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おひとりさまの介護

母が認知症になった。なにもわからなかった介護の世界との格闘記

更新の認定結果その他

2012年07月27日 | 留守宅
さて、7月のこのところは母の色々な手続き関係がひと山越えたところである。
介護認定の更新の結果、要介護度は3で去年と変わらず、妥当なところ。
高齢者医療保険の新しい保険証が届き、ホームへの訪問診療に切り替えてからは保険証の原本は本人のいるホームに備置してもらうことにしたので、これはホームに送った。

物忘れ外来から派遣されるリハビリの請求は1ヶ月遅れで来るが、6月の請求回数がおかしかったのでちょっとペンディングになっていた。
結局ホームに記録のない1回分は請求から除いてもらうことにし、その支払だけなら振込みでもよいのだが、訪問診療の先生への申し送り事項ということで紹介状をとりにきてくださいとあり、今日は先生へのお礼を持ってそれをとりに行った。

今月は母とのお出かけがなかったので、来月はお盆休みのころどこかへ連れて行こうと思う。
「男」ではなく、何人か「世話」をしなければならない「女」がいて
(いつもほうりっぱなしにしておいて悪いねと)、自称おじさんも楽ではない。


今年も迎え火

2012年07月12日 | 留守宅
明日朝一番、お寺さんのお盆の巡回がある。
巡回の順番でどうしても早くなり、13日はまだいいほうで12日ということもあった。
本当は13日が迎え火だと思うが、からっぽの仏壇に読経してもらうのもヘンなので、今晩、遅くなったが迎え火をすることにした。
湿気があるせいかなかなかおがらに火がつかなかったが、雨が降る前には終えることができた。

おむつ支給申請

2012年07月04日 | 留守宅
母がホームに入ってからよかったことのひとつは、ホームの職員さんから公共サービスを含めどのような介護サービスの選択肢があるのか知らせてもらえることである。

母がときどき下のそそうをしてしまうようになって、そろそろおむつのことも考えなくてはならない。
寝たきりでなくても、要介護2以上で認知症ならば、区が紙おむつの支給をしてくれることをホームの職員さんが教えてくれた。
ひとことでおむつといっても、パンツのようにはくタイプからパッドタイプ、薄いもの厚いもの、肌触り、女性の生理用ナプキンのように種類も様々で選ぶことができる。
もちろん自己負担金はあるのだが、ありがたいのは薬局から直接ホームへ配送してくれる点である。

母がホームへ入った後、モノがあふれかえる実家を整理し、父が最後の1~2年かに使っていた紙おむつを介護業者さんにひきとってもらったことがあった。
もう母がそれを使うような段階にきているのである。

写真

2012年03月10日 | 留守宅
母の留守宅でいよいよ写真の整理が始まった。
色々な持ち物のうち一番面倒なのが手紙の類、その次がブービー賞で写真だろうか。

アルバムに貼ってある古いものは置いておいて、だいたい80年代後半からの整理前のバラの写真である。
あちこちから出てきたものを部屋の隅にひと山にしておいておいた。

分類は、
1.我が家の家族のもの
2.父の会社関係・交友関係
3.母の宗教関係・交友関係
4.親類O家、S家、U家のもの
5.その他の親類
6.誰だかまったくわからないもの

いつも手伝ってもらっている従妹の家族のものはそんなに多くはなく、叔母に見せてもっていってもらうことにした。
誰だかわからないものは、これは捨てるしかないな~と思っている。
写真の裏に何か説明があればまだ手がかりがあるが仕様がない。

宗教関係のものは従業員で母の手伝いをしていたものに一任し、本人に渡せるものはそうしてもらいわからないものは捨てることになる。
従業員もいやになるくらいあったものすごい量の自分のうちの写真をデータに落としたそうである。
そういうサービスがあるのはどこかで聞いたことがある。

一大勢力を形成しているのが4の親類O家とその娘たちのS家、U家のもの。
まだカメラが貴重品だったころに8ミリを持っていた叔父一家のグループである。
叔父の写真好きと、母の子供好きがシナジーとなり、うちの写真より多いのではないかというくらい、その娘たち、孫たちの写真がある。
とりあえず別にしておいてどうするか考える。
多分、捨てることになるのだろうけど。

広大な墳墓に副葬品として入れてあげられるわけでなく、わたしも日々おばあちゃんになって整理・処分がきつくなってくるのだから仕方がない。


仕事納めのあとのこと

2011年12月30日 | 留守宅
ブログのよいところは、そういえば去年のいまごろ、どうしていたかな~と定点観測ができることである。

去年の12月は母の婦人科の検査もあったし、母の健康についてはより心配が多かった。
今月は去年に比べればずっといい。11月に白内障手術の付き添いが大変だった分ちょっと貯金した感じ。
実家もある程度片付いたことだし、去年お飾り盗難事件があったことでもあるので番犬を兼ねて、今年は実家に寝泊りすることにした。

いったん床についてから頭の中に、重要な年内の支払が終わっているか心配が沸いてきて眠れなくなってしまった。
父の生前、ある従業員が忘れていて大変だったことがあるからである。
伝票が起きているのを見た記憶がないので、余計に心配だった。

結果的にそれは杞憂だったとわかったのだが、心配の種が尽きないまだまだ働き盛りである。

老前整理

2011年08月15日 | 留守宅
盆休みは自分のところの老前整理。

何度も言っているが、実家で懲りているので自分のところも気力・体力のあるうちにやっておかねば、という気持ち。
特に先月は足を怪我して、出したものを戻しておくのもおっくうになり、体が不自由になると年取ったときの状況を疑似体験した。

目標は、本や仕事上の書類を減らし、収納家具を捨てることにある。
物が増えたから収納を増やすのではなく、ある収納に収まる範囲で生活する。
その入れ物を減らしていくのである。
さらに過去のデータでディスケットの時代に入れたものを外付けメモリーに移したり。
物理的なものがなくなれば、わたしが消えたあと、これらのデータも一瞬で消去でき便利だろう。

実家の整理もぼちぼち継続しているが、実家にはTVがあるのでときどき見てしまう。
PCワークが多いので目を休めねばとは思うのだが、
欧陽菲菲ときよしのズンドコのため「思い出のメロディー」は最初から最後まで見てしまった。

連休は

2011年05月02日 | 留守宅
文部省発表の放射能濃度は0.07マイクロシーベルト/毎時あたりだが、実際にガイガーカウンターで測っているひとのブログなどを見ていると、これはかなり低めの数字でその3倍ぐらいを考えていたほうがよさそうである。
特に、放射性物質は下に沈殿していくので地面や床に近いところで高い数値がでている。

3年ほど前に浜岡原発の危険に関する本を読んでから、自分のところは放射性物質を吸い込んでも排気しないスゥエーデン製の掃除機を買ってあった。
(これと、普通の掃除機、それにルンバと3台持っているので掃除機オタクと言われそう)
自分のところはこれで掃除し、かつ床を水拭き、そして空気清浄器を回している。

放射性物質の大量放出の際、留守にしていて自分のコントロール下になかった母の家も相当放射性物質が入り込んでいると思われた。
とりあえず、危なさそうなバルコニーの土の吹き溜まりなど、どうにかしなければならなかったが、鉢植えを動かしての掃除は自分では無理そう。ハウスクリーニングを依頼した。
これをやっておかないと、換気で窓を開けたとき、たまっている放射性物質が家の中に入り込んでくる可能性があるからだ。

で、連休の初日は男性2人組が来て、排水管に入り込んだ鉢植えの根まで綺麗に除去してくれた。

今日は黄砂が飛び、明日も続くそうである。
しばらく窓は開けられそうにない。

仕事始め

2011年01月05日 | 留守宅
さて、今日は実家の会社の仕事始め。
会社の全員が本社に集まってくるので、それを前にスピーチをする。
父が生きていたころは元旦にその原稿を準備し練習している姿をよく見た。

今年は何を話そうかと考えていて結局夜中の2時になってしまった。
得意先の要求はだんだん厳しくなるが、そのコストは考えてくれない、というのが今の日本の実情である。
がんばって技術力をあげてもらうしかないのだが、なかなか期待レベルには届かない。
色々外部環境の激変が想定されるが、生産力に裏づけされない貨幣に意味はなく、生産力と技術力さえうまくキープすれば、その時代時代の購買力を得ることができるだろうと考えている。

スピーチの話はそこまでの理解力は求めず、具体的な日々の業務を例に、ちょっとした変化に敏感になること、情報のシェア、チームワークをあげた。

自分本来の仕事の仕事始めは明日以降である。

大晦日のハプニング

2010年12月31日 | 留守宅
大晦日の今日は、実家へ行き最終チェック。
仏壇にお供えを飾り、昨日ついたお正月のお花の水遣り。
掃除機をひととおりかけ、今日も昼は好物の牡蠣鍋をやった。

それで一度自分のところへ戻ろうと家を出たら、地面にお飾りの中の竹が落ちていた。
よく見ると、一対のお飾りのうち一つが入れ物の竹筒ごとガムテームをはがして持ち去られていた。
気持ち悪いので、お向かいのおねえさんのところに行き、その話をする。

お向かいさんのお父さんは生前、柔道整体師をされていた。
鳶の組頭を無料で診ていたのでその方面に顔がきく。
さっそく電話をしてくれるが、一夜飾りは縁起が悪いので商売は昨日が最後。なかなか連絡がつかない。
留守電にいれてくれたメッセージのおかげで、組の若いのが(といっても40ぐらい?)きて、うまくお飾りをそろえてくれた。
材料代だけでいいというが、そういうわけもいかずあらかじめ用意していたポチ袋を渡す。

想定外のできごとだったが、ご近所づきあいが生きていて助かったことである。

新年が明けたら神棚のお札を新しくするので、これからまた自分用の年越しそばをもって実家である。

苦労ばかりが気になりやすいが、実はそれより何倍の幸運もあった1年だったと思う。
今年も私を見守っていてくれた方々、助けてくれた方々にお礼申し上げます。

年末の断捨離

2010年12月12日 | 留守宅
母の膨大な持ち物を整理、選別するのが先で、父のものは殆どそのままにしていた。
母ほどの分量はないものの、父は最後まで現役だったので、スーツを何十着も保有。
使わないものにスペースを避けるほど余裕がない住宅事情だし、思い出の償却も進みつつある。
紳士服はよくわからないが、父のキャラクターが出ているのを何着か残したら?、と言われ、裏地にこった「やんちゃ」なものだけを残すことにした。

フリマをやっている友人によると、男物のスーツだけはどうにも引き取り出がないとのことで、大部分はリサイクル業者に出すことにした。
あるアパレル業者がやっているキャンペーンで、その業者のものでなくてもOKである。
タンスが満杯の日本の家では、スクラップアンドビルド、捨ててもらわないと買ってもらえない、という発想だ。

片づけばかりは自分の性分もあると思う。
雑然とした状況にあっても全然平気なひともいるが、それはわたしは気持ち悪くてしようがない。
それで、いつ終わるともしれぬ片づけ地獄にどっぷりつかっているわけである。