集中0%にした雑念と追憶 雑念は小津安二郎の作中の中流家庭から始まる
小津安二郎作品を沢山みてるがどれがどの話かほとんど憶えてないし内容もほとんど憶えてないがみてて心地いいからしかたがない
中流家庭といっても時代が違えば様子もずいぶん異なり ハイテクの無い当時の中流家庭にはずいぶんとゆったりとした時間と人間関係が流れてるよう
そして同じ日本人なのになにか違う民族をみてるよう感じられるなにかがある
現代日本人が小津安二郎作中の日本人らをみると何か感じるはずだろう
(しかし意識して模倣する様はいけすかない、似非をいかに自然に見せようと似非臭いいけすかなさは漂うものである)
そのあと小津安二郎の中流家庭のキーワードからいきなし90年代初頭他所に居たころの追憶が始まりある日流れで中国人リチャードと在英マレーシア人ムルの家に行くことになったのだが ムルはマレーシアの王族関係かなんかの出でイギリス人と政略結婚し英国貴族の邸宅に住んでいた キングスロードを一歩入った所にあるムルの奥さんの邸宅は信じがたい邸宅で普通に映画の中の世界だった 特にあそこのトイレには本当に驚いた ぼくは彼らに誘われるがまま行ったがラフないでたちだった 彼らはもうすこしマシないでたちだった 邸宅のポーチ(ベランダの通路)で僕らが話してると数名の英国貴族が会話に入ってくるのでぼくは尻込みした 何かの話のときに〝 リチャードやムルと違い私は貧乏な家庭の人間です 〟という話をした すると彼らのうちの一人が〝 私は日本に何度か行ってるので知ってるが、日本には金持ちも多数居るしその他すべての日本人はミドルクラスなので日本人に貧乏人は居ない 〟と言われた 当時の日本はそうだったのかもしれない あの当時は長崎でも界隈に貧しい人は居なかったようおもう しかしその以前は自分の家も長崎で貧乏な暮らしをしていた 東京で食べていけなくなったので家族で長崎に引越したのだ しかし長崎の自分の幼馴染たちはもともと裕福な家庭の子たちばかりだった 馬場家具の娘や東洋軒の息子や浜屋の息子や医者の子供たちやその他もろもろだった でも自分の家は貧乏だった 80年代にようやく貧乏から脱し中流まで登った感じだった しかし母の実家は昔ながらの資産家だったのでなにかと恵まれた環境だったのかとも思う うちはようやく貧乏から脱したけど成金気質ではなかった そんなうちも80年代半ばになるとあの業種では長崎でトップとなり皆がうちを知っていた 当時はうちの商売敵は居なかった うちは80年代初頭から90年代中盤まででひと財産築いたようだった 当時のうちは中流よりちょい上だったようおもう 車も当時のクアトロのアウディに買い替えかっこよかった うちのような貧乏な家でもここまで登れたので日本に貧乏な家庭はないと言ってた彼の言葉はリアリティあった で何だったのかというと小津作品の中流家庭というキーワードから雑念がふくらみこの一連の追憶雑念が広がりきりこれのみで瞑想終えたことの無意味さ 雑念通り越しここまでの追憶にふけりきりただただあぐらかいて強めに呼吸していたという肉のかたまり感
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小津安二郎作品を沢山みてるがどれがどの話かほとんど憶えてないし内容もほとんど憶えてないがみてて心地いいからしかたがない
中流家庭といっても時代が違えば様子もずいぶん異なり ハイテクの無い当時の中流家庭にはずいぶんとゆったりとした時間と人間関係が流れてるよう
そして同じ日本人なのになにか違う民族をみてるよう感じられるなにかがある
現代日本人が小津安二郎作中の日本人らをみると何か感じるはずだろう
(しかし意識して模倣する様はいけすかない、似非をいかに自然に見せようと似非臭いいけすかなさは漂うものである)
そのあと小津安二郎の中流家庭のキーワードからいきなし90年代初頭他所に居たころの追憶が始まりある日流れで中国人リチャードと在英マレーシア人ムルの家に行くことになったのだが ムルはマレーシアの王族関係かなんかの出でイギリス人と政略結婚し英国貴族の邸宅に住んでいた キングスロードを一歩入った所にあるムルの奥さんの邸宅は信じがたい邸宅で普通に映画の中の世界だった 特にあそこのトイレには本当に驚いた ぼくは彼らに誘われるがまま行ったがラフないでたちだった 彼らはもうすこしマシないでたちだった 邸宅のポーチ(ベランダの通路)で僕らが話してると数名の英国貴族が会話に入ってくるのでぼくは尻込みした 何かの話のときに〝 リチャードやムルと違い私は貧乏な家庭の人間です 〟という話をした すると彼らのうちの一人が〝 私は日本に何度か行ってるので知ってるが、日本には金持ちも多数居るしその他すべての日本人はミドルクラスなので日本人に貧乏人は居ない 〟と言われた 当時の日本はそうだったのかもしれない あの当時は長崎でも界隈に貧しい人は居なかったようおもう しかしその以前は自分の家も長崎で貧乏な暮らしをしていた 東京で食べていけなくなったので家族で長崎に引越したのだ しかし長崎の自分の幼馴染たちはもともと裕福な家庭の子たちばかりだった 馬場家具の娘や東洋軒の息子や浜屋の息子や医者の子供たちやその他もろもろだった でも自分の家は貧乏だった 80年代にようやく貧乏から脱し中流まで登った感じだった しかし母の実家は昔ながらの資産家だったのでなにかと恵まれた環境だったのかとも思う うちはようやく貧乏から脱したけど成金気質ではなかった そんなうちも80年代半ばになるとあの業種では長崎でトップとなり皆がうちを知っていた 当時はうちの商売敵は居なかった うちは80年代初頭から90年代中盤まででひと財産築いたようだった 当時のうちは中流よりちょい上だったようおもう 車も当時のクアトロのアウディに買い替えかっこよかった うちのような貧乏な家でもここまで登れたので日本に貧乏な家庭はないと言ってた彼の言葉はリアリティあった で何だったのかというと小津作品の中流家庭というキーワードから雑念がふくらみこの一連の追憶雑念が広がりきりこれのみで瞑想終えたことの無意味さ 雑念通り越しここまでの追憶にふけりきりただただあぐらかいて強めに呼吸していたという肉のかたまり感
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