おひとりさまの介護

母が認知症になった。なにもわからなかった介護の世界との格闘記

姉はよくても

2009年05月31日 | 認知症の日常
母は日曜や休日におかしくなることが多い。
といっても、服薬確認のヘルパーさんは日曜の朝も来るし、昼はご飯を作りに別のヘルパーさんも来る。
それでも夕飯を作りに私が行くと、○子ちゃんは?X子ちゃんは?と従姉妹たちがどこにいるのか問うてくる上、地方にいる叔母までここにいないのはおかしい、というような言い方をする。
いつものように祖母や叔父まで生き返っている。
やはり日曜は会社が休みでひとけがないからこうなってしまうのだな、と思う。

「お母さんが夜さびしがるから、この前、夜ヘルパーさんに来てもらったのにお母さん機嫌が悪くなったじゃない」と言うと、
「来なくていい、自分のうちだから」という。
身内はいいけど、ヘルパーは嫌なのだ。
家族にとっては困ったちゃんである。
1年ちょっと、すこしずつ母を慣らしてきた。
未亡人同士の、母の妹である叔母ともう少し過ごしてもらえるといいのだが、
「○子叔母ちゃんもひとりなんだから、たまには泊まってもらったら?」と言うと、それは歓迎の様子だ。
だが、叔母は嫌だろう。

要するに、秘書にとっては上司、妻にとっては夫。
お守りをしてもらうほうは一緒にいたくても、するほうは居たくないのである。

昔の習慣

2009年05月30日 | 認知症の日常
今日、また母は家から閉め出されてしまった。
やはり1回開錠を押して家から出てしまったのだった。

階上に住んでいる母がわざわざ階下に下りて来なくてもすむようにオートロックにしたのだが、それが時たま裏目に出る。
ヘルパーさんには出るときの開錠の仕方を教えてあるので、母がついてくる必要はないのだが、いつも玄関まで見送ってしまう。
母には「ヘルパーさんには出方を教えてあるから、わざわざ下りて来なくてもいいんだよ」と伝えたが、これが守られる期待はできない。

鍵を開けに行って帰ろうとすると、寄っていけと言われるがさっさと帰る。
こんな見方はいやだけれど、これで味をしめてそのたびに呼び出されては、私の生活が滅茶苦茶になる。
母のストーカー行為の記憶は今でも私に恐怖を与える。

失敗と成功

2009年05月29日 | Weblog
昨日の出来事で、今朝はぐったりだった。
ナイトケアは当面停止、との方針をケアマネージャーに伝える必要があり、きのうのヘルパーさんが「何時ごろ電話したらいいですか?」と聞くので、「12時過ぎのお昼時にかけてください」と言っておいたのだが、ケアマネージャーからは朝電話がかかってきた。
つくづく連絡の悪い事業所だな、と思う。

昨日母のところに要介護更新認定申請のお知らせがきていたので、ケアマネージャーに渡さなければならない。
去年のようなスケジュールだと、調査員が6月中に来ることになるので、その日は私が立ち会わなければならず、あまり仕事が立て込まないうちに片付けたいので、早々に申請しなければならない。
多少気が楽なのは、「要介護認定の見直しにかかわる経過措置希望調書」を出せば、これまでの要介護度を維持できるということだ。
要介護度が下がるのではないか、との気が気でなさからは開放される。

ナイトケア導入は失敗したが、今週から毎朝服薬確認に来てもらっている。
毎朝来てもらうことの”副産物”は、母に適切な日でのゴミだしを喚起してもらえることである。
ゴミは暫定的に家の中においてあるし、わたしや他の人が、口を酸っぱくして「次の燃やせるゴミは土曜日だからね」と言っても、聞いたそばから記憶が怪しくなる。
学習能力に期待できないので、誤ってことをしたら是正するぐあいに構えてないと、神経がまいってしまう。
それに、最近、会社から事業所ゴミと一緒にしないでくれとクレームが来ていたのである。
外国人がゴミ出しのルールを守らない、など色々メディアでとりあげられているのを見たり聞いたりしたが、ゴミ出しとは典型的な社会的行動なのである。

朝の訪問はうまく定着しつつある。
これもまた一歩前進と考えよう。

急いてはことを

2009年05月28日 | 認知症の日常
今日初めてナイトケアとしてのヘルパーさんの訪問を受けた。
ナイトケアとは歯磨きをさせたり寝る準備をさせて就寝までを見守ることである。
本当は、男性のヘルパーさんを予定していたのだが、来たのは馴染みの女性のヘルパーさんだった。
ケアマネさんには男性をと話していたのだが、どういうわけか変わっていた。

男性のヘルパーさんを予定していた私は、母の警戒心をとくため初回はずっと実家にいることにしていた。
馴染みのヘルパーさんは、ただナイトケアに行ってくれと頼まれてきただけなので、これまでのいきさつについては知らなかった。
ケアマネさんと話したときは、休日や夜間のヘルパー不足を補うために男性のヘルパーさんに慣れさせたい、との要望から、夕方女性のヘルパーさんの入らない日で、私が最初に居合わせることができる日を考えて、今日の曜日を提案し始められる日がわかったら教えてください、との頼んでいたのが意外と早くそれが始まったのだった。

母には言ってあったが、馴染みのヘルパーさんと私が打ち合わせをしていたのですっかり私のお客だと思って服のまま布団で寝てしまった。
せっかくヘルパーさんに来てもらったのだからお風呂に入れてもらったらと、話したがご機嫌斜めだった。
「こんなに遅くご主人が心配するでしょう」とヘルパーさんに言いながら迷惑そうに応対する母だった。

結局お風呂は入れず、聞くところ、女性のヘルパーさんにお風呂に入れてもらうときでも母は前をしっかりタオルで隠しているそうだ。
ましてや男性のヘルパーをや、である。

失敗の原因は、男性ヘルパーを入れたかったのはゆくゆくは夜の見守り対応としてもいきなりナイトケアから始めるのに飛躍があったこと。
ナイトケア自体にこれだけ抵抗があると、当面ナイトケアの介護は見合わせるしかない。

デレゲーション

2009年05月17日 | Weblog
連休中もまったく休めなくて、たまった仕事を片付けられなかったままいつもの生活が始まった。
疲労が蓄積しているせいか、帰って来て次の外出までデスクワークをしようと思うのだが、頭が朦朧としてしまうので横になって寝てしまう。
どこかでまとまった休みをとらなくてはと思う。

来月の介護計画についてケアマネージャーさんと話して、訪問介護の回数を増やすことにしている。
できれば男性のヘルパーさんに慣れてもらいたい。
そうすれば夜間や休日のヘルパー不足を補える可能性がある。

母の身の回りについては誰にでもわかりやすいように整えるべく、従妹に衣類、特に下着や靴下の定位置をわかりやすくするように整理を頼んだ。
母がまた移動してしまう可能性もあるので、これは毎回メンテナンスをする必要があるだろう。

思い出

2009年05月14日 | 通院
今日も忙しい1日だった。
母の関係の用事を3時過ぎから夜いっぱい詰め込む。
まずケア・マネージャーさんと来月の介護計画の打ち合わせ。
それから腰と膝の治療のためクリニックに連れて行く。
今日も膝から17ccの水がとれた。しばらくは通院が続きそうだ。
そのあとは物忘れ外来。夕食、買い物、帰宅して宅配弁当のチケット代の補充や、書類の整理など。

夕飯は、物忘れ外来のクリニックから母の脚でも歩いていけるところにある中華。
夏向けのあっさりコースを多少残したが、母はデザートまでしっかり食べた。
「ここお父さんと来たことあるわよね」と母。
もしかしたら、来たことがあるかもしれないが、「お寿司や天ぷらのほうが多かったんじゃない?」
「お父さんは天ぷらが好きだったわね」
「そう、よく○○ちゃんと5人で来たよね」
○○ちゃんは、学生時代とそのあとの就職していた間うちに居候していた従妹である。

考えてみると、母は妹たちの子供(姪、甥)の面倒をよくみていた。
うちがたまたま都会にあってそういうふうにするポジションにあったせいかもしれないが。
従弟が受験校の中学にうかって単身赴任中の父親と一緒に父子家庭だったときも、ちょうど乗換駅となる近くの駅まで、毎朝お弁当を届けていた。

もとい、
「でも○○ちゃんは、休みは出歩いていて家にいないことが多かったね」
「そう、○○ちゃんは、遊び人だったもの」
「。。。」


迷い道4

2009年05月10日 | 認知症の日常
母の様子を見に行くと、布団の上に座っていた。
「知らない人に連れてこられた。どうしてここにいることがわかったのか?」と言う。
しばらく自分のうちだと認識できなかったようだ。

1.施設に入れる。
2.介護ヘルパーや見守りサービスの時間を増やす。
3.適当に今の本人のペースで暮らさせて、何かあったとしても寿命と諦める。

1の選択肢も経済的には問題ないのだが、その選定などわたしの実働にかかっている。ひとはアドバイスをくれるが実行を肩代わりはしてくれない。
仕事と違うところはそこである。

転倒の顛末

2009年05月07日 | 社会・世相
今朝、叔母に付き添ってもらって母はクリニックへ行った。
幸い骨折はしていなかったが、今後の母のケアについて考えなければならない。
手首の骨折のときもそうだったが、このままでは立ち行かないぞ、との警告かもしれないからだ。

足元がふらつくのは何故か?
筋力が落ちているのもあるだろうが、本来朝飲まなければならない降圧剤を、誰かが気がついたときに飲まさざるをえないということも原因だろうか。


今回はすでに介護保険の適用中なので、その枠内で介護時間を増やすこと、たとえば毎朝服薬確認にヘルパーさんに訪問してもらうなど、も考えられるけれど、もっと違うアプローチも考える必要があることを母を診てくれた医者の友人と話していて感じた。
介護事業者をとおしてでなく、介護資格のある人を直接雇えないか、ということである。

知り合いのひとの90を超える大叔母さんはホテル暮らしの金持ちだが、2交替制のヘルパーさんが24時間ついている。
うちはそんな金持ちではないが、父が母に残したものでなんとかなる範囲で考えていこうと思う。

そのホテル暮らしの老婦人にとっては介護保険などは要らないものなのであろう。
国民皆保険ということにしておかないと、富裕層は自費でやりますので保険料は払いません、となり健康保険と同じく保険制度が崩壊する。

愚痴の女王

2009年05月06日 | Weblog
転倒のため紫になった部分に湿布薬を貼っていたとき、「お父さんが亡くなってからろくなことがない」と母がぼやき始めた。
愚痴を聞くのが大嫌いな私は「また始まった」と思う。
「愚痴を言うと、愚痴を言うようなひとしか集まってこないよ。お母さんと話して楽しいと思われるようだと、きっと話していて楽しい人が集まってくるんじゃない?」というのだが、本人も自業自得がわかっているのに直せないというようである。

間の悪い人

2009年05月05日 | 認知症の日常
日曜日の母の日、わたしは早い時間に発たなければならないので、前倒しで今日母の日をした。
デパートへ行って本人の欲しいものを買い、食事をして帰ってくる。
足が痛いのはいつものことだが、今日は腰が痛いと言う。
ここが痛いというところに湿布薬を貼って出かけるが、いつも以上に酷い歩き振りだった。
特に椅子から立つときがつらそうだった。

ちょっと豪華な懐石料理を食べて帰ってくるともう9時前だった。
出かけたときの様子が尋常ではなかったので、「ちょっと下着さげてみて」とパンツをおろさせると、さっきここが痛いといっていたより下のほうが一面紫色になっていた。
「いつ、どこで転んだか覚えている?」と聞くが、「出かけたときに階段で転んだ」とおかしな返答だった。
一昨日芝居に行ったときはまったく問題なかったので、昨日か今朝に転んだのだと思う。
左の腰と左の脚外側が紫色になっていたので左から落ちたのだろう。
まったく歩けないわけでないので、骨折はしてないとは思うが、手首の骨折が勤労感謝の三連休にかけてだったし、まったく間の悪いひとである。

紫のところに湿布薬を貼り、パジャマを着せて、「座っていると腰に負担がかかるから今日はもう寝たほうがいい」と、なるべく右を下にして寝るようにと説明したが期待できないだろう。

「電気はつけおいて」というので、そのまま母のところを後にしたが、忘れ物に気がついて戻ると全部電気が消えていた。
もう一度玄関まで下りてこれたということだから、大事無いとは思うのだが。