おひとりさまの介護

母が認知症になった。なにもわからなかった介護の世界との格闘記

雪でもでかける

2012年02月29日 | 通院
雪の日の通院。
前にも書いたが、天気の悪い日の通院は好きである。
本当に具合の悪い人は出てこないか、救急外来に行くので、病院がすいている。

眼科の外来はそれほどすいてもいなかったが、今日は視力と眼圧だけの検査だったし(他の検査をしても埒があかない?!)、母の堪え性のなさがばれているので、病院側がさっさと終わらせてくれているように思えた。

物忘れ外来のほうは素晴らしくすいていた。
ホームの職員さんからのメールでは、母が夜起きているということなので、そう話したら薬を増やされそうになった。
もうちょっと詳細を検討してから、と先生にお願いをし今回はペンディング。
母を連れて出かけるときはいつも大慌てでホームでゆっくり話をしているどころではなく、帰ってきたとき担当の人は会議中のため詳しい話を聞くことはできなかった。
メールでは微妙なニュアンスを知ることはできないし、お互いのコミュニケーションのスタイルも違うので、やはり面と向かって話さないとなかなか難しい。

寒かったが、人出が少ないだろうと、今日は久々に母と買い物をした。
服の色の好みは結構うるさくて、ちょっと彩度が違うといやだったりする。
このトウのいった変な母娘の買い物客はすぐに覚えられてしまい、色々話しかけられるので、母も調子にのって「今度うちに遊びにいらしてね~」を乱発する。

このごろ

2012年02月19日 | Weblog
母のお出かけは、先週従妹に美容院に連れて行ってもらった他はしばらくなかった。
インフルエンザの流行から人ごみをさけたい、という気持ちのほかに、自分のほうがあれこれあったからである。
幸い、ひどい風邪をひいて寝込んだ去年のような事態は避けられたので、やることは多いものの効率の悪さからの無駄な時間の消費は避けられている。

いつも思うことはひとの人生、生きようは様々である、ということである。
ある場所に生まれ、地元の企業に就職し、ほぼ一生をそこで終える人もいれば、破天荒な人生を送る人もいる。
自分は多少ノマドであるからその中間のような位置づけかなと思う。
そのような生き方を、安定的なルーティンの生活を送っているひとから理解するのは難しいだろうし、逆もまた然り。
はたからみてどんな些細な悩みであっても、本人からすれば重大事項である。

エネルギーが余りすぎているのか、発散できないのか、ひとにちょっかいを出したがる人がおり、なぜそっとしておけないのか、ひとはひと、自分は自分でいいではないかと思うときがある。
3.11以降、人生の時間の有限性を改めて認識してしまった今は、ネガティブオーラを発しているひとたちにはなるべく係らないようにしている。

防護服もマスクもなしで被災地を廻られた天皇陛下の虚血性心疾患が心配だったが、無事手術を終えられたとのこと。
一方、東洋経済の編集長が痴漢容疑でつかまったとのこと。
また都合の悪い人間を抹殺ですかい、といつもながら裏読み(いや分析)に頭をめぐらせる自分である。