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開心香港街市

ほいさむほんこんがいしぃ
~気づけば在住6年目。香港のおいしいもの、おもしろいこと、ときどき…。在ホンコン的趣味生活~

ぎりぎりセーフで見てきた「どーーん!!」

2007年07月24日 | 香港雑記
あれ?お知らせしましたっけ? 最近忙しさのあまり、何を誰に話したかすっかりわからなくなってしまって…(それは前からか??)

7月31日に香港を離れることになりました。
手元に届いた、香港発成田空港行きの片道航空券がせつないです。

タダでさえ年月の過ぎるのが早く感じるお年頃なのに、日本へ戻ることをお知らせしてからの1カ月は、まさに怒濤の勢いで過ぎていきました。まだまだ時間はあると思っていたのに、気が付けば残された時間はあと1週間。

残りの日々、毎日更新できるかな。できたらいいな。がんばりますので、どうぞおつきあいくださいませー!!!



前回、シンフォニーオブライツについて記したとき、うっかり「シリーズ」などとといってしまったので、なんとかして続けないと格好悪いなぁ!ってことで、カッコつけのためだけににお送りする第二弾!


 

駐車場から続く薄暗い地下道。海水を引くパイプと下水を戻すパイプ。深いみどりの太いパイプが走る通路には人影もなく、サササーッと低い音のうなるが聞こえるような気が…。
行き止まりまで進むと、そこには上り階段。見上げるとまぶしいほどの外光。


外に出るとビクトリア湾のハーバーが広がり、そしてその脇に据えられているのが…







はい。ヌーン・デイ・ガン(午砲)です。



現在はマンダリンオリエンタルホテルグループもその傘下にあるジャーディン・マセソン商会は、1800年代半ば、香港に強い勢力を広げていました。そのジャーデン・マセソン社には、自社の社長(タイパンと呼ばれていたそうです)が船で香港に入ってくると礼砲をならして迎えるという、なんとも脳天気な習慣がありました。
香港に新しい英国海軍将校が就任したばかりのある日、まったく知らされていないにも関わらず轟音をあげて大砲が放たれたことに驚き、事の次第を突き詰めた結果、「民間企業が自社の社長が来たくらいで大砲をぶっ放すとはなにごとぞ!」とお怒りになり、自社船への礼砲の禁止と、罰として1日も欠かさず毎日正午の号砲を撃つことをジャーデン・マセソン社に命じたのでした。
以来、第二次世界大戦時、日本軍による香港侵略時をのぞいて、ジャーデン・マセソン社が面々と続けている正午の儀式が、ヌーン・デイ・ガンです。


と、きっぱり語ってみましたが、これはもちろん私の知識ではなく、ヌーン・デイ・ガンの敷地内の案内板およびパンフレットにこんな感じの由来が記されているのです。へへへ。
この号砲は、時刻を知らせるというよりは、現在では、チャリティのため、観光客のためのイベントといった色合いが強いと思われます。

でも、そんなに有名で、毎日行われているものでも、今まで見たことなかった私です。たまたま近くを通りかかって、轟音にビックリしたことは何度もあれど、12時ちょうどにそこにいる機会って、チカラいっぱい意識しないとなかなかないもので…。


午砲を撃つ時は敷地内に入ることができないため、ギャラリーは柵の外からの見物となります。

胸に「ジャーデン・マセソン」の社名バッジを付けた制服のおじさんが、午砲担当さんのようです。12時が近づいてくると、何度も時計を見て手順に遅れがないように確認をしています。

 

12時少し前、大砲のよこにある鐘を鳴らします。周囲に「間もなく撃ちますよー」と知らせるためのものでしょうか?


折り目正しい動作で砲台に近づき、引き金に繋がっているロープを握って…



どーーん!!

すごい轟音に、思いきりカメラを持つ手がぶれました。

いや、もうとにかくビックリしたぁ! 撃つぞ撃つぞとわかっていても、これだけビックリするのですから、突然聞かされた海軍の高官さんはさぞかしビックリしたことでしょう。お怒りになるもの当然です!

白い煙を残して、以上、午砲終了です!
1850年頃から続けられている伝統ある儀式も、たった1秒で終了です。潔い儀式ですねぇ。



号砲のあとは30分間だけ敷地が解放され、個々に写真を撮ったり近くで大砲を眺めたり。
私ってば、どかーん!によりかなり心拍数が上がってしまったみたいで、せっかく近くで撮ったの写真たちは失敗ばかり。
意外に肝っ玉小さいってことを知らしめられた午砲でした~。



爆竹ばーん!バズーカどかーん!とかは慣れてるんだけどねぇ~
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