朝日記240219 その5 Zombies ゾンビについて
朝日記240219 エントリー⇒Zombies ゾンビについてーZombi, its philosophical backgroundー
ー本文ー
- Other issues 他の案件
もしゾンビが本質的に可能なものなら、物理主義は問題的であるばかりでなく、ひろくうけとめられていた他のトッピクスの観点もまた問題的である。 ここでは顕著な例を三つ紹介する。
6.1 Mental causation こころの因果性
デカルトDescartesはつぎのような共通の仮定を受け入れた、それは物理的事態にはこころへの効果をもつばかりでなく、こころの事態もまた物理的効果をもつ(たとえば、ある政治的状況が私をして手紙を書かせることになろう)。
彼の二元論の困難性は、言われてきたように、非物理的なものが物理的なものに影響を及ぼすのは如何にしてなのかを理解する点にある。
しかし、ゾンビが可能であるなら-その物理的世界は因果的に閉じていることが要求されるので-そこには非物理的なクオリアがはたらく余地はなにもないことになる。
ゾンビが可能であるといま仮定しよう、その結果はこころの因果性についての共通の仮定を大胆に変更してparallelism平行主義やepiphenomenalism随伴現象主義を代替のものとして持ち込むみることがむずかしくなり、これらのオプションのどれもが容易ではない。
経験的検証おいて因果性が閉じていることを放棄する;一方では現象論的もしくは擬現象論的特性が基本であるという観念は曖昧となる。
まさに、ゾンビの友人たちは随伴現象主義でありもしくは平衡主義者であるというactual world実際の世界についての義務はもたないとみてよいだろう。
かれらは、相互干渉者かもしれない、それはわれわれの世界が物理的に閉じているのではないことを、そしていずれにしても、非物理的特性が物理的に影響を及ぼすことを保持するのである。
または彼らは‘panprotopsychism’パンプロトサイキズムを好むかもしれない、それによればそこでmetaphysically fundamental形而上学的基本であるものは、いずれもphysical properties物理的特性ではないということである、しかしそれはphenomenal現象的もしくは‘protophenomenal’原型現象的であるとするのである(Chalmers 1991, 297—299; 1999, 492) —これはthe causal closure of the physical物理的なものこそが因果的に閉じているということと共存する観点である。
因果的に閉じていることを放棄することは経験的検証との争いを引き起こす;一方で現象的もしくは擬現象的特性が基本的であるという観念も曖昧になる。
その場合につぎの困難性を理解すべきであろう、それは見かけにもかかわらず、非物理的なものは物理的なモノに影響を及ぼすことに失敗する可能性があることである。
6.2 The function of consciousness 意識性の機能
ゾンビの見かけ上の可能性は進化論のための課題を構成するように見えよう。
なぜ、qualiaクオリアをもつcreatures被創造物が対向相手counterpartsである被造物のzombieゾンビよりも生き延びてきたのか?
もしゾンビが生き残っていたのであれば、consciousness意識の利用とはなんであるか?
Owen Flanagan とThomas Polgerは、ゾンビの見かけ上の可能性の要求を支持してきた、それは「経験から主観がなぜemerged発生するかについての信頼できる筋道がいまだに存在しないことについてである、それら主観からの進化論へのたたかい-もしくは勝利することが期待されてきたというべきたたかいといえるかもしれないが、それは非常に ’intelligent zombie-like information-sensitive organisms’知的なゾンビ的情報-感覚的組織へのた進化的なたかい(1995, 321)であるが、なぜそれに勝利したようにみえているかについてである。」:possibility of zombiesゾンビの可能性を拒否するひとたちはひとつの問題にも立ち会っていないのである。
それを受け入れる人たちを代表する答えのひとつはthe phenomenal現象的なものとthe physical物理的なものとが基本法則でつながっているということを示唆しているということである。
そのような法則はconscious creatures意識的被造物が進化的にあらわれたかどうかに依存しているのではなく、そのようなケースでは、異論のあるところではあるが、evolution進化にspecial problem特定問題を持ち込まさないとする点にあるである(Chalmers 1996, 171)。
6.3 Other minds 他のこころ
クオリアがもし物理的効果を持たないというなら、なにごともひとをして他のだれかが実際にクオリアをもつということの確かさを決めえないことになるであろう。
哲学者たちはother minds他者のこころについては懐疑主義的にきまりきった応答をしてきたと信じているが、それゆえに彼らは、このconsequence of the zombie ideaゾンビ観念の必然性については全面却下で十分であると結論しているようである。
しかしながら、他の人たちはその懐疑的必然性が‘a confirmation’確認されたものとして見なしているが、それはothers’ minds他者のこころについてはわれわれが無知であるということとに基づいてのことなのである(Campbell 1970, 120)。
もちろん、すべてではないにしろ、他者のこころへの懐疑主義への応答からはzombiesゾンビというものがinconceivable認知できないことを意味している。
- Conclusion 結論
zombie ideaゾンビ観念についての洞察的アッピールは勢いを増している。
しかし、それはいまに始まったものではないし、現在も懸題としてわれわれのまえに立ちはだかるのである、科学の側がこれまで非物理主義的なものごとに配慮することなくものごとの事態観念の真理を語ってきたことにも依っている。
ある反物理主義者はかれらの対立者の関与が人をして盲目にして困難性に陥らせると信じている。
ゾンビの可能性否定にひとたちは導かれているようにみえているという、かれらはなにかの理論をもちだしては、それがただしいとして掲げてはいるが、そのような理論の正当性はひとえにthe question of possibility(ひらかれた)可能性の問いに基づくべきものであると主張する(Chalmers 1996, 96)。
一方で、物理主義者のある人たちはzombie ideaゾンビ-観念そのものが反物理主義思考へ向かわせる不合理性をふくむもとであると懸念する、それはその反物理主義的論点がすでに独立した力を得て合理性ある洞察として認めようとする陰謀が隠されているとみるのである。 (Loar 1990/1997, 598).
両サイドについての論争はますます知的に込み入ってきている、もしくは多分それ故か、論争は決着の様相が見えない状況である。各陣営はそれぞれの方向への説得はつよいものになっている。
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