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友達100人できるかな

2013-12-06 01:16:36 | 無題
Facebookの友達や、Twitterのフォロワーは

あいかわらず少ない。



Facebook

結構すごい人とも”友達”としてつながっているけれど、

その人たちからは、いいね!を押されたことがない。

私は、その人たちの投稿にいいね!を押したことが何回かある。


つながって1年くらいになるし、

特別感動したときなどにしか投稿してないけれど、

いいね!押されない。



いつもの常連さんは押してくれる。

0と1ではおおちがい。

1でもいいね!があれば、よかったと思い、

0だとこの世にいることを否定されたような気分になる。

私は、ここに、存在、しているのか―?


Twitterは知らない人ばかりフォローしていることもあってか、

だれからもリツイートされたことがない。

見ず知らずの人とつながっていっても、

いつか知っている人に見つかったり、

繋がってりするのかなぁと思っているからだ。


一年近くやっているけれど、

つぶやく回数も少ない。

まだ100にも達していない。


やみくもにフォローもしていない。

だからまだフォロー数も二桁だ。


それでも、フォロワーとフォロー数が倍違ってくると、

なんだか切なくなる。

フォローしてくれている人たちは、

フォロー返しを狙った人、

私がフォローしたからフォロー仕返した人というのがあって、

私に興味があったから自らフォローしたという人は、

まだいない。


ブログとか他からの流入元があればいいんだろうけど、

それをやったからといって、

私をフォローしてもらえる自信もない。


ブログをやってフォローされるには、

人が参考になるようなことを書けばいいんだろうけど、

そこで私の心の狭さが発動する。

ぎゅっと狭まっていって、

どうして自分でがんばって身につけた知識を、

ぼうぜんと見ているだけの人に提供しなければならないのかと。

それに私の知っている知識を得たがる人って、

私に仕事を頼もうと思う人ではなく、

同じ業界業種の人じゃんって。


よくこういうことについての本には、

ブログで情報を発信することが、

マーケティングになると書かれているけれど、

そうかな?と思う。


第一私はなにか1つのテーマで書くのが苦手だ。

私の興味関心は常にたくさんの中から移ろいでいって、

ブログはただの日記帳みたくなる。

つまりパーソナルなブログになってしまうのだ。


ブログをやるといいと書いてあったり、いう人は、

1つのテーマにしぼって、

それを楽しみに見に来る人の期待に応えることが、

リピートにつながるというのだ。


私は1つのテーマにしぼって書くのはいやだ。

たとえばMac。

このテーマにしぼって書いている人はもう随分前からいるし、

結構な人数いる。

たとえばデザイン。

私もいまだ、デザインについて書かれた記事に検索でたどりついたりする。

それにデザインがテーマなら英語ができないとおもしろくない。

海外の新しい情報もとりいれることでおもしろくなる。

見ている人=デザイナーはそういう新しい空気を求めている。


たとえばメイク。

これも既に強者というべき人たちが、

月に何万も化粧品代につかってブログを書いている。

それがまた楽しそう。

私もメイクは楽しいと思う。

だけど、そこまでお金かけないし、

それより今お金ないから無理だし、

あったとしても、そんないろいろ試すほど皮膚強くない。


ハンドメイド。

これは今少し考えている。

でも、Twitterとかで既にある程度活躍している人のツイートが流れて来たりすると、

私がこんなことしても無駄だって思う。

すごい量の作品が、バーッと並べられたかわいい写真とともに、

「もうすぐ、なんとかマーケット、お近くの方は是非来てね」

なんてリツイートが流れてきた日には、

こんな量作れない。

こんな量作らないと、儲かっていけないのかな、とか、

かわいいなぁ、あるじゃん、かわいいのあるじゃん、

私がやらなくてもあるじゃん

と思ってしまう。


それで、じゃぁ、その流れて来た写真の品がほしいかっていったら、

ほしくないんだよね。


私はハンドメイドのなにに魅力を感じているのか?


えげつないことに、

「売っているようなものでも、自分で作れる」

っていうのがある。

だから買わなくてもいいっていう。


つまり、お金かからないで済むし、自分の好きなように作れるから、

いいよねっていう。


でもこれを商売にしたら、実際はそう儲からない。

うまくいっている人は儲かっているんだろうけど。

材料はそう安くないし、

大量生産された既製品と比べると、

コストも、

手間もかかる。


割高なハンドメイド品と、

駅構内とかにあるおしゃれな雑貨屋さんに売っているアクセサリーだったら、

ぜったい後者を買う。

その方が、できばえのクオリティや安全性に信頼があるからだ。

ハンドメイドはどうしても、

壊れやすそうとか、

壊れないかなぁとかいう不安が私はつきまとう。

よっぽど気に入ったデザインで、

そこでしか売っていないというものだったら、

買うことを検討する。


この前、ハンドメイド作家さんを集めた展示販売があった。

ファッションビル内の本屋の横のスペースだ。

ちゃんときれいに作ってあって、

個性あるヘアアクセサリーや洋服などが並ぶのだけれど。

来ているお客さんは、(も?)

ハンドメイドに興味はあるけど、

そこまで崇高に思ってはいないという感じなのだろうか、

こったつくりのカチューシャを手に取っては、

かたっぱしから試着してみていた。

すこしがさつに見えた。


1点ものの高級なカチューシャだ。

芸能人が衣装で切るには映えそうだけど、

一般人がつけるにはちょっと・・勇気がいるデザインだ。

グスロリとかアンティーク調の服を着飾る人だったら、

似合うかもしれない。

そんな感じで、

値段もすごく高かったから、

鏡がおいてあったけれど、

「「これつけてみていいのかな?つけてみたいけど…。

高いしちょっと派手だから似合ってもつけていけるとこないから、

買わないけど。」」

と思って、つけたいなぁと思いながら、

眺めるだけにとどめたのだけれど。


私がたまたまみた来場者の人たちは、

おもむるの手に取って、友達と、あはは似合う~とかやって、

片っ端から試着してみるような人たちだった。


それを見て、私も試着してみる勇気がわいたんだけど、

そっと手に取って、そっと付けてみただけだ。

作った本人なのではないか?とおぼしき店員さんの目を盗んで。

前出の人たちは目なんて気にしていなかったけど、

その店員さんらしき人は、その棚とその先にある棚を行ったり来たりして、

陳列されている品を細々、レイアウトを整え直していた。

みんなが手に取って見るからだ。



ハンドメイドの―品って、

壊れやすそう、高そう―だし、

なにより人がちまっちまっと丹誠込めてつくったものだから、

なんか無造作に扱っちゃいけないって感じが私はする。


だけどみんなは、

そんな買う気もないのに、雑作もなくあつかって、

あははと言って去っていくのが、

なんか、なんだろう・・

いじめをうけたときのような嫌な気分になる。


心を込めてつくったもの、好きなものが、

乱雑に扱われてポイッと捨てられる、

対価も払われずに。

まるでそこになかったかのように。


価値観の違いーが自分の大切なものと、

他人の多くの大切なものとの違いとに、

剥離を感じて、

どうしてもどかしくなるんだろう?



よくいいものを作っても売れないとか聞く。


私の同級生だった知り合いも、

すごいいいサービスをすごい安く提供していたのに、

お客さんは連日満員というわけではなかったらしい。



認知が、広く広まっていないというのもあるし、

個人でやっていたから人気(ひとけ)があるように見えないと、

初めての人からすれば信用がないだろう。

だけど個人で自宅でやっているし、

体調を崩したからっていうのもあって個人で始めたから、

人がわっと来てもこまるし、

問い合わせやクレームに追われるのも疲れるというところ。

また人に紹介するほど、間違いなくすばらしいかっていったら、

「私はこれですごい満足だけど、このサービスに求めることって人それぞれだからなぁ」

っていうのがあって、

いいところ知らない?と聞かれでもしない限り、

あそこのよかったよ~なんて言えるほどじゃない。


またクチコミが怖いのか、

1つもクチコミサイトに登録していないから、

よかったという感想もかけず、

気にしいのその人のことを考えると、

なんか余計なことやって、私とその人の間で摩擦が起きるよりいいと、

なにもしないでいてしまう。


それでも一旦閉めるとこの前話があって、

私はツイッターで、すごくよかったと感想をつぶやいた。

お店のリンク付きで。

けれど、

あたりまえながら、

だれもリツイートしてくれないし、

私のフォロワーの属性は前述したとおり、

そういったことに興味のある人たちではないのだ。

私もそれにすごい肩入れしているわけではない。

でもすごくよかったんだ。

これで、あんな値段なんて、もうちょっと高くてもいいのにって自然と思った程だ。


その気持ちを精一杯、ツイッターの短い文にまとめた。


でも誰もみていない。

女性が対象だけど、女性のフォロワーほとんどいないし。


つまりつまり、

誰にも拡散できないのだ。

たくさんいる人の中(サービス)で私は叫んだけど、

私の言葉に信頼も、興味もないんだ。


面と向かった人や、

既に信頼関係がある人に、よかったらいってみてとか、

男性には、彼女にとか言ったことがある。

即答で「行かない(笑)」と言った人が結構多かった。

その対象がうさんくさく見えたのだろうか。

たしかにお店によっては勧誘とかあるらしいけど。

違うんだ。

本当にそういうのとかないし、

そういうの一切しない、安くて、自分が受けたいと思ったサービスを詰め込んだサービスにしたい

っていうのを実現させたものなんだ。


まぁ、たしかにその人たちの家から遠いけど。


そういう理由かなぁ?


でも私は思うんだ。

リア充と呼ばれるような人たちは、

あそこいいよーとか言うと、

え、じゃぁ今度言ってみようかなぁとかいって、

気軽に人もお金も動くんだ。


だれかがライブを開けば、気軽にノリで遊びにいくし、

そして、行って当人同士会った写真をFacebookにアップすると、

ものすごい数のいいね!がつくんだ。

わかる。

いいね!と私も思う。だから私もいいね!を押す。

けれどなんでだろう?

そういう感じじゃない人たちだと、

いいね!って押しにくい。


パーリー感や友情感がいいね!っていうのがあるのに対し、

内輪感があって入っていけないねっていうのと一緒に、

そうはいっても大して盛り上がってないでしょ的なのがある。


その人の背景なのか。

働いている会社、雇用形態、職種ーお金が安定しているように見えるからか?

盛り上がっていってるところには参加しやすいっていうのもある。

たくさんいいね!がつけば、

いいね!しやすいのは集団心理とかで片付けてしまっていいのだろうか。

まだ、少ないいいね!に、いいね!するとき、

特別な自分を見てほしいという気持ちがなくなかったりするのに。

大勢のいいね!の中にも私を見つけてほしいと思いながら、

そんなの無理だけどと思いつつ、

素直に祝福していいね!を押す自分がいる。

なんだろうか?

いいね!されなくても、

いいね!と思うといいね!を押してしまっている。

だけれど、それでもいいね!は押されない。


私はなんだろうか?

私はただの盛り上げ、取り巻きの一部になってしまったのか。

外からみればそうだけれど、

内からみたら、なんだろうか?


素直にいいね!を押している自分と、

いいね!を押しているから、ちょっとは私の方にも

いいね!を押してくれればいいのにと思う自分がいる。


以前の私=Facebookをはじめる前の自分は、

外からみてそれを、かわいそうな人と思っていた。

今、私も自分のことを

かわいそうな人と思っている。

かわいそうじゃなに人にしてあげたい。


けれども以前選んだことがあるような道=いいね!をもう押さない

というのは、どこか違うような気がするし、

今までそちらを選んで発展したことはないから、

これはパスだ。

それに素直にいいね!と思っているのに、

今度はまたステレルス的に傍観に徹するなんて、逆にめんどくさい。


どこからからネタを拾ってきて投稿するような、

小手先の方法をとるのはイヤだし、

自分の言葉じゃないものを発信しても、

それは自分をいいね!と思ってもらえたり、共感してもらえたりしたわけではないので、

いいね!されたりリツイートされたりしても、

私は嬉しくないだろう。

むなしいだけだ。


だけど商売や集客のそれには、

そういった自分がどうとかにこだわることなく、

どっかからパクってきたようなのを、

ちゃちゃっとして手間ひまかけないで、

目的や拡散を広めるのが大事とされたり、

事実そちらの方が成功したりする。



検索結果が、今の私をささやかに癒してくれる

2013-11-30 22:42:43 | 無題
友達のサロンに行こうかなぁと以前から思っていたから、

お茶しようって言われたときに伝えたけど、

この2日程で、行きたくないと思っている。


理由はその人がサロンを移転させるために、

お金儲けのためにWebデザイナーになるとか言い出しているからだ。


友達が同業種を目指し始めるって、どう?

いい気持ちしないんだけど。

憧れてたり、尊敬の念があってなるならいいけど、

その人は前々からちょっとバカにしたようなところがあったから、

それがすごくやだ。

手軽に稼げる職業みたいに思われているみたいで。


「今度お茶しよう、情報交換しよう」とか言われたけど、

は?って感じ。

私が作ったものとか興味ないし、尊敬の念もないのに、

なんの情報を交換するの?

私に聞かない方がいいんじゃないの?

電話ごしでも、質問しておきながら、そうなんだよね~とか言って来て、

もう答え出てるなら、質問しないでほしい。

すごい苦手だわぁ、こういう人。

もう会ってどんな表情で、どう返したらいいかわからない。

愛想よくし続けられる自信ないし、

嫌味いっちゃいそうだし、

その人がしゃべればしゃべるほど、

私は内心、めちゃくちゃ傷ついて、落ち込んでかえってくることになるからやだ。


そのくせ、その人はなんだか晴れ晴れしい前向きな気持ちで、

夢を抱いてすがすがしい感じでいるから、

もっとやだ。

そしてブログに後日、他の友達と食事したことを書いて、

前向きな友達と会うと気持ちいいとか綴るから、

遠回しに嫌味ですかって思っちゃう。


急性胃炎になったことを話したら、

「ああ~あれ苦しいよね~私もなって入院してさぁ」とか

すぐ自分の話をしてきて、

同情とかいっさいなし。


自分の業界がとにかくひどいことを話して来たり、

友達にWebデザイナーいるけど、大変な業界らしいね~って言って来たり、

なんなの?と思う。

それなのに職安でWebデザイナーの職業訓練を勧められたから、

それに行って、アルバイトするつもりとか。


挙げ句の果てに、

「いざとなったら派遣とかいけばいいじゃん」とかアドバイスしてくる。

アドバイスの形をとったバカにしているってどういうこと?

自分でバカにしているのが伝わっているってわかってないのかな?


アメブロでお金を払ってでもカスタマイズしたい人いっぱいいるって言ってきて、

「だけど紹介はごめんね、できない」って、

なんなの?嫌がらせに聞こえるんだけど。

じゃぁ、自分はWebデザインできるようになったら、

その知り合いなのか、ただそういう人をネット上で見かけただけなのかしらないけど、

その人たち相手に商売するの?

紹介できないのは、私だから?それともネット上で見かけただけの話を言ってるの?

どこからそんな仕事あるよって勧められるほど、自信が出てくるの?



そういう風に思考がつながっちゃうんだけど。

それで、私よりその人の方が、人付き合いうまそうだから、

技術とか知識とか劣っても、

私より商売うまくできそう。

サロンの方はそんなにお客さん来なかったみたいだけど、

家の事情とはいえ、移転させるって言うんだから、

自信があるんだろうな。


しかもデザイナーとしてのこだわりとか、信念とかないから、

これデザイナーの仕事かな?とかいう葛藤とかなく、

なんでもすぐ引き受けて、

だから既にいるお友達から「画像を丸く切り抜いて、周りをボカしてほしい」とか言われたら、

「いいよ!やってあげる!」とか言って、

そうやって仲良しこよしやっていくんだろうな。

より友達と仲良くなり―みたいな。


私は元々の友達が少ないから、

お金を出してでも、画像を丸く切り抜いて、周りをボカしてほしいだけの人も多いとか言われても、

そんなことお金を出してまで望んでいる友達なんて、

出会ったことないんですけど。

そもそも、周りの人たちも、

アドビのソフト使える人ばっかりだし。

同じ学校、業界の人が友達だから。

違う業界の人だと、

まだ駆け出しだったり、

Webにお金をかける意味がないと思っている人ばっかり、

「「そう、お前(=その人)みたいにな!!」」


ちょっとその人目線になっていたから、忘れてたけど、

よく考えれば、周りをぼかすとかいう写真加工なら、

スマホのアプリでいくらでもあるじゃないか。

そして、周りをボカスだけじゃなく、

いくらでもおしゃれな感じになるフィルターがたくさんある。

画像加工を望んでいる人って、

今どき、そういないと思うんですけど。


フリーソフトもあるし。


そして、

そんな感じで、Webとかパソコンのスキルが低い人が、

Webデザイナー目指すとけ言い出しているから、

え?大丈夫なの?って思っちゃう。

そして心配してあげるなんて、してあげる必要ないと気づいてからは、

笑っちゃうなっていうのと、腹立たしさが沸いてる。


サイトの相談されていたときの、ネットリテラシーの低さに、

どん引きしたことを思い出す。

ネットはわけのわからない怖いものっていう意識がハンパなくて、

そのくせメルアドとか直載せしてるから、

迷惑メール来まくりで。


デザインスキルのなさ、センスのなさにも愕然としているよ。

配色がひどいし、

レイアウトがひどいし。

チラシとか、スタンプカードとか、ブログとか、

嬉しそうに見せてくるけど、

毎回、感想言うのがまんしてるんだからね。

営業っぽくなるから。

タダでデザインの知識だけ与えて仕事発注しないっていうのも嫌だから。


いいとこどりしようっていう感じが、

ちょくちょく見え隠れするのが、

イヤだ。

だけど、”優しい人”、”人を癒すことを仕事にしている人”、っていうのがその人の売りだから、

メンツを立てたまま会話していくのがしんどい。

本当は、グサリと言ってやりたい。

バカにしてるよね?とか、

ちょくちょくひどいこと言うねとか。


でも、以前、

「私優しそうって見られちゃうんだよね~。ぜんぜんそんなことないのにさぁ。

勝手に思いこんでて、ひどいとかって言われちゃうのってしゃくだわ」

とか言っていたから、

嫌味を言っても、グサリとしても、

逆上しそう、効果なさそう、逆に心の中で私を責めそう、

反省しなさそうっていうので、

やだなぁって思う。


お店のブログでも、なにか困ったことあると、

だれか助けてくれないかなぁって書いてたし。

中には私が助けられることもあったけど、

そうやって遠回しに、

チラッチラッと見ながら、

助けてほしいっていうのが、

無料でなんとかならないかと思っているのが、

やだ。


だからなんだろうか、

結婚して家を出た

お兄さんから、ちゃんと自立しないなら、

家出ていってもらう、

実家は建て直すと言われちゃうのは。


そんな古くなってない立派な家なのに建て直すって、

しかも結婚して家を出たばかりなのに、

戻って来て、建て直して、お嫁さん共々、お父さんとみんなで住むとか。

そして妹には自立して生活できるように出て行ってほしいとか。

どないやねん。


まぁ、でもそうかぁ。

稼ぎが安定しない妹1人じゃ、お父上やおばあさまになにかあったとき、

家を何十年か後に建て直さなきゃってなったときに、

建て直せなくて、兄としては心配かな。

一軒家ってそんなに建て直さないとだめなの?

うちの近くの一軒家も最近建て直しているところ多いんだけど。




こういうイライラって誰にも相談できないから、

会うまで、

会いたくないなぁ、対処したくないなぁと、

モヤモヤしてすごすことになってるなぁ。


みんなはこういう悪気はないみたいだけど、

苦手だなぁっていう人の対処法どうしてるの?



キャンセルして都合悪いって言っちゃったらいいんだろうけど、

会っといて、適当にごまかしてその場フェードアウトしたいわ。

Webデザインの勉強の相談とかされてきたら困るわ。

答える気ないし。

それなら金をくれと思うし。

尊敬もなければ、誰かを紹介してくれることもない、

ちょっと小バカにしたような人に、

自分の死活問題に関わることに関して情報なんて渡したくないわ。

せこいかもしれないけど、

そんな心広くなれないわ。


友達じゃないんだろうから、

友達というか、知人というか、

縁切れるんだろうな。


違う業界業種同士だったときから、

ライバル心燃やすタイプだったから、

同じ業種になったら、

もっと嫌味が増すだろうなぁ。




◯Webサイトを作ることと友達に関しての質問
http://w3q.jp/t/3948

◯なぜ人は「IT業界人」に無償でのアドバイスを求めるのか



http://it.slashdot.jp/story/11/09/25/0451202/


これらを読んで共感感覚を得られて、

少しスッとした。

内容は違うけど、

友達に頭を悩ませている人いるんだな。

これは心を強くもたないとな、

という気になった。



よし!考えついた。

なんか訊かれたら、

「本当に私にアドバイス求めようと思ってる?」

っていおう。

その前に「どうかなぁ、わからないなぁ。」って答えよう。

それを繰り返したら、あきらめるだろう。

でも、知識ないんだな、やっぱりとか思われるのしゃくだ。

でも、今までも知識を疲労したら、サロンのための話をしているのに、

負けずと話と関係ないけど、自分の専門知識を脈絡なく話はじめてたからなぁ。

私なんて眼中にないんだろうな。

自分、いつでも自分が大切なんだろうな。

私も自分が大切だけど。


恋愛相談したときのことを思い出すと、

大丈夫だよいっちゃえ的なことをすごい押して来て、

誘うといいよっていうお店まで紹介してきたけど、

今になって考えると、

ぜんぜんイケイケどんどんじゃない状況なのに、

いけいけって言ってたな。

無駄にポジティブなところがあるし、

発言に対して、少なくとも私より責任感がないということがわかったな。


私はアドバイスするときはすごい考えちゃうし、

断言はしないけどな。

あの大丈夫だよとかいう楽観主義に流されると痛いことになるから、

流されないように気をつけないといけない。

うさんくさい投資家みたいな感じだな。

そんなことしてもあの人には利益ないと思うんだけどなぁ。

人が自分の言った言葉通りにした行く末を見るのが楽しいのかもな。

うまくいったら、自分のアドバイスのおかげだし、

うまくいかなかったら、ププッみたいな。

人の不幸をおもしがるところがあるから気持ち悪い。



「アドバイスを求めてくる」で検索すると出る検索結果が、

今の私をささやかに癒してくれる。




プロと素人の垣根のジレンマ―Webデザイナー

2013-11-28 23:35:32 | 無題
家を立て替える話が兄弟から出たかららしい。

それで今のまま収入が安定しないまま家においておく訳にはいかないから、

自営業でももっと自立してやっていってほしいと兄から言われたそうな。


合点がいった。


心配していた私のせいで一からやりなおしたいということではなかった。

迷ったとか、ずっと先送りにしていたけどってことをブログで書いていたから、

どういうことなのかな?って思っていた。


それでアパートを借りてそこでサロンを開業する資金を貯めるため、

3年間はなんと―

ウェブデザイナーの職に就くんだとか。


ハローワークに相談しにいったら、

職業訓練でウェブデザイナーのコースを勧められたとか。

事務職だったとしても、

ウェブの知識があるのは悪くないからってすすめだったらんしいんだけど…。


ウェブのこと学んだあと仕事あった?って聞かれたけど、

答えに困った。


アルバイトはいっぱいあると思うよって答えたら、

「そうなの~、ハローワークでもネットでみたらい~っぱいあるじゃん」って;

じゃぁ、聞くなよ;と思った。


私がフリーになったことを話したら、

アメブロのカスタマイズ求めている人サロンやっている人に結構いるよ

って教えてくれて、

3万だったら求めている人いっぱいいるって繰り返すんだけど、

どう?3万は安い?って聞かれて、

カスタマイズの程度によると思う。今のブログ、それはあなたがやったの?ということを聞いたら、

そうなの!私にもできたらから、ちょちょいのちょいでしょとか、

お金もらわなくてもいいくらいでしょって言われた;

そんなことないよ、お金はいるよとしっかり否定しておいた。

それで、できる人はメニューのところに画像とか使ってさぁとか言っていた。


なんかノリ的には、

私も職業訓練に通えばウェブデザイナーになれちゃうよね的な感じだった。

バカにされているようで、すごくやだ。


ウェブデザイナーと表示されている求人の職にたぶんつくことはできるだろうけど、

私がサイトをデザインしたり、コーディングするときに気をつかっている細かいことは、

身に付かずに、職業のそれに就くんだろうなぁ、

それで就けたあとに、

ウェブデザイナーって簡単とか思われちゃうんだろうなぁって思った。

もしくは、「私には一緒に働いたウェブデザイナーさんみたいにはなれないけど、

ああいうことやっていたよ」とか言ってきて、

そういうのもやれば?とか言ってくるんだろうなぁと思うと、

頭が痛い。

今も、知った口で友達にWebデザイナーいるけど大変そうだねぇ~とか、

ぜんぜん同情してない感じで、

知った口してくるのが、すごいやだ。

そういえば、私以外にWebデザイナーの友達がいるなら、

その人に聞けばいいんじゃないの?

あっちこっちから情報収集したいってやつ?

いいなぁ、私は1人で検索して、知り合いもいないところから、

独学で初めて、

デザインや広告のこともずっと勉強をつづけているのに。

それでも独学じゃ限界があると感じたから、

学校へも行ったのに。

すごく気楽な(よく言えばポジティブな)口調で、

私にもできちゃう~みたいに言ってくるのがすごい苦手だわ。



アメブロのカスタマイズの件も、

最初は無料とか3万とかでやってさぁ、それで実績つけてこんなのできますよ~ってすれば

とかひょうひょうと言ったいたけど。

無料でやるのはもうしないし。

そういうのやっていたのは本当になんのサイト制作実績がなかったからやっただけだし。

もう会社でも働いて、実績もあるのに、

なぜかその人の中では私は、大したどころか学校出たてのデザイナーと思っているのか、

価値感じてもらえてないみたいなんだよね。


まぁ、格安で引き受けるって言い出した相手だから、

それ程度のデザイナーと思われているんだろうなぁ。

なんかむなしいなぁ。

大手のサイトつくったたり、ロゴ作ったりしても、

同級生だった友達に、大した人じゃないみたいに思われるのって。


職業訓練を受けて入ってくる人結構いるけど、

2分されているように思う。

職業訓練受けたけど、ぜんぜん仕事ないとか、

ブラック企業にかろうじて就職できましたっていうのと、

職業訓練受けて、簡単に就職できちゃいましたっていうのと。


職業訓練校にも質の違いがあるから、

本当にできることが限られている人が入ってくると、

現場は大変なんだけどなぁ。


そういう資金を貯める目的で入ってくる人は、

デザインとかWebが好きなわけじゃないし、

ましてや広告に興味あるわけじゃないから、

あんまり熱心に勉強してくれないんだよね。

いかにも腰掛けっていうか。

それでも会社は雇ちゃったし、現状今振っている仕事はできているからいいみたいな感じで。

早くデザインとか、広告とか、ディレクションとかについても考えるようになって、

うまく立ち回ってくれればいいんだけど、

そういうのもウェブデザイナーの仕事っていう意識がないから、

そういうの必要?みたいな感じで、

言われたことをやってればいいっていう感じで、

デザイナーだから提案する場面があっていいんだけど、

それはしないで、う~んとか言って、

不満そうにするだけなんだよなぁ。


なんてぼやき。


それよりも一番、今頭にひっかかっているのは、

その人がデザインセンスがないということ。

デザインセンスがないとそんな偉そうなこと言えた口ではないけれど、

今カスタマイズしているブログとか、

チラシとか、

私が作る前に自分が作っていたブログとか、

そこそこできてると思っているんだろうか?

できていないと思っていたとして、

デザインについても学ぶ気あるんだろうか?


職業訓練の多くの教室ではデザインについては教えてくれない。

コーディングの仕方、アドビソフトの使い方は教えてくれる。

そうだぁ、それも心配だ。

その人はネットに対して過剰に怖がっている人だったんだけど、

そういう人がサイト作るってどうなんだろう?

すごい偏見を持っていて、打ち合わせするときに苦労したけど、

2ちゃんはやってるみたいだけど。

だから知識が偏ってるのかな。

コーダーさんにならなれるかもしれないけど、

javascriptとかも覚える気あるのかな?

なんか簡単に思われているみたいで、

私が学んだことの、どれもこれも学ばなくても、

職業につけちゃわなくないところが、

おなか痛いなぁ。


私がこの前まで働いていた会社でも、

背景の色と文字の色のコントラストが低くて、

文字が読めないようなサイトを新人の人が作っていたけど、

それがデザインチェックで通っていたもんなぁ。

ユーザビリティとかアクセシビリティとか、

叫ぶだけ叫んで、関係ないんだろうなぁ。

そんな基本のことも気にしないんじゃなぁ。

すごい悲しいよ。


私はプログラミングは得意じゃないけど、

そういったちょっとした気遣いあるデザインはできるつもりだよ。

それに広告業界のデザイナーだから、

ブランディングとか、マーケティングについて一緒に考えることができるよ。

それでアクセス数4倍にできたこともあるよ。


でも、それ信用されてないのか実感がわかないのか、

あんまり求められないなぁ。

デザイナーの評価基準は数値で出にくいから、

できたできないってはっきるするプログラミングと違って、

エンジニアさんより評価が低いよなぁ。


最近、個人のお客さんで、

マーケティングに私が役にたったってことをちょっとだけ実感してもらえたのが、

よかったなぁ。

それでもいいものを提供しないとやっぱりお客さんはつきませんね(笑)って言ってたけど。

私と知り合いになっただけで、

もう万々歳、すべてがうまくいくと思ってたともいってたなぁ、

それって私が広告業界のデザイナーだからイメージだけで、

その業界で紹介してもらえて売り出せてもらえるとか、

人脈からいろいろウハウハなことがあると思ったんだろうなぁ。

人脈があっても、いいものじゃないと、

紹介しにくいし、したとしても、そこからお客は動かないよね。

認知を高めることはできても、

最後お金を出してもらえるか、行動してもらえるかは、

そのもの自体の価値とかクオリティがそこそこないとダメだよ・・・。


私をそういう風な業界人みたいに見てくれたのは嬉しいけど、

もっともっと業界人の人だって、

これは紹介すれば、広まって、それを発掘、紹介した自分の評価も上がる、

もしくは最低限、自分の価値は下がらないっていうのじゃなきゃ、

中心の業界人であればあるほど、そういうところ気にするよ。

自分に人物価値をブランディングしているからね。

映画プロデューサーと似ているね。


まだ多くの人が読んでいない出たばかり本を読んで、

これは映画化したら、絶対当たる!と周りの人を巻き込んでいく仕事。

それでその映画がヒットすれば、その人の映画プロディーさーとしての泊がついて、

次の仕事もしやすくなるけど、

ヒットしないのが続くと、見る目がないとか、

そういうお金にならない映画しか担当させてもらえないってことで、

足をひっぱられないように、おつきあいが遠のくよね。

頼まれて断れなくならないように、徐々にフェードアウトっていう。

引き受けちゃって、お金にならなくて、くたびれもうけですなんて、

誰もなりたくないもんね。


よく情熱とか、ファン心的なのでやっているのを見かけると思うけど、

一見ボランティア的に見えるだろうけど、

それは他で分のあるからやっていることなんだよね。


その人も自分の仕事に対して、

世間で多く求められていることとは違う信念をいだいて、

そのギャップに悩んでいたけど、

ウェブデザイナーだってそういうのがあるってこと、

わかったほしいなぁ。

それでも、私のいうどのことも、

そんなの私も学べばできるって思っちゃうんだろうなぁ。

事実学べばできるけど、

私はその知識を努力して努めて身に付けたからなぁ。

こういうのとかって話しちゃうのももったいないなぁっていうか、

価値を見出してない人に話してもむなしいだけだしなぁ。


アドビのソフトとか買うつもりなのかな?

私が始めた頃はアドビのソフトは今よりもっと高くて、

手が出にくいものだったけど、

今は月々何千円かで手に入るからなぁ。

それがまた、ウェブデザイナーのやる仕事なんて、

ちょちょいのちょいで私にも似たようなことできちゃうって思わせるポイントだよな。


プロと素人の趣味の垣根がどんどん低くなっていってる。

これってフォトグラファーの人にも言えることだよなぁ。

フォトグラファーはそれよりもっと前から垣根があいまいになってきて、

お仕事がなくなった人も多いっていうもんなぁ。

けれどうまく第一線で働いている超一流フォトグラファーもいるわけで。

そういうのって、

行動力と、資金と、人脈がある人は仕事が耐えないよなぁって思う。

有名な人と知り合いで、その人から仕事を受けたら、

それが自分の仕事の箔になって、

またいい仕事が来るというサイクル。


だから人脈とか人柄は大事だなぁと思うし、

スタートが貧乏だと動くに動けないよなぁっていうのがある。

よくすごく貧乏だったけどMacを買って押し入れに置いて作業していたとかいう話を、

有名デザイナーの回想録としてあるけど、

まずMac買うお金は必要最低限ひつようなんじゃんって思う。

今はWindowsでも同様なことはできるけど。


そんな感じで、どれくらいのクオリティで満足するかって話になってくる。

自分の趣味程度でできる、満足する、

自分の手元に一応できる機械あるんだからお金出すの惜しいって思う人が増えて、

デザイナーの仕事なんて少なくなっている。


最近あったもっとひどい話では、

カフェをオープンする、

サイト簡単なのでいい、自分でやってみたけどHTML言語とかわかんない、

業者に頼むと10万もするから、

誰か安くやってくれないかなって話。


私はドン引きしたね。


カフェなら、いくら簡単なサイトでもメニューの見直しとか、

更新するときがいくらでもあるだろうし、

簡単なのでっていうけど、べた塗り一色でいいっていうんかい?と思うし、

お金を出すならやっぱりそこそこ雰囲気あるものがいいよなぁって思うけど。

自分でやってみてできない、難しかったっていうのがわかっているのに、

それに対して対価を出したくないっていうのがすごいなって思った。

そしてもうそこまで安くて簡単でいいっていうなら、

ブログとか、無料でできるサイトでいいじゃんって思った。

なんのためにネット上にサイトを存在させたいと思っているのかと。

とりあえずサイトあるといい的なのが多い。

けれど、無料とか安くなんとかならないかと思っている人が多い。

そのくせいざつくり出すと、値段の割にぶーたれる人も結構いる。

ひどい話だなと思う。

じゃぁできんのかよと。

ソフト買って、自分がいい感じと思っているデザインを書き上げて、

ソフトで作って、

切り出して、コーディングして、

検索にひっかかるように、多くの人に見てもらえるように、

できるのかよと思う。

できそう、できるって思うなら自分でやればいいし、

だけどめんどくさいっていうなら、その分対価払えよと思う。

ちょちょいのちょいでできちゃいそうなことを、

めんどくさいから人に頼むんだから、

その分お金を気持ちよく払えよと思う。

そしてぜんぜんサイトの先のこと考えてないんだなぁって思った。

更新や維持費のお金かかるのに、わかってんのかな?って思う。

サロンの人が更新するとき見積もりだしたら驚いたように、

その人もあとさきのこと考えないで人に頼んでいるんじゃないかなって思う。



でもそういう心理わからなくない。

私もお風呂場を改装しなければならないことになったとき、

せっかく大金払うんだから、

この先ずっと使っていくんだからと、

でもお金ないし、なんとか安くいい感じにならないかなぁと思ったものだ。

ペンキの色とか、タイルとか選べたけど、

その中の一番安いのの中から、

それでも自分が好きなものを一生懸命吟味して決めて、

工事に不備があったら、

値段がこれ安くしてもらえているのかわからないけどと思いながら、

こここうしてほしいとか言ったもん。

職人さんはまいってたけど、

一番安い見積もりではなく、そこそこ値段がある見積もりの方を選んだから、

言うのおなか痛いなぁとか思いながら、

納得のいくようにしようと言うだけ言ってみた。


それと合わせて最近学んだことは、

お客さんはなるべく安くとか、簡単にとか、必要最低限でいいと思っているけど、

いざお金を出すとなると、

打ち合わせをしていくうちに、

こういうこともそういえばできるなぁとか、こうしたいなぁというアイデアが浮かんで来て、

なんとかそれを実現できないかと思い立つって訳。

だから、見積もりは生活していく上で必要な取り分の上に、

さらになにかあったときも対処できるような余裕分を上乗せしておく方がいいってこと。

それで、それでも安く、必要最低限がいいていうなら、

そのクオリティを求めているなら、安さを求めているなら、

自分でやった方がいいですよって言う方がいいってこと。



広告業界で働いていたし、そういう勉強してきたから、

こういうプロモーションしたらいいですよとか言えるけど、

値段的にそんな相談に載る値段じゃないし、

そもそも求められてないし。

求められてないところへ、アドバイスしたら煙たがられるだけだし。


私、便宜的にWebデザイナーって名乗ることあるけど、

広告業界のデザイナーだし、

グラフィックデザインもやるのに、

グラフィックデザイン自体どんなことできるのかわからない名前の響きだし、

広告業界のデザイナーっていってもピンと来ない人が多いような気がする。

Webデザイナーを最初名乗っちゃうと、

ただサイト作る人って思われちゃって、

一番、分があるブランディングや広告の相談来ない。

すごいジレンマ。

アートディレクターとか、クリエイティブディレクターって名乗ると、

アートディレクターってなにやる仕事ですかね?って言われちゃうし、

説明してもふ~んって感じで、自分とは関係ない世界みたいに思われてしまう。


お金のない個人を相手にするのって、

限界があるのかなって感じている。


でも私は人とか、社会がコワいから、

どんどんコワくなっちゃっていっているから、

大きなこといって力になれますよとも言えず。


相談のって疲弊したらダメージが大きいし。

とか考えちゃう。



パソコン壊れてるみたいなこと言ってたけど、

パソコンも買い替えるつもりなのかな?

3年後にまた新しくサロンをオープンするらしいけど、

そのときには自分でサイト作るんだろうなぁ。

お店のブランディングとか求めてないみたいだしなぁ。

もう私のお客さんじゃないのかぁ。

そもそもそれまで私が生きていらえる気がしないなぁ。

オリンピックが来る前に死んでしまいそう。


アメブロカスタマイズ求めている人たくさん同じ業界の人にいるよ~!って言う割に、

ごめんね、私は紹介できないけどって。

そういっていなかったら、ごめんねって。

それどこ情報なんですか?

紹介できないって知人とかではなく?ブログで見かけた人ってこと?

それとも私には価値を見いだしていないから、

私からは知人たちに紹介できないけど=私の株を下げちゃうからってこと?

どういう状況?


その人がたまに出す、

あーあれ?っていうようなバカにしてるんじゃないかなっていうトーンの口調とか、

隠しておきたいようなことを推察して、目がキョドっと正面をむいてみすえたような上目づかいで、

探りを入れてくる感じとか、

苦手だわぁ。

優しいとか、癒されるとかで売っている人だけあって、

その逆が見え隠れするときが、

一番怖いなぁって思う。

あ、この人、人を下に見て、優越感に浸るタイプだなって。

だからフリーになるかもしれないって言ったときに、

フリーになったの?おめでとうと叫ぶように喜ばれたとき、

ちょっと恐怖を感じた。

同じように苦労しようぜ的な、お前も自営の大変さをわかれ的な喜びが。

私がフリーになってそこまで喜べるポイントとかないと思うんだけど。

それなのに私が大手の案件をやったよって報告したときは、

めちゃくちゃ反応薄くて、

それどころか嫌そう、興味なさそうにしていたし。



イラレとか使えるようになるのかなぁ。

私はウェブだけじゃなくて、ブランディングとかグラフィックデザインも学んだんだけどなぁ。

ネットにあるチップスとか見て、

できたとか言っちゃうんだろうなぁ。


今度会うことになったけど、

またどう思う?って聞かれたら困ってしまうなぁ。

色使いとか、レイアウトとか、文字の選び方とか、

どれもセンスないから、デザイナーに向いていないと感じるんだよなぁ。

コーダーさんならいいんだろうけど。

デザイン学ぶ気あるのかなぁ?

デザインは独学が多くを占めるよ。

元々センスがあって研究したりしなくてもいい感じのものが作れちゃう人もいるけど、

(例えばそれがトールペインティングとかだったとしても。)

どれを見てもセンスないからなぁ。

まず色使いがなぁ…ひどいもんなぁ。

けどちょちょっとできた気になっちゃうだろうな。

ずっとWebデザイナーとしてやっていくわけじゃないからっていうのがあるから、

そこまでは私にできなくてもいいとか、

これくらいでいいんだっていうのあるだろうなぁ。


そして3年後にまたサロン開くときに、

Webデザインもできるとかいってお友達のやってあげちゃうんだろうな。

それくらいなら私にもできるよーとか言って。

人付き合いうまそうだから、

下手したら私より仕事来そう。

これもこれもできる二刀流とかいって、Webデザインはお友達と仲良くなったり、

小遣い稼ぎのための手段とかで。


私なんだろうなぁ。

私はデザインと広告―のつもりだけど、


私は彼女の信念とか知識とか、尊敬しているし、

応援しているけど、

その人は私のことなんて尊敬してないんだろうなぁ。


いいこと言ってくれても、

私はネガティブな方を気にしちゃうなぁ。

よくないなぁ。

喜んでもらえても、

本当に喜んでもらえているのか不安がつきないのは、

大変だなぁ。

どうしたらいいのかなぁ。


その人と今度会うけどなに話したらいいんだろう。

アドバイスとか求められても答えたくない。

本気でアドバイスなんて求めないだろうけど。

Webデザイナーの仕事目指すのあきらめてくれたらいいなぁ。

事務とか裏方の仕事なんにもしらなかったから、

今度は接客とかじゃなくてそっち方面ってことだけど。

じゃぁ、大人しく事務やってくれていた方がいいんだけど。

人柄がいいし、前向きだから私と違って、すぐ面接受かると思うよ。

いやみなことしばかり思い浮かんじゃう。

職業訓練行けばなれちゃう簡単な仕事って

思われてるんだろうなぁ。

すっごく勉強したのになぁ。

すっごく勉強しなくてもそれなりにお仕事なくないからなぁ。

肩書き上はWebデザイナーにすぐ慣れちゃうよなぁ。

バナーを作るだけでも、

コーディングするだけでも、

ゲーム業界ならカードの書き出しをしたりアイテムを作るだけでも(絵心が必要だ)

webデザイナー・

打ち合わせから、折衝、ディレクション、納品や、運用などのサポートをしてもWebデザイナー。

検索にひっかかりやすくしてもしなくてもWebデザイナー。

見て暮れだけのサイトを言われたとおりにつくってもWeb”デザイナー”。

デザイナーって情報を整理して、

伝わりやすくするのがデザイナーじゃなかったっけ?



悲しいなぁ。


吐き気してきた。



見よう見まねでできなくないところが、

この仕事の要だよな。

見よう見まねでできなくない小さなことの積み重ねで、

この仕事はプロとして成り立つ。

出口のところで満足したら趣味ってことでいいんだろうけど、

どんどん入っていって、

引き出しが増えていったら、

プロだな。

それでもセンスが大事だな。




人脈が大事

2013-11-28 11:21:16 | 無題
同級生だった友達が、

サロンを辞めて自宅でサロンをやっている話を前の記事で書いた。


その友達が、

サロンを今年いっぱいで終了すると知らせがあった。

知らせに気づくより先に、

たまたまその人のブログを読んだら、

そんなことがあって、

常連の方にはメールでもお知らせしましたがとあり、

ひょっとして、でも私にはないかと思いながら、

サイトを下ろすことを、

どんなメールで送ってくるだろうかと、

携帯を見ずにいた。

でも、ひょっとしてと思ってようやく携帯を見たら、

メールが来ていた。

こざっぱりとしたメールの内容だった。

だから私はぞっとした。


携帯を見てみようと思い立つ前に、

ブログを何度も読み返した。

そこからなぜ終了になるのか理由を読み取りたかった。





私が今思うことは、

私のせいじゃないだろうかということと、

まかりなりとも私の初めてのサイト制作のお客さんで、

私の中では今も、クライアントさんの1人として数えていたのに、

それが1つ減ってしまうということ、

そして、

自営で行っているという励みになっていたのに、

どのような理由なのか一旦終了するということで、

心の支えが1つなくなってしまうということです。


動揺。


サイトは、プロになる前で、

はじめは無料でつくるよと言いました。

サロンのコンセプトを決めるところから、

サイトに載せる文言のアドバイスや校正などもしました。

「私以上にサロンのこと考えてくれて嬉しい。ありがとう。」と

メールをもらったこともありました。


サイトが完成して、1年くらいたったとき、

新しいメニューを載せてほしいと要望がありました。

そのときはさすがにお金を頂きました。

でも、打ち合わせのあとに見積もりのメールを送ったら、

驚いていました。

「そうだよね、タダ働きになっちゃうもんね」と。

一文追加するだけならよかったのかもしれませんが、

グローバルメニューに関わるところだったので、

他のお客さん同様見積もりを送ったのですが、

私の説明不足だったようで。

驚かれたことに、驚きましたが、

すべてタダになると思っていたようで。

私は、申し訳ないなと思い、

もうそれ以降はサロンの調子どう?とか、

営業っぽい感じになるので、

連絡をひかえていました。


事実、チラシとか、スタンプカードとか、

発注してくれたらいいなぁという気持ちがあり、

でも、お金を掛けたくないと開業当初から言っていたことと、

格安で良質のものを使って提供したいと言っていたので、

自分でチラシや、スタンプカードを作っているのをみても、

なにも言えませんでした。

もっとこうしたら素敵になるのになと思っても。


私ができたのは、開業当初のサロンの方向性決めと、

サイトを制作するだけでした。

その後、広告代理の会社で働いて、

ネットでの広告展開のについての知識がついたのですが、

お店の調子どう?と聞く度に、

はぐらかされているような、

本当は私ともう関わりたくないんじゃないだろうかというような気がして、

そして、私もその人のお店に幾分もお金を落とせず、

お客さんを呼んであげるだけの人脈と影響力もなく、

その人も私にお金を落とすこともなく、

新しくお客さんを紹介してくれることもないんだろうという気がして。

なんともいえない距離感になっていました。


ただただ、作ってしまったサイトだけは今も存在して、

ブログや他の紹介サイトに、私の作ったサロンのサイトのURLは貼ってあって―

どうなんだろう?

知り合いに頼んだ結果、

本当はもっと違うサイトや、サイトを他で一新したいという思いがあるのに、

知り合いに頼んだ故に、そう言い出せずにここまできてしまって、

ついには、お店を閉めるという形に一旦して、

新しくお店を他ではじめるのじゃないだろうかという

―不安。



ここで思うのは、

私にもっと人脈や影響力=人から好かれて、人が好んで動く力が

あればよかったということ。


DとかHとかRとかたくさん広告会社やコンテンツ会社はあるけれど、

そこのどこを見ても、

タモリさん1人見ても、

そこにはご縁あって、たくさんの人に慕われて、

その人が言うなら、その人がよかったというなら、

少なからず、そのシェアされたり、リツイートされたりした記事を見たり、

そこへ実際足を運べなくても、お金を落とせなくても、

さらにその記事をいいね!したりシェアしたりリツイートすることで、

さらに多くの人に知ってもらうことで、

実際に足を運べる人や、お金を落とせる人に情報を

伝える人にはなれるということ。


けれど、

私は人望も人脈もなく、

慕ってくれている人も、

私のツイートを見ていたくてフォローしている人も、

私が発することに関心があって友達申請してくる人も

いないので、

なにも影響力がなく、

ツイートしようが、タイムラインになにか流そうが、

その友達のサロンへ1人送り込むことさえできないのです。

そしてFacebook上にインフルエンサーであるFacebook上の“友達”がいるにも関わらず、

その人は私には興味がないーどころか距離を置きたいと思っているのではないかと私は感じており、

何千人も“友達”がいる彼のタイムラインは、

すごい早さで流れているのだろうとうことで、

インフルエンサーと繋がりがあっても、

その人にいいね!を押してもらって、拡散することなんてないのです。


もし、私に人望があって、

その人によいイメージを抱いてもらっていたら、

なにげない投稿でもいいね!を押してもらえたでしょう。

でも、事実、1回もいいね!を押してもらえたことはありません。

インフルエンサーの内1人は、私へ自分から友達申請をしてきた人ですが、

その人も恐らく、私の記事は見ていないでしょう。

その人の目的は、自分が発信するものをより多くの人に見てもらうということであり、

私が発することや、私に興味関心があったりしたからです。


広告業界やメディアの真ん中でなにが行われているかということを考えるに、

その真中心はまだ私にはわかっていないかもしれませんが、

少なからずその業界の円心では、

結局のところ1人1人、個人個人のつながりで、

仕事や情報の行き交いが行われているのです。

だから何が流行るとか、

なにを流行らせるとかいうのも、

個人個人の繋がりが、あの人ともこの人とも繋がりがあって、

これいいよねが共鳴して大きくなって、

それがそれを取り巻く周りに漏れていって、

これが今流行っているらしいになり、

これが今流行っています、になるのです。


グラフィックデザイナーの横尾忠則という人は、

何冊も装丁を手がけていますが、

その多くは知り合いである著者から直接依頼が来たものばかりで、

出版社から来たのは少ないと言っていました。


最近私が、モヤモヤ考えているのは、

“人脈”です。


最近受けた仕事は恩師である知り合いからです。

私がここでわめこうが、

Twitterやサイト上でお仕事くださいと叫ぼうが、

来る仕事なんてたかが知れていると思うし、

なにより、

先月、体調を崩して会社をやめたばかりの私にとって、

見知らぬ人からダイレクトに問い合わせが来ることを考えたとき、

怖いなというのがあります。

これが、知り合いから来た仕事となると、

なんだかそれだけでも、気持ちが違います。

どんな人物かということを探る必要がないので、

1つ仕事が減る訳です。

人と仕事をする上で、私にとって一苦労なので、

間合いをとるということです。

そして、「あ、この人苦手かも」とかなったとき、

そこからがさらに大変で、

この人の顔見ていたくないといったこともこれまでに何度かあったのです。

そうなると、がまんとかそういう問題ではなく、

どんどん精神的に追い込まれていってダメなのです。


私はつきあっていける人間が限られているということに、

ここに来て気づいてしまったのです。

気づいてしまっただけでなく、

そのダメなときのダメ具合が刻々と強くなっていっていることに、

この前気づきました。


見知らぬ人とテーマを決めて雑談するというのがあるのですが、

「この人苦手かも」と思ったときに出る拒絶反応が、

もうがまんできないというほどしんどくなって、

その場で

そうですねと相づちをうつだけで、

どうしたらいいのかわからず、

気のきいた一言も、以前なら出てきていたような、

話を掘り下げる言葉の返しもできず、

笑顔ではなく、顔が引きつって、

苦笑いがせいいっぱいになってしまっているのです。


私は以前は、自分が賛同できないような話でも、

リポーターにでもなったかのように、

根掘り葉掘り掘り下げて質問し、

聞き出すことがきできました。

その人の考えや、その内容の真なるところ。

ところが今は、

「「この人の話したことに賛同できない」」ということがあると、

そこから先、もう興味がなくなってしまうのです。


考えが浅いなぁとか、

この話の結末の先には、私に利益のあることはないな、

それどころかこっちが疲弊させられる=利用されるだけだなとか。



こんなに損得勘定ありきで考えている人がいったいどれだけいるでしょうか?

興味を持ったものの先にも、

それを極めても、お金が入って来る可能性が低いなと思うと、

極める意欲もなくなってしまいます。


そんなんでは、人脈なんてできないのにと思います。


でも、仲良くなれば自分も得することがあるかもしれない

インフルエンサーである、すごい人と関わり合いを持つのにも、

臆してしまうのは、

自分が打算計算があり、そんな汚い自分を認めてしまって実行に移してくないからでしょう。


事実、

元上司のツイートが私にとってはとてもおもしろく、

私の中で今一番おもしろいメディアはその元上司のツイッターであるという程にも関わらず、

フォローするのをためらっているのは、

力のない人がそういった力のない人にすり寄って、

なんらか恩恵を受けようとしているみたいに見えないか、

そう見えるのがイヤだというのがあります。

そしてそこで、自分に問うてみます。

そういう気持ちが0%なのかと。

すると、0%ではなく、

少なからず幾らか、あればいいなぁという気持ちがなくないというのが返ってきます。

そして、それだけでなく、

そのツイートがおもしろすぎて、

絡まずにただフォローするだけなんて嫌だという思いがあるからです。

しかし、絡んだところで、その上司が絡み返してくれるかというと、

恐らく返してくれないでしょう。

それどころか、なんやねん気色悪と思うでしょう。

それは一緒に仕事をしていたときのやりとりを思い出すにあたり、

一緒に仕事をしていたときは、さほどその上司に同調していなかったからというのもあります。

生意気なことを言ったこともあります。

上司は私に期待はしていたようですが、

あつかいにくいやっちゃなとは思っていたと思います。

だから一緒に仕事しなくなるとなったとき、

ちょっとほっとしたのではないでしょうか。

かわいい部下だったとは言えないでしょう。

かわいい部下だったのは、私の先輩の方であり、

それを証明するような出来事もありました。

証明するというより、その出来事があったから、

ああ、先輩は目に入れてもいたくない程だったんだなというのがあります。



私はどちらを向いても、

“一歩距離を置いておつきあいしたい人”のようです。

幸いなことに、1人だけ私少し興味を持ったり、

かまってくれる人がいます。

そのことを今幸せだなと思います。

けれど、その人も、私と同じく、

人とうまくやっていけない人ーと本人が言っていました。

人とうまくやっていけないから、このように心を許して話せる人が貴重なのだと。

なので、その人に私がなにか発信したとしても、

その人は他の誰かにそのことを伝えてくれたり、

影響力があったりするわけではないのです。

私は、いつか影響力になる人になると―思っているのですが。

なにも根拠がないし、

確かに今の実力や実行力度合いじゃ、影響力は出せないなと。

いつか売れると思っている割には、

じゃぁ、私はその人にお金を出して、その人が発信したものを買うかといったら、

今発信されているどのものも、お金を出して買いはしないのです。

私がお金がないーというのも一理あります。

お金があったら、それくらい買っていたかもしれませんが、

そもそも私は自分を究極、自分を癒してくれるものにしか、

お金を出さないところまできてしまっています。

服も、ああいう格好してみたいなというのがあっても、

今そろっているものでいいかと思い、

音楽でさえ、図書館で借りてしまう始末です。


他の人もそうでしょうか?

自分の損得を基準に、

人付き合いのための出費、

買っても買わなくてもいいような出費=買わなくても生きていけるものに対しての出費

に対して考えるとき、

勢いや惰性で出費するというのは―


ここで中断して別に、「出費するものしないもの」について考えた。

それはあとで書くとして。




ここで書きたかったことは、

人脈すらないとなんて無力で役に立たないんだろうと思う。

ということ。


せめて繋がりくらいあれば、

せめて私自信、もしくは私が発するものに少なからず興味を持ってくれる人がいれば、

できるなら、その人を動かせるだけの力があれば、

私はもうちょっと力になれたのではないかと思う。



そうしたら、サロンの友達は、

もうちょっと仕事を続けられたんじゃないかということ。



そして少なからず、

人脈を頼りにして近づいてくる人も、

幻じゃなく実際にいるということ。

それを最近実感したから、

なおさら、”人脈”や繋がりの大切さが身にしみた。


今までは、そんな、そういうすり寄るような、

自分の力じゃないところへ寄るようなことは、

よくないと思ってーというか、地で感じてしまって、

本当はそうしたいのに、そうできないということがよくあった。


でもそうやって、最初の関わりあいに1つつい立てを立てて、

あんまり馴れ馴れしくならないように、

すり寄っている感じにならないように、

頼りにしてしまわないようにと、

一歩引いていしまっていることで、

あとあと、やっぱりいい人だなとか、

共感できるところがあるから、友達になりたいなと思っても、

最初の―仲良くなっていく過程の自然な流れ、タイミングで仲良くならないと、

あとでフランクになっても、

無理があって、

どっか引いたような付き合いしかできないってこと。


そうして、Facebook上とかでな”友達”であったとしても、

実際はいいね!ももらえなければ、

コメントもつかないようなことになって、

拡散したいことは届かないということ。


それだけじゃないだろうけど。


やっぱり感じてしまうのは、

層があるなってこと。

リア充という言葉がもう一般的になってきている程だけど、

そういう人たちは、やっぱり繋がりをリア充に求めている。

信じたくないけど、そうだ。


最近、どうもそうっぽいとか、なんとなく感じていたことが、

信じたくないけど、そうなんだということが解った。

自分のこともそうだし、

人間はきれいごとを言っている人もいるけど、

打算計算しているところがある。


打算計算と思わずして、地で行く人たち。

損得なんて考えてないという人はいくらでもいるだろうけど、

考えずして取捨選択していると思う。

ずっと観察してきた結果だ。



お金を得るとか、人脈の形成とか、

なぜ汚く感じるんだろう?

本当は生きていく上で大事なことじゃないか。

誰がこの価値観を植え付けたんだろう?

どこで植え付けられたんだろう?

今はそれのことでモヤモヤしている。



あたり前で、以前から大事だ大事だとあちことで言われてきたことだけれど、

人脈が「クモの糸」ほど大事。

そして繋がっているだけじゃなく、

その人になにか任せてみようとか、その人に頼んでみようとか、

その人の役に立てばいいなとか、

そういう行動に移してもらえるだけの好かれるなにかがあることが大事だということ。


それがなんでか、

コネとかずるいとか、

そういう汚い世界みたいになってしまっている。








世間がこわい―世間が人をころす

2013-11-19 17:57:23 | 無題
31歳女性が家で餓死したニュースのコメントがすごい。


日本人って、お金に困っても「くれ」って言えない、

人に迷惑を掛けることに引け目を感じる、申し訳ないって思うのが日本人。


とか、


こういう人に生活保護を支給するべきだ


とか、



まだ若いのに、仕事あるだろうに



とか、


動けない精神病だった、こういう人にこそ生活保護を



とか、


家族がいたのに、なんで?理解できない


とか、


かわいそう、合掌


とか。



同情するなら、

お金とか仕事を黙ってくれんのかよと思う。



面接でも世間体でも、なんでも、

人物面とやらを計られて、

コミュニケーション能力ある人求めるとかいって、

コミュニケーション能力のない人ともコミュニケーションとれるのが、

コミュニケーション能力の高い人じゃないのかと思う。

社内の人間がコミュニケーション能力がないのに、

コミュニケーション能力があっても、

コミュニケーションなんてとれないだろうって。

求められる人物像のところに、

コミュニケーション能力ってあると、

イラッとする。



家族がいる人には、

家族が理想の状態じゃない人からしたら、

意味解んないし、ただかわいそうなだけ、

白い目で見る対象なんだろうな。

あったかい家庭に包まれて、

他人のことは理解できないと非難できるところがすごいなと思う。

天国から地獄を見て、

辛いんですか?って言っているようなものだ。

私だって、

理解できないほどに幸せな家庭に、

困っているときに助けてくれる家庭や親族に生まれたかったよ。


同級生だった友達のお母さんは、

離婚した家の子とはつき合っちゃいけませんって言っていたらしい。

そういう考えの人って一定数いるよね。

幸福な家庭の人は、

幸福じゃない家庭をいくらでも白い目で見れる。

私は小さい頃は幸福な家庭だった。

それで小さいながら、

同じクラスの子や幼なじみの家庭が、

離婚したり、大変だったりするのを聞くと、

裕福じゃないけど、

両親が離婚していないことが幸せだなと思っていた。

それだけが取り柄だった。

幼なじみの間には、

裕福で大きな一軒家に住んでいる子もいれば、

親が離婚を繰り返している子もいた。


愛情があって結婚しあったんじゃないの?

思いやりとかないの?という感覚、

わからなくない。

けれど、人間はそのときどきで生きてしまう生き物もいるものだ。

意見が食い違ってきたから別れたんだ。

同じ肉親同士でも、

傷つけあうことを言う人種がいるんだ。

傷つけられるから、傷つけるんだ。

そこから離れたいのに、傷つくのをさけたいのに、

肉親だから離れられないんだ。

だから傷つけて攻撃して、自分を守るしかないんだ。

やがて、それも疲れて、

離れるんだ。


両親が最初から最後まで愛し合った家庭に生まれた人には、

わからないことだろう。

私だって、両親が最初から最後まで愛し合って、

子供にも愛情を持って接してくれる人だったらよかったと思うよ。

生まれる場所は選べないからね。



生活保護をこういう人にこそ受けてほしいっていったり、

こういう遠慮するのが日本人とかいって、

かわいそうとかいうけれど、

この結果が満足なんだろう。

これで31歳女性が生活保護を受けていたら、

今度は非難するだろう、

生活保護を受けるだけの気力があるなら働けとか、

まだ若いんだからとか、

いくらでも非難するだろう。


うつ病だったのか、そうじゃないのかということを論点にするのも、

違うと思う。

それって、うつ病と認定されるされないの瀬戸際の人がいるってことだよね。

またそこで、同情できたりできなかったり、

救われたり救われなかったりするんだろう。

何でも、なりかけの状態は苦しい。


人それぞれとかいう割には、

社会はそれを受け入れていない。

世界に1つだけの花って曲がすばらしいっていう割には、

社会はそれを認めていない。


ストレスに強い人、

睡眠をたくさんとれば元気になる人、

虚弱体質な人、

筋肉がつきにくい人、

繊細な人、

いろんな人がいるだろうけど、

少なくとも企業はそれを受け入れない。

儲けられる強固な人材だけを受け入れる。


そういう人たちは、

どうやって生計を立てればいいんだろう?

どうやって生計を立てているんだろう?


もうがんばるのイヤだ。

すごく、すごく疲れた。

もっとがんばれと求められたりい、

叱責されるのもイヤだ。

企業に関わらなければ、

大勢の人に迷惑をかけなくて済む。


それでまずは少し楽になれた。


外国には外国の大変な点があるだろうけど、

まぁいいじゃないかとほがらかに生きていたり、

長期休暇が当たり前で旅行へ行ったり、

ワークシェアリングという風潮があったり、

自分の意見をしっかり持って発言することがよくて、

他人の意見は他人の意見と捉えて、

自分の考えを押し付けようとしない風趣も、

すべてうらやましい。


私は最近、ほめられたら、

お世辞だろうかもしれないけど、

ありがとうございますと言うことにしている。

そんなことないですよぉ~とかいうくだりがめんどくさいからだ。

それに、

ありがとうございますって言った方が自然な流れ出し、

気分もいい。


たまにネットで、

「お世辞をいったら、ありがとうございますって言われた。そこは謙遜だろ」

っていってる人を見かけるけど、

なにを求めているのかわからない。

お世辞いうことで、なんか得られるものでもあるの?と。

お世辞をいって、そんなことないですって言われることに快感でもあるの?と。

そしたら、それは随分気色悪い趣味だなと感じる。

お世辞のくだりが好きな人は、

どうかしてると思う。


近所のおばさんの世間話みたいなのも苦手だ。

どこどこさんの家は子供が何人いて、

だから何万円も手当もらったらしいわよ、

それで旅行したんだってさとか、

驚いたけど、

そんな情報知りたくなかった。


どこどこがどうしたとか、

だれがどうしたとか、

どうでもよくない?って思う。


だから、私は近所付き合いがすごく苦手だ。

根掘り葉掘り臆面もなく聞かれるのもイヤだ。

それでまた仕入れた情報を他で話されるかと思うと、

気がめいる。

だから近所の人とはなるべく挨拶だけで済ますようにしているし、

草むしりみたいなのにも、

お金を払って出ないようにしている。

コワいもん。


家の中だけが、

私の居場所。


心休める場所なんだから。


なるべく近所と関わらない方が、

家の中にいて、

ああ、こう思われているだろうなぁとか、

気に病まなくて済む。

家の中だけでも、自分の世界でいたい。


それでも気にしちゃってるんだけど。

働いているのかしらねぇとか。

家族見かけないけど、ご家族どうなっているのかしらとか。

でも、関わりあいないことで、

その意識が幾分薄らぐからいい。

関わりあっていたら、

しょっちゅう、直接本人から、どうしてるの?とか聞かれて、

それに答えて、それが白い目の反応だったら、

それを何度も頭の中でリピートして、

より気に病んでしまう。

だから近所の人とは関わりがほとんどない方が気楽でいい。

関わっちゃうと、なんでか口出ししてくるおばさんとかもいるしね。

近所ってだけで、偉そうにできるんかなと思う。

だれかの役に立ちたいという思いが、

そうさせるんだろうね。

ずっと家の中にいるから、役に立つ場所が限られてしまうからだろうね。

役に立っていると、感謝されるのも、

家族からだけだし、

家族からそれが得られていない、不十分と感じると、

よりいっそう、発散する場所がほしくなるんだろう。


近所の人とは関わりあいもたないようにしているけど、

隣の家の人(おばさん)には、

小さい頃お世話になったから、

なにかあったら助けてあげたいと思う。

小学生のとき、鍵を持たされてなくて、

家に帰ったら、親が帰ってなくて、家に入れなくて、

家の前で座って待っていたら、

隣の家の人=当時はご主人も存命されていて、

「うちで待っておいで。」と中に入れて、

リンゴを振る舞ってくれた。

ちょうど『きんちゃんの仮装大賞』があったときで、

それを見ていたみたいで、

私はその番組をそこで初めて知って、

おもしろいなぁ、おもしろいなぁって思いながら見ていたよ。

隣の家だったけど、年配の方達だったから、

緊張したけど、

そこは天国みたいだったなぁ。

お昼前なのに、家の鍵が開かなくて、

きょう早く帰るって教えたのになんでって、

さみしい思いと、

ちょっと空腹で、

ひもじい気持ちでいたから、

あったかい、ご年配夫婦に、

リンゴを差し出すというおもてなしに、

そしておもしろい番組とに、

私は感動したなぁ。


その年配のおばさんのところに、

去年だったか、娘さんが戻って来て、

同居し始めたから、

助ける機会なんてないだろうけどなぁ。


そのおばさんも、ちょっと他人に口出しするところがあるから、

ある程度、距離を置いておかないと、

口出されるようになったら困ってしまうから、

なにかのおみやげですっていって、

近所付き合い始めるみたいになるんもマズいからなぁ。

本当に窮地のときに助けられたらと思う。


でも、そんなことってないだろうから、

あのときのこと、今でも感謝していること、

伝えること、恩返しすることなんてなく、

終わってしまうんやろうなぁ。