Mind Leaf

~ マインド リーフ ~

    

アラビアンナイト 代官山M

2010-07-12 04:28:08 | アクティビティー

 

7月4日、代官山のスペースMにべりーダンスを見に行った。ミシャールMishaalとサマンヨルによるアラビアンナイト。

ダンサーであるミシャールがバリに移住するので、日本で彼女のダンスを見るチャンスがなくなるということで、彼女に師事するベリーダンサーの友人Aが誘ってくれたのだった。

そもそもベリーダンスって何?というのが普通の人の反応ではないのだろうか?僕自身も、ほんの数日前までは、まったくダンスには興味がなかったわけである。テレビか何かで、その特集を見たくらいで、腹をゆすったり腕をくねらせたり、腰を振ったりするのを見て、もちろん美しい民族舞踊だとは思ったのだが、なかなか大変なダンスなんだなあと思うくらいで、強烈に引き寄せられたというものでもなかった。

ベリーダンスとは、直訳すれば「腹おどり」だ。御想像の通り、西洋人がつけた俗称である。そもそも、中東などアラブ文化圏で発達したダンスの総称であるが、起源はエジプトにあるらしい。さらに地中海やアフリカとも関連があるという、まさにエキゾチズム満載のダンスなのである。正式にはいろいろな呼称があるらしいが、トルコ語では、オリエンタルダンスOryantal dansと呼ばれている。

今回このショーに足を運ぶことになった発端は、その友人Aがたまたま僕と出会う前に親戚の結婚式でベリーダンスを踊って来たと言う経緯からだった。最初は、単に耳を素通りしていくひとつの会話の断片だったのだが、その彼女から発するいつもよりさらに増した美しさと不思議な魅力の雰囲気に促されるように、彼女にベリーダンスのことについて尋ねたのだった。あたかもまだ残っていたダンスのエネルギーの残り香を、不意に吸い込んだかのように・・・、しかしたったそれだけでも何か自分の中で強烈に触れてくるものがあったのだった。 それは、ある種包み込まれるような、女神のエネルギーと言ってもよいものだった。そして、彼女の師匠であるミシャールの写真をアイフォーンから見せてくれたのだが、一瞬、その全身の女性美に不覚にもクラクラと来たが、しかしそんなものを飛び越えてやってきたのは、ある種の神秘性であった。

言葉や理屈など飛び越えてやってくるものは、強烈であらがうことが出来ないものである。そして僕自身、すでに大阪行きの予定があったにも関わらず、そのショーの日の大阪行きのスケジュールを翌朝の始発の新幹線に切り替えてしまったのだ。早起きが大の苦手にも関わらず・・・どうしてもミシャールのダンスを見たくなったのである。理性がマヒさせられ、すでに自分の心は行く前から、そのベリーダンスのスペースの中に吸い込まれていたのである。

そして、およそ2時間にわたるオリエンタル・ベリー・ダンス!!それは想像をはるかに超えて素晴らしいものだった。 すべてがひとつとなって現れる不思議なスペースの広がり。その空間の中に凝縮されて解き放たれるもの。感情と、スピリットの意思がひとつとなって表れてくるその喜び・・・畏怖、情熱、エロス、移り変わる感情の揺らめき、身体の発する言葉にならない声・・・すべてがギリギリの動きの中で、昇華されて行く・・・・。テンションとリズムとゆるやかな動きと共に、時の流れを超えて織物のような何かが、天から降り落ちてくる瞬間でもある。

突き詰めれば、その動きひとつひとつには意味はあるのだろう。それは民族としての意味、あるいは共通の生命の本質として脈々と受け継がれてきたもの。そもそもボディーの動きは、われわれの何万年もの無意識の記憶をかき乱すのである。生命の共通のパターンは宇宙のパターンと共鳴し、無限の軌道を描いて行く。

ダンスとは・・・何?

そのような問いかけなど、無意味である。しかし次の言葉を友人Aから受け取った時、それはダンスのひとつの側面を言い得ていると思った。

Dance when you are broken up !!

意訳をすれば、自分の中の何かが動きだしたとき、壊れた時、人は踊りだす・・・というくらいの意味だろうか。・・・そうだ、魂を覆っていた何かが溶け出して、自分の中の新たな、あるいは眠っていたエネルギーが回り始める時である。 ちょうど大きな河の流れに触れ、その流れに導かれるように、ダンスは生まれるのだろう。あるいは、様々な要素が融合し、天と地が触れ合って、稲妻が走りぬけけていくようにダンスは生まれてくる。

ミシャールの言葉を紹介しよう。 「・・・踊っているとき私は生きていることを実感します。大地のスピリットと繋がる為、自分の心と魂を表現する為、自分が人々を愛する気持ちを分かち合う為、私は踊ります。私のダンスは、自分の旅やビジョンから生み出されます。私はアメリカ人で、これまで20年間もの間海外で暮らし、踊りながら世界を巡っています。旅はエジプト行きから始まりました。トルコで長い時間を過ごし、インドやタイで暮らし、今は日本に住んでいます・・・」

土地や民族に縛られずに、この世界へ様々なエネルギーを降ろす役割のダンサー。彼女達はエンターテーナーでもあり、ある種の神官の役目も担っている。 そして、そのようなダンサーの一人であるミシャールはこれからバリに住むのだという。

 自分の中で、かつてバリでみた舞踊が思い出されてくる。その様々な様式のダンスは、バリのトランスの中へと我々を誘いこんでいく。 バリでのひとつの印象的な光景がある。その時一緒にいたKが、ビーチから離れて、村の方にひとりで歩いて行ったのだった。「いてもたってもいられないの・・・」そう呟きながら彼女は、村の風景の中へと消えて行った。 僕はその長い髪をたなびかせて歩いて行く彼女の後姿をスローモーションフィルムのように見送った。それは他愛もない姿だったが、空気の中に潜むあらがえない力に引き寄せられているようだと思った。

ミシャール・サイト

ベリーダンス.com

写真:残念ながらダンサーの写真撮影は禁止。会場の雰囲気のみ^^;;

 


明月院 紫陽花寺 その7

2010-07-12 04:23:15 | 旅行(たび)

 

道端の朝顔。


きれいだよね。
こういう些細で小さな風景は、全体の景観あっていきいきとしてくるもの。

本を読むと、昭和40年ごろから鎌倉はどんどん観光化して、昔の風情がなくなったとある。確かに僕の記憶の中でさえも、以前はそんなに観光地化していなかったし、もっと落ち着いていたような気がする。

昔の人はすごいと思うのは、その土地に精神的な空間をつくってきたことだと思う。もっと町全体に広がりと深みがあったよなあ。

今の一般的な住宅地や、都市の風景には、そんな広がりは期待できないけど。
ただ、茫漠とした都市の風景が広がるだけで、何も癒してはくれないし、触れ合ってもこない。

多少でもそんな心地よさを感じることができるのも、鎌倉の良さなのだろうね。

 


明月院 紫陽花寺 その5

2010-07-12 04:15:43 | 旅行(たび)

 

 この庭園が作られたのはいつかはわからないが、一般的に言って、鎌倉の庭園は、京都のようにまだ成熟していない。

 全体的に規模も小さいし、まだ石庭や枯山水の概念が作られる前だからだ。

 このスケールのこぶりさが、鎌倉の魅力のひとつ。

 庭に哲学を入れ込むというよりも、庭から自然の姿につながって行くという発想であるように思う。だからこそ、野草がよく似合うし、その中に美しさを発見し、自然の中に自らを溶け込まそうとする。

 それが鎌倉の素朴さであり、実は力強さにもつながっているようにも思える。

 

 

 


明月院 紫陽花寺 その4

2010-07-12 04:13:04 | 旅行(たび)

 

花地蔵として有名。

もう紫陽花の季節も最後。


あと数日もすれば、一斉にこの明月院の紫陽花は切られてしまう。ボランティアの人たちも入って、来年の為に切るのだそうだ。(7月9日に切られたとニュースでやっていた)
それもまた潔い。


そして、本格的な夏が始まる・・・。


明月院 紫陽花寺 その3

2010-07-12 04:11:53 | 旅行(たび)

 

ここまで良く紫陽花の花をブルーに統一したものだ。

意図的に昔の紫陽花を復元していると書いてあるが、確かに花弁が普通の紫陽花よりも大ぶりだ。花の形も時代によって変わっているのだね。

紫陽花はその土の成分によって色が変わるのだという。酸性アルカリ性というのもその色の一つの要因となっているらしい。純白の花、黒い花というのもある。

今回たった一輪だけ赤い紫陽花を見つけた。それが<ブルー> 一色の中でひと際引き立って美しかった。

茶の湯の世界で、美しさを際立たせるために、花の一輪だけを残して全部を切り落とすという話は有名だが、それと同じように、その一輪は、とても鮮烈に目に映ったし、胸に沁みわたった。

きっと計算外だったのだろうが、その意図しない美しさこそ、鎌倉らしい・・・。

 


 


明月院 紫陽花寺 その1

2010-07-12 04:05:58 | 旅行(たび)

 

久しぶりの鎌倉、明月院 紫陽花寺。

それも紫陽花の咲く頃の紫陽花寺に来るのは、10年ぶりくらいかも。
なぜなら、混んでいる寺には足を運びたくはないからだけど、やはりたくさん人がいてもこの明月院はこの時期にこなくては、魅力は半減するというもの。

鎌倉、この摩訶不思議なる空間。古都でもあり、独特の風情や雰囲気を持っている。
自分が子供の頃から慣れ親しんでいる土地であるというのも関係あるのかもしれないが、
日本人というものを深く感じさせる場であることは確かだと思う。

京都にはない素朴さが魅力だよね。