友人からワラビをもらいました。アク抜きの灰も付けてくれて、やり方も教えてもらいました。

灰をまぶして・・・

熱湯を注いでよくかき混ぜて、一晩放置します。さて、明日はどんな感じになるでしょうか?
山菜のワラビ、ゼンマイと言えば、ソ連(いまのロシア)サハリンでの自由市場を思い出します。ここでは、韓国系のたくさんのおばちゃんたちが、手製の漬物や山菜を売っていました。その中には、終戦で残された日本の方もいました。一人暮らしでまだよくロシア語をしゃべれなかった私は毎日のように自由市場に行き、おばちゃんたちと日本語で話し相手になってもらっていました。おばちゃんたちは「今日の夕飯用にね」といつもたくさんの野菜や山菜、漬物を持たせてくれたのでした。

サハリンの首都、ユジノサハリンスクの自由市場。いつもたくさんの人々で賑わっていました。

当時の市場の売り子のほとんどが、明るく働き者の韓国系のおばちゃんたちでした。

気さくなおばちゃんたちはいつも陽気で、にこやかでした。おばちゃんの前にワラビやゼンマイの漬物があります。

当時ソ連の商社に勤めていた私は頻繁にサハリンとウラジオストクやハバロフクスを行き来していました。お土産にサハリンのおばちゃんたちの漬物やキムチをお願いされるほど、ロシアの家庭料理として大人気でした(ウラジオストクにて。1991年)。

灰をまぶして・・・

熱湯を注いでよくかき混ぜて、一晩放置します。さて、明日はどんな感じになるでしょうか?
山菜のワラビ、ゼンマイと言えば、ソ連(いまのロシア)サハリンでの自由市場を思い出します。ここでは、韓国系のたくさんのおばちゃんたちが、手製の漬物や山菜を売っていました。その中には、終戦で残された日本の方もいました。一人暮らしでまだよくロシア語をしゃべれなかった私は毎日のように自由市場に行き、おばちゃんたちと日本語で話し相手になってもらっていました。おばちゃんたちは「今日の夕飯用にね」といつもたくさんの野菜や山菜、漬物を持たせてくれたのでした。

サハリンの首都、ユジノサハリンスクの自由市場。いつもたくさんの人々で賑わっていました。

当時の市場の売り子のほとんどが、明るく働き者の韓国系のおばちゃんたちでした。

気さくなおばちゃんたちはいつも陽気で、にこやかでした。おばちゃんの前にワラビやゼンマイの漬物があります。

当時ソ連の商社に勤めていた私は頻繁にサハリンとウラジオストクやハバロフクスを行き来していました。お土産にサハリンのおばちゃんたちの漬物やキムチをお願いされるほど、ロシアの家庭料理として大人気でした(ウラジオストクにて。1991年)。