深海の青い月

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華国鋒 死去

2008年08月21日 21時52分06秒 | 中国
華国鋒・中国共産党元主席が死去(読売新聞) - goo ニュース


先日香港筋の報道で重病・入院が伝えられた華国鋒氏が亡くなったとのこと。


文化大革命に関しては学生時代から色々と調べていたけれど、文革末期から登場するこの華国鋒という人は不思議な点が多かった。


そもそも一時は国のトップに立った人物だというのに、1980年に失脚して以降全然動静が伝えられず、とりあえず中央委員の職にあるという事しかわからなかった辺り、中共の誇る竹のカーテンは健在也とつくづく思った。


そういえば数年前に数少ないリアルタイムの華国鋒関連の情報として、「四人組逮捕に関して、自身も積極的に根回しに動いた」という本人の談話が発表された、というのがあった。


「労働者の利益を代表しなくなった」と共産党を離党した、という香港筋の情報もあったけど、昨年は中共の大会に特別出席していたというから、結局は誤報だったのかしら?


ところでこの華国鋒、トップに立つ事になったきっかけは病床の毛沢東に「君がやれば私は安心だ」というメッセージを託された事。それが唯一の正当性だった(実際毛沢東は当時筋萎縮性側索硬化症が進行していて、椅子に座る事もしゃべることもままならなかったのが本当のトコロ。)。



「君がやれば私は安心だ」のシーン。実際はヨボヨボの毛沢東も宣伝画ではバッチリ堂々とした恰幅で描かれている


そしてあくまで採った路線は毛沢東路線の継承。でもそれは既に破綻していた路線なのだから、結局は小平ら変革派との政争に敗北して失脚の憂き目を見る事になる。


その保守性から評価は必ずしも高くない政治家だけど、大きな変化の前にはワンクッション保守的な政権が必要になる事は歴史の必然。その点日本戦後初の内閣総理大臣、東久邇宮 稔彦王とそっくりな気がする。

両者とも大混乱を経た時期に政治的指導者に就任、唱えた理論は保守的なもの(華:毛沢東路線の継承=東:一億総懺悔)、短い在任期間(華:5年間=東:54日間)、とりあえず周囲をだまらせる正当性(華:毛主席直々のご指名&毛沢東の隠し子?=東:皇族)

混乱の時代をとりあえず落ち着かせたという意味ではその功績は小さくはないはず。


華国鋒の失脚後、小平の指導の下開放政策がスタート。経済は(表向き)大きな飛躍を遂げ、遂には北京五輪を開催するまでに中国は大国となった。しかしその一方で民主化要求運動弾圧を経て民族問題、そして最も深刻な国内における経済格差問題。


根っからの共産主義者であっただろう華国鋒にはこのことが一番耐えられなかったに違いない。北京五輪開催中に逝去した華国鋒に中国の未来はどう見えていたのだろうか。


華国鋒氏のご冥福をお祈りします。


●ようつべで華国鋒が行った毛沢東の弔辞を見つけたのではりつけ。すげー訛りでした。



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