温故知新・発想転換・創意工夫 「廃棄物の最終処分」から「循環資源の管理型利用」へ

縄文時代の日本人の発想と、市町村の自治立法権を活用して
日本を世界で最初の「ごみ捨て場」のない国にしませんか?

■■■ 市町村による持続可能な循環資源の再資源化モデルに関する考え方と具体例

2018-11-21 09:55:38 | イメージ

ゲストの皆様へ

ブログの記事をご覧になる前に、ここにある循環型社会における「循環資源」に対する基本原則を「インプット」しておいてください。

 

循環基本法の正式名称は、循環型社会形成推進基本法です。

しかし、持続可能な循環型社会の形成を推進するためには、高炭素型社会から低炭素型社会に移行しなければなりません。

そこで、今回は、市町村による持続可能な循環資源の再資源化モデルに関する考え方と具体例について整理しておくことにしました。


(1)これは、循環資源(人が生活のために活用した地球資源)に対する縄文時代の日本人と弥生時代以降の日本人の考え方の違いを整理した資料です。 

【補足説明】縄文時代の日本人に、「ごみ」や「廃棄物」といった概念がなかったことは、今や考古学における常識になっています。そして、石炭や石油といった「化石燃料」は使われていなかったので、循環資源の再資源化については、低炭素型の「リユース」が主流でした。

(注)日本列島において、人口が急増しはじめたのは、弥生時代からです。そして、昭和時代になると、循環資源の再資源化については、「リユース」から「リサイクル」が主流になりました。そして、平成時代は、化石燃料を多消費する、高炭素型の「リサイクル」が主流になっています。その最大の理由は、慢性的に「廃棄物の最終処分場」が足りない状況になっているからです。

(2)これは、高炭素型リサイクルの代表例を整理した資料です。

【補足説明】そもそも、焼却灰の溶融処理は、「ダイオキシン対策」を目的としてスタートしました。しかし、今では、焼却炉の性能が良くなったために、その目的が「焼却灰のリサイクル」に移行しています。

(注)焼却灰の溶融処理以外のリサイクルは、基本的に民間に委託する形で行われています。そして、多くの場合、委託する民間の施設が遠方にあるという状況になっています。

(3)これは、どうしても再資源化することができない循環資源(人が生活のために活用した地球資源)に対する縄文時代の日本人の考え方と弥生時代以降の日本人の考え方の違いを整理した資料です。

【補足説明】縄文時代から弥生時代にいきなり変わったわけではないので、実際は、弥生時代以降から、徐々に、縄文時代の日本人の考え方が薄れていった形になります。そして、昭和時代の後半から平成時代になると、縄文時代の日本人の考え方は、完全に「古い考え方」になってしまいました。その証拠に、現代の日本人の多くは、縄文時代の日本人が築いた「貝塚」を、「縄文人のごみ捨て場」であると考えています。

(注)言うまでもなく、人間に「ごみ」や「廃棄物」という概念がなければ、「ごみ捨て場」という概念もないことになります。

(4)これは、市町村による持続可能な循環資源の再資源化モデルに関する考え方を整理した資料です。

【補足説明】このように、この考え方は、現代の日本の社会から「高炭素型リサイクル」をゼロにする考え方になります。そして、低炭素型の循環型社会の形成を推進するという考え方になります。

(注1)このブログの管理者は、市町村よる再生可能エネルギーの普及・拡大については、管理が容易な「太陽光発電」がベターであると考えています。

(注2)「太陽光発電」を行うために、再資源化する循環資源を遠方まで運ぶというのはナンセンスなので、再資源化を行うエリアは、基本的に自区内になります。

(注3)自区内に適地がない場合は、適地のありそうな近隣の市町村と共同で「太陽光発電」を行うという考え方になります。

(5)これは、市町村による持続可能な循環資源の再資源化モデルに対する具体例を整理した資料です。

【補足説明】すでに、国(環境省)は、エネルギー回収型の焼却炉の普及・拡大を図っています。そして、国は、独自に再生可能エネルギーの普及・拡大を図っています。したがって、市町村が可燃物の焼却灰(主灰・飛灰)や不燃物を再資源化するために「太陽光発電」を行うことは、国の考え方と一致することになります。

(注1)この具体例は、いわゆる「廃棄物発電」から発生する循環資源と「廃棄物発電」に利用できない不燃物を「太陽光発電」を行うための「土木資材」として再資源化する取り組みになります。

(注2)この具体例において、焼却炉から発生する「不燃残渣」は、資源化が困難な不燃物になります。

循環資源の管理型利用に関するホームページにリンク