方は、ありました。

私の弟子のプラトンは、共に同時代に生まれたものですが、プラトンの使命は、私よりも偉大だったかも知れません。私(の場合)は、一つの、神より遣わされた人間として、高尚な人生を送って、その人格をもって人々に感化を与える、というのが、私の使命でありましたが、プラトンの使命は、私の説いた、人作り(を実行することであり)、それが哲学の基礎造りとも、なるものでしたから、彼の考え方は、もっと私より進んだ(ものであったという)面もあります。

(私の在世中に、私の教えが、どの位の人に影響力を及ぼしたか、といえば)やはり、一つの、アテナイ市の、まあ、今でいえば東京のようなものでしょうか、東京という非常に進んだ文化の地があって、その中で、やはり、ソクラテス在り、と言われた人間の一人です。

(私は、今で言う)大学の総長というような形での資格を、当時、持っていた訳ではありません。私の身分は、時の政府によって、何か認証のようなものが与えられていたわけではなく、(私は、生活的には)貧乏暮らしをして居りました。(私がやっていたことは)まあ、言わば、私塾というか、私塾学園というか、当時は、そういうふうに、言論家達が弟子を養成するのが流行(はや)っていたのです。

私が(歴史書にある様に)毒杯を呷(あお)ったということは事実です。それは「市民会議」の決定(によるもの)です。

「市民会議」は、今に例えていえば、地元の有士たちが、ソクラテスは青年達を迷わしている、ああいう男を許してはいけない・・、当時、そんな(ことを決めた)法律があったのです。例えば、今で言うならば、そういう間違った思想宣伝をして人々を迷わす罪、とでも申しますか、そういうような刑法があったのです。私は、それにかけられたのです。

抗弁することも出来たのです。申し開きすることも出来たのですが、私は沈黙して何も言わなかったのです。

牢獄の中に入れられても、牢獄の番人も、私の弟子になってしまいました。次々と親しい人達も詰めかけて来て、私に、考え方を改めるように、謝罪するようにしろ、そしたら命は助かる。そういうことを、次々、いろんな方が言って来ましたけれど、私は、自分の考えを曲げたくないし、また、市民巷間には、悪法も、また法である、という立場から、悪法であっても、国を規律する法である以上は、生きている市民は守らねばならない。

外面的に、正義が悪に屈伏するように見えても、そういう法律というものを無視しては民主主義国家は成り立たないから、多数によって、多数決によって、私が有罪とされ、法律によって処刑されるとするならば、敢えて、私は毒杯を呷(あお)ることを選びました。

ただ、当時においても、死刑ということと、毒杯を呷るということは違っていて、処刑という形で人殺しをすることもありましたが、私のような場合は、名誉的な死に方として、毒杯を自分から選んで死ぬことも許されたのです。

それは(具体的なやり方としては)毒物を飲み物の中に入れたものを飲むわけです。

その市民裁判というものは、今でいえば陪審員のようなものです。陪審員がいっぱい並んで居て、地元有力者、市民の有力者が十人二十人と並んでいて、訴状を読み上げて、それぞれ判決を読み上げて有罪が決まるのです。

その時に、もっとも死罪に価(あたい)すると言われたのは、思想犯です。今でいう、例えば、あなた方が戦前、共産主義(思想)を持っておれば、監獄にぶち込まれたりしたでしょう。思想犯です。

当時、青年を惑わす罪というのがあったのです。

当時の弁論家達の中には、私と意見を共にするような方は、色々おりました。けれども、(私は)人々に「無知」を悟らせようという方法をとったために、色んな方の、反撥や、反感をかったのです。また中傷する者も、随分出て来ました。告げ口をする者、いろんな悪口を言う者も出て来ました。

以来、およそ、二千五百有余年経ちましたが、私は、その後、ずっと、天上界から地上界の、時代の様相を、逐一見ております。(地上は)私達の時代から少しも進歩しておりません。「神理」を知らない人は、数においては、ますます増えようとしております。

(人々の)転生輪廻が繰り返されることによって、その(転生の)度ごとに、いささかでも「神理」にふれて、或る時は、私、ソクラテスの話を聴いて悟れなくても、或る時、また生まれ変わって、例えば、仏教者の誰かの説を聴いて、ああ、実は、前に聴いたソクラテス(の説法で)は、こんなこと言っていたのだな、ということを、死んでから考え合わせて分かる、という人も居るし、様々です。

その頃の、人々の世界観は、ギリシャ中心のものの考え方ですが、大体、地球は丸いということぐらいの想像はついておりました。(また)他の地域にも人間が住んでおり、大小様々な社会が存在するということは知っておりました。

アトランティス等も存在していて、沈没したことも、私達は知っておりました。
アトランティスの沈没は、私の在世時代より、かなり古い時代でしたけれども、その程度の世界観は持っていたのです。

私達の世界は、もちろん、ヨーロッパや、地中海や、アフリカ大陸、大西洋ぐらいにしか過ぎなかったかも知れないけれども、その当時としては、そこそこの世界観を持っていたはずです。

現在の私の眼から見て、私の在世当時の人間の魂の進化程度から比べて、少しも進歩していないというのは、これは、現在の、ギリシャ地域の人に限ってか、それとも地球的規模の全体の人間を指してのことかと言えば(これは)比較の対象が違うのでなんとも言えませんが、人類の歴史(に)は、時代、時代(において、それぞれの)頂点があったはずです。

ギリシャの時代には、光の天使達が、多くギリシャに生まれました。技術も、工芸も、最高点に(まで)発達しました。けれども、ギリシャ以降に、(ギリシャと)同じく(文明が)永く栄えた時があるかというと、必ずしも続いたわけではありません。ローマが栄えたこともありますし、他の地域が栄えたこともあります。その時、その時に、頂点を極めるけれども、その頂きの高さは、決して高くなっていません。今は、東京、東京でしょうか、ギリシャは、かつてアテネとして栄えた(今で言う)東京でしょうか。

その当時から比較すれば、人間の数も増えておりますし、職業(も)分化(し、その種類)も増えております。様々なこともありましょう。何をもって進化というか、難しい問題です。

私の、今の天上界での使命として、どういう分野の指導をしているか、と言うと、やはり、学問的な動きというものを、全体的に捉えております。

世界的に、近代には、様々な哲学者や思想家が出て来ましたけれども、彼ら(の多く)も、私共の指導の下にあったというわけです。十八世紀、十九世紀、二十世紀に、様々な哲学者や思想家が出た筈です。このような哲学的な運動が起きた背景には、私達の力があったということです。

マルクス、エンゲルスなどは、私には関係ありません。ショーペンハウアーとか、ニーチエのような思想家は、間違っております。(あるいは)現代のハイデッガー、サルトルなども、みな私達の流れとは別のものです。

私共の哲学の流れは、カント、へーゲルというような、観念論の流れの方に(あり、そちらに)主として、私共は力を貨して居ります。

いま、カントは、私の霊域に近いところに居ります。時どき会って話しております。どちらの側からでも自由に会うことが出来ます。

(質問者の言われる)違った霊域とは、どういう意味ですか。次元とは(何ですか)?(次元については)何とも言えません。

(プラトンとは一緒の所には居りません)哲学者にも(色々な)段階があるのです。

(日本の、西田幾多郎という)人が居られるとは聞いております。指導はしておりません。

あなた方が、一つの使命をもって現世に出ているとして、(そうした)あなた達へのアドバイスがあるとすれば、まず大切なことは、どういう人達を相手に、あなた方が法を説こうとしているのか、ということです。ここの所を間違うと、いろんな反撥や邪魔を受けることになります。どういう人達を相手に、あなた方が法を説かれるか、ということです。

あなた方が(霊界の)方々から、神の存在、世界の仕組み、霊界の諸相と転生輪廻の法則について高度な教えを聞き(世の中に伝えたとして)これらの「神理」を、何処まで理解する対象者が居るか、という事についてですが、よく考えてみなさい。(まず)あなた方が、いま、神の縁によって、このような「現象(チャネリングによって霊人からのメッセージを受けること)」をさせられている。そして、私達の話を聴いている。もう、あなた方の活動の使命は、単なる病気治しなんかではない、ということは明らかです。

(あなた方の役割は)永遠の思想を残す、ということです。とにかく、二千年、三千年後の世にまで伝わるかも知れない、ということを念頭に置いて語りなさい。私のような者が語った様なことでも、既に二千五百年伝わっているのです。

気をつけなさい。安易なことを、語ったり述べたりしないことです。後世で誤解されるようなことを残さないことです。気をつけなさい。あなた方が残さんとしているものは、後の世に出て来て、法を説く者達への遺産でもあるのです。彼らが正しく「法」を継げるような遺産を残すということ、これも大切なことです。

私は、当時、私(自身)の思想を書き残すということは、しなかったのですが、理由ということで言えば、私の説法は、臨機応変といいますか、人に応じて、私の説法は変わった(ということな)のです。その様な融通無碍(ゆうずうむげ)のものです。(それを文章に)書いてしまえば、後の世に誤解されます。私の思想は一定のものではないのです。時、処、場所によって変わっていくものなのです。ソクラテスがこう述べたから、こうだ、というようなものではないのです。後の世に、必ず、それが、真理を求める人の足枷(あしかせ)になる場合があるのです。

(このメッセージの)最初に、私が語った言葉は、ギリシャ語ですが、現代のギリシヤ語とは違い、当時のアテナイ地方の方言です。

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