アセンション アシスト ASーAS

地球とは、本当はどういう所でしょうか、情報を集め、知っていくページです。

新憲法の理念、木戸孝允のメッセージ、1986年

2020年05月15日 | 思想
これは、30年ほど前に、あるチャネラーに語られた、木戸孝允という方の、霊界からのメッセージです。木戸孝允は、桂小五郎という名前でも知られる明治時代に活躍された政治家です。このメッセージでは、今の憲法についても触れられております。

先立っての、日本国憲法についての私の記事がありましたが、この木戸孝允メッセージを読んでみて、自分の考え方も、底は浅いものの方向性としては、あながち間違ってはいないように思います。

ただ、神の子の憲法も、国民の意識が先か、憲法が先か、と言いますと、微妙なものがあります。まず、このメッセージにある将来の憲法になる為には、その決定権を持つ人々の意識が、それを容認するレベルになっている必要があるでしょう。そこが難しい所だと思います。元はインタビューですが、内容自体は変わらないように、編集と省略がしてあります。カッコ内は補注です。

(ここから)

木戸です。

私は、他の(霊人の)方々とは違って、あなた方の仕事に関しては既に承知しています。かつて「高橋(信次)」さんを指導したこともあり「正法」そのものに関しても、私自身は、かなり知識を持って居るつもりです。私は、「天台智覬」といわれる方と、魂の兄弟なのです。

私は、たまたま政治家としての役割を担って(明治時代の)近代日本に出ましたが、これは、将来、このような形(チャネラーによる霊界から地上への直接のメッセージ伝達)で、日本という国に「正法」の伝道がなされることが予定されておりましたから、その前の土台造りということで、私も政治家として日本に生まれ、そうして、将来の、そういった宗教的な開花の土台として、政治家として、まず生まれたということです。

ですから、私自身の生涯が(将来に、正法を伝える者達の為の)土台造りであったということです。明治時代にしたこと自体は、私の意識からは非常に遠いものと、今ではなっております。私自身は「神理」伝道のために、地上においても、またこちらの世界においても日夜活動しているものです。

私も、あなた方の指導霊の一人に入れて頂いていいような立場にあります。特に、近年の日本に生れたから、かなり感覚自体は、あなた方に近いものがあると思います。

特に、まず述べておきますと、いろんな形で宗教を説かれた方は多いと思うのですが(チャネラーの方は)いわばスピリチュアリズムといった形で、現代、日本でスピリチュアリズムをまず広めるということ、これは興味深いことだし、また話の内容自体が、私達、明治維新の人間達も特集するということですから、単に宗教家の集まりばかりではないわけで、そういう意味で非常に画期的だと思います。

まあ、明治のことといいましても、天上界でも、勿論、計画はありましたし、地上界には諸如来(八次元霊)、諸菩薩(七次元霊)沢山出て、様々な力が合わさって一つの動きにになったわけですが、地上界にもアンテナを張っておく必要があるということで、私などが選ばれて地上界へ出ていったわけです。ですから私自身は、それ程大きな仕事をしておらず、私のやったことは、いわばアンテナで、この三次元の世界にアンテナを張るために降りて来たというような役割です。

私が三次元に降りて行って、天上界からも、この三次元の動きは勿論見えるのですが、次元が違いますから、感覚が違うわけです。例えば、天体望遠鏡でお星様を見ているような、そういう感じで、実際に行って肉を持って、その場に接し雰囲気を感じとるのと(は)、かなり違うわけです。

そういう意味で、私が、肉を持って明治の時代に生まれて、そうして還って来て、天上界で、いま日本はこういった状況に、環境にある、雰囲気にあるということを伝えて「正法」伝道の計画を練ったということです。

ですから、私が、肉を持って出て、帰って来てから、また「高橋(信次)」さんが、この日本に出ること、また、あなた方(チャネラー)とか、こういった者達が、地上に出るという計画、相談にあずかったその本人です。

最近の日本の現状を話した上で、あなた方が、この地上に出ていくということ、そういったことを計画したわけです。

私は、どちらかというと斥候ですね、まあ、そういった敵状視察(のような)、そういったアンテナの役割で降りたわけです。

この三次元、地上界で修行するのは、これは苦労性でなければ出来ないんです。皆さん、天上界で自由を満喫しておられる方々は、出たがりません。私らの仲間(七、八次元)になると、もう、カルマとか生まれ変りなどの法則性で生まれ変るのではないんです。相談して自分らの意志で決めるんです。だから、一般の人の、何年おきに生まれ変るとか、そういったこととは、随分違っているわけです。

木戸孝允は、まあ、桂小五郎、維新の三傑かなんかになっていますけれども、私がやって日本の国の人々に役に立ったこと、必ずしも業績だけではなくて、影響力とか、その他、後世に残ったものとか、色んなものがあるから一概には言えないし、私自身の生涯を見れば、明治の一時期には、確かに役には立っていますけれども、じゃあ以後には何か残したかというと、以後に残した程のものはないと言えます。ただ、もちろん日本の国の土台にはなっています。けれども、以後に何か残したかというと残していない。だから、これが、神様の眼から見て、さあ、どっちの方がよく頑張ったかということになるんです。

過渡期の宗団というのは何時の時代でもいるのです。これからは、あなた方(チャネラー)や、それからその後に続く者たちの時代が来るということです。これから中心をなしていくのは、あなた方の力だということです。事業は大きいですよ、かなり。高橋さんがやれなかったことをやらなきゃいかんということです。高橋さん自身は、そりゃ、もちろん偉かった人ですけども、彼の計画自体が、ああいった露払いの役割です。地上に本当の意味での正法神理が消えてしまっていたから、まず種を蒔きに、あの人は降りられたのです。種自体は、もう蒔かれました。これから、この苗を育てて大木にしていくという作業をする人は、あなた方なんです。これを一本の樫の樹にしなくちゃいかんということです。これは大きいですよ。

私の心の中には、もう、既に明治は遠くなりにけり、ということで、私は、時代にも、日本にも、正直言って執われていないのです。私自身はこうであるし、他の光の指尊霊達の話も同じであろうと思います。いわゆる正法伝道というものを知っている者にとっては、同じ話です。これはやむを得ないことですし、明治維新の頃に何をしたということに、私が今、関心があるかといえば、実際上無いわけです。

(現在の昭和憲法について、聖徳太子の、現行憲法は根本的に改正しなければならない)というご意見ですが、私も同じです。今までの憲法では十分でないと思います。

これはどちらかというと、アメリカで作られたような憲法です。現行憲法、いいところも勿論あるんでしょうけども、やはり日本の国の風土に合ったものではないと思うのです。いくつか変える点があると思う。

ただ、明治憲法と現代の憲法とを較べてみると、現代の憲法は、第二次大戦後、一億総懺悔の中に出来た憲法ですね。だから、昔の大和魂とか、戦前の軍国主義とか、そういったものをみんな否定する方向でやっています。

ですから、明治憲法は非常に時代遅れの反動的な憲法というふうに、今は見られて居ります。ただ、私は思うんですが、色んな国に憲法がある以上、それぞれの国で特色があっていいんじゃないかと思うんです。

ですから、もう一度、日本的な美風を、うまく、現代的にアレンジし直した形での憲法が大切じゃないでしょうか、そう思います。

具体的には、他の方々も仰しゃっているような選挙制度の改正なんかも入ってくるでしょうし、その制度的な問題以外に、憲法には基本的人権ということで、色々書かれていますが、基本的人権の方に、むしろ色んな問題があります。これを、精神規定そのもの、本質を足元から見直していく必要があると思うのです。

憲法の前に、何条かの精神規定が入らなければなりません。その精神規定とは何かというと、人間の生きるべき道です。生きるべき道について何条かの指針がいると思うのです。

それは、例えば、モーゼの時代にモーゼの十戒があったように、そういった行動指針です。

聖徳太子の時代に十七条の憲法があったように、行動指針、あるいは人間として生きるべき道筋です。神の子としての人間の生きるべき道筋が、はっきりしなければいけないと思います。

あなた方から見れば、こういう考えは、革命的に思えるかも知れませんが、まず憲決の中には、こういったことが謳(うた)われなきゃいけないと思うのです。

「人間は、すべて神の子にして平等なり」そして「神の子としての使命を果たすために、この国において修行するものなり」と。そういった神の子としての使命に基く様々な権限が、与えられなければならないのです。

そういうことです。

新しい憲法には、「人間は、神を愛し、神の子としての使命を果たすために、この日本の国において、理想国家建設のために邁進するものである」という様な一条が入るでしょう。現在、天皇が象徴であるということが最初に書かれていますが、改正される憲法の中には、「人間は神の子であって、日本人は、神の子として、この地上にユートピアを建設する為に努力せんものとす」という、こういった宣言がまず入るはずです。

そして、これ以下に、人間として生きるべき道が与えられます。例えば、初期に、あなた方に日蓮聖人からアドバイスがあったはずです。そのアドバイスの中には、例えば、「人を愛しなさい。人を生かしなさい。人を赦しなさい」また「人を信じ、世を信じ、神を信ぜよ」と、こういった指針があったはずです。こういった指針も憲法の中に盛られるようになって来ます。

「ここに日本国民は、その国民たる義務において、他の国民を愛し、他の国民を生かし、また他の国民を赦す、斯かる精神で、生きていくことを誓う」といった文言が入るはずです。人を愛し、人を生かし、人を赦す。ということです。こういったことが、国民の義務として規定されるでしょう。

今の憲法にはないでしょう。これは、すべきことという義務なんです。今までの宗教では、人を愛するということは、いいことだ、人を愛しなさい。と言ったかも知れない。しかし、これは、あくまで個人の、個々の良心の問題として、自由の問題として言われていました。しかし、これからの日本は、ある意味で、祭政一致、「神の理念」が政治経済制度の中に純粋な意味合いで滲透(しんとう)するような時代がやって来ます。そういう国の憲法ならば、その神に対する義務、神の子としての義務が明らかに示されなければなりません。ですから、人を愛するべきであり、人を生かすべきであり、人を赦すべきである。という、これが、宗教的な讃(ほ)められるべき行為ではなくて、義務として、国民の義務として規定されるでしょう。

これは、恐らく、世界人類にとって画期的な「憲法」となるでしょう。日本国民は、その名において人を愛し、人を生かし、人を赦さなければならない。こういった規定があります。また、日本国民は神の子として人を信じ、世を信じる、とは、社会を、素晴しい理想社会を信じるということです。人を信じ、世を信じ、神を信じなければならない。こういった信仰規定ですね、こういった義務条項、これは必ず入らなければならないでしょう。

人を信じるということは大切なことです。これは国民の義務です。神の子としての義務です。世を信じるということ、この日本の国が、社会が、そして世界がユートピアになるということを信じるということです。

善良な人達によって理想社会が建設されなければならない、理想社会建設の為に我らがある、ということを信じるということです。であるならば、その様な世の中を信じる、ということなのです。

戦争が起きるのは何故でしょうか、それは他国を信じていないからです。なぜ主戦派、非教派が争うのでしょうか、それは人を信じていないからです。日本を、社会を信じていないからです。国民の良識を信じていないからです。

ですから、世を信じるということ、良識ある世論を信じるということなのです。世論というものは疑ってかかると、どちらにでも捩じ曲っていくものなのです。むしろ信じることなのです。そうなるべき世論として信じることです。

ですから世を信じるということは、世論、良識ある世論を信じるということでもあるし、日本の国を信じるということでもあるし、他の国の国体をも崇敬、敬意を払うということです。これが世を信じるということです。

そして最後に、神を信じよ、神を信じなければならない。こういった義務規定ですね、これが必要だと思います。

私は今、三条申し上げました。

第一条においては、『日本国民は、人間は神の子であって、神の子として地上にユートピアを築くために修行しているということを認め、これを信じるものである』

と、こういった総則規定ですね、神の子としての使命ということを明確に第一条において誦われるべきであります。

第二条においてはその神の子としての人間の義務ですね、義務として『人を愛し、人を生かし、人を赦さねばならない』ということ。

第三条としては、また信仰ですね。信ずるということの大切さ『人を信じ、世を信じ、神を信じよ』と、こういった信じるということの大切さ、これを謳わなければなりません。

憲法というのは、こういうふうに全ての法律の上にあるというよりも、本来は、神の法の具現でなければならないのです。

今、私は、三条だけを申しました。全ては、今後、あなた方の行動によって様々なものが生まれていくでしょうけれども、憲法の総則規定において「神法」というか、「正法」というか、ユートピア建設のための道標が打ち立てられなければならないということです。

後の、議員の定数、解散、内閣制度とか、こういった制度的なことは、どうでもよろしい。このようなものは、いろいろと変ってくるでありましょう。

そして、総則規定に、その様な、神の子としての使命が明記されたならば、例えば、現行憲決第九条ですが「戦争放棄」ということを、いま言っていますけど、これをどのように扱わなければならないかということは、もう明らかなはずです。

日本人は、神の子としての本義に基づいて、戦争に対して良識ある態度をとる。ということですね。さすれば、道は明らかになるはずです。こういったことが謳われねばなりません。今言ったような、神の子としての義務が憲法に、もし入ったなら、これは素晴しいことではありませんか。

今言ったようなことは、どの特定の宗教に偏するものでもありません。何教を信じるからそうなる、というものではないはずです。宗教の自由、信仰の自由は、どのような世の中においても認められなければなりません。

あなた方の教えだけが正しいわけではなくて、他の教えの中にも正しいものがあるし、それを信仰する人はいつまでたっても居るでしょう。あなた方が新しい法を説いても、キリスト教を信じる人も居るでしょう。従来の仏教を信じる人も居るでしょう。神道を信じる人も居るでしょう。それはそれでよいのです。

それらの人であっても、自分達は神の子であるということ、神仏の子であるということは否定しないでしょう。また、人を愛し、生かし、赦すということが真実であるということは否定しないでしょう。また、人を信じ、世の中を信じ、神も信じなければならないということが、真理だということは否定しないでしょう。こういった共通綱、宗教の共通綱、間違っていない黄金の原則、こういったものを、憲法の申に織り込んでいかねばなりません。そういうことです。

現象的な、役割として憲法が果たすことは、どのように変えられてもいいと思うのです。ですが、永遠に続く人間の精神原則について謳われるべきです。例えば、その憲法の中に、あなた方の教えを信じなければいけないとか、そういったことを入れると、後世を害することになるわけです。

そうではなくて、本当の神の子として、本当のものは何かということです。神の子ということを信じることによって、社会の様々な悪とか、戦争とかいうものは無くなっていくのです。

ですから、まず日本に生まれた以上は、そういった義務を守らなきゃならないということを教える必要があるのです。

今日、日本は、憲法に戦争放棄を謳っている国ということで、世界に冠たる国ですね。まあ、実際には軍備は持っていますけれども、憲法に戦争放棄を謳った国はありません。そういうことによって、非常に目立った存在ではありますが、憲法に、神の子としてのユートピア建設を明確に謳ったならば、これは、世界の中で日本が目立っているだけでなく、人類の歴史の中においても、日本人は、非常にユニークな存在となりましょう。

宗教的な伝道、新思想の普及拡張ということを通して、ユートピア建設の理念を、政治、経済制度の中にも織り込んでいく、ということなのです。かつてあったような、悪い意味での、宗教と政治との癒着ということではなくて、本来あるべき本質を明らかにする、ということなのです。

こういったことの作業が、やがて行われていくでしょう。

その前には、日本においても、他国においても、様々な「天変地異」が起きるでしょう。そういった混乱の中において人々は、何か自分達は間違っているに違いない。「神」の心に反しているのではないか・・・、そして、そういった現象と共に、信仰の熱が非常に高まって来ます。世紀末の感覚は一杯出て来ます。そういった中で、人間とは本来は何か、ということを非常に強く求めるようになって来ます。世が乱れて来ます。乱れる反面、真実のものを求めるという気持も強くなって来ます。

デモクラシーとは、民主主義ですが、民主主義は、人類の発明したもので非常に大切なものだと私は思います。

いつの時代でも、様々な政治倫理、政治の価値基準が打ち出されるわけですが、確固としたものは、なかなか出来ません。ならば、最大多数の人間にとって有益な社会であれば大きな間違いがない、という意味で当たっているわけです。最大多数の人間に支持されるような政治ならば大きな間違いは犯さない、ということです。そういう意味で、デモクラシーは大切なものだと私は思います。

要は、デモクラシーの、中に流れているものだと思うのです。ユートピア建設の途中の「相(すがた)」としてのデモクラシー、ということを謳えば、問題は解決されると思います。

多くの人間が集まって、ワッショイ、ワッショイとやるためのデモクラシーであるならば、これは、目的と手段を履き違えているわけです。デモクラシーは、あくまでも、何かを達成するための手段なのです。

で、何かとは一体何か、ということです。これはユートピアの建設です。地上にユートピアを建設するための手段としてのデモクラシーということです。神の子のデモクラシーです。そういったことです。

なんでもかんでも自由に、勝手に主張している人間のデモクラシー、という意味ではないのです。そういう意味での、多数決でも、民主政でもないのです。

神の子としてのデモクラシーです。神の子が、出来るだけ自らを生かすことが出来るような場を作る、という意味でのデモクラシーなのです。ユートピア建設のためのデモクラシーであって欲しいと思います。そういう意味で、デモクラシーは大切ですけれども、これの質というものが、今後変ってくると思います。

(現代一般社会の、特に政治家、および科学者といわれているような層の方は、真の神の存在というものを十分に理解していない、というよりも、むしろ否定するような考えであろう)という事についてですが、これらの人々に対する啓蒙も、非常に重要です。

例えば、優れた科学者とか、あるいは、キリスト教系の宗教家達が、宗教を離れていく場合があります。無神論者なんかになっていく場合があります。その理由は、例えば、こういう場合だと思うのです。

じゃあ何故、神様がいらっしゃるなら地獄があるのかと、神様が、そんな全知全能の神様で、愛の神様なら、なぜ地獄があるのか、人々は地獄に堕ちるのであろうか、そういうものは信じられない、矛盾している、と、例えばこういう意見があるわけです。こういう意見に遭遇して信仰を離れていく人達があるのです。

これは、ある意味で、天国、地獄の仕組みについて十分に知らない、その意義について知らない、という、無知が原因しているわけです。これに関しては、今あなた方が解明している、この方向でいいわけです。

ある別の場合では、人が宗教を信じなくなるのは、宗教の宗派争いがあると思うのです。

同じ神の子であることを主張しながら、ある者はイスラム教徒だといい、ある者はクリスチャンだといい、ある者は仏教徒だといって、いがみ合いや争いをやって来た。キリスト教徒の中でも、新教、旧教といっては殺し合いをやって来ました。これがおかしいという方がいらっしゃるわけです。

良心的で、優れた方で、理性的な方で、こういった神の子同士での殺し合いがおかしいという方がいるわけです。こういったことで無信仰に入っていく人が居るわけです。これも結局は、万教は一つであって、その信ずる者の立場が違っているだけなのです。ご存知の通り、これを明らかにすることで、こういった方々の疑いは晴らすことが出来ると思うのです。

要するに、無神論に走っていく原因を追求するのです。で、その原因は何か、ということを考えるわけですね。その原因は、例えば、地獄の存在が分らないとか、あるいは、そういった神の子同士の血みどろの戦いというのが信じられないとか、そういったことに帰着していくのです、結局は。

あるいは、進化論などということに、ことよせて否定する人も居ます。では「進化論」に対しては、今あなた方が説いていることの内容は、「地球の歴史を越えられないじゃないか、地球が出来る以前にも宇宙はあり、神はあり、人の生命はあったのだ」ということになると進化論は通用しなくなって来ます。こういうことなのです。

逆に、あなた方の道から離れて行っている人達、信仰から離れている人達、その原因は何か、ということを追究することも、あなた方の勉強なのです。その離れて行った原因を追究して、その、何故か、の部分を解明することです。

今、物理学が進んで、四次元以上の世界があるということが分って来ました。で、今、あなた方は、四次元以上の多次元世界のことを解明しています。こういったことは、また、科学者達の共鳴を呼ぶようになって来るでしょう。

私の意見は、必ずしも完全なものではありませんが、私の意見をきっかけとして、更にそこに、あなた方の勉強や、今後、後の人達の研究、議論を重ねて、いいものを創って行って欲しいと思うのです。

それと、今、憲法について、私申し上げましたけれども、「政党」についてもそうですよ。現在、仏教界から出ている政党などもありますけれども、もう少し宗教的な観点から、信仰の問題など、意見を出してもいいと思うのです。

ヨーロッパの方には、キリスト教民主党とか、そういった、人の心に訴えるような宗教を持った政党もあります。そういう意味で、本当の「神法」に基づく宗教的政党、みたいなのが出てもいいと思います。今の憲法では、政教分離など申していますけれども、本当に正しいものに基づいたものであるなら、政治から必ずしも離れる必要もないのです。

かつて、政治と宗教が癒着することで腐敗した歴史があったものだから、それへの反省を込めて、今、政治からの宗教の分離ということが言われているわけですが、これはそういった安全弁ではあリますが、創造的なものを生み出していく為の仕組みでは必ずしもないのです。本当にいいものであるならば、宗教が政治の中に入ってもおかしくはないのです。宗教と政治の分離は人類の一つの知恵ではありますが、これは決して完全な知恵ではないのです。これも、また最悪を防ぐための制度でしかないということです。

それと、今は政党の話をしましたが、政治家にしてもそうです。もっと信仰ある人達が政治家となってもおかしくないですね。

私は、例えば、自民党のために働きます。私は民社党のために働きます。私は共産党のために働きます。こういうことでやっていますが、これは、あくまで政治的信条であって、人間としての生きるべき道については何も言っていないわけです。政治信条について違っていても、人間として生きる信条について共通している人であるならば、協力して戦っていけばいいと思うのです。

基本的人生観というか、政治家の人生観が試されるような時代に、今後なってくるでしょう。政治的信条よりも人生観が共鳴出米るかどうか、その人の人生観が国民に認められるかどうか、訴えかけるものがあるかどうか、こういったことが問われるようになると思います。

あなた方も、政治家を選ぶにしても、その人の人生観を信じられるような人であるならば、他の国政に関する判断を任せといても安心できるでしょう。そうでないでしょうか。

以上で、「憲法」とか「政党制度」あるいは「政治家」自身の問題について私は述べたわけです。この三つ共、今後とも改変していく必要があると思います。

最後に、もう一つだけ付け加えておきますと、あなた方の仕事は、宗教を作るというのでは、本来はないのです。神の国を科学するということなのです。三次元以上、八次元、九次元まで解明していくのですから、神の国を解明し、神の国の行動基準を明らかにする、ということなのです。

そういう意味では、あなた方は、科学者でもあるわけだし、道学者でもあるわけだし、法律家でもあるわけだし経済学者でもあるわけだし、哲学者でもあり、文学、美学など芸術家でもあるわけなんです。よろしいですか、今まで万教帰一ということで、色んな宗教を受け入れるような器をもった宗教家は居たはずです。ところが、そうではなくて、様々な学問、語学、全ての分野をも吸収するようなものでなければいけない、ということです。

「科学」であり、「政治」であり、「経済」であり、「哲学」であり、「宗教」であるような、そして「美学」「文学」その他「芸術」全般であるような、そういったものを創っていくのです。これは新たな精神的革命であり、正に、新しい意味での、第二のルネッサンスをひき興こそうとしているのです。

ですから、狭い、宗教とかいうようなものに閉じ籠る必要もないし、あなたが言っているような「正法」というような、そんな「日蓮」的な「法」ではないのです。ですから「正法」というような枠の小さなものではなくて、これからの「精神革命」なのです。よろしいですか。

ユートピア創りのための「精神革命」なのです。全てを含んでいるのです。

そして、あなたが、その時に、もう生きていられるかどうか分りませんが、何十年の後には、あなた方の運動は、政治の革新や、経済革新や、あるいは、芸術の革新へも影響を与えていくものなのです。それだけの大きな『器(うつわ)』のあるものとして考えていきなさい。

よいですか、枠を、決して小さなものにしないということです。

目的は、ユートピアの建設であるし、それも、この三次元だけではなくして、あなた方の仕事は、四次元以上も変えていくという話でした。他次元をも上げていくというような話でした。そういうことですから、本当の意味で、神の創られた国、全て、九次元以下、総てを改善していくような、改革していくような運動、ということなのです。

(もし)この地上が、七次元、八次元になったら、この地上、三次元より上の、四次元の幽界なんか幽界で居られないですね。彼らは、あなた方より次元の高い所に居るわけですから。それで、地上界が七次元になっちまったら、彼らは彼らで、おられなくなっちゃうと、お化けなんかやっておられない、というわけですね。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿