庶民の自分
幼いころから持つ世俗(の価値観)に対する距離
距離感じつつ時を過ごすも決別はできない
そんな人間が瞑想の時だけ都合よくクリアな意識のまま意識持続出来るのだろうか
最近ここの不自然さ(矛盾)感じる
数回(2回?)のみ経験した時間の飛ぶ意識
あの時間の飛ぶ意識を幾度も経験するとそんな自分でも世俗との決別に向かう可能性はあるのかもわからない しかし実際にそんなことができるのだろうか
少なくとも生活の為にも自分のような庶民には世俗(の価値観)との決別は難しい
インドでは様々な事情でシャカの教えが廃れるが 仏教徒である庶民が実生活(競争社会)で負けてしまうこともその一因となる
シャカ自身も述べた(らしい)
〝 世俗には理解されるものじゃない だから教えを広めても仕方がない 〟 的なこと
今朝ちょうど100回目の瞑想でそんなような雑念
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