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おひとりさまの介護

母が認知症になった。なにもわからなかった介護の世界との格闘記

虫干し

2010年05月04日 | 留守宅
このゴールデンウィークは絶好の行楽日和。
しかし、実家を片付けているわたしにとっては絶好の虫干し日和である。
いよいよ母のキモノの整理に手をつけた。

いいものとひどいものの差が激しく、絹の寿命がきているものやシミのひどいもので着ないな~と思うものは捨てるか、熟慮箱へ。
人からもらったと思しきものもあり、祖母の形見には行き先をはっきりさせるために母の名前を布で縫いこんだものもあった。
いかにもおばあさんが着るといった色や柄行は、気持ちが娘のまま年をくってしまった私には自分が着ることが想像しにくい。

父が母に最後につくってあげた蘇州刺繍の訪問着は、まだしつけがついていて着た形跡がなかった。
できたら着せてあげたいが、嫌がる子供に無理やりキモノを着せる七五三のような状況になりそうで躊躇してしまう。

再び怒涛週間へ

2010年03月18日 | 留守宅
さて、実家の内装工事がこの週末に始まる。
その間には母をお墓参りに連れて行き、その翌日には移動。
自分のことで精一杯だが、ひとつ締め切りが(事実上)延びたので精神的な追いこまれ度は和らいでいる。
すっきりした上で自分のためにやってきたことの成果をかみしめたいが、内容に納得がいかなければすっきりもできまい。
ゆえに締め切り延長。

洋服和服

2010年03月12日 | 留守宅
実家の片づけで、何か入っているか恐怖だった物入れの扉を開けたら、そこには父のスーツや背広が入っていた。
あれだけあったのにどこへ行ったのかな、と思っていたのだが、こんなところに収納されていた。
ツルシを買うのではなく、昔の人はちゃんと自分サイズに仕立ててもらっていたので比較的いいものだが、うちは男性がいない上、洋服は体型によって着られないためとりあえずは虫干しをしてどうするかは保留である。

一方、父は着物も着ていたが、直線断ちの着物は、トキハ縫い、洗い張りして仕立て直すことができる。反物によっては女のわたしが着てもいい。
母も同様、洋服は趣味が違うのでどうすることもできないが、着物はだいたいは私がリユースすることができる。わたしが着物を着るのが幸いだ。
こんなふうに見ると、絹は3代にわたって着ることができるように、昔の日本の衣類はリサイクル、リユースできて実にエコだったと思う。

またまた急いで片付け

2010年02月28日 | 留守宅
実家を直す計画が進んでいる。
洗面所の下が水漏れが原因で腐ってしまったので、そのあたりを全面的に取り替えるとか、今まで気がつかなかったベランダに出るガラス戸にひびがはいっていたのを取り替えるとか、ものがいっぱいで果たせなかった壁紙の取替えとか。
内装屋さんとは2回ばかし打ちあわせし、3月中には工事する。
綺麗にした家に住人が戻ってくるのか、脳の萎縮はいかんともしがたいが、劇的な治療法がみつかって本人がこの家に戻ってくるというような夢のようなイメージが100%ないわけではない。

招待状再考

2010年02月14日 | 留守宅
先日、通院の際、母に結婚式の招待の件について話した。
本人すぐ忘れてしまうのだけれど、本人に告げずに勝手に処理してしまうのもどうかと思い。

で、本人の希望は、
「招待されているので、出ないと悪い」

実行、となると、集合時間から逆算して、美容院の予約、着替え等の準備から迎えに行く時間などなど、またまたプロジェクト管理が必要だ。

人間はすべてをひとりでできるわけではないが、おぎゃ~と生まれた赤ん坊から大人になり、自立していき、やがては衰え、人の介助がなければ自分の意思や希望を通すことができなくなる。
周囲は本人がそこまでできなくなっているとはわからない。

招待状

2010年02月08日 | 留守宅
母宛に結婚式の招待状が届いた。
従姉の長女が結婚する。
従妹と情報交換したところ、叔母のところには来たけれど、従姉妹のティアーまでは来ていない。
問題は、叔母が母を付き添えるかである。

結婚式にふさわしい格好をさせる準備から始まって、(テーブル席は親族で固めるにしても)なぜ、ここにいるのかわからなくなること必定。
それなりに無難な応対はするだろうけれど、すぐに忘れるので同じことを何度も繰り返し聞く。そういうことを含めて体面を保たせるためのバックアップ体制など、多分叔母一人ではかなり厳しいだろう。
叔母も非常によくやってくれてはいるが、わたしや従妹に比べると、母に対する感応度に温度差があるし、高齢の叔母にそれを求めるのは酷だともいえる。

協議の結果、お祝いのみ贈ることにした。

お務め一段落

2010年01月05日 | 留守宅
仕事始め。
今朝は年頭のスピーチとその後は若干の来客の対応。
今年も厳しい年になると思うが、適応していかなければならない。

母が以前毎月配送してもらっていたお花屋さんから昨日花が届く。
これを飾りつけ、お線香を上げてくれた人に配るお菓子も届き準備万端。

そうこうしてるうちに、母が以前締め出されてしまったときに鍵屋さんを呼んでくれたお向かいのおねえさんが年賀に見えられ、7回忌なのでよかったらお線香あげてってください、と上にあがってもらう。
母が区内のホームに行ったことを話すと、近くでよかったじゃないと言ってくれた。
このあたりは会社ばかりで夜はあまりひとけがないので、わたしが時々夜実家にきているのが心強いと感じているようだった。
いったん自分のところに戻った後、お線香をもってきてくれた。
都心の過疎地の数少ないご近所さんである。

家族サービスと娘としての務めが一段落し、これから自分のことにとりかかる。

支度

2009年12月30日 | 留守宅
明日から3日まで母と一緒。
ホテルにお泊りなので、今日は母の下着や化粧品、いつも何か食べるものないの?連発だからおやつなど支度する。
自分のお泊りセットを作るのはこれからだ。

法事つづき

2009年12月14日 | 留守宅
法事が終わった後、数日はまだいろいろ用事があったが、翌週は完全オフを1日とって、午後2時まで爆睡した。

父の1回忌のときは、会社や交友関係など、親族以外の関係者も呼んだが、3回忌のときは親族だけにした。
今回は7回忌なので、もっとこじんまりとして当然なのだが、事業をやっていた父の場合、それでいいのか心に引っかかるものがあった。
ちょっとお参りさせてください、という人がいても日ごろ家の中が大混乱な母の場合、容易に人を家にあげないという傾向があり、お参りしたい人が簡単に上がれる環境をつくっておきたい気持ちがある。
そこで、来年の仕事始めの日は仏壇のある部屋を開放して、親族以外の人に対する7回忌の代わりにしようと思いついた。

それから仏壇のある部屋とその通路近辺、従妹と一緒に掃除の突貫工事が始まった。

法事の日

2009年12月05日 | 留守宅
父の7回忌の法要だった。

叔母が頼んでくれて、従弟が車を出してくれて助かった。
母の着替えやコート、父の遺影など、荷物が多いのをタクシーを乗り継いでだと面倒である。
お花やお供物はすべてお寺に用意してもらい、立替金を払うだけだったのでこちらも省力化できた。
引き出物もお店から現場に納品してもらったので、こちらも取りに行く手間が省けた。

コーディネーターから、写真担当までマルチファンクション。
写真はあとから送るのも面倒なので、当日夜すぐにサイトにアップして、メールで関係者に知らせた。
私たちの世代だと、紙の写真をもらっても保存が面倒だし、このほうがいいのである。伯父たちには、必要に応じて従姉妹たちにプリントしてもらうことを予定している。

賑やかな法事になって、父は喜んでいるだろう。
まめまめしく働いている私を見て、自分に似てきたとあの世で思っているだろうか。